表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第四話「豹変」

 資料室は、あたしの想像とはちがう姿をしていた。

 図書館のような形をしているんだろうなと思っていたけれどそうではなかった。


 どちらかというと理科室みたいだ。虫や化学分子の模型が並んでいて、大きいコンピューターが数台設置されていて、あたしの頭の中にあった

「資料」という言葉とはだいぶ離れている。


 人が入ったのを察知したのか、パッと明かりが灯った。

 床に目を配ってアリがいるか確認する。

 いない。

 いないことが確認できると、あたしはようやく力を抜いた。すぅっと憑き物でも落ちたみたいに恐怖が昇華する。


「資料室っぽくないですね。今はパソコンが管理する時代、ってやつなんですか?」

 安心して、なんとも気の抜けた台詞が出てしまう。鈴木さんは聞こえなかったかのように淡々とコンピューターの電源を入れた。

 あたしはぼうっと鈴木さんの背中を見つめる。


 休もう。

 机に腰掛けると、今度は恐怖の代わりに不思議さが湧いてきた。


 街から絶え間なく上がっていた悲鳴と、先ほど見た凄惨な男性の姿、寒さを感じ始めたびしょ濡れの体。

 それらに比べて、資料室は驚くほど平和だ。システムの強固さ、なにより鈴木さんの様子をみる限り、安全は絶対的に確証できるだろう。

 平和すぎて、むしろあたしが体現した事実の方が夢のようだ。


 酷すぎる、悪夢。


 あの中に、あたしの日常の全てがあったのだ。

 頭の中に次々とみんなの顔が浮かぶ。家族、は、離れた場所にいる。きっと安全だろう。問題なのは……。


 友達の顔。

 教授の顔。

 バイト先の人の顔。街で出会った人の顔が浮かぶ。


 遠い北海道を離れて不安一色だったあたしを迎えてくれた優しい顔。

 嫌なこともあったけど、楽しくないと思ったことはなかった。


 特に親しい友達の名前が自然と唇から溢れてくる。

 一人だけ安全な場所に来てしまった。

 あたしは最低だ。携帯でも持ってくれば良かった。

 パジャマ一枚、これじゃ誰とも連絡取れないじゃん。


 みるみるうちに思い浮かべた人たちに黒が浸食する。黒が彼らを完全に塗りつぶすと、次にあの死体が現れた。

 男だったのか女だったのかさえ判らなくなった、剥き出しの肉体。破壊されつくした皮膚に、赤茶色い歯と、濁った目玉がクッキリとそこにある。

 それは、どうしてあなただけ生きているの、と言っているみたいだ。


 こみ上げる吐き気と苛立ち、涙。

 荒れた海のように悲しみがさざ波をたて、全身が打ちひしがれて痺れる。

 あたしだけ逃げてしまった、あたしだけ。あたしだけ。


 氾濫する感情に溺れかけながら、あたしは自分の体を掻き抱いた。


 と、その時だ。


 振り下ろそうとして意外な事態に体が停止してしまった。


 最初はなんなのかわからなかった。

 静かな部屋に不釣り合いな音が耳に入り込んできて、あたしは周囲を見渡した。


 鈴木さんだった。

 鈴木さんが地鳴りのような叫び声をあげてる。いやちがう、体をそりあげて腹の底から笑っている。


「す、鈴木さん?」

 鈴木さんは息もできないくらいに狂った笑いをあげながら、あたしを制すように片手をあげた。

「ふっ、ふふふっ……あはっ」

「なにがそんなにおかしいんです?」

 あたしはあたしの質問の意味さえ分からない。だって外はアリによって大パニックが起きているんだ。笑う要素なんてひとつもないんだから。


「おか、なんでおかしい、かって?」


 喘えぐように息を吸い、あたしを射る彼の視線はゾッとするほど黒目が大きい。

 鈴木さんは吐き出すように言葉を床にぶちまけた。

「ざまーみろッ! 俺の研究をバカにしやがって!」


 耳を疑う。なに? なにを言ってるの?


「地下には人喰いアリがいたんだ。信じないバカどもはみんな死んだ! 高坂をみたか? 肉団子! 人間肉団子だ! 俺をバカにした報いだ!」


 バカにされたから? 信じてもらえなかったから笑ってるの?

 なにを言ってるの?


「そんな、笑ってる場合じゃあ」

「大丈夫だって」

 あたしを遮って鈴木さんは喋り続ける。

まるで自分の自慢話に酔った子供のように。

「朝には俺の薬が出回って世界を救うさ。人喰いアリには鈴木の殺虫剤をどうぞってな。あのアリには通常の殺虫剤は効かない。みんな俺の薬に頼り、群がるしかない、アリのようにね。……俺は大金持ちさ」


 再び、嫌な予感がフツフツとあたしの中で存在を誇示する。

 そういえば鈴木さんはやけに冷静だった。安全なルートを知っていた。一人で街を出ようと車を飛ばしていた。あたしは偶然通りかかって。

 時折、鈴木さんは笑っていて……。


「鈴木さん、アリが出てくるの、知ってたんですか」

「うん」

 悪びれなく鈴木さんが微笑む。

「アリが出てくる場所も知ってましたよね」

「そうだね、それがどうかしたの?」

 あたしは後ずさった。さっきから鈴木さんに感じていた違和感がカチカチとひとつの答えを形作っていく。


「アリを地上に出したの、鈴木さんなんじゃないですか?」

 鈴木さんは全く表情を変えずに言い切った。


「ご名答!」


 次の瞬間、あたしは平衡感覚を失った。なにが起こったか、首に圧迫感がある。


 目を開くと、耳元でカチリと何かが音をたてた。視線を移動させる。

 拳銃。拳銃だ。羽交い締めにされて、拳銃をこめかみに当てられてるの?


「君は運が悪いよね。せっかくプールの場所を教えてあげたのにさ、意地になってついて来て。挙げ句にアリの話をしてさ、思わず地盤沈下位置の話しちゃったもんなぁ」

 後頭部に鈴木さんの吐息がかかりゾワリと鳥肌がたつ。心臓の音が指先まであたしを振動させる。

過呼吸。

「お陰で俺は殺人もしなきゃいけなくなっちゃった。でもいいよね、アリに喰われるよりは」

 ボロボロと涙がこぼれる。ただただ立ち尽くす。

 耳元で、拳銃がカチリと、冷たい音をたてる。


 あたしは目を閉じると、大きく息を吸い込み、……そして。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ