11 技芸の想い
「ただいまぁ。あ、僕にもお茶をちょうだい」
カリンが帰って来たのは、太陽の道が海に走り、細い弦月が薄闇に浮かぶ頃だった。
夕食には少し早く、各自のんびり過ごしている時で、とてもじゃ無いが、ラスボスの居城まで乗り込んでやろうとしている集団には見えない。
カリンはモリヤに熱めのジャスミン茶を淹れてもらうと、クッションの良いソファーにどっかりと腰を掛ける。
ソファーとお揃いの猫脚オットマンを、すかさず用意しちゃうモリヤは執事業務が板について来たと思う。
「ティティに会う前、ガレール公に会っちゃってさぁ。ちょっとだけ王城が大騒ぎになっちゃった」
「おや、まぁ。レイティティア嬢は、今アルディアの王城でしたか」
そう言ってからロウは、グテっと脱力するカリンに、行儀が悪いと注意しながらも、茶菓子の乗ったトレーを出してあげている。
良いなぁ。私は夕飯目前だから駄目って言われたのに。
記憶を取り戻してから身体も成長したけど、食事の量は相変わらずで、一度に沢山は入らない。
ーーーーぐぬぬ。
「確か••••3日程前までは、ジンライ帝国からの依頼で、東の大陸に行っていたと記憶しておりますがーーーーそうですか、順調にお役目を果たしているのですね」
彼方此方と、飛び回っているティティは花冠の乙女と言う重大な役目を果たしている最中だ。
ただ、神殿の管理する転移魔法、及び神殿に設置されている転移門を使用する許可が下りている為、移動に手間が掛からない。
今は、アルディアに戻って、休憩中といった所だ。
私が何で知っているかと言えば、精霊を通じてやり取りが出来るようにしてあるのだ。
ーーーー要は、精霊型携帯電話みたいな感じで。
一番適正の有った時空の精霊は、とっても数が少ないので、精霊携帯は私とティティの間を繋いでくれる二体しかない。
試験段階な事もあり、大変貴重なのだ。しかも、あまり頻繁に使えない。
だから今回のお使いは、カリンにお願いしたんだけど••••
「流石に女の子の部屋にいきなり登場!って訳にはいかないし、まずは後宮の入口に出たんだよね。そしたら、ガレール公が丁度そこにいたんだ。物凄ーく吃驚されちゃって、オマケに王様に会う羽目になったよ」
うん、まぁ••••女神と契約している上級精霊がいるんだもの。吃驚するし何かあったのかと勘ぐるよねぇ。
特に、今回の件は、死の谷も管理するガレール公にとっても関わりが無いわけではないし。
「退位目前の王様には、騒がしくて悪いけど、詳しい話はフィアの側近がするって言って、ガレール公にはティティも交えて話してきたよ。要望は、二つ返事で了解を貰ったから。琅かん翡翠も幾つか見繕っておくって。それからーーーーはい、これ」
カリンがソファーから立ち上がって、私の目の前に来る。ニンマリ笑って、これなーんだ?と、重そうな袋を揺らされる。
こ、これは!!手渡された巾着に、私は乱舞したい気分だ。巾着は、ずっしりと重くて、チャリっと音がする。
「ティティが預かってくれてたよ。僕達の女官時代のお給金!!」
「カリン、やったね!これでお買い物行こうね!」
中身は残念ながら、金貨は十数枚で、後の殆どは銀貨だが、やはり労働の対価としてのお金は尊いのである。
私達は抱き合って喜んでいたけど、咳払いしたディオンストムに現実へと戻された。
「さて、姫様。如何様にして事を成すか、話合いを致しませんと。ああ、食事の用意も整った様です。さぁ、食堂へ参りましょう」
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お腹がいっぱいになった頃には、すっかり星空が主役になっていて、瞬く光がグラスの中で弾ける炭酸水のようだ。
「飲んだら甘いかな?」
「姫様は相変わらず想像力が豊かでいらっしゃる。我も甘く涼やかで、飲んでみたいと思いますぞ?」
バルコニーで湯上がりに涼んでいたら、ふふっと艶美に含み笑いをしながら来たのは、技芸だった。
髪が湿っているのは、私と同じく、風呂上がりの所為だろう。
うっ、薄着で、しかも美女の湯上がりの威力は絶大です。何というか、大人の色気がパネェッスよ。
というか、一人称が我って言う事は、今は武闘神バージョンなのね。
「姫様がお一人ということは、ラインハルトは湯殿か?」
「うんーーーーそれを見越して来たんでしょう、技芸?」
バルコニーに背を預けて、技芸に向き直る。
「ラインハルト、さっき湯殿に行ったばかりだから、時間は有るけど••••どうしたの?」
私は、困った様に眉を寄せて、何事かを言い淀む美女に先を促した。
「我ら神には『死』と言うものは無い。代わりにあるのが『消滅』ーーーー人の子の様に、輪廻の中に組み込まれはしない」
神核は人の魂とは違う。
神力や神気を失い、人の子として生きる事になったアストレアも、それは変わらない。寿命が来れば消滅する。『その時』にシャークがどんな決断をするのかは、解らない。共に消滅を選ぶか、アストレアがいない世界の輪廻に戻るかーーーー。
「技芸はーーー消滅して欲しくない、のね?」
誰が、なんて言う必要は無い。
技芸のまだ濡れた髪が、艷やかに横へと揺れる。
「まこと、恋••••心とは厄介な物よ。遠に擦り切れて、消えた、と思って居たが。幼い、未熟な感情が燻っていたとは思いもせなんだ」
「だって、理屈じゃないもの」
「姫様の御身が大事は、我とて曇りない。だがーーーー」
屠る事を視野に入れた私に、一瞬でも、怒りを感じてしまったのが情けないと、技芸はこぼす。
振り子の様に不安定な姿は、まるで際限のない不安に苛まれているようで。
「『消滅』の言葉に動揺も隠せぬとは」
情けなくも、申し訳無いと、言う。
大罪を犯し、堕ちた神なのだ。消滅はライディオス兄様が力を揮った時に覚悟もしたし、罪に憤り、当然の報いだと思っていたのに、と。
「馬鹿だアホだーーーー罵詈雑言さえ、幾らでも出てくる。だがーーーー舞を。初めて褒めて下さった方でな」
技芸の苦笑いが、泣いているみたいに見えた。
「薬神の求愛から逃げているのって、これが理由だったのね?」
『上』に帰らず、地上に留まっているのも。私の事が心配なのもあるだろうけど。
技芸の、心の奥底で儚く響いた琴線が、求めたのだろう。
「ひ、姫様!?何故それを?」
あ、雰囲気がいつもの技芸に戻った。
揶揄いもたまには言ってみるものかも。
「技芸、願って欲しいな。そうしたら、頑張れるから」
ティティには先触れを出した。
私達は、明々後日にガレールへと移動する。
やれるだけの事はしようと心に決めて、ちょっとお腹が痛くなったのは、内緒にしようと思った。