いいえ、悪食令嬢です
前世の私は悪食でした。
日本と言って小さいけれど豊かで、とても文明が進んだ国で生きていた記憶があります。
いつでも美味しいものが食べられる恵まれた環境でしたのに……前世の私は感覚が麻痺していたのでしょうか、それだけでは満足できませんでした。
わざわざ沼地で蛙を捕まえて唐揚げにしてみたり。
山で取ってきたキノコを闇鍋に仕立ててみたり。
蛇を長いまま炙り焼きにして頭から齧ってみたり。
そういうお馬鹿な真似をしては、動画を撮って配信していたのです。
前世の私は物凄い美人とは言えませんが、可愛らしい顔立ちでした。見目の悪くない若い女がゲテモノを食べるという絵面がウケて、コアな層にそれなりの人気があったようです。
ですが、ある日……死にました。
毒キノコにあたったのではありません。
山へキノコ取りに行ったら熊が出たのです。
熊鍋ゲットしちゃるぁあああ! などと言っている場合ではありませんでした。くまコワイ。ハンパ無い。
逃げ惑ううちに崖から足を踏み外して転落し、あちこちに叩きつけられ……気付いたら身体は全く動かなくなっていました。
嫌でも悟りましたわね。これはもう駄目そうだと。
霞んでいく視界の真ん中に、一本のキノコがありました。
なんと、あれはキヌガサタケ!
貴婦人が優美な白いドレスをまとっているように見えることから、キノコの女王とも呼ばれる珍しくて美味なキノコです。
こんな時に、こんなところで出会うなんて。
ああ、キヌガサタケを取って取って取りまくりたい人生だった……
そう思いながら前世の幕が閉じたのです。
そして、私は異世界の貴婦人――ではなく。
貴族の令嬢に生まれ変わっていました。
イヤおかしいでしょ。
そこはキヌガサタケ転生じゃないの?
頭の中で、唐突に蘇った前世の知識が騒いでいますが、私は今それどころではありません。
なぜなら――今世の私、フィリア・フォンテーヌはアストニア王国の名門貴族の娘で、第二王子の妻になる予定だったのですが、いきなり婚約破棄されて国外追放の憂き目に遭っていたからです。
無理矢理、馬車に乗せられて国境を越え、闇の森と呼ばれる深い森の中に捨てられてしまいました。
馬車の扉から押し出され、突き飛ばされて地面に倒れ込んだ瞬間に、前世を思い出したのです。
ですがもう、何もかも遅すぎました。
私を降ろした馬車は瞬く間に向きを変え、ガラガラと走り去っていきます。
――展開が急すぎるぅうう!
令嬢らしからぬ心の声が、わんわんと騒ぎました。
ああもう、役に立たない前世がうるさいですわ。
今更になって思い出したところで、何の意味が……
――キヌガサタケ! いやキヌガサタケじゃなくても何かキノコとか山菜! こういう森なら絶対あるって!
…………信じられないほど能天気ですわね。
でも………………一理ありますわ。
こんなところへ置き去りにされて、蝶よ花よの貴族令嬢が生きていけるはずがありません。私はもうお終い、と絶望しかかっていましたが……
今の私には、そこそこガチな「ゲテモノ食サバイバル系ゆーちゅーばー」だった記憶と言いますか、意識と言いますか、別人格のようなものが同居しております。
確か彼女、山籠りしてキノコや山菜や釣った魚だけで一か月生き延びる耐久きゃんぷ企画なんかもやっておりましたね。
でしたら、ひょっとして……?
✳︎✳︎✳︎
本当に何とかなりました。
前世の知識さん、役立たずなどと決めつけてごめんなさい。あなたはとっても有能ですわ。
捨てられて約二か月。私はいくつか幸運に恵まれて、闇の森で割と楽しく暮らしておりました。
幸運の一つ目は、使われなくなったとおぼしき猟師小屋を見つけたこと。ぼろぼろでしたけど、掃除して最低限は住めるようにしました。
前の住人が残していったらしい家具や道具も見つけました。
中でも最高だったのは釣竿です!
これさえあれば千人力ですもの。本当にラッキーでしたわ!
もう一つは今世の私、フィリアは生活系の魔法が使えたこと。高位貴族の魔力を生かして魔法で水を出したり、火を点けたりすることが簡単にできたのです。
それに、私は〈鑑定〉という魔法を持っていました。
魔法というのは生まれつきの才能が物を言うのですが、〈鑑定〉は使える人が少なく、結構珍しい魔法です。なかったら詰んでいましたわね。
いくら前世の知識があっても、今世は動植物の種類が違います。〈鑑定〉して毒がないか、食べられるか調べられるのは大きな利点でした。
たとえば、森で採れるものの一つに「ガルムイモ」という芋類があります。形は前世の山芋、いわゆる自然薯にそっくりですが、表皮も切った断面も毒々しい濃い紫色をしています。
〈鑑定〉すると『ガルムイモ。闇の森産。有毒。少量でも食すると腹痛、嘔吐、下痢、全身の倦怠感、幻覚などの症状が現れ、半日程度で死に至る』などといった情報が、私の脳内に表示されます。
ガルムイモ……いかにも危険そうな色合いに違わず、食べたら苦しみ抜いた挙句に死にますわね。
でも山芋によく似ている……何とかして食べられないかな? と前世の知識が騒ぎます。そこで一口大に切って灰汁に漬けてみました。山菜を調理する際の基本ですわね。
そして翌朝見てみるとガルムイモの紫色は灰汁に溶け出し、芋そのものは白っぽい色になっていました。
ドキドキしながら芋を取り出して水洗いし、もう一度〈鑑定〉すると――その結果は嬉しいことに『ガルムイモ。闇の森産。毒抜き済。加熱すれば食用可』になっていたのです!
早速スープの具にしましたわ。やはり山芋みたいなもっちり食感で、なかなか美味しゅうございました。
私は片っ端から、そこら辺の動植物を〈鑑定〉して回りました。
もちろん空振りもたくさんありましたが、いくつか食べられる物を見つけ出し、料理のレパートリーを増やしていったのです。
✳︎✳︎✳︎
――この森が闇の森と呼ばれるのは、その通り魔物と呼ばれる凶暴な生き物がうようよいるからです。
ですが偶々、私が捨てられた界隈は非常に静かでした。
どうやら、それはこの一帯にズィーゲル草が繁茂しているからのようです。
この草は魔物が嫌う香りを出します。人間には普通の花の香りにしか感じられないのですけれど、それで魔物が全く近寄らないのです。
ですが、良いことばかりではありません。この草は強力な毒草でもあり、根っこからも毒を分泌して、他の植物の多くを枯らしてしまうのです。
ところが自然界とは面白いもので、ズィーゲル草の毒を取り込むことができる有毒の植物やキノコなどが、その周りに生えてきます。さらに毒耐性があってズィーゲル草や他の毒草を食べる虫、虫を食べる蛙、蛙を食べる蛇……という具合に、奇妙な生態系が出来上がっておりました。
もちろんと言いますか、これらの動物達も標準装備で有毒です。
つまりズィーゲル草と有毒生物に囲まれているおかげで、私は魔物に食われずに済んでいたのでした。
猟師小屋が打ち捨てられていたのも、ズィーゲル草が生えた影響で周囲が毒だらけになって、気味が悪くなったせいかもしれませんわね。
逆にズィーゲル草が生えている範囲外に出てしまうと、魔物に襲われるので危険です。
逃げられないということですわね。
幸い、前世の知識で毒を抜けば食べられるものがたくさんあります。
私は毎日、精力的に森を歩き回って食べられるものを探し、さばいばる生活を前向きに楽しんでいます。
いつまで続けられるかは分かりません。でも少なくとも今は生きているのですから、精一杯やらなければ。
若い身空で命を落とした前世の無念を思えば、貴族令嬢の誇りなぞ塵も同じですわ。
そうやって暮らしていたある日、私は食材とは違うものを見つけてしまったのです。
✳︎✳︎✳︎
季節は夏になっていました。
ズィーゲル草は前世の鈴蘭に似ていて、見た目だけは可憐な白い花をつけます。
一面に花が咲き乱れるさまは、毒草だと知らなければ美しい景色にしか見えないことでしょう。実際、口に入れなければ無害です。
え? いえ、食べませんわよ。
毒成分が強力で、前世の知識を総動員しても取り除けませんでしたので……
そんな花畑の中に、男性が一人、うつ伏せに倒れていました。
一体どういうことでしょう?
私が言えた義理ではありませんが、ここは闇の森。普通の人間は立ち入ったりしません。どう考えても訳ありです。
……迷いましたが、放っておけませんでした。
私にとっては久しぶりに見る、自分以外の人間です。
元々、フィリアはフォンテーヌ侯爵令嬢として、たくさんの召使にかしずかれていました。
前世では一人暮らしをしていましたけれど、さすがに二か月も全く人と触れ合わないなんてことはありませんでした。
有り体に申しまして、人恋しくてならなかったのです。
「あの、もしもし。貴方、大丈夫ですか?」
倒れている人が大丈夫な訳はありませんが、他に何と言えばいいか思いつきませんでした。
ですが、相手はぴくりとも動きません。もしや、もう亡くなっているとか?
近づいて、男性の頭をそっと抱え起こします。さらさらの金髪です。服装もあちこち汚れたり破れたりしていますが、よく見ると上等ですね、腰に立派な剣を提げていますし、軍系の貴族でしょうか。
触れた頬や首筋が温かいので、生きているようです。
顔を見て驚きました。
――わお、ちょーイケメン。
前世の知識がつぶやきます。
そう、彼は大変な美青年でした。私の婚約者だった第二王子も顔だけが取り柄と言われた御方で、なかなかの美形でしたけれど……こちらの彼には敵わないでしょう。それくらい凄い。
ですが、見覚えのない方ですね。私は王子妃になる予定でしたから、主だった貴族の情報は頭に入っているはずですのに。
「……ここは天上の国なのか……?」
青年がうっすらと目を開けて、私を見て言いました。綺麗な青い目。高貴な色ですね。声もかすれていますけれど、深みのある好い声です。
私は一も二もなく「はい」とうなずきそうになり、慌てて首を横に振りました。危ない。美しすぎて危ない。
「残念ながら天上ではなく、闇の森ですわ。立てますか?」
「ああ、そうか。何とか……」
青年はよろめきながらも立ち上がろうとしました。
が、突然「うっ」と呻き声を上げて、また膝をついてしまいます。
「どこか怪我を?!」
「いや、大したことは……」
そうは言いますが、顔から血の気が引いて苦しそうですし……右手で、自分の左肩を押さえています。怪我をしているようです。
「つかまってください」
私は彼に肩を貸し、ゆっくりと家に帰りました。相手は私より背の高い男性ですから、結構大変でしたけどね。
✳︎✳︎✳︎
猟師小屋に帰ってベッドへ寝かせた途端に、彼は再び意識を失ってしまいました。
上着とシャツをはだけさせて左肩を見てみると、傷そのものはかすった程度で出血も止まっていますが、その周囲がどす黒く変色しています。
これは毒?
ですが、どうすれば……
「――大丈夫、だ。少し休めば良くなる……」
青年がまた、薄く目を開けて言いました。
「俺は……〈毒無効化〉の魔法があるから……何も、しなくていい」
そう言ったきり、力なく目を閉じてしまいます。
「……ずいぶん珍しい魔法をお持ちですわね」
聞いたことはあります。毒を受けても、体内で無効化することができる魔法だとか。
でも初めて見ました。〈鑑定〉よりも、さらに使い手が限られる希少な魔法です。
本当かどうか分かりませんが……どちらにせよ私は食材の毒抜きはともかく、人間の治療なんてできませんし。
彼の言葉を信じるしかありませんわね。
私はとりあえず傷口の周りを濡れた布で拭いてから、衣服を元に戻し、身体に毛布を掛けました。
――とりあえず食事を作らなければ。
腹が減っては戦ができぬ、と前世の知識が囁いています。
私だって男性に肩を貸すなんて重労働をしたものだから、お腹がぺこぺこですわ。
それに彼が目を覚ましたら、滋養のあるものを食べさせてあげないと。
――ガルムイモと死神麦と、ドクスグリ、龍牙茸は採って溜めてあるわね。あとは何か探してくれば良いかしら……肉も欲しいから、ズィーゲルフロッグ辺り? さっさと毒抜きを始めないと日が暮れてしまうわ。
私は疲労でぷるぷるしている両足に力を入れて、立ち上がったのでした。
✳︎✳︎✳︎
もろもろの森の恵みを(もちろん毒抜きした上で)煮込み、味見をして塩――これは近所の岩場に岩塩の出る場所があって本当に助かった――を少し足します。
――ん! 割とイイ感じ!
前世の言葉で自画自賛したところで、背後の気配に気付きます。
振り返ると先程の青年が立っていました。
「目が覚めたのですね、身体はいいのですか?」
意識して、少し崩した言葉遣いにします。高位貴族の令嬢がこんなところにいるのはおかしいですから。まあ人間がいること自体がおかしいですけれども。
もっとも今の私、貴族令嬢には見えないでしょう。
私は生まれつき黒髪黒目。でも、今世では金髪碧眼が高貴で美しい容姿とされています。目の前の彼みたいに。
……私とて紛れもない高位貴族の娘ですが、異国から嫁いだ曽祖母に似たようで、お世辞以外で美しいと言われたことはありません。
むしろ魔女のようだの、陰険できつく見えるだの……皆様、ギリギリ聞こえる声量でおっしゃっていましたっけ。
婚約者だった第二王子が心を移したご令嬢も、金髪碧眼の儚げなタイプでした。私はすっかり悪役扱いだったのが思い出されます。
でも日本を思い出した今では、馴染みのある色合いで安心できますわ!
目鼻立ちも前世よりよっぽど整っていて「ぶっちゃけイケてるんじゃ?」と思うのですが、こちらの美意識とは異なるのが現実。残念なことですわ。
そういう「自称美人」の私も、自分一人では手入れが行き届きません。だいぶ煤けているはずです。
服装も、馬車に乗せられる直前に着替えさせられたので、身分の低い下女用のものなのです。動きやすくて洗濯もしやすい逸品ですが、貴族らしさは皆無ですわね。
つらつらとそんなことを考えておりますと、青年は品の良い所作でうなずきました。
「ああ、すまなかった……まだ少しだるいが問題はないよ。貴女のおかげで、助かった」
先程よりも張りのある声。顔も少し疲労を滲ませているけれど、彼の場合はそれさえも翳のある色気というか、美しさの一つになっていますわね。罪作りなお人です。
「それはよろしゅうございました。食事は取れそうですか? 大したものは出せませんけれども」
「いいのか? 貴重な食料なのでは?」
「二人分作ってしまいましたが、もちろん無理にとは」
「いや……腹は減っているんだ。では頂いてもいいかな」
「はい、どうぞ」
青年はクリフと名乗りました。
どう見ても貴族で家名があるはずですが、彼は言いませんでした。本名かどうかも微妙ですね。
私も「フィリアです」とだけ名乗ります。
お互いここにいてはおかしい人間ですもの、用心するのは当たり前ですわね。
クリフがなぜズィーゲル草の花畑に倒れていたのか……気にならないと言っては嘘になります。
でも聞いてしまったら、私の事情も話すことになってしまいそうですわね。
ひとまず食事を終えてから考えましょうか。
私は前の住人が置いていったであろう食器を取り出し、煮こみ終わったスープを注ぎます。
パンケーキとジャムも添えました。
「美味そうだ。料理が得意なのかい?」
「ええ、まあ……趣味のようなものかしら。では創造神の御恵みに感謝しまして」
私が食前の祈りを口にすると、彼は少し目を見開いてから「御恵みに感謝を」と唱和します。
ふふ、と笑みが漏れました。なんてことはない、王国の民なら当たり前の祈りですけれど……これを言うのも久しぶりだと気付いたからです。
温かい気持ちになりながら、私はスープに手をつけました。
クリフもスープから食べています。まず煮汁をスプーンで掬って口へ運び、小さくうなずいてから、本格的に食べ始めました。男性らしい食欲です。気に入ってくれたようで嬉しいですわね。
――が。
「これ、何の肉だい?」
彼に訊かれて、私は自分の失敗にウッと詰まりました。
なんてこと。
料理の説明をしていなかったのです。
「ええと……ズィーゲルフロッグの肉です」
クリフの手がぴたりと止まりました。
「…………こんな分かりやすく毒を盛られたのは初めてだよ」
ごろごろ入っていますものね、ズィーゲルフロッグ。今日は何故だかよく釣れたので、ご馳走のつもりでたくさん使ってしまいました。
「申し訳ありません。一般的な食材ではないのを忘れておりました。もちろん毒は抜いてありますわ」
クリフは〈毒無効化〉の魔法を持っているから、もし毒が残っていても大丈夫でしょうけれど。
良い気分はしませんわよね、普通。
本当に申し訳ないことをしましたわ。
「待て、毒を抜いた? どうやって?」
……あら、まあ。
普通の人なら間抜けな、ぽかんと口を開けた表情ですのに。
クリフはそんな顔でも絵になりますのね……
少々現実逃避をしてしまいましたが、質問には答えねばなりません。
「塩を入れて沸騰させた湯に入れて茹でこぼすのを三回ほど繰り返しますと、食べられるようになります」
「そこまでして食べるようなものだろうか……?」
「貴重なタンパク源……いえ、お肉なので」
今世には栄養学という考え方が無いのを思い出し、無難に言い直します。
ズィーゲルフロッグは、一般的には単なる毒蛙です。でも闇の森ではたくさん棲息していて捕まえやすく、食べでがあり、味も毒抜きすれば鶏肉のようになって悪くないのです。
「……じゃあ、このニンジンみたいなものも、もしかするのかな?」
クリフは勘が鋭いですわね。
「それはマンドレークニセニンジンと申しまして」
「さりげなく猛毒だな」
「ご存知なのですか。半日ほど塩漬けにしてから塩抜きをしますと、毒も一緒に抜けます。歯応えと彩りがよろしくて使っております」
「そうか。では、この粘りがある芋は」
「ガルムイモですわね」
「やっぱり猛毒……」
「灰汁に一晩漬けておくだけですので簡単ですわ、お腹に溜まるので便利なのです」
「ふぅん。それから、こっちのキノコは細く割いてあるけど龍牙茸? ひとかけらで五人は殺せると有名だが」
「はい。細く割いて灰汁に漬けてから水にさらし、茹でこぼした上で、乾燥させてまた茹でるのを五回ほど行います。大変上品な出汁が取れるので手放せず……」
「なるほど。パンケーキとジャムは何でできている?」
こんな調子でクリフは大変に良い笑顔を見せ、私の逃げ道を塞いでしまったのでした。
……パンケーキに使った死神麦は非常に物騒な名前ですけれど、実はある条件で病気になった時にだけ毒性を帯びるのです。ですから〈鑑定〉で健康な麦粒を選んで収穫するだけ。
ジャムはドクスグリの実で……前世のブラックカラントが近いですわね。
蜂蜜……これも蜜蜂が集めた毒草の蜜が主で当然有毒ですが、ドクスグリの実を一緒に漬け込んでおくとなぜか両者とも毒が消えます。
どうして消えるのかって?
さあ?
分かりませんが〈鑑定〉がそう言っております。食べた私もこの通りぴんぴんしています。
問題はありませんわ。
森では大変貴重な甘味です。
「……では貴女は〈鑑定〉が使えると?」
「はい。今回も〈鑑定〉して毒が消えていることを確認してから、料理しましたわ」
「実は俺も使える。この料理、失礼だと思うが〈鑑定〉してみてもいいだろうか」
「多才なのですね。もちろんどうぞ」
〈毒無効化〉と〈鑑定〉、二つも生得の魔法があるなんて。その美貌と言い、クリフは天に二物も三物も与えられた人間と言えそうですわね。
そのクリフは、真剣な表情で魔法を使っています。
しばらく黙っていましたが、やがて声を殺して笑い始めました。
「……本当だ。全部『毒抜き済。食用可』になっている。俺でなかったら一舐めしただけで昏倒してあの世行きの料理のはずが、ただひたすら美味いだけなのか……くっ、ははは」
…………美味しいと思ってくれてはいるのですね?
なんだか、くすぐったい気分です。
――フィリアは高位貴族の娘。両親である侯爵夫妻は政略結婚で、仲は冷え切っていましたね。お互い愛人を作り、家にはあまりいませんでした。家族と食事を共にするなんて、一年に何回あるかという程度。あっても義務的なものでした。
貴族なら普通だと思い、さびしいとも感じませんでしたけれど。
それは違う、と前世が言っています。
――誰かと一緒、っていうのが大事なんだってば!
そうですわね、前世の彼女もゲテモノ調理が趣味でしたが……その動画の公開を通じて、世界中の色んな人と交流するのも大好きだったのです。
私は思わず微笑みました。
「妙な疑いをかけてすまない。ありがたく頂くよ」
クリフも麗しい笑顔を見せて、食事を再開しています。
毒抜きが済んでいると証明されたからでしょう。あっという間に平らげてしまいました。
一緒に食べてくれる人がいるって、しあわせですのね。
――ポイズンなクッキングだけどね〜ある意味で!
うるさいですわよ、前世の知識さん。
それはまあ、確かに。
生き延びるのに必死で、あまり考えないようにしていましたけれど……
あんなに食べ物が豊かだった日本に、これほど幅広い毒抜きの調理法があるなんて……おかしいとは思いますわ。
――そこは食への探究心が豊富なんだって言ってちょうだい!
前世さん、吠えないでくださいませ。
優雅さに欠けますわ。
✳︎✳︎✳︎
「クリフ。貴方なぜ、あんな場所で倒れていたのですか?」
食べ終わってから尋ねると、クリフは美しい顔をとろかすように笑いました。
……騙されてはいけません。これはアレですわ。相手を煙にまくための笑顔です。
「……聞きたい?」
声もどこか甘い。分かっていても溶かされそうになるのですから、さりげなく狡い人です。自分の外見の利用価値を分かっているとも言えますが。
「言いたくないのでしたら訊きませんわ。私も似たようなものですから」
「そう? 教えてくれないのか?」
「……私はとある国の貴族の娘でしたが、色々あって今はここで一人暮らしをしております」
ぼやかしましたが、一応答えておきました。
「なるほど? 俺もとある国の……まあ貴族の子だが、色々あって命を狙われている。油断してやられてしまったところを貴女に助けられたんだ」
クリフは飄々と肩をすくめます。まるで他人事のような口調ですわね。
「世話になったフィリアを巻き込みたくないので、これ以上は聞かないでほしい。すぐにお暇したいところだが……ただ夜の森は危険だから、朝まで留まることを許してもらえないか?」
それはそうでしょうね。
クリフは毒の無効化が完了し、体調も良くなったようですけれど……夜は魔物の動きが活発になりますから。
と言っても家に泊まるのではありません。軒下を貸してくれればいいと言うのです。
私は一応、未婚の若い女。気を使ってくれたのでしょう。猟師小屋は狭く、玄関を入るとすぐの突き当たりにベッドが一人分あるだけという簡易な造りで、家に入れると必然的に同室になってしまいますし……
「騎士の訓練もしているから慣れているよ。食事の御礼に貴女を守らせてくれ」
「分かりましたわ。ですが、その……」
私は何か言おうとして……軽く頭を振りました。
「いえ……なんでもありませんわ。ですが、クリフ……朝になっても、黙って居なくならないでくださいね」
クリフは驚いたようですが、すぐにうなずいてくれました。
「分かったよ、フィリア。約束する」
「ありがとうございます……おやすみなさいませ」
私は、そっとドアを閉めました。
辺りは、急に静かになりました。
狭苦しいはずの小屋の中が、奇妙にだだっ広く感じられます。
ふらふらとベッドへ横になりますが、目が冴えてしまい眠れません。
……朝になればクリフは去っていくでしょう。
その時、私はどうすればいいのか分からないのです。
いくら毒抜きができると言っても、ここでの生活は綱渡りです。いつまでもは続けられません。
特に今は夏ですから良いのですが、冬を越すのはたぶん無理でしょうね。
クリフは真面目で紳士的な人のようです。頼めば近くの街まで連れて行く、くらいはしてくれると思います。
でも、その先は?
どうにかして実家に連絡を取る?
いいえ、婚約破棄されて国外追放された令嬢が闇の森で毒草や蛙を食らって生き延びていただなんて、大変な醜聞です。
婚約破棄と国外追放は、第二王子が別のご令嬢に心移りした結果、一方的に言い出したことでした。私に瑕疵はないはずですが、相手は王家。必ず名誉が挽回できるとは限りません。フォンテーヌ侯爵家に迷惑をかけるだけ、のような気がします。
……では平民になる?
前世の彼女は平民で、ゆーちゅーばーの他に「あるばいと」という勤めをしていました。こんびに、すーぱー、こーひーしょっぷ、でりばりーぴざ、などなど色々ありましたわね。その知識を使えば、私も平民として生きていけるでしょう。
でも……実は私、身分証明を持っていないのですよね。
前世の戸籍に当たるもの。これがないと、そもそも他国に入国できませんし、仕事に就くことも難しいのです。
クリフなら用意できそうではありますが……いえ、いくら何でも頼り過ぎでしょう。厚かましいというものですわ。
ならば彼とはやはり、ここでお別れした方が……
色々なことがいっぺんに、頭の中をぐるぐると回ります。
何度も寝返りを打ち、ようやくウトウトしかかったところで――
焦げくさい臭いに気付いて、目が覚めたのです。
✳︎✳︎✳︎
明け方の薄暗い室内に煙が漂っています。
――火事、でしょうか。
一体なぜ?!
ドン、ドンとドアを叩く音がします。
「フィリア! 起きてくれ!」
クリフの叫び声が聞こえました。
私は慌ててベッドを降り、靴を履きます。
「クリフ! 今、そちらに行きま――」
声を出した途端、煙が喉に流れ込んでケホケホと咽せてしまいました。
――煙は上に行くから! 身体を低くして外へ出て!
前世の知識に従って、這うように移動します。
「フィリア!!」
バンッ! とドアを蹴破ってクリフが飛び込んできました。私を抱え上げ、再び外へ駆け出します。
「クリフ、これは一体――きゃあ?!」
薄明を裂いて何かが飛んできて、悲鳴を上げてしまいました。クリフが剣を振って打ち払います。
落ちた物を見ると、真っ二つになった矢です。
狙われている?
魔物ではなく、人間に?
「すまない……俺のせいだ」
クリフが苦い声でつぶやきました。
――色々あって命を狙われていると、彼は言っていましたわね。
刺客に襲われ、小屋にも火をかけられてしまったのでしょうか。背後からパチパチごうごうと、物が燃える音が聞こえてきます。
「じっとしていてくれ」
ヒュッ、とまた矢が飛んできます。クリフが剣を振るって、それを防いでいます。
嫌な予感がしました。
もしかしなくても、クリフは私を守ろうとして動けないのでは?
――ヒュッ!ヒュンヒュンヒュン!
続けざまに矢が飛んできて、悪い予想が現実になりました。
私は急に突き飛ばされて地面に転がりました。
がきん! と鋭い金属音が響きます。
顔を上げると、クリフが黒ずくめの服をまとった刺客と戦っているところでした。
クリフは一歩も引かずに剣を操っています。
ですが刺客は三人もいました。
全員がナイフを持っています。それこそ、刃には毒が塗ってあるかもしれません。
「…………!」
その時、木立の間から刺客がもう一人現れました。
私は咄嗟に背を向けて逃げ出します。
怖かったからではありません。
クリフの足手まといになりたくなかったのです。
もう一人の刺客は女から始末しようとしたのでしょうか? 素早く追いかけてきました。
私は燃える猟師小屋の裏へ回り込み、そこに置いてあった桶を手に取りました。
そして間近に迫っていた刺客に投げつけます。
刺客はもちろん鍛えているのでしょう、素晴らしい身こなしで避けましたが――
――ばしゃーん!
中身までは避けられず、いくらか顔に掛かりました。
私の狙い通りです。
桶の中身は、ただの水ではないのですから。
「ぐわああああ!」
刺客が急に苦しみ始めました。
目元を掻きむしっています。目に入ったのかもしれません。
それでも刺客は仕事をしようとしたのか、ナイフを振り上げましたが――次の瞬間、後ろから駆けてきたクリフに剣の柄で殴られて崩れ落ちました。
「フィリアッ! 無事か?!」
血相を変えているクリフを、私は急いで制止します。
「いけませんクリフ! 近寄らないで!」
私は早口で説明します。
桶に入っていたもの。
それは、後でまとめて捨てに行く予定だった、毒抜き後の廃用液なのです。
つまり……
「ズィーゲルフロッグとマンドレークニセニンジンとガルムイモと龍牙茸が程よくブレンドされていますわ」
「ああ、それは怖いな。でも大丈夫だ」
クリフは泣き笑いのような表情を浮かべました。
「フィリアが今、言っていた毒……俺は全部盛られたことがあってね。同じ毒は二度と効かない。しばらく動けなくなるのも最初の一回だけだよ」
そう言って、彼は無造作に近付いてきて私を抱き締めました。
「だけど、貴女はそうじゃない……無事で良かった。また俺のせいで誰かが死んでしまうかと思った」
「クリフ……」
彼の身体から、血と煙の匂いがしました。
襲ってきた刺客は、クリフが斬り倒したのでしょう。私が刺客一人に追われるわずかな間に三人ともやっつけてしまうなんて、きっと剣の腕が立つ人です。
でも私に触れている手は、少し震えていました。
彼はこうやって襲撃されても自分の力で切り抜け、毒を盛られても跳ね返して、今日まで生き延びてきたのでしょうか。
時には、彼の周りにいる誰かが犠牲になったことも……?
根拠はありませんが悲しい想像をしてしまい、私は彼の手を振り解くことができませんでした。
夜が白々と明けるまで、私達は寄り添ったままでした。
✳︎✳︎✳︎
猟師小屋は完全に焼け落ちてしまいました。
小さくて、狭くて汚くて、雨漏りするところもあって、掃除してもカビ臭さが取れなくて……でも二か月もの「さばいばる生活」でお世話になってきた、私の大事なすみかでしたのに。
黒焦げの燃えかすしか残っていません。
もう住むことはできないでしょう。
私は小屋だったものの前に立って、これからのことを考えました。
こうなっては仕方ありません。森を出るより他になさそうです。
でも……
「――フィリア」
声をかけてきた彼を、私は目を細めて見つめました。
……本当に着いていってもいいのでしょうか?
心配そうに私を見る彼の背後には、何人もの騎士の姿があります。
彼を探しに来た部下の方々、だそうです。
――私が思っていたよりも、彼はずっと身分の高い人でした。
騎士達の恭しい態度。
そして彼を「ヒースクリフ殿下」と呼ぶのを聞けば、私にだって分かります。アストニアと闇の森を挟んで隣にある大国、ベルーザ王国の王弟その人だと。
もう気軽に「クリフ」だなんて呼べません。
身分制度は厳格なものです。
正式な名前ではなく愛称を呼ぶだなんて、よほど親しい間柄に限られます。
もっと言えば、今の私は侯爵令嬢の身分を剥奪されています。貴族令嬢として振る舞うのも可笑しな話ですわね。
平民の女なら王族には平伏しなければなりませんが……彼のまなざしがなんだか寂しそうで、私がそんな態度を取ったら悲しませてしまうような気もするのです。
ああ、いけないわ。
一度にたくさんのことが起こりすぎて、うまく考えがまとまりません。
「行こう、フィリア」
手が差し出されました。
私がまだ戸惑っていると、彼はさりげなく私の肩を抱き寄せました。
「……え?」
騎士の一人が馬を引いてきました。
彼はひらりと馬の背に飛び乗り、有無を言わせず私も引っ張り上げて、自分の前に乗せてしまったのです。
――なんてことを?!
私は、声にならない悲鳴を上げました。
「いけません! 貴方のような御方が」
「良いんだ。貴女を置いていくなんてできない。他の奴に任せる気にもなれない。乗馬の経験は?」
「な、無くはありませんけど……こんな大きな馬は」
妃教育を受けているフィリアは一応、馬に乗れます。ですが貴族女性はおとなしい小さめの馬を使い、横乗りをするのが普通です。
今、乗せられているのは軍馬でしょうか。馬体が大きいので視点が高くて、正直怖いです。
ふるりと震えたのが伝わってしまったようで、彼が笑って私を抱え込むようにしました……あああああ、不味いですわ! 色んな意味でクラクラします!
「ま、待ってください。私、行くなんて一言も」
「少し飛ばすから掴まっていてくれ。――行くぞ!」
混乱する私に構わず、号令が下されて一行は出発しました。
――どう見ても誘拐です?! ありがとうございました?!
前世の記憶も混乱したのか、よく分からないことを口走っていました。
✳︎✳︎✳︎
そこからは怒涛の展開でした。
クリフに闇の森から連れ出された私は、色々ありすぎた上に気が緩んでしまったのか……ベルーザ王国に入ってすぐの町に着くなり、熱を出して倒れてしまったのです。
しばらくの間は意識が朦朧としたまま半分以上、夢の中にいるような感じでした。
特に病気ではなく過労と栄養失調だったようです。
それは「あうとどあ」で鍛えていた前世と違って、今世の身体はかよわい貴族令嬢でしたものね。
もしクリフと出会うことなく火事に遭わなかったとしても、私は遠からず限界を迎えていたことでしょう。
極限生活のあまり、状況が見えていなかったようです。反省ですわね。
それで町と、その近隣を治める貴族――ベルーザ王国の伯爵家です――のお城で侍女に世話をしてもらって少しずつ回復し、ようやく起き上がれるようになったところで。
由々しき事態に気づきましたわ。
私、いつの間にかクリフの恋人扱いをされているのです。
イヤおかしいでしょ!
こんな傷物のゲテモノ女ですわよ?!
正体不明の私を保護する際に、恋人ということにした方が通りが良かったのかもしれませんけども……やり過ぎです!
おまけに周囲の皆さんは、なぜか熱烈な祝福ムード。
あんな美貌で頭も良く剣の腕も立つクリフですのに、今までコレと言ったお相手がいなかったそうで。
それが私にはメロメロだということになっていまして、よくぞ彼の心を射止めてくれました! という感じ。
結婚も秒読みだと思われています。
あり得ませんわ!
私ですわよ?!
陰険で根暗で性悪な魔女みたいと言われ続けた、悪役令嬢――いいえ、悪食令嬢です!
なんですか、私に骨抜きって。
食材の毒抜きの間違いでしてよ!
文句を言いたいところですが、クリフは今ここにいません。
お世話をしてくれる侍女に尋ねても、はぐらかされてしまいます。
「ヒースクリフ殿下のことがご心配ですか? 大丈夫ですわ、フィリア様のために頑張っておいでですから――」
ちがーう!
違いますわよ?!
ああもう話が通じませんわ……!
「クリフ、早く帰ってきて……」
私は頭を抱えて呻いてしまい、侍女から大変微笑ましいものを見る目をされました。
だから違うと言っていますのに!
早く彼に会って誤解を解きたいだけですわ!
✳︎✳︎✳︎
じりじりしながら待つこと、十日ほど。
ようやく彼が伯爵の城へやってきて、会うことができました。
「会いたかったよ、フィリア」
とても晴れやかな笑顔で、クリフ――いいえ、ヒースクリフ殿下が言います。
私はつい、食べられない毒虫を見るような目をしそうになってしまい、さりげなく視線を逸らします。
「……私もお会いしたかったですわ。色々とお話したいことがあります」
彼は鷹揚にうなずいて人払いをしました。
もっとも結婚前の男女ですから、ドアは少し開いていて侍女が控えていますけれど。
私がソファに腰掛けますと、彼は当然のように私の隣へ座りました。
距離が近いですわよ?!
「あまり人に聞かれたくない話をするから。少し付き合って」
そう言われると反論しにくくなります。
彼が、縁もゆかりもない私を助けてくれたのは事実。
多少やり方が強引ではありましたが……。
貴族は名誉を大切にするものです。私は彼にとても大きな借りがあり、何を求められても差し出すしかない状態ではあります。
……なんでしょう、どんどん外堀を埋められていくような。
気を取り直して咳払いをしました。
「何を考えていらっしゃるのですか。このままでは本当に私などと結婚する羽目になってしまいますわ」
「一番丸く収まると思わないか?」
「どこがですの、私は身元の知れない他国人で」
「アストニア王国のフォンテーヌ侯爵令嬢だよね?」
「……ご存知だったのですか」
「調べれば分かることだよ」
どうもヒースクリフは責任を感じ、あれこれ調べてくれたようですわね。
私の身元を突き止めてお父様に連絡を取り、さらには私の名誉を回復させるべく動いてくれたそうです。
「ですが私は婚約破棄されて国外追放された上、闇の森で毒草や蛙を食らって生き延びていたような女ですわよ?」
醜聞まみれの私はヒースクリフにふさわしくありません。
そう言ってみたのですが。
「貴女は闇の森へ置き去りにされた直後に俺と出会って、その後はずっとこちらの伯爵家に匿ってもらっていたことになっている。伯爵は俺の母の遠縁でね、了承してくれているよ」
「そんな強引な」
「アストニア王国で起きた出来事については、そもそもフィリアに非はない」
それは……その言葉は嬉しいですけれども……
「……貴方に何もメリットがないでしょう。私なんかと結婚しても」
「あるさ。一目惚れした素敵な女性と結婚できる」
「――――へ?」
令嬢らしくない、とても間抜けな声が出てしまいました。
彼を見上げますと、柔らかく微笑んでいます。
――は、反則ですわ、その顔は?!
「闇の森で目を覚ましたら、花畑に貴女がいただろう? あの時からだ。白い花の妖精かと思った」
「え、えええ…………」
本当に最初の最初ではありませんか。
「それに優しく怪我の手当までしてもらった」
「ぐ、具合が悪そうで気になっただけです!」
「俺が知っている貴族の令嬢はそんなことしないよ」
「うっ、それは……」
……前世の彼女は大人の女性で、男性と交際していた経験も人並みにありました。
森での私はかなり前世に引っ張られていましたので、彼の服を緩めるのも手当をするのも恥ずかしくはなかったのですが……艶めいた意図はなくて、全部脱がせたのでもありませんし……
しかし今、思い返すと確かに普通の貴族令嬢なら、男性の服をはだけさせるなんてしませんわね。
――と思ったのですが。
「いや。自分で言うのもなんだが、俺は女性に追いかけ回されて参っていた時期があってね」
彼が苦笑いをします。
「部屋や馬車に、見たくもないはだ……あられもない格好の令嬢が待ち構えていたり、儀礼的な挨拶をしただけで身籠ったことにされたり、酒や薬を盛られて既成事実を作られそうになったりするのもしょっちゅうだった」
「……大変でしたのね」
ベルーザ王国の貴族女性はずいぶんとただれた……げふんげふん、積極的なようです。隣国でも文化が違うのでしょうか?
「だから、俺が動けなくなっているのにフィリアが丁寧に普通の手当だけしてくれて感動したよ。妖精どころか天使だと思った」
何やら出世?しておりますわ……
内心で呆れておりますと、彼はますますニコニコして続けます。
「極めつけが、あの料理だったな」
「……ただのゲテモノではないですか」
この麗しい王弟殿下に、毒抜きした蛙だの毒草だの毒キノコだのを食べさせたのですよね、私……
今更ながら遠い目になってしまいますわ。
「そんなことはない。あの森では食料はとても貴重だったはずだ。フィリアは俺の身分を知らなかっただろう、なのに食べ物を分けてくれた。手間暇をかけて料理までして。それにね、かつて散々苦しめられた毒を美味しく頂いているんだと思うと愉快で仕方なかった」
……満面の笑みって、こういうのを言うのでしょうね。
アストニア貴族はあまり感情をあらわにしないように教育されるのですが、ベルーザは違うのでしょうか。
――この時は分かりませんでしたけれど、後で侍女が教えてくれました。
『ベルーザ王国も同じです。特にヒースクリフ殿下は女性にすり寄られても、一切顔色を変えないことで有名でした。あんな明るいお顔は初めて拝見しましたわ』と。
そう、ヒースクリフは、私の前では本当に上機嫌なのです。
とにかく容姿が整っているものですから、笑顔の破壊力は言うまでもありません。
まともに見ていられないので、私は目を伏せていたくらいです。
が、彼は私の顔を覗き込むようにして言いました。
「その時に確信したんだ、貴女は俺の女神だって。結婚してほしい」
妖精から始まって女神ですか……
前世で言う「わらしべ長者」もびっくりですわね。
――ヒースクリフは一見すると恵まれた境遇でありながら、実際はかなり苦労してきたのでしょう。
私に求婚したのも遊びではなく、貴族らしい美しい女性に見飽きてしまって「おもしれー女」枠に目移りしたという単純な話でもなく、真剣に想ってくれているのは分かります。
ですが……だいぶ私を美化しすぎでは?!
私が返事をしないので、ヒースクリフは少し焦ったようです。
「……フィリア、俺ではいけないか? 誰か好きな男がいるとか」
「いえ、おりません。私は幼い頃から婚約者がおりましたので、言い寄る男性もいませんでしたわ」
「じゃあ何がいけない? 全力で口説いているつもりだが」
「貴方がどうこうではなくて。もう誰とも結婚せずに、平民として生きていこうかと思っていたものですから」
「それは駄目だ。貴女は心が綺麗すぎる。悪い男に騙されたりしたら目も当てられない!」
騙されるのが前提なのでしょうか?
前世の記憶が蘇ったことは誰にも言っていませんから、世間知らずの令嬢が強がっていると思われても仕方ないですけれども……
でも、せっかくなら日本で得た知識や経験を生かしたいのですわ。
――別に、こだわらなくてもいいんじゃない?
前世の意識が、不意に語りかけてきました。
――今世のフィリアにも、十七年の人生で身につけた知識や経験があるんだよ? あの顔だけクソ王子の奥さんになるつもりでたくさん勉強してたじゃない。こっちのイケメンと結婚する方が無駄になんないよ?
……意地悪ですわ、前世さん。ここで梯子を外さないでくださいませ。
――だってフィリア、あの人が嫌いって訳じゃないよね?
……………そうですわね。
私は溜息をつきました。
そう、彼女が言う通りですわ。
私だって、最初に彼と出会った時から……
じんわりと頬が熱を持ちました。たぶん赤くなっているでしょう。
私は表情を誤魔化すように俯いて、これだけは言いました。
「……敢えて申しますけれども、闇の森に咲いていたあの白い花はズィーゲル草と言って歴とした毒草でしてよ。煮ても焼いても食べられませんわ」
「そうか。名前はもちろん知っているし何なら煮詰めたエキスを飲まされたこともあるが、花の姿は知らなかった」
ちっとも悪びれませんわね。
「可憐で美しいのに、本当は毒があって強かで生き延びる知恵に長けている……俺はそういうフィリアがいい」
……本気で言っているのですね。
もう信じるしかないようです。
「貴方こそ身分があってハンサムで頭も良くて、剣の腕も立ちますのに。女性の趣味だけは変わっていますわね……クリフ」
あえて愛称で呼びますと、クリフも気付いたようです。それはそれは嬉しそうに口元を緩めました。
「悪食同士で似合いだと思わないか?」
……そんなキラキラした空気を出さないでくださいませ!
ぶんぶんしっぽを振る犬みたいな目つきをしても格好良くて、その、なんというか――私の好みの一番真ん中だなんて!
どういうクリフでも素敵だと思ってしまうのですから、私もずいぶんとチョロい女だったようです。
嬉しい一方で、恥ずかしくてなりません。
私が顔を隠して横を向きますと、クリフは何か勘違いをしたようで、たちまち狼狽えて私の機嫌を取ろうとしました。
その様子をドアの陰から見ていた侍女の口から「ヒースクリフ殿下は既に恋人の尻に敷かれている」という噂が広まっていくことになります。
――この時、クリフは既に私を逃すつもりなんて、これっぽっちもなかったらしいのですが。
私が恋人の手強さと、本気になった場合の執念深さを思い知るのは、だいぶ後になってからでしたわね。
こうして私は王弟殿下にゲテモノを食わせたのに、なぜか気に入られてしまいました。
それからの私……今世のフィリアは、と言えば。
ヒースクリフことクリフと婚約したり結婚したり、社交界に出たところ嫌がらせのつもりか飲み物にただの小さな雨蛙を仕込まれたり(もちろんノーダメージですわ)、ちょいと摘んで逃してやったら周囲の自称貴婦人方からドン引きされた上に、雨蛙が妖精に変身して私に懐いたものですから、畏怖されてしまったり致しました。
あれは少々びっくりでしたわね。
意図せず社交界を制圧してしまいましたし。
他にも……そうですわね、前世にあった食べ物――味噌や醤油、くさや、しゅーるすとれみんぐ、などなど――を再現してみたら毒愛づる姫と呼ばれるようになったり、やっぱり君を一番愛しているんだと押しかけてきた元婚約者にポイズン食材な手料理を振る舞って撃退したりと、さまざまな出来事が起こるのですけれど――
それはまた、いつかお話致しましょう。
クリフはいつも笑顔で私を抱き締めて「フィリアはやっぱり最高だ。貴女が一緒だと毎日が楽しくて仕方ない」と言ってくれます。
理解と包容力のある悪食な旦那様で、私も毎日、大変幸せなのです。
ですから、まあ、その他は全て些末なことですわ。