25 予期せぬ出来事
ーーーーここの湧き水は冷たくて美味しいよ。
歌うような声音の優しい口調。
サジルは、小鳥でいる方が本当に人間らしいと思う。
道中、気になる事や物があって、聞いても最初のうちは、教科書をまる読みされている感じがしていた。
様子がおかしい時もあったけど、それが今じゃ、立派にガイドが出来るわ。
盗賊退治の後は「何で僕がこんな事まで」とかぶつくさ言っていたけど、お礼を言ったら満更でも無さそうな感情が見えたのには、驚きだ。
その後もいくつかのやり取りで、サジルは感情を垣間見せ、情緒と云うべきものが不安定だったりと、落ち着かない。
意外と口うるさかったサジルにも、情緒が存在した事に、私が振り回されそうだ。
私は、少し黙っていた方が良さそうだと思っていたけど、それがどうやらご不満らしい。
ーーーー難しいお年頃なのかしら。
他愛無い会話をしつつ、サジルに気が付かれないように、細く溜息を付くと、無残な森を見る。
なだらかな丘陵の一部が、歪な丸禿と晒された姿に、メルガルドの苦労が忍ばれた。
それを横目に、湧き出る水をすくう。
サジルの言うとおり、湧き水は冷たくて美味しかった。
急峻な聳える火山はすぐそこに見えて、しかし道のりは険しいという。
小鳥サジルが咥えてきた、熊笹によく似た葉を円錐状に丸めて、チョロチョロと落ちる水を水袋に入れていく。
袋の口をしっかりと閉じて、ダチョウにぶら下げると、休憩しても良いと言うので、私は干した棗を取りだす。
腰を掛けられる場所をサジルが探し出し、影からクッションを取り出してくれる。
こんな所も、ガイド慣れしてきたなぁと思う一因だ。
「お姫様はそのデーツをよく食べてるけど、好きなの?」
ねっとりした、かりん糖みたいな干し果物は一口で食べれるし、何よりも栄養価が高い。一度に沢山入らない私には、ピッタリのおやつだ。
「好きな部類に入るかな」
他にも何が好きなのかを聞かれ、果物に偏る私に、何となくサジルが呆れた顔をしている気がして、ホワイトサーモンだって好きだけど、と言おうとした。
そんな時、ビクン、と小鳥が小さな身体を大きく揺らし、ブワワッと毛羽立たせた。
干した棗の最後の一個を口に入れとようとした私は、そのサジルの尋常じゃない様子に、棗を指先からポトリと落とし、あんぐり口を開けたまま固まってしまう。
《ーーーーあの女!》
如何にも舌打ちしましたっていう雰囲気で、サジルの意識が文字通り、飛んで帰っていった。
何があったんだろう?
「戻るまで、ここで休憩かしらね」
そんな悠長な場合では無い事に気が付いたのは直ぐで、ズズっと山のように大きな大蛇が地を這う音が響いた瞬間、落とした棗が小石と一緒に飛び跳ねては、転がって下山する。
座っている私も振動を感じて、何事かと立ち上がった。
たった今、大きな力が振るわれたのだ。
何か不測の自体が起きたのは間違い無い。
サジルが慌てていた事からも、あの女、と言っていた事からも、フィリアナが何かを仕出かしたのかも知れない。
嫌な予感がして、ふと山間の村の方角を見ると、丁度私の居る場所の上方向、急な斜面が続く木々の密集地に異変があった。
ーーーーえ、禿が増えてる!
これまた歪な円形脱毛症を患ってしまっていた。たった今、一瞬で。
カランカランと落ちてくる石が、私の前に残った木々に引っかかる。
これ、山滑りが起きるんじゃ!?
なだらかな場所に出来ていた禿はいつの間にか塞がり、またメルガルドが怒りそうな案件だと冷や汗が背筋を濡らす。
スローモーションのように山滑りを起しそうなこの状況も、どうにかしないと、と焦る。
ズズンっと足元が大きく揺れた。
ーーーー来るの?!
ロウに持たされた山程の呪符に、確か時間を止めるヤツがあった筈だと、空間収納を探す。
束ごと取り出し、扇子の様に広げたは良いが、目当ての札がこんな時ほど見当たらない。
ーーーーどうしよう!
涙目でワタワタしていたら、私の後ろから、良く知った懐かしい声がした。
「ふむ、これだな、貸してもらうぞ、フィアーーーーあ、様」
「ーーーーえ!?」
「私もいるわよ! まさか忘れたなんて言わないでしょ?」
それは、アルディア王国の宝物庫にいるはずの、ドワーフの老神官と、その契約妖精で。
白い神官服が汚れるのも構わず、膝を付き、一枚目の札を山肌に埋める。
生意気そうな妖精が、私の手からもう一枚呪符を取ると、神官に渡す。
魔力を乗せて呪文を唱えて、呪符が滑り出した山肌に消えていくと、大きな魔法陣が浮かび上がる。
やがて魔法陣が山に染み込んで行くと、崩落はとまり、元の静けさが戻った。
「ランジ神官、スイランも!!」
「やれ、間に合った。ヒヤヒヤしたがな」
飛び付いてお礼を言えば、背中を撫でてくれる。
でもどうしてこんな所に?間に合ったって言うからには、誰かに派遣でもされたのかしら。
聞けば、どうやら予想は合っていたようで、メルガルドが、モリヤ経由で呼び出したらしい。
「それに、ムーダン国境の向こうは儂の故郷でもあるし、顔馴染みもおるしな。採掘の権利を持った長なんだがーーーー」
なるほど、神殿サイドも人使いが荒いと言うことですね、色々と。
そして、ついでとばかりに、メルガルドに放り込まれたと。
「ロウ殿にな。禿げた森•••••同じ事を繰り返す危険性を示唆されていたらしくてなぁ。ドンピシャだった訳だ。サジル、元王子は予想していなかったみたいだが」
そこで私は、漸くサジルの存在を思い出した。
ランジ神官の視線の先に、居たのは人間のサジルで、可愛い小鳥の姿じゃないのは残念だ。
やや青褪めた顔は顰められ、クシャっと前髪を掴んでいる。
「止めようにも、間に合わなかった」
嘘ではないのだろう。震える声が悔しげに、そう呟いた。
「フィリアナがギフトの力を使ったのね?」
サジルはコクン、と頷く。
戦慄く唇が、何かを言おうとしているので待ってみるが、口をパクパクさせるだけだ。
だがそれも治まると、あのやる気の無さそうな、世厭感たっぷりのサジルがそこにいた。
「さぁ、お姫様。行こうか。約束は村に着いてからじゃないとね。ほら、急がないと。フィリアナは、おそらく天秤も使ったからね」
私からは深い深い溜息が出る。
「••••••そう、ね。飼うんだったら、躾くらいはしなさいよ」
「出来の悪いペットでごめんね?」
「悪いなんて、これっぽっちも思って無さそうな謝罪ね。やっぱり貴方は小鳥でいる時の方が人間らしかったわ」
サジルは私の手を恭しく取ると、指先に口付ける。
ギョッとして手を引くが、逆に絡められてしまった。
あ、下方からの気配が寒いです。
「本当は、もっと時間を掛けて行きたかったんだけど、時間切れなのかな。ちょっと乱暴だけど、運ばせてもらうよ。乗ってきたダチョウは、そこの神官に任せればいい
し」
「おお、構わんが」
ランジ神官が頷くと、サジルの影が私のお腹に巻き付く。
フッとサジルが消えたと思ったら、私の身体が上に引っ張られて、浮いた。
木々が真上のお空に見えるーーーー!
違った、私が逆さになってるの?
あ、戻った。空はやっぱり青いよねぇ。
「ーーーーウギャー!」
これ、まさかの逆バンジーじゃない!
村に着くまでこの移動なのかしら!?
何度も繰り返される逆バンジーに挫けそうになると、漸く村に着いたらしい。
「はい、到着。大丈夫かい? お姫様」
こうして時間短縮で村に着いた私を迎えたのは、吐き気と。
「サジルッ!誰よ、その女!ーーーーまさか!」
喚くフィリアナと、その声に恐ろしく機嫌の悪くなった、サジルだった。