2 封じられた神
「ねぇ、忌み地に堕ちたってーーーーどんな神だったのさ。ある意味有名だけど」
そんなフロースの言葉で、視線が技芸に集まる。この中で、事情を知っていそうなーーーーライディオスの分身たるラインハルトを除けば、一番の古参だ。
だが、そのラインハルトはメイフィアと一緒に大牢獄へ行っていて、ここにはいない。
チュウ吉先生は、大神殿に引き上げてきてからというもの、どこか心非ずといった感じで、今も黙って空を見上げている。
黄色い綿毛のポポがそっと寄り添っていて、その光景がムーダンでの落ち着かない気分を蘇らせる。
「私も聞きたいですね。この件は、ラインハルトーーーーライディオス様も口が重く、封じた事意外は、私も良く知らないのです」
大神殿の奥宮で、ロウは珍しく衣を寛げながら、茶碗に注がれた香茶を覗き込む。
そっと瞳を閉じた様は、香りを楽しんでいる様にも、自嘲をしている様にも見えた。
「メルガルド様は知っているの?」
不安な面持ちのカリンが精霊王に聞く。精霊王メルガルドも、また神話の時代を知っている。
執事役に戻ったメルガルドは、全員分の茶を淹れ終わると、それでも首を横に振った。
「ええ、知っていますよ。ただ、神が語らぬものを、私が話す訳にはいかないでしょう」
遠くで繰り返される潮騒を聞きながら、暫しの沈黙が、室内を支配する。
やがて夜の帳が降ろされた頃、技芸が重い溜息と共に告げた。
「我も全てを知っている訳では無い。が、そうだな。良かろう、少し長くなるが•••••」
グイッと茶を飲み干し、茶碗を空にすると、技芸は話し始めた。
「今は原始の神々を三柱様と呼んでいるがーーーー創世神ヴァステール、大地母神、月光母神。ーーーーだが、神話の時代、それも原初時には、もう一柱の神、アステールと言う神が居た。ああ、二柱と言うべきか?」
技芸は、どう話せば上手く伝わるかと、考えながら話す。
「この神はな、肉体に二つの神格を宿しておった。人の中での二重人格とは違って••••そうだな、魂が二つあると言う状態だ。表裏一体、対の存在が、身の内にいた訳だ。アスターとか、アスターティアとか呼ばれていたが••••アスターと呼ぶがが多かったか?」
常に表へ出ているのがアステール。内側にいてたまに顔を出すアスター。
対の存在が、月光と大地の女神に分かたれたヴァステールよりも、完全なる神だと思われていた。
確かにヴァステールより力は強く、人間を愛し、どの神よりも慈しんでいたという。
白き龍に乗り、遍く世界を周り、人々に安寧を届けていたのが崩れたのは、いつだったのか。
最初は神々を生み出すヴァステールに対して、態度が厳しいものになった。
アステールには生み出せなかったのだ。完全なる神と言われながら。
そして既に、世界を構築する時空と四大素の神々は、大地と月光の母神により産まれ、役目を果たしいたが、人を積極的に助けようとしないこの神々に腹をたてた。
人は、神の力なくしてはすぐに死んでしまうのに。
「少しのすれ違いが、段々と大きくなっていった。丁度人間にも国々が現れ始めた時か?神も随分と増えた。それぞれ司る者たちがな」
神にも人の世にも、ルールが必要になったのだ。
特に人は、文明が発達していけば行く程ルールは細かくなり、複雑になっていく。
「人が神の手から離れようとしていた時代だ。神も、見守るのが主になっていった。一人前になって、独り立ちをする子を親が見守るような感じがしたな、あの時は。だがアステールはそれを良しと出来なかったんだ」
アステールは、人間が神を、裏切ったと感じてしまった。
同時に、神も人間を見捨てるのかと。
「まぁ、それじゃ、意見が合わずに喧嘩になるよねぇ」
「それだけじゃない。間の悪い事に、三柱様の産む最後の女神ーーーー姫様が大地の母神様に宿られた」
「なる程、完全なる神と思われていたその神はさぞかし妬んだでしょうね。創世神様を。己の半身、対の存在が身の内にあっては叶わぬ事ですから」
「あのバカはな、姫様の体を寄越せ、と要求したのだ。アスターをその身体に宿らせるとな。神御魂はいらん、とも言いおったわ」
「もしかしてそれが、三界に別れた大喧嘩の理由?俺、三柱様の夫婦喧嘩って聞いてたけど」
技芸は頷く。
人間を見守ると決め、必要以上の介入は禁止した。それに反対するアステール。
一方で、それを受け入れる人間にも裏切られたと感じてしまった。
「孤独、を感じたのでしょうか。愛する者を手放せと言われ、握っていた手を放され、己の半身は、抱き締める事すら叶わず、相見えることも無い」
ディオンストムが静かに目を伏せる。
いづれも愛が起因だ。やるせなさが身を覆う。
「そうしてあのアホは、ヴァステール様に戦を仕掛けた。勿論、姫様の御魂は隠された。異世界にな。時空を渡れるライディオス様には簡単な事であろう?」
「ーーーーで、ブチ切れのライディオスにコテンパンにされて、忌み地に封印されたのかぁ」
「フロース、様を付けぬか、様を。神をも屠る力を持つ神、ライディオス様はもしかしたらーーーー」
言い淀む技芸に代わって、ロウが後を引き継ぐ。
「それを見越して、父神よりも、件の神よりも、強い力を与えられた、という事でしょうか。女神の力を借りて」
ヴァステール神単体では無理でも、二柱、三柱なら可能だ。
「それも気に入らなかったんだろうな、きっと。でさ、アスター?アスターティア?ーーーーは、どうしたのさ。そのアホ神と同じ考えだったの?」
「アヤツは、アステールに反対しておったな。何とか止めようとしていた、と思う。どうしているかは、分からぬ。一緒にいるのか、消滅してしまったのか。姫様に、ちょっかいをかけている事を考えれば、御身を諦めてはいないのだろう」
「とすれば、どこかにアスターがいると仮定したほうが良さそうですね」
ーーーーここにいるぞ。
考察を不意に遮った声は重く、沈んでいる。
今まで、ずっと空を眺めていたチュウ吉先生が、ポポを小さな手で撫でながら、ゆっくりと皆を見回した。