幸せと感動と異端と……
今回は2話同時の公開を予定してましたが、1話になりました。
‐1‐
神屋からのメッセージであるプリント二枚を手にとって、暁は、疲れた身体をベッドに休ませていた。
時刻は、ちょうど九時を回った頃だ。
「……V事件て、なんだ……??」
わからないことは、山ほどあった。しかも、浮上する全ての疑問に対し、答えは出ない。全ては、神屋の自作自演だとしてしまえばそれまでだが、心の奥の暁がそれを許さない。何故なら、神屋の話に嘘はないと、暁自身、信じて疑わないからである。
……逃げてはならない。
暁は、己が運命に降りかかった闘いの宿命を予感した時、ただただ茫然とした。
「なんで俺は、こうも、トラブルメーカーなんだ。くそっ……、悔しいです」
部屋の電気を消した。瞼を閉じた……――――。
目が覚めると、そこは真っ暗な地獄だった。希望も夢もない、ただ嫌悪と虚無が入り混じった、何とも言えぬ朝……。いや、外はまだ暗く、朝の面影は見て取れないが……。
少しの間、ぼーっとしてから、俺は今日の時間割を思い出していた。国語、数学、数学、英語、体育……、あとは何があったか、よく思い出せない。
時間が迫っきた。
俺は、スクールバックに教科書などを詰め込み、そして、制服に着替えた。今日もまた、何の意味もない一日が始まった。ああ、早く休日が来てくれればいいのに……。
食欲が沸かなかったので、朝食は抜かした。ドアを開け、すっかり明るくなった外の世界に足を踏み出した。
孤独には慣れていた。たった一人の登校など、何ら苦ではない。一人で登校している奴なんて、いっぱいいるじゃないか。
住宅街を抜けて、車通りの激しい大通りを渡る。そして、今度は商店街の横を通って、すると、田舎っぽい風景に出くわす。周りは、田んぼだらけだ。そこをずーっと歩いて、右に曲がる。そして、学校に着く。全く、長い道のりである。いつも思うが、早く自転車登校に変えたい。
教室には、まだ誰も居なかった。俺はいつも一番に着いてしまう。暇な朝だ。
……早く帰りたい。
時間は、目まぐるしいほどのスピードで加速した。気付けば、三時間目の数学の授業に入っていた。
「はい、じゃあコレ出来たら、周りの人と相談して下さい」
俺は困った。周りに知り合いなどいないからだ。数学の時間は、A組とB組の合同で行われるので、もしかしたら数少ない知り合いの一人である晋也と同じクラスになれるかと思ったが、残念なことに、このクラス分けはレベル別に分けられる。数学が出来る俺と、学力に乏しい晋也が同じ教室で数学の授業を受けることは、彼に学問の奇跡でも起きない限りは有り得ないだろう。
俺は溜め息をついた。勿論、既に俺はこの二次関数の問題を余裕で解いたが、さて、隣の女の子はどうだろうか。この娘は解けているのか。
俺は、気付かれないように、こっそりと彼女の机の上を覗き見た。ふむふむ、あちゃー、君さ、既に平方完成の時点で大きなミスをしているよ、全く。それじゃ永久に解けんぜ。
だが、こいつはA組の名前も知らない女の子。「そこ、間違ってるよ」なんて言えた義理は俺にはない。黙っていよう。いつも通り。
……にしても、いつも思ってたことだが、この娘、やけに可愛い顔してんな。
五分近く経っただろうか。教室中がざわめき、完全にお喋りムードと化していた。俺は、この空気が嫌いだった。
馬鹿共が、まだ解けねぇ奴までいやがる。それすらほったらかしてお喋りかよ、やってられねーぜ。
余りに暇な俺は、人間哲学を脳内で構築……もとい、窓の外を眺めてぼーっとしてると、肩に何かが触れているのを感じ取った。同時に、誰かが「ねぇねぇ」と言っているのにも。
「…………ん?」
振り返って見ると、隣の席の女の子だった。
こちらを見て、妙にニヤニヤしている。俺は反応に困った。
「ここ、わかんないんだけど」
「……え」
「見せて」
女の子は、顔をグッと近付け、机の上に置かれた俺のプリントに見やった。「うんうん」などと言って、頷いている。
「なるほどね、それでコレはどーやったの??」
「え?? あっ……、えーと、ん? どれ」
「この、χ=5ってゆーの」
「これは、ここをこうして…………、こう」
「あっ! ありがとー」
女の子は、お礼を言うと、自分のプリントとにらめっこを再開した。
高校に入って、女の子に笑顔で礼を言われたのは、これが最初だった。俺は、このえもいわれぬ感覚に戸惑った。どうしようもない腐った高校生活に、僅かな光がどこからともなく差し込んできたような、そんな幸せを、確かにこの時、俺は感じていたんだ。
少しすると、女の子がまた話しかけてきた。
「名前なんてゆーの??」
俺はキョドりながらも、小さな声で、
「外崎暁」
と答えた。
女の子は、よく聞き取れなかったらしく、「ん??」と迫った。この娘、俺なんかに興味があるのだろうか。俺はさらにキョドったが、さっきよりも少し大きな声で、
「外崎、暁」
と言った。
女の子は、ようやくわかってくれたらしく、笑顔になってくれた。俺は、一旦彼女から目を離して、それから、もう一度目を合わせた。
そして、女の子は言った。
「アタシは……――――」
目が覚めると、そこは午前九時の輝かしい朝だった。希望と夢が、朧気なれど確かに介在した、爽やかな朝……。体中の細胞が活気付いている。いつもより気分が良い。
時間が迫ってきた。
暁は、しばらく着ていなかった私服に着替え、洗面所へと向かった。洋平に教わったマニュアル通り、ヘアーアイロンとワックスを使い、髪型を決める。
香水も利用し、暁はこれ以上にないくらい、自分を高めた。心踊る一日が始まろとしている。外の世界からは、既に太鼓と笛の音が心地良く鳴っていた。
部屋のドアを開け、夏の陽気に誘われた、破天荒な街へと足を踏み出した。何故だろう。清々しい。自然と笑みがこぼれる。
自転車で笑顔を輝かせ、そこへ向かう子供たち……。浴衣姿の幸せそうなカップル。微笑む家族。どこからともなく聞こえる笑い声……。
年に一度の、夏祭りだ。
暁が待ち合わせる場所は、御宝神社階段前だ。とうとうこの日がやってきた。いつもは誰もいないこの場所でさえ、今日は溢れたような人の群れが垣間見える。親子が暁の横を通り過ぎ、階段を上ってゆく。約束の時間より、ちょっと早めに着いてしまったようだ。ザワザワと人の行き交うその中で、暁はぼーっと突っ立っていた。何も考えないで、ただ、このどこからともなく溢れ出る幸せな気分を満喫していたい……。本当は、とても楽しみにしていたんだ。彼は、この幸せが永遠に続くことを心の中で祈った。暁は、今なら自信を持って言えた。
「あっ! いたいた! 暁~っ」
俺は幸せだ、と。
「人凄いね……、じゃ、行こっか」
ショートカットの亜美は笑顔でそう言った。
「亜美」
暁は、言わずにはいられなかった。
亜美は振り返った。
「ん?」
暁は、歩き出してこう言った。
「今日、久しぶりに夢見たわ」
「夢? ……何の??」
暁は間を置いて、高ぶる感情を抑えながら、なるべく平坦な声で言った。
「初めて……、声をかけてきた日の夢だよ」
どうして俺が、ここにいるんだろう。暁は考えた。今、目の前にいる輝かしい存在は、自分にとって何なのか。何の為に、今、自分の目の前で、その笑顔を垣間見せるのだろうか。
「誰が?? 誰に??」
亜美は、ハテナマークを頭上に浮かべ、そう呟いた。
ただ、暁は、ひとつの真理を得ていた。いつもの薄っぺらい戯言でないことは、彼自身が最も理解していた。
……亜美。俺は……。
「お前が」
暁は、横目で亜美を見た。亜美は、顔を暁に向けていた。
……俺は、俺と一緒にいてくれるお前が……。
「俺に」
……今、一番大切な存在だ。
亜美は、暁の言葉を聞くと、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべ、そのまま固まっていた。暁はきまりが悪くなり、顔を赤らめた。
「……あ! 祭っ!! 祭だ! ほらいくぞッ」
暁は慌ただしく言う。
「…………」
「ま、祭りだ! ホラ、いこーぜっ」
暁は恥ずかしくなり、思わず走り出した。
「ちょっ! ちょっとぉ~」
亜美も慌てて後を追った。
暁は笑っていた。
「ハハハ! ハハハ」
彼は幸せだった。
‐2‐
今日もまた一人、入信希望者がこのビルを訪れた。
上階へ行けば、そこからは東京タワーが一望できる、超高層ビルだ。沢山のビルとビル、建物に囲まれ、まるで林の中の一本の木のように、それは人間社会の裏にそびえ立つ。
宗教勧誘に来たかつての友人に案内され、青年はこのビルへと足を運んだ。
ここへ来る者は皆、暗い目をしている。
ロビーは広々とし、天井には豪華なシャンデリアが吊り下がっている。スーツ姿の中年男もいれば、制服姿の学生もいた。場所の雰囲気としては、高級ホテルのロビーに近い。
青年は友人とエレベーターに乗り込んだ。中にはエレベーターガールまでいた。青年は不審な目を友人に向けた。
「こんな凄い所なんだ……」
「ふふふ」
「八階へ上がります」
エレベーターガールの声で、青年は発しようとしていた言葉を遮られた。
到着し、縦長の長方形の視界が開かれたとき、青年は心臓が僅かな痛みが走ったのを感じた。何故か息苦しい。恐らくは、開かれた視界に映った光景が、奥の曲がり角へと続く一本道であったことが原因していたのであろう。
青年は、友人に施され、エレベーターを降りた。両方の壁には、ギリシア神話を連想させる絵画が約一メートルの間隔を置いて飾られていた。
「どこ行くんだ」
青年は不安を堪えきれず尋ねた。前を歩く青年の友人は、不敵な笑みを浮かべながら、
「Kの元へ行く」
とだけ言った。
十メートルも歩くと、曲がり角にぶつかる。右へとだけ曲がるその奥からは、異様な雰囲気が醸し出されている。青年は唾を飲み込んだ。
右に曲がったその奧の突き当たりには、ドアがひとつ……。ドアを見つめながら、青年はさらに尋ねた。
「そこにいるのか……、Kは」
「……そうだよ」
ドアの手前まできて、青年は最後の質問をした。
「Kって誰?」
「…………」
友人は、何も答えずドアノブに手を掛けた。青年は友人の肩をつかみ、さっきよりも強く、真剣な表情を浮かべて聞いた。
「待ってくれ……、Kって誰だ? 何者なんだ? まさか……」
「そのまさかだよ」
友人は首だけ青年に向けて言う。
「Kとは王里神会の教祖のことだよ」
青年は、無表情な友人の言葉に目を見開いた。
「……あ、……あ」
言葉が出ない青年に、友人が笑い掛けた。
「どうした? ……ふふふ。今更ビビってんのか? おい。この扉の向こうには、いらっしゃる。我が教祖、Kが」
「……あ…………のか」
「あぁ!?」
「い……ら……っしゃ……る……のか……??」
青年の目が充血している。
興奮しているようだ。息遣いもだんだん荒くなつてきた。
友人は口の両端を吊り上げ、これ以上ない笑顔を見せた。
「ああ!! いらっしゃる!!」
友人の高揚的な声に触発されてか、青年は歓喜の笑い声を上げ、なりふり構わずわめきだした。さっきまでとは打って変わってのテンションの豹変ぶりは、見る者をある意味、恐怖させるだろう。
「やった!! 会える!! 教祖にぃぃ!! 俺は世界一の幸せ者だっ!!」
わめく青年を横目に、笑みを浮かべて友人はそのドアを開いた。突如、青年は死んだように静かになった。
「さぁ……、教祖Kへの拝謁を済ませてこい……。この堕落した日本を変革する御方……、いや、世界を変える御方だ」
役目を終えた友人は、一本道を辿り去っていった。
青年は、ゆっくりとその部屋へと足を踏み入れた……。
「オラ……。さっさと金出せよー」
一人の男子学生が、数人の不良に絡まれていた。建物と建物の狭い間に追い込まれ、奥は行き止まり、つまり逃げ場は無い。
眼鏡をかけた、背の小さくて、明らかに弱そうな男子学生は、絡まれたのはこれが初めてではない。友達も少なく、一人でいることが多かった彼は、絡まれるのにはベストな条件が揃いに揃っていた。気の弱そうな目が一番の原因かも知れない。
まだ昼間で明るかったが、通りから見たら、ただ数人の若者がいるようにしか見えないだろう。助けは、一向に訪れない。
「へいへーい。その買い物袋には何が入ってんだ~?? オラ、よこせやッ」
「あっ」
秋葉原で買ったフィギュアの入った袋が取られてしまった。彼にとっては宝物である。
「なんだ~?? ヘンテコなネコミミフィギュアかよ!! ハハッ!! ヲタかよ、コイツ!」
「ハハハハハハッ」
「ダアッセ!!」
「キモーイっ」
「ギャハハハハハハ!!」
彼は怒りで視界が真っ赤になった。自分の唯一の趣味を大笑いされれば、誰だって腹が立つだろう。だが、彼は何も言わない、反抗しない。自分が無力なのを知っているから。
「ギャハハハハハハハハハッ」
「ヲタクとか引くわ~」
「キモッ」
「ホラ、さっさと金出せッて!!」
「早くしろよ」
ただただ、無力で哀れな自分が情けなかった。顔の筋肉を引きつらせ、両手を強く握った。
……ボクにもっと力があったら。
男子学生の胸ぐらを、不良の一人が乱暴につかんだ。男子学生は、一回り背の高い不良と目を合わせた。細くて、何の道徳性も感じられない目……。出来ることなら、拳を握り締め、その憎たらしい顔面に一撃を喰らわしたい……。
…………怖い!! 無理だ!!
彼は目を固く閉じた。ついでに、歯も力強く食いしばった。今までの経験からして、こうしておくことが殴られる前にしておく最善の防御だと彼は学習していた。今までに、何度も何度も殴られたから。
「いちにいさんしいごおろく…………」
誰かがカウントを始めた。
男子学生は覚悟を決めた。恐らく、カウントが十に達したとき、顔面に強い衝撃が走るだろう。
「七人……いや? 六人か」
…………!?
男子学生は、恐る恐る目を開けた。カウントではない。というより、この声はここにいる不良の声ではない。誰か新しく来たのだろうか。
背の低い男子学生は、不良が壁となって向こうの景色は見えないが、ソレを見るのは容易だった。ソレは、不良よりもさらに背が高い男だった。
「……ンだ。テメエ…………」
不良の一人が、背の高い男を威嚇するように睨みつけた。男は、それに全く動じない。
「複数で単体を苛めるとは、まさに不良らしい。気に入ったぜ」
男はそう言うと、睨みつけていた不良の胸ぐらをつかみ、宙に不良を放り投げた。
その場にいた全員が唖然とした。片腕だけで、しかも、それ以外の部位は全く動かさず、人一人をまるでボールでも投げるかのように投げ飛ばすことが、人間に可能なのだろうか。しかし、それは既に現実として目の前に突きつけられた。
表通りに放り投げられた不良は、鈍い音を立ててコンクリートの道路に落下した。痛みに耐えるように、何かをうめいている。
男子学生の口は開いたまま閉じなかった。状況をよく把握できない。
「……て、てめっ!! ……う、何っ……、してんだ!!」
男は、顔色ひとつ変えず、不良に迫った。
男子学生は見た。たくましく盛り上がった上腕二頭筋、そして、右目に縦に走った痛々しい切り傷を……。
不良は反撃に出た。
「殺せッ」
――――バキ!!
不良の一人が殴り飛ばされた。
――バコッ!!
強烈なボディーブローが、不良の意識を混迷とさせた。
――ドゴッ!!
また一人、また一人と、幼稚園児でも相手にしているかのような余裕で、次々に不良を倒していく。あっという間に、最後の一人となってしまった。
「ま、待ってくれ……。金ならやるから……」
「…………」
「頼む! やめろ!!」
男は最後の一人となった不良の胸ぐらをつかみ、こう言った。
「人を殴るっつーのはよ、自分も殴られんのと一緒なんだよ」
――バゴォッ!!
不良は殴られた衝撃で意識を失い、倒れこんだ。ピクリとも動かない。
残された男子学生は、ただただ震えていた。彼は命乞いした。
「……お……願い……殺さないで……くだ、さ……い」
男は、縮こまりうずくまっている小さな存在を、ただジッと見据えていた。
しばらくそうしていると、ふと思い出したようにクルリと身体を回転させ、表通りへと出て行った。男子学生は顔を上げた。
……何だったんだ?? 一体……??
彼はようやく立ち上がり、込み上げる何かと冷静に向き合っていた。恐怖よりも、強く何かが彼の心を刺激していた。この気持ちがどういったモノなのか、自分でもよくわからない。だが、今、どうしてもその気持ちに正直になりたい。
彼は走った。
――待って!!
通りに出て、男を探した。見つけた。
彼は走った。男に追いつこうと必死に。今まででこんなこと、初めてだ。
「あっ!!」
つまずいて転けてしまった。通行人が笑う。しかし、彼には言わなくてはならない、そうでもしなければ、彼の中の彼は、彼を許さなかった。
大きな声で、言わなくてはならない。彼は言うだろう。
「あの!! ちょっと待って!!」
通行人が振り返る。しかし、彼を窮地から救った肝心の張本人は、振り向くこともなく、前へと進んで行った。
堪えきれず、彼はうめき声を上げた。それから、さらに大きな声でこう言った。名前も正体も知らない誰かに、きっと届くと信じて……――――。
「ありがとうッッ」
野獣はその声を聴くと、口元を僅かにニヤつかせ、片腕だけをのんびり歩きながら上げた。背後で這いつくばる小さな存在に見えるように、心の中で「どーも」と口ずさんで。野獣は最後まで振り向かなかった。
亜美と暁の出会いが描かれたのって意外にもここだったんですよね。
今、書きだめで、40話書き終えたくらいなのでたまに振り返るのもいいですね。
次回、話が大きく動きますw
おたのしみに。
17日ごろ更新すると思います。