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09 破滅への序曲

 夢の世界の空から、色が抜け落ちていった。


 かつては透明な青を湛えていた空は、まるで誰かが無慈悲な筆で濁った灰色へと塗り潰していくように、変わりつつある。星々は以前よりも暗く、その輝きは不安げに明滅している。まるで、これから起こる出来事を予感しているかのように。


 クロードは高層ビルの窓から、その光景を眺めていた。


「順調ですね」


 背後からカイトの声が聞こえる。振り返ると、六歳の少年の姿をした現人神が、薄く笑みを浮かべていた。その瞳には、年齢不相応な冷徹さが宿っている。


「ああ」


 クロードは短く答え、再び窓の外に目を向けた。街のあちこちで、邪気の渦が立ち昇っているのが見える。それは、救世教団の活動が着実な成果を上げている証だった。


 三日前から、計画は新たな段階に入っていた。教団員たちが各地で秘密の集会を開き、組織的に邪気を集めている。現の世界では深夜零時、夢の世界では永遠の夕暮れ時に、彼らは輪になって座り、未練の手紙を読み上げる。その度に、濃い邪気が渦を巻いて立ち昇る。


「でも、ネフィリア家の動きが活発になってきました」


 カイトが窓際に歩み寄り、街を見下ろしながら告げる。


「奴らも、異変に気付き始めたということだな」


 クロードの声には焦りはない。むしろ、これは計画通りだった。ネフィリア家の抵抗は、教団の結束を強める要因となる。敵の存在は、時として最高の接着剤となるのだから。


 街のあちこちで、シャーロットの部下たちが警戒を強めているという。彼らは不自然な邪気の発生を探知し、その源を追跡している。しかし、もう手遅れだ。邪気の集積は、既に臨界点に達しようとしていた。


「見てください」


 カイトが指差す先では、一つの星が消えかかっていた。その星は、まるで黒いインクが滲むように、徐々に色を失っていく。


「誰かの夢が、邪気に飲み込まれたんですね」


 少年の声には、どこか哀しみが混じっていた。しかし今は、そんな感情に囚われている場合ではない。これは必要な犠牲なのだ。


 クロードは机の上に広げられた地図に目を向けた。そこには、教団の活動拠点が赤い点で示されている。その数は、既に百を超えていた。


「このままのペースで行けば、あと数日で臨界点に達する」


 カイトが地図に新たな印をつけながら告げる。その手つきには、以前には見られなかった確かな自信が窺える。


 突然、部屋の温度が下がった。窓の外では、一条の影が素早く通り過ぎていく。それを見たクロードは、薄く笑みを浮かべた。


「シャーロットか」


 影操者の気配は、もはや見慣れたものとなっていた。彼女は毎夜のように街を巡回し、教団の動きを監視している。その徹底した警戒は、皮肉にも計画の進行を後押ししていた。


 部屋の隅には、積み上げられた手紙の山がある。それらは全て、現の世界の人々が死者たちに宛てて書いたもの。悲しみ、後悔、怒り、そして未練。それらの感情が、手紙という形を借りて邪気となり、世界を蝕んでいく。


「もうすぐですね」


 カイトが呟く。その声には、期待と不安が混じっていた。


「ああ」


 クロードは頷く。


 世界は、確実に歪みつつあった。夢の街には、これまでにない重たい空気が漂い始めている。手紙配達人たちの足取りは重く、彼らの表情には疲労の色が濃い。システムの機能不全は、既に始まっているのだ。


「次の集会の準備を」


 クロードは告げた。カイトは無言で頷き、部屋を後にする。その背中には、もはや迷いは見えなかった。


 窓の外では、濁った空の下で、邪気の渦が静かに立ち昇っていた。それは、まるで世界の終わりを告げる前触れのようでもあった。


 クロードは窓に映る自分の影に、一瞬、妻の面影を見た。彼女が連れ去られる最期の瞬間、虚ろに開かれた瞳に映った光が、今、目の前で消えゆく星々と重なる。全ては、彼女のために。この理不尽な世界を、根本から作り直すために。たとえ、それが取り返しのつかない過ちだとしても。


 その思いが、彼の決意をより強固なものにしていった。


---


 事態が急変したのは、その三日後のことだった。


 夢の世界の郵便局で、最初の異変が起きた。一通の手紙が、配達人の手の中で突如として黒く変色し、邪気の塊と化したのだ。それは瞬く間に他の手紙にも伝播し、郵便局内は濃密な邪気に包まれた。


「システムが崩壊し始めています」


 事態を見守っていたカイトが、静かに告げる。クロードは黙って頷いた。これは想定内の出来事だった。むしろ、予定よりも早く事が運んでいる。


 混乱は瞬く間に広がっていった。街のあちこちで手紙が腐敗し、邪気の渦が立ち昇る。死者たちは混乱に陥り、中には狂気に飲まれる者も現れ始めた。


 そして、ついに避けられない時が訪れた。


「クロード様」


 教団員の一人が息を切らして報告に来た。


「ネフィリア家が、正面から攻めてきます」


 窓の外を見ると、夕暮れの空に無数の影が舞っていた。それはまるで、墨を撒いたような光景。シャーロットの影操の力だ。


「来たか」


 クロードの声に、緊張が混じる。カイトが隣に立ち、両手を軽く震わせている。その仕草は、どこか六歳児らしい不安を感じさせた。


「恐れることはない」


 クロードは告げる。


「これも、全て計画の一部だ」


 影が建物を包み込み始める。それは、まるで巨大な黒い布が覆い被さるかのよう。同時に、部屋の温度が急激に低下した。


 扉が開く。


 そこに立っていたのは、シャーロット・ネフィリアその人だった。漆黒の長衣に身を包んだ彼女の周りを、無数の影が渦巻いている。その瞳には、冷たい怒りが宿っていた。


「よくもここまで」


 彼女の声は、氷のように冷たい。


「世界の秩序を、このような形で乱すとは」


 クロードは、ゆっくりと彼女に向き直る。


「秩序?」


 その言葉に、彼は嘲笑を浮かべた。


「そんなものは、最初から存在しなかった。現の世界も、夢の世界も、全てが歪んでいる。私たちは、その歪みを正そうとしているだけだ」


 シャーロットの影が、一斉にクロードに向かって襲いかかる。しかし、その直前。


「させません!」


 カイトの声が響き、影は途中で止まった。少年の能力が、シャーロットの意識に干渉したのだ。


 だが、それは一瞬の出来事だった。影操者の強大な精神力が、すぐさまその干渉を振り払う。


 戦いが始まった。


 影と邪気が、部屋の中で激しく渦を巻く。シャーロットの影が次々とクロードを襲うが、彼の周りに集まった邪気が、それを防いでいく。


 カイトは必死に能力を行使しようとするが、シャーロットの精神は、もはや干渉できないほど強固なものとなっていた。


 激戦の最中、クロードは密かに微笑んでいた。この戦いもまた、計画の一部。より多くの邪気を引き寄せるための触媒として、必要な出来事だったのだ。


 そして、決定的な瞬間が訪れる。


 シャーロットの影が、クロードの胸を貫こうとした、その瞬間。


「今だ!」


 クロードが懐から取り出したのは、小さな石。それは、無数の手紙から抽出した邪気を結晶化させた「浄化の石」だった。


 石が放つ強烈な光が、部屋中を包み込む。シャーロットの影が、まるで霧のように薄れていく。


「な、何を……」


 彼女の声が、震えている。


「これが、私たちの切り札さ」


 クロードは静かに告げた。


「現の世界と夢の世界の境界を溶かし、全てを混沌に陥れる。そして、その混沌の中から……新たな世界を作り出す」


 窓の外では、星々が次々と色を失っていった。手紙システムは完全に機能を停止し、邪気が街全体を覆い始めている。


 シャーロットは、最後の力を振り絞って影を操ろうとする。しかし、もはや手遅れだった。浄化の石の力は、既に取り返しのつかないところまで世界を変えつつあった。


「これで、全てが始まる」


 クロードの声が、静かに響く。


 窓の外では、夢の世界の月と、現の世界の月が、徐々に重なり始めていた。二つの世界の境界が、確実に溶けていく。


 狂気と混沌の夜が、始まろうとしていた。


---


「星間郵便局が崩壊したよ!? 今の郵便システムは大丈夫なの!? それに霊石っぽい物も出てきたけど!?」

「風羽落ち着いて……」


 夢羽は立ち上がり、私の代わりに温めておいたティーポットに沸かしたお湯を注いだ。


「まず郵便システムだけど、当時の脆弱性は今はないわ。風羽も経験したでしょ」


 そう言いながら、紅茶を淹れたティーカップを私の前に出す夢羽。


「えっと……?」


 私はそれを受け取りながら首を傾げる。


「手紙は()()()から受け取るでしょ」

「あ! そういえば、夢羽の話だと、人から人へ渡していたね」

「当時はカバンがなかったの。だから人から人へ渡り、郵便局で印鑑を押してもらった後に配達する。この流れになっていたの」


 夢羽はソファに座り、紅茶を一口飲む。


「今は人から受け取って、その人の前でカバンの中に入れる決まりになっているわ。そうしないと、通報されて軍部が出動することになっているの」

「なるほど……警察班の仕事の1つなんだね。知らないことだらけだな、軍部の仕事……」

「これから少しずつ覚えていくといいわ。さて、クライマックスが近いけど、続きを話すわね」


 そう言い紅茶をまた一口飲み、カップを受け皿の上に置いた。

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