フロム・ヘヴン
いよいよ来ましたね、この回(笑)
最初に謝らせてください。
長すぎて申し訳ないです。
しかも文面がうッザいって・・・
なんでしょうね、この拷問。
ただ、読まないと真相はわからないという・・・
何人の読者がいらっしゃるのか定かではありませんが、この回で読者様が減るのではないだろうかと危惧しております。
無理をなさらずに、読んでいただければ幸いでございます。
久しぶりだね、神屋君。突然のメールに不信感を抱いていることだろう。しかし安心してほしい。私は君の味方だ。君が私の味方かどうかは分からないがね。
時に、私が誰であるか分かるだろうか。君ほどの人間ならば既に私が誰であるのか気付いているだろう。
我は片翼の鷹なり。世間では私の死を悼んでいる事であろう。しかし否、私は悼まれるような存在ではない。我が使命の為に犠牲になった七人の優秀な友がいた。彼らの為にも私は闘わねばならない。新たな駒を揃えなければならないのだ。そして、それらを守らねばならないのだ。
ここに闘いの全てを記す。私と共に闘うか、私を消し去るか。君に、いや君達に委ねられたのだ。
ファーストムーブは私たちアンチマターによるものだった。君も知るように、六月二十一日のことだ。王里神会との決別を決意し、私を慕う七人の同胞達と王里神会脱退の意思をKに伝えた。Kとしても、革命の為には仲間との衝突は避けられないと思っていたのだろう。私たちが、反対運動をしないと言ったらスムースに脱会の手続きは進められた。もちろん、その言葉は私の嘘だ。予定ではその日から一ヶ月後には、王里神会は消滅している算段であった為、我々は何も恐れる心配はなかったのだ。
幹部会議の後は、ロビーで意見交換をするのが王里神会の慣習だった。我々が決別を言い渡した会議の後も、いつもと同じく本部のロビーで幹部は集まっていた。いつもと違うといえば、皆怒りや怨みというような表情をしていたくらいであろう。幹部の半数近くが王里神会のやり方を否定したのだ。表面上ではスムースな話し合いがもたれたが、内心では互いが憎み合い、憎悪の感情が渦巻いていたに違いなかった。そんな中、君は他の者とは違っていた。王里神会に残った者は皆、組織の膿みを出してやったと言わんばかりの表情で、この国を我が物にせんと野心的な瞳をしていた。しかし君は、そんなものには興味がなかったようだね。幸せを勝ち取ることを自らの欲を満たすこととすり替え始めた王里神会を見て、失望したようにも見えた。だから私は君に話し掛けてみたのだ。君が何故、後にアンチマターとなる我々と共に来なかったのか、興味があった。どうやら君はチェスを用いた方が洞察力がはるかに高まるようで、途中からはチェスの対局になったわけであるが、あれはこちらとしても都合が良かった。君はおそらく相手によってチェスと将棋とを使い分けているのではないだろうか。失った仲間を使える将棋はチェスとは僅かに戦法が異なる。より単純なチェスを選択してくれたおかげで私は君と対等に闘えた。勿論、チェスの対局ではなく、心の読み合いでね。
君の内なる恐怖心を察知した私は、その瞬間、ある種の保険をかけることを思い付いた。万に一つ、アンチマターが作戦に失敗した場合、あるいはそれに準ずる結果になった場合、君に援軍として協力してもらおうとしたのだ。君に選択の余地はなかったはずだ。作戦が成功すれば、王里神会は全員刑務所行きだ。君が自らそれを望まない限りは、何らかのモーションを起こさざるを得ない。作戦が失敗すれば、その時は複数の死者が出ているに違いない。そうなれば、くすぶっていた君も、王里神会を倒す為に動き出すであろう。君はそういう人間だ。
さて、我々が達成するはずであった作戦であるが、君ならばその概要くらいは把握しているだろう。我々アンチマターの勝利条件は畢竟するに、王里神会のテロ計画を世間に公表する他ないのだ。そうと決まれば、アンチマターのやるべきことは一つだ。
私たちは、Kの管理するデータの中から、私とKしか知らない、あるデータを盗み出した。そのデータは、王里神会がテロを計画していることを裏付ける証拠であり重大な秘密であった。
我々が犯罪に手を染めることを恐れた為に王里神会を脱会したのだと思い込んでいた、Kを筆頭とする王里神会幹部どもは、まさか我々自らが逮捕される危険を負ってまで王里神会を潰そうとしていたなどとは考えもしなかったのだろう。それはいとも簡単に盗み出せてしまったのだ。これがKの最初で最後のミスであろう。夜襲的であったとはいえ、データを盗まれるなどというミスはらしくなかった。
しかし、直後私たちも致命的なミスをする事となる。幹部に藤原という男がいることは知っているだろう。この男には十分に注意したまえ。私は奴に一度出し抜かれたと言ってもいい。
会議後、Kやその直属の部下たちは会議室で会議を続けていた。その隙に私の仲間の内、二人がKの部屋で機密データのコピーを進めていた。それは丁度、私を含めた六人の元幹部がロビーで君たちを監視していた時、君に分かりやすい説明をするならば私が君とチェスしていた頃だ。
藤原が動いたのは機密データのコピーが終盤に差し掛かった頃だった。藤原は突如、警報装置を作動させたのだ。私が君とのチェスを投了した直後だ。警報装置が誤作動を起こしたという連絡があったのは君も覚えているであろう。しかし、これは誤作動ではない。藤原が意図して作動させたのだ。無論、別室にて機密データをコピーしていた私の仲間二人は、自分たちの行動がバレたのではないかと思い込んでしまった。幸いデータのコピーは終えたのだが、焦った二人はKのPC内に侵入の痕跡を残してしまった。藤原は万が一我々が犯罪の証拠を盗もうとしていた時のことを考え、先手を打って警報装置を作動させたつもりだった様だが、結果的にデータのコピーは成功した以上、あの時点では勝利したのは我々だっただろう。しかし、PCの痕跡から機密データを盗んだことがKに知られたことで、後に我々は痛手を負うことになる。
六月二十一日、我々はあるホテルに身を潜めた。そこで正式にアンチマターという組織を新たに独立させた。メンバーは私を含め八人。君も顔と名前くらいは知っているだろう。メンバーには戦闘員はいなかった。王里神会に残った上條という若い男は他の者よりはるかに戦えそうな風貌をしていたが、アンチマターに引き込むには至らなかった。この、明らかな戦力不足は早々に問題になった。弱さは我々に「逃げる」や「隠れる」のようなパッシブな選択肢しか与えなかったのだ。君も早い内に戦力は確保した方が良いだろう。
日付が変わり、六月二十二日になった。我々は入手した機密データを、鮎川氏に送ろうと考えていた。それは、彼が王里神会に不信感を持ち始めているという情報を入手していたからだ。それに、次期総理の候補というのも都合がよかった。現総理には藤原が既に接点を持っていたようであり、機密データを渡すには危険過ぎた。王里神会信者の多い警察はさらに危険であり、敬遠せざるを得なかった。
しかし、いざ機密データを確認してみると、強固なプロテクトが掛かっていることが判明した。プロテクトを解除しなければ、鮎川氏にデータを送ることは出来ない。
幸いにもアンチマターにはコンピュータに関して極めて優れた技術を持った三島という男も居た為、プロテクトの解除にも時間は掛からないであろうと誰もが思っていた。
しかしながら、問題が生じた。まだ夜が明けない時間だった。三島曰わく、プロテクトの解除には専用のプログラムが必要であるらしい。そしてそのプログラムは三島の自宅のPCでなければ使えないとのことだった。一時間程の会議の結果、危険を承知で三島の自宅に三島を含む四人が出向くこととなった。それが丁度午前五時頃のことだ。
しかし、後に彼らとの再会の誓いが、別れの言葉となってしまったのだ。
三島家自宅からPCを持ち帰る為に仲間四人が出発してから、連絡なしに四時間が経過した。探知されることを避ける為に携帯の電源は常に切るように決めていたが、他に連絡方法はいくらでもあったはずだった。四人に何かが起こったのは明らかであり、疑うまでもなかった。私は何らかの判断を下す必要があった。
だが、判断を下す前に進むべき道は決まってしまったのだ。午前十時、一件のメールが届いた。それは四人の仲間からではなく、王里神会からのものだった。
内容は以下の通りである。
「機密データの消去とその証明を提示せよ。二十三日、午後六時までに上記したことが出来なければ、こちらで拘束した三者の命はない。」
すぐに我々は対策会議を開いた。気にかかるのは、「三者」という表現だった。誰か一人は逃げ切ったようだった。私はその一人の帰還を待った。その間にも話し合いは続いたが、結果として我々は信念を貫き通す決意をした。「何があっても目的を果たす」と皆で決めたのだ。それに、いくら機密データが盗まれたとしても、Kが殺人の命令を出すとは思えなかった。王里神会としてもかなりリスキーな決断となるし、王里神会は以前にそのような直接的な重犯罪を一度も行わなかったのだ。王里神会にここまで早い時点で、重犯罪に手を染める覚悟も後ろ盾もあるとは、誰も考えもしなかった。
次の日、二十三日のニュースを観るまでは……。
二十三日、依然として膠着状態が続いていた。逃げ切った一人はまだ戻ってこない。ホテルに残った四人は、交代で仮眠を取りつつ、メールを使い、アンチマター寄りの信者の引き抜きを進めた。四人がいつまで拘束されるか分からない以上、ただ味方を増やすしかやれることはなかった。三島に代わる機密データの解析が出来るだけのテクニックを持った人材も必要になる。
二十三日、午前七時、我々は軽く朝食を取ることにした。もちろん、仲間の安否に関しては全く情報はなく、心配ではあったが、想像以上に我々の疲労は大きかった。しばらくの間、あらゆる作業をストップし、休憩しなければ体が保たない状態だった。
私は何も考えずにテレビを付けた。最新のニュースが次々とピックアップされ、簡易的な説明が一言ずつキャスターから話される。オープニングが終わった後に紹介されたニュースをひとつひとつ取り上げる形式であるようだった。
三つか、四つ目のニュースだったであろう。
我々が潜伏するホテルから程近い所で死体が見つかったという。
一瞬、誰もが最悪の展開を予想したことだろう。しかし、簡易的な説明では被害者の名前までは分からなかった。正確には他殺どうかも不明であったが。我々は無言でテレビを見つめるしかなかった。
私はあの時の事を忘れやしないだろう。テレビに映された幸せそうな顔写真。その表情が二度と再現され得ないことを思うと、心は酷く痛んだ。
殺人事件の被害者の名前は「三島雄一」と報道された。それはまさしくアンチマターの一員、我が仲間であった。
我々は戦慄した。しばらくは誰も身動きが取れず、ただ苦しみ、うなだれた。
メンバーの一人がテレビの電源を切った。そこでやっと我々は正気に戻った。
三島が死んだ、殺された。それは、確かな事実を我々に知らせていた。
まず、Kが今まで決して立ち入らなかった殺人を命令したということ。そして、一線を越えたKはもう、拘束された三人にも同じことが出来るということ。
さらに、三島が戻って来ないということが、機密データのプロテクト解除が出来ないことさえも示していた。
我々の完敗であった。仮に、私がKと刺し違えたとしても、おそらくは状況を変えるには至らなかったに相違ない。もはや、指導者を失ったところで何も変わらない。歯止めが効かない状態だった。
我々アンチマターに残された選択肢はいずれも頼りないものだった。王里神会の指定した時刻までに、機密データをデリートするか、捕らわれた仲間を犠牲にして、王里神会から逃げ切れることに賭け、逆転の一手をじっと狙うか……。
後者は、かなりのギャンブルであった。それこそ、この世から消えてしまったかのような、完全な隠れ方を考えずには、到底不可能なのだ。無論、そのような時間は残されていない。
我々が考えるべきは、前者についてだった。機密データのデリートをしたところで、仲間や我々が生かされるとは限らない。ならば、仲間を見捨て、データだけでも誰かに託すべきか……。
いや、考えるだけ無駄なことは誰もが分かっていた。全く打つ手は見つからず、時だけが無情にも過ぎていった。
運命とは、常に少しずつ何処かへと向かって行くものなのかもしれない。あるいは、無限にループする閉ざされたものなのかもしれない。
古くから、運命は二元論で語られてきた。「円環」であるか、「螺旋」であるか……。どちらかが答であると証明出来たものはいない。私はふと思うことがある。どちらも正しい答なのではないか……と。
二つの差は、「個人差」なのではないか。「円環の運命」は、円を描くように進み、やがて同じ軌道に縛られ、違うような同じ道を進む。「螺旋の運命」は、同じく円を描くように進み、しかし、同じ円ではない。一見同じようにみえる円の道を進みながら、次第に何処かへと進んでいく。
私は以前から、「正しい円環の運命」が最も美しく、望ましいものであると考えていた。「正しさ」が反復されるなら、それはどこまでも正しい。しかし、それはあくまでも「理想」であり、我々の営みは、正しさのみを選択することはない。故に、運命とは常に螺旋であるというのが私の持論だった。
しかし、それは何もかもが恵まれ、苦しさを知らない者の、詭弁なのかもしれない。仮に、自らの時を閉じてしまった者はどうだろう。おそらく、その者の目には、新しい朝日など見えやしない。幸福感の有無が、円環か螺旋かを決するのだ。観測者の心が僅かな差異を見出すのだ。
だから、この世に正しいものなど、たった一つも無いのかもしれない。逆に、この世の全てが正しいのかもしれない。
ならば、未来のための現在の選択が正しいか正しくないかは、その未来が訪れるまで判らない。いや、一度決した判定が変わることだってあり得る。浪人して苦しんだ学生が十年後、浪人時代を振り返って、「あの頃の経験があったから今の自分がいる」と話すかもしれない。
ただ一つ言えることは、このメールをもし、神屋聖孝以外の者が、例えば、勇猛な高校生たちが読むようなことがあるならば、綱渡りのように心もとない私の最後の物語は、確かに紡がれているのだろう。
王里神会が指定したタイムリミット、午後六時になるまで、残り三時間と迫っていたあの局面。部屋に響いたコールが何処かへと繋がる螺旋の一欠片となる。
Kという人間は、あくまでも「人間」の範疇である。当たり前ではあるが、その前提を確認しなければ、彼を「神」と崇める者が現れてもおかしくはない。K自身、自らは神ではなく、幸福の探求者に過ぎないと言っているが、信者の多くはKに対し神に対する信仰に近い崇拝をしている。Kの最終目標が何処にあるかは定かではないが、それがもし戦争を余儀なくさせる段階にまで及ぶならば、信者は最大の武器である。死を恐れずただ素直に命令を聞く軍隊が誕生するのだ。それを可能にする力を持っているのがKであり、私自身、Kが正しいのではないかと思い悩んでしまいそうになることがあるくらい、あのカリスマ性は強大である。畢竟、彼は比喩的意味においてはまさしく「神」であるのだ。
しかし、私ほど近い場所からKを見てきた者はいない。「神」が不完全なのか、Kが「神」として不十分であるのか、悩ましいところではあるが、Kは完全ではない。最も近かった私だからこそ言える。完全に見えるだけで確実に不完全である。もしかしたら、人よりも人間性があるが故に、今、このような抗争が生まれているのではないか。つまり、この現実が示すのは、Kが「神」として不十分であって、あくまで「人間」の範疇であることの証明かもしれない。
Kのミスは、ホテルの場所を突き止め、武力をもって我々を拘束するという選択をしなかったことだ。武力行使の最大のネックは、正確なプランを立てねばならないことであろう。それが殺人などとなれば、一人殺害するに至るまでに最低でも六時間程は会議しなくてはならないだろう。加害者が組織めいていればいるほど、決断には慎重になる。そして、リスクが大きい勝負であるほど、確実な勝利が必要とされる。
王里神会もまた、我々同様焦っていたに違いない。殺人の命令を出してしまった以上、負けは許されない。確実に機密データを処分出来て、かつリスクが最小である手段を使うしかなかったのだ。故に、我々が自らの手で機密データを消去するような状況を作るのがベストであると決断を下してしまった。それにより、我々が論理による反撃をする僅かな隙が生まれたのだ。
閑話休題、タイムリミットまで残すところ三時間となったときに、私達が隠れる部屋に鳴り響いたコールについての話に戻そう。といっても、Kの「神的な」外面に隠された「人間的な」内面についての話がなければ希望すら見えない、危険な綱渡りの話になるのだから、テーマは一貫しているわけであるが。
午後三時、響いたコールは私の携帯の呼び出し音であった。王里神会がこれ以上の武力行使をしないであろうという察しがついた時点で電源が点けられていた私の携帯は、さも発信者が「神」であるかのように、救済の電話がかけられたことを私に伝えていた。
私には姪がいる。電話の発信者は彼女であった。先日、この抗争に勝利すべく多忙な小説家の職を退くことを、その姪に伝えたばかりであった。もちろん、引退の決意を話したに過ぎず、王里神会もアンチマターもその話には登場しなかった。この問題は私の問題であり、彼女を巻き込みたくはなかったのだ。しかし、彼女はまるで私の渇望する平和な日常を、書き物を続けたいという欲求を見透かしたように、小説家を引退することに断固として反対した。電話の内容が、私に小説家を続けさせるための説得であろうと予想するのはごく自然なことだった。
しかし、その予想は間違いであった。姪からの電話は、予想外の突飛な頼みであった。
その内容はどういうわけか、「ある人物と会ってほしい」というものであった。ある人物とは、姪の親友であり、同時に私の書いた小説の世界一のファンであると自称する、シノハラという女子高生であるそうだ。
しかし、世界中の何人の小説家がそのような頼みに応えるだろうか。特殊な理由がない限り、仮にも有名人である者が一般人と私的に会うことはない。それに加えて、今、この状況下――仲間が殺されるかもしれない上に自身の安全すら保証できない状況下で、姪の頼みだからなどと言って安逸をむさぼり、ファンと会っているようなら、私の脳は確実に異常をきたしているだろう。
そもそも、私とて姪の意図が分からない訳ではない。おそらく私の姪は、家族のような近しい者がファンとして小説家の引退を止めようなんてことに無理があることに気付いたのだ。その場しのぎの慰めに聞こえると考えたに違いない。
そして、次なる打開策として、家族ではない他人であり、かつ私に関する知識をかなり持っている本物のファンを私に送り込み、世辞的でない言葉のひとつでも贈ろうと考えたのだ。
さらに言えば、私の姪は常人の域を逸した能力を持っている。私がそこまで考えるのを見越して、シノハラという少女を選出したのかもしれない。最後の切り札、頼みの綱、などと思っていたのかもしれない。
私がもしこの一連の事件に関与していなければ姪が最後の最後で会わせようとしたシノハラという女子高生に会おうとしたかもしれない。
いやしかし、この仮定は成り立たないのだ。私がこの状況下に置かれたからこそ、姪はシノハラという女子高生を紹介したのだから。
つまりは、私は姪の頼みを聞くはずがなかった。聞くことが出来なかった。仲間を死なせてしまった、この傷だらけの心では。
しかし、傷だらけで、追い詰められた心であったからこそ、私はあの計画を、まるで小説のシナリオを創るかの如く思い付いてしまったのだ。
あの計画は、まさに神頼みであり、危険な綱渡りだった。
しかしながら、もしもこれを読む者が、私の隠した最後の道標を見つけるならば、私の計画は何万人もの人間の命を救うかもしれない。だが、同時にKを信じた何万人もの人間の精神を殺すかもしれない。そして、これを読んでいる神屋聖孝ないしはシノハラアミは、紛れもなく私が巻き込んだ人間だ。私は君達を駒にした。神屋聖孝君、君の心の疑心と正義を利用したのは私だ。シノハラ君、君に真剣勝負などと言って暗号を解かせたのは、最終的に私が生きて機密データを保持している事を隠しながら神屋君の集めた反王里神会グループを動かし、Kを倒すための布石だった。王里神会の情報にない君ならば、神屋君が私と合流するまでの間、王里神会の追っ手から逃げ切れるであろうと考えたのだ。仮に捕まっても何も話せないように暗号勝負というカムフラージュも用意した。しかし、恐怖心と過ぎ去った時間までは元には戻せない。君を私の私情に巻き込んで本当にすまなかった。
私は姪の頼みを引き受けることにした。シノハラという女子高生が、私の計画において、クイーンの駒と成りうる人間か、それとも盤上に置く価値のない人間か、それを確かめるために、私は彼女に会う約束をした。その約束の日は、六月二十四日水曜日、姪から電話を受けた次の日だった。
シノハラアミと会う前に、私には乗り越えなければならない現実があった。約束の日を迎える前に、王里神会が機密データの消去とその証拠の提示の期限、そして、捕らわれたアンチマターの三人の安全が保たれる期限である、二十三日の六時を迎えなければならない。
それは、アンチマターの意志を果たすために仲間を見捨てるという意味でもあった。
その時間を迎えるまでに、幾度も後悔と葛藤、決意を繰り返した。吐き気と目眩が継続し、自分がこの一日で随分と年老いた風に思われた。
そして、その瞬間がやって来た。ホテルの時計の長針と短針が直線的に並んだあの瞬間、私たちは深く目を閉じ、暗黒に沈んでいった。
そして数分か数十分して、私は鞄から一冊の本を取り出した。
『ハムレットに快楽を、ドンキホーテに恐怖を』
この本は、実は私が覆面作家として書いた推理小説だ。最近では私と比較されることの多い作家であるが、それも当然、どちらも私なのだから。
この作品は、ハムレットの如く思索家で非行動的な探偵と、ドン・キホーテの如く独りよがりの正義と情熱に駆られ、無分別な行動をする探偵の二視点で同じ事件の解決を試みる内容である。
この主人公達は、紛れもなく私である。私を二つに分裂させた、分身達だ。
私は彼らに、思索故の快楽と、無分別故の恐怖を与えた。
だからこそ現実世界の私は、殺人の快楽と殺人の恐怖というシナリオを自らに与え、それを理由に表舞台から去ろう、私はそんなことを思った。罪悪感のあまり、自己の存在に、たとえ虚構であっても「死」というものを与えねば、あの悪魔の計画を達成出来そうになかった。そして、私の仲間を、自らの欲を満たすために私自身の手で殺してしまう、そんなフィクションを与えねば、いつの日か自分のしたことを正当化してしまいそうで怖かった。
それが、私が姿をくらますに当たって、自殺というシナリオを選んだ理由である。
しかし、この物語は本当に「フィクション」なのだろうか。結局のところ、私のしたことは「フェイク」ではあっても、「フィクション」ではないのかもしれない。殺人者であることに変わりはないのかもしれない。
二十三日の午後七時を回った頃、私は残る三人の仲間と共に、最後の晩餐をとった。キリストと十二使徒のそれに倣い、我々はパンとぶどう酒を酌み交わした。キリストは受難の前日、十二人の弟子にパンとぶどう酒を分け与えた。しかし、我々の行った見窄らしい晩餐会では、三人の同胞が私にそれらを分け与えた。今回の決死の作戦、救世主の役には三人の仲間達が相応しかった。
私には妻がいる。巻き込みたくはなかったが、彼女の協力なくして、作戦は成功しない。私がKと共に王里神会を成長させていった時から、活動内容や取り決めは全て彼女にも話していた。私たちがKと対立し始めたことも、妻は知っている。彼女もまた、こうなることを覚悟していたのだろう。私は妻に、電話でここ数日の事件と、三島の死、新たに捕らえられた仲間の事、そして、その仲間を見捨て、達成しようとしている悪魔の計画の全て、それらを全て話した。それを聞き、妻は一言「わかりました」とだけ言った。あの時の、私の頬を伝う涙の温かさを、私は今でも覚えている。
六月二十四日、私は三人の仲間と共にいくつかの暗号を作った。それは、シノハラアミが、キーパーソンとして、相応しい人間であったとき、効力を発揮するものだった。もし、彼女が普通以下の素質しか持ち合わせていない女子高生ならば、この暗号の真意に辿り着くことはない。それどころか、おそらく暗号を使った真剣勝負に至ることすらないだろう。
本来、私を説得出来ずに諦めるのが普通だ。しかし、何度でも食らいついてくるような心の強い人間ならば、私の計画を正確にこなしてくれるかもしれない。あの姪が最後の切り札として選んだ者ならば、私の計画の更に上に到達するやもしれない。私はそんな願いと希望を持って、書籍、手紙、CDと次々に暗号を作り上げていった。
移動は二十四日中に済ませなければならなかった。ここでの移動とは、隠れるという意味である。これが、最初の賭でもあった。最も安全な場所への移動がこの作戦においては重要だった。そしてその場所は二つ用意された。一つは、私が「死んだ」後に隠れる場所。もう一つは、自宅の地下だ。自宅をあえて選んだのは、王里神会の裏をかくためである。元々、有り余る金を有効に使うべく、防災用の地下シェルターを造ったのが、始まりではあったが、まさかこれが「防塞」に変貌するとは思いもよらなかった。
地下に続く階段は、私の書斎に隠されている。その書斎にシノハラアミを招き入れれば、いざ王里神会の刺客が自宅に侵入してきても、気付かれずに隠れることが出来る。しかし、これはあくまでも予防線。彼女を匿うような状況になるようならば、彼女に全てを明かすことになる。つまり作戦は失敗する。そうならないための、念には念を……というものである。
それから、客人を書斎に招くのも不自然であるため、私は書斎を片付け、出版社との打ち合わせ部屋を思わす部屋を演出した。
巨大な本棚の向こうに封印された隠し階段は数年ぶりに出現した。テーブル下のカーペットは古いものに変え、久しく模様替えをしていないような風にした。そして、そのカーペットが地下への階段の入口の真上に来るように調節した。
地下シェルターは書斎と、中庭に入口を持っている。管理は常々、妻にやらせていたが、その際は裏庭の入口を使わせていた。その裏庭の入口もまた、その姿を見られぬよう、内側から押し上げればすぐに開く程度の、軽いプランターで覆った。
裏庭の階段を隠し終えた頃、午後三時を回る頃だったか、自宅周辺を見張っていた三人の仲間の内のひとりから、電話があった。
「シノハラアミらしき女子高生が来ました。王里神会の追っ手は今のところありません」
電話を切り、私は裏庭から玄関に向かった。
そこに、彼女はいた。
海が青いように、雲が白いように、森が緑であるように、その瞬間の「当たり前」のひとつのように、彼女はそこに存在した。
姪が何故、シノハラアミを選んだのか、私はすぐに思い知ることとなった。彼女は私の説得を諦めるどころか、私を叱りつけてきたぐらいだ。
彼女は私から気に入られることや、世にありふれた体裁よりも、彼女の親友でもある私の姪の思いを選んだ。迷いなく、圧倒的な意志を持って。
私はこの時、確信した。彼女ならば、作戦を遂行出来る……と。
第一の暗号へ導くメモをシノハラアミに渡した後、私は地下にて三人の仲間と共に会議を開いた。これが我々が四人で会う最後の機会だった。
神屋君がこのメールを読み、王里神会よりも早くシノハラ君に会えば、我々はKにチェックを掛けることが出来る。しかし、敵の屈強な「壁」を崩すことが出来たら……の話だ。
私は王里神会幹部の一人、王里神会の「壁」、藤原の拘束を仲間に頼んだ。実質、政界との楔である藤原をどうにか止めなくては、大衆媒体へ機密データを送っても、権力をもって握りつぶされてしまう。事が終結するまでの間、藤原を拘束出来れば、殺す必要はない。しかし、それはかなりの難易度を誇るミッションだった。仲間達は、常に部下に護衛をさせている藤原の拘束は不可能だと、考えた。そこで、やむなく暗殺という方法を進言した。私は最後まで反対したが、どうやら後に彼らは、その作戦を実行しようとしたようだ。七月十一日の時点で、彼らは皆、殺されてしまった。私のために、私の計画を成功させるために、彼らは藤原の暗殺を試みたのだ。またも、私は、自らの意志の弱さ故に、大切な仲間を失ってしまった。更に、私たちが見捨てた、王里神会に捕らわれた三人もまた、殺されていたことが分かった。
私はこの苦しみを、たった一人で耐えた。藤原の動きを止めることには失敗したが、私の計画はその程度では崩れない。逆転の時を信じ私は涙を呑んだ。
私はここまでに、幾度も「計画」「作戦」という語を使用したが、これを読む者にその内容を明言してはいない。
これを読むものには、その全容を知る権利があるだろう。最後に全てを説明し、君たちの選択を見守ろうと思う。
シノハラ君が暗号の最終地点、「夜光公園」にたどり着くか否かは、私にとってどうでもいいことだった。私が君に託したものは、暗号の中の隠れている。結果に意味はない。事実として、私が連続殺人犯だという虚構は、私の罪悪感の象徴であり、君たちには何の関係も意味もないものだ。それよりも重要なのは、君が持つ暗号だ。それの中に、私が現在隠れている場所が記されている。それを見て、神屋君を私のもとに連れてきてほしい。
そして神屋君、君にはまず信頼のおける仲間を集めてほしい。元々王里神会に反感を持っていた同志達なら、安全に引き抜けるはずだ。
そして、このメールが君に届くのは七月二十一日だろう。今から急いでシノハラアミに接触してへしい。これは、暗号の最終地点へ辿り着いた者に私の虚構を伝える役目を負ってもらった私の師にあたる人からの情報であるが、どういうわけか、シノハラアミの存在が王里神会に知られてしまっている。
それどころか、私すら知らないシノハラアミの協力者、トザキアキラという者の情報すら手に入れているようだ。
どうやら雲行きが怪しい。
私が、本当は死んでいないということも、王里神会にはバレているとのことだ。
それらの、私の意図しないいくつかの誤算を、神屋君が既に知っていれば、対応も出来たかもしれないが、Kはごく近しい幹部や側近にしか、情報を伝達していないだろう。
幸い、私の隠れ場所は私以外の誰にも教えていない。
思えば、不可解な点は幾つも見受けられた。三島の自宅に向かった四人は一人も逃げることは出来ず捕まった。王里神会は三島の自宅で待ち伏せしていたのだ。
さらに、前述した通り、王里神会にとって、三島の殺人が初めての重犯罪だ。殺人を決意し、会議を開き、その道の者を雇う。さらに、待ち伏せ。それだけのことを、あれだけスムースに実行するには、予知能力でもなければ不可能だ。
敵は私たちの行動を、正確に読んでいた。いや、知っていた。
だが、全て知っていたなら、何故早々に機密データを奪還する作戦を立てなかったのか……。
もしか、この仮説が確かならば、とんでもないことになるかもしれないが、Kの他に、機密データを狙うものがいるのだろうか。
私たちをあえて泳がせ、機会を見て、アンチマターと王里神会をまとめて消してしまおうなどという考えを持ったものが存在するのか……。
私はその存在に、「第三勢力」の成長に、三島が死んだ時に感づいた。だからこそ、このメールに私の隠れ場所を直接記さずに、シノハラアミを通して君に隠れ場所を教える計画を思い付いたのだ。どこから情報が漏洩しているのか私には、とうとう判らなかった。
いずれにせよ、現時点で私が君に教えられる情報は以下の通りだ。
シノハラアミ 月代学園生徒 十六歳
トザキアキラ 協力者
急いで彼らのどちらかに接触し、暗号に隠された私の居場所を聞き出してほしい。困難を極めるようならば、私の姪に取り合ってもらう手もある。姪が簡単に話すとも思えないが……。
とにかく君と私が合流出来れば君の集めた新たな仲間に、私が直接命ずることも可能だ。アンチマターの戦力は回復する。そうなれば、王里神会と政界の繋がりをどうにか遮断し、マスメディアに機密データを渡すことが出来る。
得体の知れない何者かが、この勝負に介入しようとしている。少ない情報であるが、神屋君、君には誰よりも早くシノハラアミに接触してもらいたい。
このメールを、シノハラ君が読んでいるようなら、神屋君は最も早く接触することに成功したことになる。そうなることを私は願っている。
敵を倒せるかどうかは、君たちに懸かっている。
読んでくださって有難う御座います。
いや、本当にありがたいです。
ひとつ言い訳をさせてください。
僕自身、書きながら死にたいと切に願いました(笑)
相方の竜司に送る〆切を数カ月延滞したような気がします。
小説恐怖症になりました。しかも、僕がこのとき担当した分は29話から32話、携帯のメール10個分です。
なので申し訳ない限りですが次回と次次回は若干調子がおかしいです。ここで力尽きてしまいまして。
そしてなによりキツかった理由は、今回で語られた真実は、僕がこれを書くときその場で考えたアドリブだったということです。
以前お話ししたかもしれませんが、僕と相方は、事前に物語の方針や内容を決める打ち合わせを一切しておりません。
相手がバトンを持っているときはこちらは読者に徹します。
で、相方が作った最新話を見て次の最新話を決めます。
つまり、かなり巧妙に伏線を張った風に見せかけている今回ですが、1から16話を書いていた段階でこんな展開にすることは微塵も考えていなかったわけです。
なので今回は辻褄合わせが死ぬほど大変でした。
全話読み返して、ノートに時間的関係を書き込みまくり、隙を見極めて暁や亜美、静枝の行動に裏の面を見せる作業は生地獄でした。
そのためか僕の頭がいい感じにぶっこわれまして、狙ってもいないウケをとるような言い回しが実現しましたが(笑)
片翼の鷹ってなんぞ、って感じっすよね。
もはやこの回は僕と竜司にとってネタになろうとしていますよw
本当に、皆様にはご迷惑をおかけいたしました。
反省して精進しますので、今後ともよろしくお願いいたします!