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エンディングB「抵抗」

 あたしは不意に、金属音を聞いた。


 二重になっている資料室のドアが開かれる音だ。そう理解して、あたしはパッと瞼を開いた。

 ちょうどあたしは扉に対峙するような体勢をしていていて、だからこそ扉が開いていることがすぐに分かった。

 予想だにしていなかったのだろう、耳元で小さく彼がつぶやく。

「なんなんだ……」


 と同時に、首の圧迫が消え去った。あたしは思わずせき込み、床にひざをつく。

「おい、お前……見てこい」

 彼は、――鈴木は、あいも変わらずあたしに銃口を向けている。けど、その顔は恐怖によってひきつっていた。

 理由はわかった。

 ドアは蟻には開けられない。半開きではあるけれど、開けられるのは人間くらいだ。つまり、彼は何者かが入るのをみた。そういうことだ。


 でもなんで、そんなに怯えているのだろう。銃を持つ人間より怖いものがこの世にあるもんか。


「早くしろ!」

 鈴木の罵声が飛んで、あたしは意を決した。なんでもいい。銃で打たれるよりはマシだ。

 あたしは駆け足で扉に向かい、一気に開いた。飛び込む。


 ……けれどあたし、床に転がるだけだった。

 人もなにもいなくて、当然アリんこ一匹いない。拍子抜けしつつ隅々を見渡すも、やはり何もいない。

「ゆ、幽霊?」

 酷く間の抜けた声が出た瞬間、背後から銃声が鳴り響いた。

 反射的に背を丸める。銃声は二度、三度と続いた。弾が切れたのか、カチカチという音と共に、今度は床が振動した。資料室のありとあらゆるものが床に落ちて壊れるような破壊音、そして鈴木が何かにあらがっているような声が聞こえ――、悲鳴があがった!


 体の中にある全ての声をぶちまけたような叫び。それがあたりに散らばり、資料室に反響する。


 まるでなにかと格闘しているみたいだ。

 再び、銃声!

 あたしは突然の事態を震えながら耐えた。永遠に続くかと思ったけれど、次第に音は小さくなり、やがて嵐が過ぎ去ったように静まりかえった。

 ……沈黙の後もうずくまり、静けさに耳鳴りと孤独を感じた頃、あたしは恐る恐る資料室を覗いた。


 横目にみた中は、大地震にでも襲われたように全てが床に転がり、散乱し、破壊されていた。

 じわじわとあたしは扉を開ける。少しずつ鉄の扉が移動し、視界が開けていく。


 鈴木が床に横たわっている。

 そして赤い何か彼の上に覆い被さっている。


 瞬間、考えるよりも先にあたしは資料室に入り、鈴木のもとへと駆け寄った。

 鈴木の眉間には、ぽっかりと穴が開いていた。そこを中心として、赤い血だまりが羽を広げている。死んでいることは一発で分かった。


 なるべくそれを見ないように、あたしは鈴木に覆い被さる“彼”に近寄り、叫んだ。


「こっ、こっ、高坂さん!」


 高坂さん。階段の上でアリに襲われ、絶命していたかに思えた彼は、実は生きていたのだ。


 あたしに気づいて、高坂さんが痺れるように動く。そして痛みに耐えながらも、あたしに視線を向けた。

 食いちぎられて瞼はない。目玉を動かしてくれた。頬も唇もない。皮膚もない、肌がむき出しで。血塗れで。


 鈴木に復讐しに来たんだろうか。それとも鈴木を止めに来たんだろうか。それとも。

「ありがとうございました……」


 あたしの唇から、ごく自然にこぼれたのは感謝の言葉だった。高坂さんはそれを見て、再び痺れるように動いた。

 食われた唇の根本が揺れる。標本のような歯が揺れて、喉の奥から呻きが吹き出す。しゃべっているのだ。

 だけどあたしには高坂さんが何を伝えたがっているのか分からない。


 自分の声が人間としての声をなしていないことを高坂さん自身も気づいたのか、今度は指を動かし始めた。

 ところどころ骨の見える指。中には骨に肉が付いているとしか思えない指さえある。それを懸命に、高坂さんは動かす。

 嗚咽したい熱い感情を無理矢理飲み込んで、あたしはそれを凝視した。酷い光景に鼻の曲がりそうな臭い、それでも不思議と吐き気はわかないのは、彼の必死さが震えるほど伝わるからだ。

 彼は少しずつ、少しずつ、床になにかを綴り始めた。


 あぃ


   ヶ


  く。3



「あり…か…く……る……、アリが来る!?」

 高坂さんが頷き、何かを付け足す。



 に け ろ


 あたしは反射的に立ち上がった。高坂さんがじっとこちらを見つめている。


 道しるべフェロモン。

 高坂さんの体は、アリを餌へと導くフェロモンで覆っわれている。

 自分をめがけてアリがやってくる。それを伝えたがっているのだ。


 血の池となった床。散らばった肉片。血と脂でつづられたメッセージ。


 高坂さんの目が、虚ろに震え始めた。死期が近づいている。数分後か、それとも数十秒後か。

 最後の力を振り絞り、高坂さんは鈴木を殺した。そしてあたしに生きる道しるべを刻んだ。

 あたしは、あたしは。


 目を背けていた鈴木の死体をまさぐり、あたしは車の鍵を探した。ポケットからそれをまさぐり、握りしめる。ライトに殺虫スプレーも二缶、手に持った。

 きびすを返す。

 あたしは血塗れの二人に背中を向けると、資料室を飛び出した。


 薄暗く狭い廊下をひた走る。わずかな明かりと記憶を頼りにあたしは地上を目指した。

 階段が目にとまる。一気に駆けあがる。高坂さんが倒れていた場所まで足をのばそうとして、とめる。


 アリだ。アリが床を蠢く、乾いた耳が鼓膜をすり抜けた。

 一歩下がり、あたしはライトをかざす。悲鳴が喉をついた。高坂さんが倒れていた場所が、アリの群で黒く埋もれている。

 逃げてきた高坂さんを追ってきたのだろう。地上へと続く階段はびっしりと小さな悪魔に染められていた。そいつらはとめどめのない水のように下へ下へと歩を進めていく。


 あたしは階段を上ることを諦め、引き返した。走りながら地上への探す。幸運にも非常口があるらしいことを、廊下の淡い蛍光塗料が教えてくれる。

 早く、早く早く。

 儚い蛍火のようなそれが指し示す場所へと、あたしは床を蹴り、ひたすら走る。

 早く、早く早く、早く!


 ――突然、目の前に濃紺が開けた。

 あたしの喉を、地下の湿っぽい空気ではなく、爽やかな風が吹き抜け、肺がキュッと締まる。外に出たと理解するのに、あたしは少しの時間を要した。


 まだ暗い早朝であったものの、外は平和そのものだった。雨はやみ、雲はあたりにちぎれてしまっている。

 あたしは駐車場のちょうど裏側に出たらしく、遠くに鈴木の車がみてとれた。


「助かった」

 ホッとしたのもつかの間、不意に痛みが走った。針で刺したような独特の痛みに、デジャブを感じる。

 目を落として痛みの場所を確認する。サンダルから覗いた親指に一匹、噛みついていた。

 殺虫スプレーを噴射する。アリがこぼれ落ちた。まだ上ってくる。更に噴射する。


 あたしはバカをした。アリは駐車場のアスファルトに紛れて、大量に蠢いていた。確認を怠ったことを後悔してももう遅い。

 泣き叫び、噴射し、助けを呼び、よろめき、車へと逃げる。どこもかしこもアリだらけ。

 針のような痛みが、足の指、甲、くるぶしへと広がってゆく。痒い。痛い。助けて。だれか助けて。


 ついにあたしの胸元まで、アリが浸食し始めた。もう遅い。なにもかも遅すぎた……。

 あたしは膝をつき、アスファルトに倒れ込んだ。


 死にたくない。死にたくない。


 羊を数えるようにそれだけ心で念じた。何度も、何度も。

 生きたい。



 ……。

 …………。

 乾いた音だけ、静けさの中、あたしは痛みが全身を襲い、覆い、あたしのすべてとなってしまうのを待った。それなのに、いつまで経っても“その瞬間”が来ない。

 どういうことだろう。あたしはショック死でもしてしまったんだろうか。


 薄目を開けて、現状を伺う。そしてその瞬間、あたしの運命は決まった。


 アリたちがみな、電気に打たれたかのように震え、あたしの体からこぼれ落ちていた。信じられずあたしは、ゆっくりと大地に手のひらをついて体を起こし、360度を見渡した。

 あたしの視界に入る全てのアリたちが、神経でもぶち壊れてしまったかのように体を痙攣させている。

 意味が分からない、けどあたしは生きている。


 頬にジンと暖かさを感じた。首を傾げると、眩しい。

 山の稜線の向こうから、光の矢がひとすじ、あたしに向けて放たれていた。朝になったのだ。

 ……朝、そうか。


「アリは、太陽の光に弱かったんだ」

 立ち上がり、車へと近づく。あたしの閃きを後押しするように、光が全く当たっていない車の隅、闇の部分のアリたちはまだ威勢よく右往左往していた。殺虫スプレーをかけると、やはりそれも力なく粉のようにこぼれた。


 車のドアを開けて鍵を使い、エンジンをかける。車はなんなく応えてくれた。走れると。

 ハンドルを握りしめ、あたしはもう一度、朝日の灯り始めた世界を見渡した。アリで埋もれた世界は黒く、どこまでも続いている。

 夜の闇の中、確かに彼らは最強の生物だった。世界は餌の蔓延る楽園だったに違いない。

 だけれど光の射し込む今、ここはあたしたちの場所だ。


 ギアを変える。ザラザラという感触はあるものの、スピードは出せそうだ。あたしは走りだせる。


「おいしいだけじゃ、ないんだから……」

 あたしは呟き、アクセルを踏み込んだ。


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