スタートライン
‐1‐
「……鮫島さん。鮫島さん」
「へ……?」
その声の主は居酒屋『彼岸花』の亭主河内であると、ほろ酔い状態の鮫島には理解が遅れた。
「河内さん……かい。何をしてるんですか、こんな遅くに」
現在時刻は既に夜中の三時を回っていた。ここは、事件現場のあの場所から少し離れた暗黒の商店街。提灯に光の灯る店は流石にこの時間にはなかった。辺りは本当に真っ暗。
「あたしねぇ、思うんですわ。こんなことを言ったらあれかも分かりませんが……。鮫島さんにはどうしても」
「……もしかして、それを言うために?」
考えてみれば不自然だった。何故、河内は鮫島がここにいるとわかったのか。
鮫島は真っ暗闇の中、河内の顔を覗き込んだ。何故か鼓動は激しい。酒の飲み過ぎとはまた別の理由だ。
「河内さん、な……ん……なんで俺がここにいると? わかったの?」
今夜は妙な静けさがそこに介在した。その静けさが暗闇から来るのではないだろうことを鮫島はもうわかっていた。
「鮫島さん」
その声は、深い。
鮫島はブルッと身震いした。
「……河内さん、もう帰って寝なぃ……こんな遅くに……う!?」
振り返った二、三センチという至近距離に河内の真っ暗な顔が在った。鮫島は二、三歩後ずさりながら、
「も、もう帰った方が、い……いい……ッ」
その声は明らかに怯えていた。河内の奇妙な両目を見つめて……
「あの人が犯人でしょう?」
「!?」
「……ほら、あの、新島警部」
鮫島の酔いは、完全に覚めていた。
――暁は、そこまで読んだところで『鍵穴』を閉じた。
……やっぱ新島か。
「暁っ」
「ん?」
誰かが自分の名を呼んだ。振り返ると、そこに立っていたのは高山竜司だった。
「おお……竜司、……なんだよ」
「数学の点数、どうだったんだ?」
周りの連中が、丁度竜司の声を掻き消す騒音を発したため、暁には竜司の声がよく聴こえなかった。
「ん? 何?」
「数学だ数学。どうだったんだよ、お前」
「ああ……何だ。数学か。まぁ普通だった。九十点」
竜司の顔を下から覗き込む。ニヤニヤしていやがった。
「……俺の、……勝ちだな。九十一点!!」
「うっ」
「はははは。ま、とりあえず後でジュース1本だからな。じゃー」
竜司は教室を出ていった。その後を目で追っていると、亜美が目に入った。浮かない顔をして窓の方を見ていた。
……そういや、今日、放課後遊び行くんだッけか。
――キーンコーンカーンコーン。
休み時間が終わっちまった。俺は大きなあくびをしてから、机の中の教科書を引きずりだした。
‐2‐
筒がなく放課に入った。することがない。暇だ。
「亜美……、おーい亜美!」
亜美は俺の声に気付いて、こちらに接近してきた。
「……どうすんの? 遊ぶとか……」
亜美は思い出したように「ああ!」と俺の話を遮って、そのまま続けた。
「どうする? ……行く? どっか。まぁ行く場所とかあんまないけど。……うん。なんか、やっぱ面倒だからいいや。アハハ」
「…………」
「いや、ごめんね! 言い出しっぺなのに……、うん。また今度、では!」
「……おい」
亜美は帰った。俺は教室に取り残され、仕方がないのでサザンを口ずさむことにした。二分で飽きた。よく二分も持ったと思う。まぁ、教室には俺1人だったので、それだけ続けられたというのもある。馬鹿馬鹿しくなってきた。帰った。寝た。
……ま、こんなもんさ。
「………!」
気付いたら、メールが来ていた。
……亜美からだ。
「……な……ん……??」
その摩訶不思議な内容は、寝起きの俺を覚醒させるのに十分な威力を持っていて、それでいてかなり馬鹿馬鹿しい。しかし、乗る価値はある。いや、どうせ手が余る程暇なんだ。やってやろう。
「……忙しくなりそうだな。これから」
そのメールにはこうあった……――