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undecided  作者: らきむぼん(raki) &竜司
王里神会篇 序
24/73

パンドラの箱

今回から本格的に2章に突入します。


‐1‐


 六時五十九分五十九秒。目覚まし時計のアラームが鳴る一秒前に起きた俺は一秒後に鳴ったアラームに驚いて、一気に微睡みを払った。

 亜美が来て、小説の話を持ち掛けられたのは昨日のことだ。それから、しばしの睡眠を取り、起きてからは日が変わるまで宿題に取り組んでいた。

 小説の期限を考えると、宿題を先に片付けるのが賢明だろう。後から両立するのは厳しい。それに亜美本人が夏祭りを優先しているぐらいだし。

 ところで、いつも昼近くに起きる俺が、今日は七時に起きたのには理由がある。今日は学校に用があるのだ。

 図書委員会。先月にあの重労働を課しておいて、他に何の仕事があるかと思えば、今回はあの広い図書室の清掃らしい。ただ、前回と違うのは俺と二宮光以外にも全図書委員が参加するというところだ。

 と言えば今回の仕事が簡単に聞こえるが、実際には問題は多々ある。事前の決まりでは各組ごとに担当する場所が異なるのだが、パートナーが光というところがまず問題だ。光は図書室の構造と本の配置に関してはずば抜けた知識を持っているが、亜美のような行動力が無い。

 そして、なにやら陰謀がありそうなのが担当場所。二階の風土記、伝記などの棚だ。どう考えても誰も見ない本のたまり場だろう。無論、埃の量は半端じゃない。この前の重労働を押し付けておいて今回もこの待遇とは、図書委員会は俺や光に恨みがあるのだろうか。

 まあ、もしも予想を立てるなら、『外崎と二宮は小説オタクだから』とか言われて、俺たちは大変な役回りをさせられているのだろう。もちろん、この場合「小説が好きな人」というデノテーションではなく、「小説目当てで仕事をしなそうな輩」というコノテーションが適用されるわけだが。

 しかしまあ残念なことに、いつだって俺の待遇はそんなもんさ、と拗ねてみてもどうにもならないことである。

 嫌がる体を無理に納得させ、制服に着替える俺の姿は、まるで先日の夢に登場した、年老いた自分の様であった。



 図書室の清掃が終わったのは午後三時過ぎだった。俺は校門の前でこれから何をするかを考えていた。

 時間が中途半端過ぎて何をするにも、身が入らない気がする。

「ファミレスでのんびり宿題でもするか……」

 空を見上げて呟いた。心の中で「暑いしな」と付け足して。

 俺は何とも言い難い気だるさの中、校門から一歩踏み出した。丁度その瞬間だった。背中に鈍い衝撃が走ったのは。

「痛っ」

 後ろを振り返ると、光が額をさすりながらこちらを見ていた。

「…………どういうつもりだ、光」

「ごめんなさい、追突しちゃいましたっ」

「こんなに見晴らしの良いところでどうやったら追突出来るんだよ!」

「考え事しながらランニングしてたんですよぉ」

「てめぇ、何だそのランニングって!!」

「ランニングは走ることですよ?」

「学校でランニングすんじゃねえ!!」

「体育はどうするんですかぁ」

「外国人かテメエ!! 話が通じねえ!!」

「落ち着きましょうよぉ」

「………………………………ああ」

 試合終了。日本語の通じない日本生まれ日本育ちの日本人がそこにはいた。

 この女は普通の登場が出来ないらしい。

「暁君、なんでここにいるんですか?」

「いや、特に理由は無い。お前こそ、帰ってなかったのか? 俺、結構遅く出てきたはずだけど」

「ちょっと調べることがあって……」

 光が読書以外の理由で図書室を利用するのは珍しかった。

「調べるって、何をだ?」

「八年前に出来た新興宗教団体について……です」

「何だそりゃ?」

 光のふわついた感じとは全く似合わない内容である。

「遠縁の親戚の一家が最近怪しげな宗教に入ったらしくて、ちょっと気になったんです」

「怪しげって、カルトってことか?」

「いえ、カルトとは正反対のようで、神を否定するような立場だとか……。怪しいというのは、活動に関してで、法に触れないギリギリのラインで悪いことをしてるって噂があります」

 光の言う「悪いこと」の抽象的な感じが、噂らしさを強調しているように思われた。

「『王里神会おうりしんかい』っていう宗教団体なんですが、暁君はご存知ですかぁ?」

 知らない名であった。神を否定しているくせに名前に「神」が付いてるのが胡散臭い。

「さあ、知らないな」

「ですよね。私もつい最近知ったんです。作られたのは八年前らしいのですが、活動は相当地味だったみたいで。ただ、今年に入ってからは活動が過激化してて、各界の著名人も入会してるとか……」

「活動が過激化ねえ……。その割には噂すら入ってこないがな」

 厳密にはたった今噂が入ってきたばかりなのだけれど。

「まあ、全部週刊誌の情報なんですけどね。今日、新興宗教団体を特集したちゃんとした本を見たら、『王里神会』はヨガ教室が母体だと記述されてましたし」

「ヨガ教室……か」

「どうかしました?」

 確か、十四年前に解散したあのカルト宗教も、母体はヨガ道場だったはずだ。宗教法人の認可を取るために仮面を付けている可能性もあり得る……かもしれない。……馬鹿な、十中八九杞憂だろう。

「何でもない、それより気を付けろよ。一応悪い噂があるんだろ?」

「ありがとうございます。でも、深く関わるつもりはないので、大丈夫ですよ」

「そっか……。まあ、そうだよな」

 危ない噂のある宗教にわざわざ近づく人間はいないだろう。いくら光が変わり者であっても。

「それでは、私は夏祭りの用意があるので、この辺で……」

「夏祭りの用意?」

「私の父が実行委員をやっていまして、そのお手伝いです」

「へぇー、偉いな。よしよし」

 俺は子どもを誉めるように、光の頭を撫でた。

「ありがとうござい……って、子ども扱いしないでくださいよぉ!」

 ノリツッコミされた。本心が出たという可能性もありそうだが……。

「じゃあな」

「え……あ、はい。また今度っ!」

 光は動揺したまま、そそくさとこの場を立ち去った。

 王里神会……。どう考えても俺には関係ないだろう。

 そういえば、鬼頭火山が書いた小説の中に、とある宗教団体がテロを起こし、小説内の仮想国家が崩壊する話があった気がする。彼が書いた唯一の推理小説でない作品だ。

 その小説で最初に犯罪が行われるのは二〇〇九年であった気がする。

 くだらない繋がりであった。「鬼頭火山の予言」なんて三流作家が好んで取り上げそうなネタだ。

 俺はくだらない妄想を止めるために、気味の悪い偶然が起きないことを願うばかりだ、と強制的に結論を出し、王里神会の残像を脳内から追い出した。

 考えることがなくなってしまった俺は、ファミレスに行くという目的を達成するために歩き出すしかなかった。



‐2‐


 自室のベッドにどしりと座り込んだ俺は、ゆっくりと壁の時計を見上げた。午後六時を少し過ぎた頃であった。

 図書室の清掃が終わった後、ファミレスで宿題に取り組んだものの結局集中出来ないまま六時近くまで時間を無駄にしていた。特別何かあったと言えば、亜美から待ち合わせ時間と場所を指定したメールがあったことくらいだ。

 外崎暁の怠惰が顕著に表された時間であった、そう自覚していた。「健全さを失い、品行が卑しくなること」か。先程ファミレスで居眠りしながら解いた現代文のワークで「堕落」の意味として記述されていたものだ。「堕落」「放埒」まさにそんな状態である。

 暇だな……。

 俺の気持ちを察してか、後で読もうと思っていた漱石そうせきの『こころ』が、読んでくれと訴えるように床に落ちていた。

 しょうがない、読むか……。

 ――ピンポーン

 『こころ』に手を伸ばそうとした瞬間、俺の部屋のチャイムが鳴った。

 誰だろう。直感だが、知人のような気がする。

 俺は鍵を開け、ドアをおもむろに開いた。

「こんばんは、暁」

 目の前には全身に黒い服をまとい、黒い帽子を深く被った若い長身の男が立っていた。手にはこれまた黒色の鞄が持たれていた。だが顔が帽子で隠れていて、俺の名を知るこの男が一体誰なのか、分からない。

「失礼ですが、どなた……でしょう」

「あっ。悪いね、帽子で顔が見えなかったか……」

 そう言うと男は帽子を右手で外した。

「…………!!」

「気付いたかい?」

「神屋……!! 神屋聖孝かみやきよたかか!?」

「ああ。久し振りだな、暁。元気だったか?」

「あ、ああ。お前、突然どうしたんだよ?」

「君に用事があるんだ。時間、大丈夫か?」

「丁度暇だったんだ。まあ、上がれよ」

「ああ、サンキュー」

 突然訪問してきたこの男の名は神屋聖孝。俺の小学校時代の同級生だ。確か俺と同じく、中学からは他の同級生と別の学校に通っていたはずだ。

 私立中学に受験して見事受かったという話である。

 会ったのは小学校時代以来である。身長が三十センチ以上伸びていて、誰だか判断できなかった。

 俺は折りたたみ式の丸型テーブルを広げて、部屋の中央に置いた。

「お前、背伸びすぎ」

「洋平にも言われたよ」

「洋平と会ったのか?」

「まあね、彼にも用事があってね」

「いつのことだ?」

「つい先日さ。洋平に会った後に君の家に行ったら、もうコッチに戻ったって君のお母さんが言ってたんで住所を聞いたんだ」

「そうか。タイミングが悪かったな」

 なるほど。神屋が洋平宅を訪れたのは八月に入ってからだろう。行き違いになったわけだ。

しかし、タイミングに関しては悪くはなかったかもしれない。あの荒唐無稽で絵空事まがいな事件に神屋を巻き込むことになったかもしれない。

「それで、その用事ってのは?」

 俺は神屋がそこまでして何をしたいのか知りたかった。

「焦るなよ、本題に入る前にまずはコイツだ」

 そう言うと、神屋は鞄から、キャンパスノートを広げたくらいの大きさの板を取り出した。表はチェス、裏は将棋の升目が書かれている。と言っても表と裏は見分けがつかないのだが。そのような造りは珍しいだろう。……というより、今まで見たこともない。

「暁、チェスか将棋出来るか?」

「どっちも、そこそこは出来るけど」

「うーん……。洋平は将棋だったし、暁はチェスでいくかな」

「俺にチェスをやれって言うのか?」

「大丈夫、すぐ終わるからさ」

 自信満々なセリフだった。俺も割と強い方だが、相手の実力を知らずにそのようなことを言えるのは、本当に強いということだろう。

「弱くはねーぞ、俺だって」

「ははは。やってみればわかるさ」

 神屋はいつの間にか駒を並べ終えていた。

「暁は白な」

「了解」



 勝敗が付くのには、十分も掛からなかった。

 俺はあっさりと敗北した。それは実力の差があり過ぎたが故に、戦意を喪失したからだ。どういうことかというと、俺が駒を置いた瞬間、神屋もまた駒を置くのだ。神屋には戦略を考えている時間が存在しない。俺が指した手を見た瞬間に、次に打つべき最善の手が自動的に決定するかのような、もしくは俺の全ての手をあらかじめ知っていたような感じだった。

「何者なんだ、お前」

「多分、僕に勝てる人は日本に数人いるかどうかだろうな」

「天才ってやつか……」

「まあ、チェスと将棋においてはね。この世に努力によって完成するモノなんて存在しないから」

 深い意味がありそうだった。神屋には不思議な落ち着きが常に身を取り巻いている。

「それで、何の意味があったんだ? まさかチェスの腕を自慢しに来たわけじゃないだろ」

「よく気付いたね。僕はチェスを使って君の性格と素質を計ったのさ。しかし、ただのゲームじゃないって何故分かった?」

「チェスの天才がザコ相手に一言も喋らずに真剣な顔してるのはおかしい。会話とチェスを切り離しているのは頭で何かを考えているからかな……と」

 そうは言ったが、実際は直感で神屋の不自然さに気付いて、その理由を必死で推理していたのだが。

「面白い。やっぱり君は思っていた通りの人間だな」

「どういう意味だ?」

 俺は純粋に疑問をぶつけた。神屋の話し方は相手の反応を予測しているような話し方で、流れは常に神屋が操っている。俺が突飛な質問をするような隙など僅かも無かった。

「まずは、洋平に話したことと同じ内容を話す。だが、今から話すことは僕の意思とは反しているんだ。まあ、そこはとりあえずは気にしなくていいよ」

「……分かった」

 何が始まるのか。俺の推理はますます加速した。小学生の頃の友人がわざわざ何を話しに来たのか。

 神屋はテーブルに両腕の肘を置き、指を組んだ状態で数秒の間を取った。室内から全ての音が消えたその時、神屋は静かに言った。

「王里神会を知っているか?」

 王里神会……だと? 二宮光に次いで、神屋の口からもその宗教団体の名が発せられた。

「ああ、知ってる。八年前に出来た新興宗教団体だろ?」

 これは確認としての疑問だった。

「ふうん、知ってたか。意外だな。もしかして身内が入信したりした?」

「いや、風の便りさ」

 俺は機転を利かせ、光の存在を会話に出さねばならない状況になることを防いだ。

「王里神会も有名になったものだな」

「それで、その王里神会がどうしたって?」

「実はね、僕は王里神会の幹部なんだ」

「は、はぁ!?」

 神屋が王里神会の幹部……だと?

「驚いたか?」

「マジかよ……。な、何のために」

「おかしなことを言うね。宗教に入信するのに理由が必要かな?」

「確かにそうだが……」

 俺は戸惑いを隠せなかった。神屋が一体何者なのか分からない。少なくとも、小学生の頃の神屋聖孝とは何もかもが違った。

「王里神会の名前の由来、分かるか?」

 胡散臭いと思っていた名前に由来があったのか。想像もつかないが……。

「いや、見当もつかない」

理神論りしんろんだよ。『理』という字を分解すると『王里』。それで王里神会ってわけ」

「何だ、理神論って?」

 俺は持っている知識をフルに使って考えたが、理神論の意味が解らなかった。

「理神論というのは、世界の根源として神の存在を認めはするが、これを賞罰を与えたり啓示や奇跡をなす神とは考えないで、奇跡や啓示の類を一切否定する説だよ。王里神会はこの理神論という考え方と、宇宙論的証明っていう、モノがある以上その制作者がいなければならないという考えを用いて因果関係を遡り事物が起こる最初の一点として神の存在を証明する方法で成立している」

 神屋はすらすらと説明してみせたが、俺は正直よく解らないでいた。

「なんか難しいな」

「簡単に言えば、世界がある以上その制作者として神がいなきゃいけない。しかしその神はあくまで制作者であり、人類に禍福をもたらす性質はないということだよ」

 今度は理解した。しかし、一つの疑問点が浮上した。

「しかし、王里神会はそんなことを主張して何がしたいんだ? 宗教って普通、教祖が神を代弁したり、偶像崇拝したりして幸福を得ようとするものだろ?」

 王里神会の場合、絶対者としての神を信じない上に、奇跡すら認めていない。信者は何をもって幸福を望めばいいのか。

「普通の宗教は幸福を受動的に求める。だが、王里神会は能動的なんだよ」

「能動的って、つまりどういうことだよ」

「神は幸福など与えやしない。ならば自らの手で幸福を勝ち取ればいい」

 神屋は誰かの言葉を引用するかのように言った。

「…………」

「王里神会は近いうちに革命運動を始めるだろう。教祖はこの国をリセットするつもりだからな。それが、法に触れるような行為であっても……」

「……リセット」

 俺はその言葉に底知れない恐怖を感じた。テレビゲームのリセットボタンを押すかののように、この国を一瞬で消し去ってしまうイメージが脳裏を離れない。

「宗教って呼べるのかよ、それ。革命軍じゃねえか……」

「ここ一年で、その色が強まったからな。だから僕は教祖を信じられなくなった。気付いたのさ、王里神会の幹部達はただこの国を支配したいだけなんじゃないかってね」

 神屋は溜め息混じりの声でそう言った。

「結局、お前は俺に何がしたいんだ?」

 俺は話を元に戻そうとした。王里神会の内部事情を俺に話して何になるのか分からなかったからだ。

「王里神会は学生や若者を対象に、王里神会への入信の勧誘をしている。信者は知り合いの中で特に世の中を否定するかのような考えを持っている人間や国に反感を持っている人間を訪問し、入会を求めるんだよ」

「それで、お前は俺や洋平が基準を満たしていると考えて勧誘しに来た」

「その通り。君や洋平だけじゃない。同級生の鳥羽とば島田しまだ西山にしやまも候補者だった。しかし、結局宗教に入ろうとするやつなんていなかったけど」

 当たり前の結果だろう。高校生が宗教に入るような時代ではない。

「だけど神屋、お前は教祖や幹部達が信じられないって言ったろ?」

「ああ。それは君だけに話したことだ。僕は罪を犯すような覚悟をしてまで革命を起こそうとは思わない。神に関しての考え方や世の中を立て直すことには賛成していたが、革命と銘打って権力を手に入れるのに賛成していたのとは違う」

「だったら何で入会の勧誘なんてしてるんだよ。さっさと退会すれば良いだろ?」

 神屋は依然として真剣な表情であった。数秒して、神屋は言った。

「活動が激化したこの時期に幹部の僕が退会することは、組織への反感を持っていると言っているようなものなんだ。だから形の上は王里神会に心酔していなければならない。だけど、それだけじゃない。王里神会の危険性を示すような証拠を世の中に公表出来れば、被害者も出さずに済む。今退会したらチャンスを失ってしまう」

「被害者って……。王里神会は革命と銘打って何をする気なんだよ」

 神屋は俺の目をじっと見た。

「……テロだよ」

 室内に極度の緊張が走った。



 外でひぐらしが不気味に鳴く中、室内の沈黙を破ったのは、俺だった。

「なあ、神屋。協力したい気持ちはある。だけどな、俺はテロ組織に立ち向かう勇気も力も無い」

「分かってるさ。それが普通だ。だけど、君は絶対に僕に協力せざるを得ないんだ」

 神屋ははっきりとそう言った。

「どういうことだ。俺が何故、関係のない王里神会と戦わなければならない?」

「組織にとっての重要人物のリストに、君を含めた高校生二人の名前があったからさ」

「悪い冗談はやめろよ。王里神会なんて、俺は今日まで全く知らなかったんだぞ?」

「信じないのも手だよ。僕は危険だが1人でも戦える。だけど、君が洋平達とは違って関係者であるからこそ、僕は機密情報まで君に教えたんだ」

 嘘を言ってる様には見えなかった。しかし、俺が王里神会と関係があるわけがないのだ。

「………………どうやって、戦うつもりだ?」

「警察が一斉調査に踏み切れるような情報を持ち出せ次第、警察かテレビ局か、バレないようにどこかしらに送るつもりだ」

「………………そうか」

 再び沈黙が室内を支配した。何が何だか解らなかった。王里神会がそこまで危険な組織だとは思っていなかったし、俺が関係者だというのも、信じられない。

「気が向かないようだね。それなら、僕はそろそろ帰るよ」

 そう言うと神屋は立ち上がり、玄関に向かった。

「待てよ! 俺の名前が何故リストに入っていたのかお前は知らないのか?」

「それを僕が言った瞬間、君の性格上関わらざるを得ないだろう。だから、決断は君に任せるよ。『協力せざるを得ない』って言ったけど、それは君がリストの内容を知った場合の話だ。君が君の進む道を選択すればいい」

「選択って、どうやって…………」

 神屋は玄関のドアを開けて外に出た。そして、ドアを閉める前に言った。

「暁、君が盤上でキングとして戦うとき、その戦いの理由を確かめないのも一つの手だよ。だけど、もしその戦いの理由を知りたいなら、しっかり地を踏みしめるんだね」

 俺は、ただ神屋が部屋から出て行く姿を眺めるしかなかった。

 頭が痛かった。混乱状態に陥って、神屋を呼び止める力さえ沸かなかったのだ。

 俺はしばらくの間、姿の見えない恐怖でその場に立ちすくんでいた。



‐3‐


 俺は見えない恐怖から逃げ出すように外に出ていた。辺りが暗くなっても、ただ歩き続けた。

 自分の身に起こった不可解な出来事を細部まで見つめ直した。

 王里神会は全知全能の神や奇跡や啓示を信じない。だから幸福を自分で手に入れる為に国家を攻撃しようとしている。それを阻止しようとしているのが神屋聖孝。神屋は俺が王里神会から重要人物扱いされていることを知り、俺に協力を求めてきた。

 そして、俺は選択しなければならない。神屋に協力するか、全てを忘れて今まで通り過ごすか。だが、俺の気持ちが後者に傾いていることは明らかだった。

 俯きながら歩いていると、俺はいつの間にか夜光公園やこうこうえんに来ていた。たどり着いたと言った方が正確かもしれない。たった一つの街灯が木々、大地、数少ない遊具を仄かに照らす。

 人口的なオレンジが、何故ここまで幻想的な空間を作り出せるのか。春に来たときは、俺がこういう美しいモノを避けているからだと思った。あの頃はそれで正しかったのだと思う。

 今はどうだろう。あれから綺麗なものを沢山見た。それでもここは不思議な世界だった。

 気持ちが落ち着くと、いろいろ思うところがあった。神屋は、本当に王里神会を潰す為に俺の協力を求めたのだろうか。あいつにとって、俺はそんなに強い存在なのだろうか?

 違う。俺は誰よりも弱いんだ。解っていたんだ、あいつの望みを。神屋はたとえ弱くても、友の存在を心に刻みたかったんだ。自分が信じたものに裏切られ、なのに戦おうとしていたんだ。

 それが解っていても、俺は「いつも通り」を望んでいる。あれだけ、嫌っていた平凡でつまらない生活を心から望み欲している。

 変わったと思ってたのに、実は何も前進していない。「脱出」出来ていない。

 頭痛は勢いを増した。視界が霞む。俺は倒れるようにベンチに座り込んだ。



 何分経ったろう。ベンチに座り、深く瞼を閉じていると、どんどん闇に堕ちていく感じがした。その感覚は底なし沼に沈んでいくように抵抗も出来ない無力感の中で感じる、唯一の感覚であった。

 消えかけた意識の外から、小さく声が聴こえる。

 声がだんだんと近づいて来る。……いや、違う。俺が闇から引き上げられているのか。

 視界が徐々に開けていった。

「おい、大丈夫かよ?」

 目の前には木原晋也きはらしんやがいた。パーカーとジーパン。いつもはもっとチャラついている服装の晋也だが、今は割と地味な格好だ。

「晋也か……。悪い、ぼーっとしてた。お前、ここで何してんだ?」

「コンビニ行って、帰り道でここを通りかかったらお前見かけたから立ち寄ったんだ。しかしお前、意識が無かったように見えたけどな」

「心配するな、俺は大丈夫だよ。それより、あの後体は大丈夫なのか?」

「ああ。あんなのは手術後は嘘みたいに元気になっちまうもんだ」

「そうか、良かったな」

 心から良かったと思った。もし、晋也が死んでしまったら、借りが返せない。

 晋也は、俺の隣に座って、ふと空を見上げ、そのまま固まった。

「ここって、星すくねーよな」

「そうだな」

 晋也はそのことに今気付いたようだった。

「なあ、暁」

「なんだ?」

「お前さ、まだ鳴海なるみに謝ってんのか?」

「………………は?」

「お前、責任……感じてんだろ?」

「…………ああ。だから俺は変わる決意をしたんだ。ずっとずっと前にな。なのに、変われてない。努力すれば変われるんだ。だけど、俺はそれを怠ってる」

 晋也は黙り込んだ。

 ごめん晋也、お前に俺自身への愚痴を言ってもしょうがないよな。

 虫の声は美しく響く。俺の空っぽの心には、その響きは大き過ぎた。

「暁、お前は転んだ人を笑うか?」

 晋也はそう俺に尋ねた。俺には意味が解らず、答えられなかった。

「俺はな、転んだ人を笑うのはいけねーことだと思うんだわ。だって、そいつは前に進もうとしていたんだぜ?」

「………………」

「何もしなかったヤツは笑われ、馬鹿にされるべき人間だ。でも、前にしっかり進もうとしていた人間はたとえ転んでも、恥ずべきことなんてしていないんだよ。お前は転んだだけだ。そこにただ立っていただけのやつなら、転ぶことすら出来ない。転んだのは、進もうとしていた証拠だ」

「晋也…………」

「立ち上がれば、まだ進めるだろ? それなのに、全てを諦めたような顔すんなよ」

 晋也は不思議なやつだった。俺に起きたことを知らないはずなのに、俺がもう一度立ち上がる為の何かをくれる。

「旧友が苦しんでるんだ。でも俺は見捨てて逃げるつもりになってた」

「……そうか。それで? お前はこれからどうするんだ?」

「役に立つかは分からないが、一緒に戦う」

「…………ハハハ。やっぱそっちの方が本当のお前らしいな」

 晋也は、そう言って笑った。

「助けられてばっかだな……俺。晋也、ありがとな」

「何言ってんだ。気付いてないかもしれないが、同じくらいお前は人を助けてんだぜ!」

 俺が人を助けている……。もしそうなら、少しだけ自信が持てそうな気がした。

 それから、晋也は「帰るか」と言って、公園の入口に向かった。その後に俺も続いた。

「またな、晋也」

「ああ」

 俺が帰ろうと、晋也のいる方向から回れ右すると、後方の晋也が思い出したようにこう言った。

「あっ。おい暁! 亜美ちゃんにさっきみたいな死にそうな顔…………絶対に見せんなよ!!」

 俺は、首だけ幾分晋也の方に向けた。

「分かってる」

 俺がそう言うと、晋也は安心したように笑った。

 晋也は中学の頃俺のことが嫌いだったのかもしれない。だから、俺たちは決して関わらずに互いの人生を歩んで行くはずだった。

 俺たちの前から消えてしまった「あいつ」がいなきゃ、俺たちは今互いを解り合っていないだろう。

 だから、晋也もまた、あいつに謝り続けているんじゃないだろうか……。

 友を失うのはもう嫌だ。神屋に対して、俺が何を出来るか分からないが、もしかしたら何も出来ないかもしれないが、それでもやれるだけはやる。そう……決めた。

 夜風と共に、俺は走り出した。



‐4‐


 自宅に戻った俺は、まず冷蔵庫に向かった。真夏に馬鹿みたいに走ってしまった自分に呆れていた。喉が渇いて死にそうだった。

 炭酸飲料を体が欲していたが、賞味期限が今日の牛乳を見つけてしまったので、そちらを手に取った。喉が渇いていたので牛乳でも、いつもよりおいしく感じた。

 生き返った俺はふと、テーブルを見た。卓上にはチェス盤が、俺が負けた時の状態で置いてあった。

 ――神屋のやつ、忘れていきやがったな。

 片付けようかと思ったが、駒を入れる為のケースが無かった。

「意味分かんね」

 ケース無しのチェスセットがあるのだろうか。しかも、このチェス盤は裏返せば将棋盤にもなる。つまり、将棋の駒も収納しなきゃいけないはずだ。鞄の中にケースがあって、鞄に入れたままそこから駒を一つ一つ出したのだろうか……。

 俺はそんな僅かな疑問に何故真剣になっているのか。それはおそらく、神屋の言動があまりに完璧過ぎて、小さな不手際にさえ違和感を感じるからであろう。

 神屋はどう見ても、このような明らかに遠回りなことをするようには見えない。…………もしかして、この行動に意味があったのか……?

 そう考えると、俺が疑問を持つこと自体が神屋の意思によって引き起こされたものなのだろうか。

 そこまで至って、俺は携帯のカメラ機能でチェス盤を真上から撮った。最初の状態を撮っておけば、その後何をしても大丈夫だからだ。

 さて、神屋はこの丸型テーブルの上のチェス盤を使って一体何をしたかったのか?

 チェス盤を眺めていると、どうやら先入観が思考を妨げていたらしいことに気が付いた。俺はテーブルの上のチェス盤を見たとき、負けた時の状態だと思った。しかし実際はそうじゃないようだ。

 俺は確かに神屋にチェックメイトされたはずであった。だが、俺の目の前のチェス盤の上では、神屋の黒い駒は俺の白いキングにチェックすらしていない。その異変の原因は白のキングの位置が変わっていることだ。おそらく、神屋が俺の目を盗んで位置を変えたのだろう。

 キングの位置は俺の座っている方向、白の側の一番手前、右から二番目の位置に変えられていた。

「どういう意味があるんだ……」

 キング…………キング? キングとして戦う……神屋がそんなようなことを言ってたような……。

「思い出した……」

 神屋が部屋を出たとき、あいつは言っていた。『君が盤上でキングとして戦うとき、その戦いの理由を確かめないのも一つの手だよ。だけど、もしその戦いの理由を知りたいなら、しっかり地を踏みしめるんだね』…………と。

 あのとき俺はパニックに陥っていて、神屋の言っていることの意味を考えもしなかった。

 『君が盤上でキングとして戦うとき』は白のキング、『戦いの理由』はリストに俺の名前があった理由だろう。そして、『地』がチェス盤。

 白のキングが神屋によって動かされていた以上、やるべきことはたった一つだ。

 俺は盤上の駒を全てどかした。そして白のキングが置かれていたマスを右手の人差し指で強く押した。足で地を踏みしめるかのようにして…………。

 ――――ガチャッ。

 チェス盤は音を立てて浮き上がった。厚さ一センチ程の板の上半分が、四隅に仕込まれてあった小さな柱によって持ち上げられたのだ。内部に隠されていた柱は白のキングが置かれていた場所を強く押すと上下に伸びる仕組みだったようだ。

「神屋、お前はホントに天才みたいだな」

 そう呟いて、俺は天を仰いだ。

 この仕掛けを失敗させずに遂行するのは、俺の心理を正確に読み、さらにそれを操作する必要がある。それに驚くべきは、俺と神屋が最後に会ったのは小学六年の頃だということだ。俺の心理を操作する為の情報は無いに等しい。ここに来てから俺の性格を把握したということだ。神屋は常に冷静で、かつ観察力がずば抜けている。

 神屋は観察力、亜美は表現力、竜司は数学力、静枝は記憶力、洋平は言語力、如月は身体能力。俺の周りは何で天才ばかりなのか……。

 晋也は人を元気付ける力があるし……。光……。お前と俺だけだ、しょうもない才能を持ち合わせているのは。

 少しだけ哀しくなった俺だった。

 気を取り直して、チェス盤に目を落とす。チェス盤は柱によって接続されていて相変わらず上部と下部が離れない造りだった。しかし、四隅の柱によって持ち上げられていることで、上部と下部の間には五ミリほどの隙間が出来ていた。

 中は空洞で、そこにはA5のプリントが二枚入っていた。この二枚の用紙に、俺が重要人物リストに載っている理由が記されてあるはずだ。俺はすぐさまチェス盤を斜めに傾け、中からプリントを取り出した。

 そして俺は胸を高鳴らせ、一枚目のプリントに目を落とした。

「!!!! …………神屋、そういうことかよ。俺が協力を余儀なくされる理由か…………。俺はパンドラの箱を開けちまったらしいな」

 プリントにはこう印刷されていた。



七月二十五日配信


 下に記した二名の月代学園生徒を「V事件」の重要人物に指定する。


外崎暁とざきあきら 十六歳 男


篠原亜美しのはらあみ 十六歳 女


 以上二名の個人情報に関しては現在不明。



 それはおそらく神屋ら幹部に送信された王里神会本部からのメールを印刷したものであると推測できた。神屋の言った「戦いの理由」は、俺がリストに載っている理由ではなかった。それが真に示していたのは俺が協力せざるを得ない理由という、より直接的なものだったのだ。

 俺には、この謎めいた展開に嫌な予感しかしなかった。俺だけでなく、亜美までもが、リストに記載されていたのだ。俺や亜美が王里神会にとって、どう重要であるというのか……。

 これで俺は、引き下がる訳にはいかなくなった。王里神会がどんなことをしてくるか分からない以上、俺が能動的に戦う他ない。そうしなければ亜美にまで危険が及ぶかもしれないのだ。そして、その為には神屋に協力する必要がある。

 神屋の作戦は巧妙だった。いや、上手く状況を利用した……という方が正確だが。

 ただ、神屋はこれだけの好カードをもっておきながら、最後には俺の選択を望んだのだ。

 俺は、利己的な精神に支配されていた。晋也がいなければ、亜美にまで危険を及ぼしていたに違いない。とはいえ、神屋への協力を決意しても、亜美を危険から守れる保証はないのだが。

 とにかく今は、情報が少なすぎる。

 ……まてよ。プリントは二枚。もう一枚には何が書かれているんだ? 亜美の名前を見つけた瞬間、二枚目があるということをすっかり忘れていた。

 俺は二枚目を手に取った。

 そこには、神屋からのメッセージが記されていた。



暁へ


 まず、君の大切な人間を利用するようなことになったことを謝罪しよう。申し訳なかった。しかし、僕の意思に関与しなくとも、篠原亜美が王里神会から重要人物と指定されることにはなっていた。君たちの重要度はまだそこまで高くはない。僕の指示に従えば、危険はないだろう。

 君が僕に協力するかどうかの答えは、すぐに君本人の口から直接聞くつもりだ。君とはすぐに再会することになるだろう。君が「戦いの理由」を知る決意をしたならば、チェス盤の仕掛けを破りこの文書を目にするのにはそう時間は掛からなかったはずだ。この文書を見たならば、君は僕に協力する気になってくれただろう。次に会うときは、さらに詳しい情報を話そうと思う。僕の協力者としてやって欲しいことの内容はその時に話そう。

 篠原亜美に君が知ったことを話すか否かは君に任せる。君が危険と思うなら話さなければいい。

 最後に、この文書を読み終えたら、この文書は他人に見せることのないように注意してほしい。君の協力を期待している。



 神屋のメッセージは、極めて正確に俺の行動を予言していた。その日の内にチェス盤の仕掛けを解くことさえ予期していたように思われた。

 やはり俺がチェス盤を見たときに、必ずや違和感を感じるだろうと読んでいたようだ。

 しかし、俺を試していたという可能性もある。なぜなら、このメッセージは神屋が俺の実家を訪ねた時には既に仕込まれていたかもしれないからだ。

 だとしたら、俺は神屋の仕組んだテストにまずまずの結果を残せただろう。

 神屋がいつ来るかは分からないが、今俺が出来ることは神屋の接触をただ待つことだけだ。

 そして明日の祭で亜美に会うまでには、今日あった事を亜美に話すかどうかは決めておかなければならない。

 自分が亜美を守れるのか。そんな不安は何度打ち消しても湧いてくるに違いない。だが、晋也は俺も人を助けられると教えてくれた。それを信じるしかなかった。

 俺がもし、パンドラの箱を開けてしまったのなら、「希望」まで箱の外に出すわけにはいかない。残された希望を掴み取るのが人間だ。



 その日の俺は、この物語の結末がどんなものになるのか、まだ予想も出来ずにいた。蒼天のチェスゲームは既に動き始めていた。


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