16 いざ、ムーダンへ
ボルサの街の神殿から借りた馬車に揺らてーーーー揺れない馬車に乗り、国境門を潜る。
神殿から借りた馬車は格式の高い物だが、位を示す紋章はわざと外してある。
更には、この大人数を乗せる事は出来ない為、ラインハルトと、ロウが馬車の内部に空間を拡張する術を施して、序に揺れない仕掛けもしてあるのだ。
乗っているのは大した時間じゃないけど、これは正直、有難かった。
アルディアで女官していた時、乗り合い馬車に乗ったけど、揺れが酷くてお尻も痛かったのよね。
日本の記憶を思い出してしまった今は、例え2時間に満たない間であっても、耐えるに困難だったと思う。
そんな私達一行の御者を務めてくれるのは、ボルサの神官で、私達がムーダンに入国次第、馬車は折り返しボルサへ戻る事になっている。
馬の走る速度が落ちて、カッポカッポとゆったりした蹄の音に変わった。
貴人用の入国口に着いたのだろう。
「お止まり下さい。失礼、こちら神官様の位を示す紋章が外してありますが、一体何方の神殿より参られたーーーー」
貴人用らしく、華やかな装いの騎士が、丁寧ながらもしっかりと対応している。
貴族出身だろう騎士が言い終わる前に、ディオンストムが扉を開き、これぞまさに大神官の風格とばかりに馬車から降りた。
騎士の目の前で、目深に被ったフードをゆっくりと外す。
ヒューッと息を呑む音。
現れた美貌の老エルフ。整えられた白髪は光を孕んで美しく靡く。
ーーーー堂々と行くならば、演出も大事ですよ。
そんな事言ってたディオンストムだけど、騎士さん跪いちゃってるよ。
「ッーーーー大神官様!これは失礼を。御無礼平にご容赦願います」
「おや、わたくしの顔を知っていてくださったとは、嬉しい事です。さぁどうかお立ち下さい。発表はまだ為されておりませんが、わたくしは既に大神官の位を返上しております故」
「ハッ!お目に掛かれて恐悦至極に存じます」
騎士は立ち上がったけど、また頭を下げて礼を取っている。
ディオンストムの顔を知っていると言うことは、それなりに位高いお家の出身なんだろうな。
所作も綺麗だし。
因みに顔を知られていなければ、書状を見せていたとは言うけれど、誰のかは怖くて聞かなかった。
だって、凄い数多く持っていそうなんだもの!
〇〇の誰それ王とか、どこぞの〇〇の皇帝とか!
「その様に畏まらずとも宜しいのですよ。先程も申しました通り、位は返上しております。今は、そうですね••••冒険者、をしております。ムーダンへ参りましたのは、ムスリ宰相にお会いする為で、特に忍んでいる訳ではございませんが、気を使わせるのも如何かと思い、敢えて紋章は外しておりました」
騎士は軽く一礼すると、真っ直ぐにディオンストムを見て、畏まった。
「ハッ!過分なお言葉、痛み入ります。して、このまま宰相閣下の元へ参られますのでしょうか?案内が御必要であれば、不肖ながら、この身が勤めさせて頂きますので、どうぞお申し付け下さりますよう」
ザワザワと、この馬車を伺う気配が大きくなっている。
まるで、風が運ぶ遠くに聞こえる潮騒のようだ。
これで、何か偉そうな神殿関係者が、ムーダンに入国したと言う噂が立つ。
後はーーーーそう。
「その必要は、無い。ああ、ディオンストム様、遅れて申し訳御座いません、ムーダン王国が宰相のムスリ、只今御前に罷り越しまして御座います」
これまた深々と腰を折曲げた後に、最上位の礼を取る。
ムスリ宰相は視線で騎士を下がらせると、左手をムーダン側、前方の豪華な馬車へ差し出し、打ち合わせ通りの台詞を言った。
「これよりは、私めがご案内仕ります。皆様、ようこそムーダンへ。ご無事に参られました事、祝着至極に存じます」
ムスリ宰相が用意してくれた馬車は、予め伝えていた人数を乗せても大丈夫なように、空間を拡張させていた。
その馬車に、神殿関係者である一団が乗り込んでいく。
ざわめきが大きくなったけど、演出効果が抜群だったと言う事だよね。
ムーダン側の門を潜り、いよいよムーダンだ。
どことなく、イスタンブールっぽい雰囲気の街並みが美しい。
整備されている道はエキゾチックなバザールが並び、飾られているランプが、美しい色をそれぞれ綺羅びやかに主張している。
提灯の様な形だが、ガラス細工だそうで、色硝子で繊細な金の文様が浮かび上がるランプはお土産としても人気があるそうだ。
だけど、やはり弔旗の翻る国境門もそうだったけど、大通りの店先に王家の紋章旗に黒一色のリボンがはためく様は、寂しさが伺える。
国葬が終わる迄、掲げられる弔旗はそのままだという。
ーーーー民に人気のあるお方でしたから。
そんな説明をしてくてるムスリ宰相だけど、知的な黒い瞳が印象的なナイスミドルだ。
髪は黒かった様だけど、ロマンスグレーが良く似合っている。
一度シャーク殿下と目を合わせて、一つ頷いた後は互いに話していない。
誰が聞いているかわからないしね。
壁じゃないけど、シャーク殿下は目あり耳ありを警戒しないといけない。
そう、シャーク殿下ってば、ムーダンを出国した記録が無いのだ。
どうやって隣国へ逃れたのか、謎なのですよ。
アストレアが手を貸したんだろうけど、凄く運が良かったね、としか言えない。
国王崩御の混乱があったとしても。
なので、今この馬車にはシャーク殿下はいない事になっているのだ。
馬車には色々防護の術を掛けているそうだけど、油断は出来ない。
でも乗り心地は流石です。宰相家の馬車は多少揺れるけど、クッションも良いし、柔らかい布地が優しくお尻を包んでくれて、結構快適だ。
それでも王都までは遠いので、途中転移魔法陣を使ったりして、進む。
雑談しながら進んで行くと、やがて見えてきた王城は、ムスリ宰相から聞いた通り、とても荘厳で、中央の建物、屋根が巨大なドーム型の王宮は圧巻だ。
セリミエ・モスクに何となく似ているかな。あんな感じて、遠目からでもため息が出るほど美しい。
「このまま王城へ入ります。私の私邸が王城内にもありますので」
スケールが違うとはこの事か。
更にはムスリ私邸、東の一角は人払いを済ませているそうで好きに使って良いと言ってくれた。
王城内に拠点があるのは、頭脳派チームにとって、都合が良い。
でも東の一角とは言うけど、この御宅どれだけ広いのさ。
馬車で東の車寄せまで行きましたよ。
馬車を降りた私達は、開放感溢れるエントラスを通り、案内された応接間に入る。
降りる時とか、歩く時、ラインハルトのエスコートがちょっとくすぐったかったけど、ここ迄ーーーーうん、お澄まし出来たと思うよ?
一同が、やっとフードを取れる開放感に浸る。
「ーーーー殿下、よくご無事で••••一時はどうなるのかと、このムスリ、心の臓腑が止まるかと」
ムスリ宰相は、涙こそ流していなかったけど、詰まった声だ。
さぁ、シャーク殿下、いよいよ感動のご対面の時間ですね。
後は、お説教も、かな。多分。