≪前編≫
【超弩級シリーズ】
あくまでif話となっております。
もしもルナリアが再婚約というものを受け入れていたら…?
まぁロクなことにはなりませんが。
王家もろとも断罪してやろうとしたあの日、デイルは国王から『ルナリアとの婚約が破棄されてしまえばお前は王太子ではなくなる』と言われたのだろう。ルナリアの存在を繋ぎ止めることが唯一、王太子としていられる手段ということに気付いたようで、勝ち誇ったような顔をしてルナリアに話を聞け、と詰め寄った。
そして、ルナリアを繋ぎとめるためだけに、口だけだとしても聖女・マナを切り捨てるとあの場で真っ向から言い放ち、騎士に即座に命じて王宮から締め出してみせたデイルに対し、ルナリアは目を細める。
再婚約をデイルから申し出て以降、無言を決め込んでいるルナリアを見て、じわり不安が膨れ上がっていっているのであろう。マナの金切り声が聞こえなくなり、ようやく静かになった謁見の間には息遣いさえ聞こえそうな静けさが満ち、デイルはどこか必死さや悲壮感がじわりと滲み出ていた。
「お姉様…」
ルナリアを心配そうに見つめるアリシアを安心させるように自信たっぷりに微笑んでみせた。
「大丈夫よ」
念話で公爵達にのみ『信じて』と、それだけ言って、真っ直ぐに、初めてデイルへと向き直る。
優雅に一礼してみせ、そうして続けた。
「再婚約、受け入れましょう」
「本当か!」
「えぇ」
彼は、ルナリアがどうしてここまでにこやかにこの再婚約を受け入れたのかについて、聞こうともしなかった。
そして彼女の背後にいた残り三家の公爵達は、表面では静かにしながらも、何となくルナリアの意図が見えていた。彼女から、この世界が遊戯の世界であることを聞き、更にはルナリアが自死を試みて以降、彼女ではない別人…とはいえ思考回路はルナリアに相当近い人物が中にいると知っているからこそ、再婚約を心から受け入れているというわけではない、ということが分かっているのだ。
王太子や聖女・マナ。そしてルナリアに執着ともいえる感情を抱いている国王夫妻を、『彼女』は快く思っていない。
そもそも、デイルが再婚約を申し出たのは国王の入れ知恵あってのこと。あのままいけば無事に王太子のすげ替えがさっさと行われていただろうし、再婚約の申し出を聞いたルナリアは念話でこう呟いていた。
「…くっだらない」と。
冷え切った声音に雰囲気、底冷えするほどの冷たい眼差し。『彼女』から聞いた通り、本来の道筋でいけば魔王すら召喚してしまえるほどの力を有したルナリアが、その片鱗を一瞬だけ見せた。悟らせないよう、うまく顔の角度を調節して、前髪で少しだけ表情を隠し、迷っているフリを貫き通した。
そうして顔を上げた時いつも通りの、表情から感情を読み取らせないような、ソルフェージュ女公爵としての表情を浮かべており、そこから少しだけ表情を緩めてみせた。それだけだが、真剣な表情から緩んだものになるだけで柔和な雰囲気が伝わってくる。…中身は穏やかなどではなく、暴風雨が吹き荒れていたのだが。
ルナリアがここまで意識して動作しているだなんて、デイルは思ってすらいない。だから、ぱっと表情を輝かせた。王太子が、ここまで表情を露わにしてしまうなど…と、王妃が顔を歪めたことにも気づいていないようだった。
ルナリアの代わりに、アリシアがこっそりとほくそ笑む。
「(殿下、貴方のお母様は大層残念そうな表情をなさっておいでですわ)」
言ってなどやらないし、忠告もしてやらない。
この王太子のせいで、アリシアの敬愛するルナリアがどれほど苦しんだのか、その本人だけが何一つ気づいてなどいないのだから。
「わたくしから、お祝いの言葉を述べさせてくださいませ。おめでとうございます、ソルフェージュ女公爵閣下、王太子殿下」
「デイル王太子殿下、再婚約まことにおめでとう存じます」
「…オメデトウゴザイマス」
アリシア、ファリトゥス、ミトスが順に簡単に祝いの言葉を述べるが、あまりに棒読みなミトスにファリトゥスが思わず彼をガン見し、こっそりと見えないように腕を抓った。
「(い、っ!)」
「(表面だけでも祝ってあげてましょう。…どうせ、この後の結果など見えきっているのでしょう?)」
見えないように腕の痛い部分を抓っているため、二人の距離は近い。
そっと耳打ちされ、こくこくとミトスは何度か首を縦に振って、肯定してみせた。
「…おめでとう存じます、王太子殿下。ソルフェージュ女公爵」
「…えぇ、ありがとう」
ふ、とルナリアが三家に対して心からの微笑みを向ける。
決して、デイルには見せることのない、心を許しているからこそ、信頼しているからこその笑み。それを見たデイルは愕然とするが、今まで結婚を前提としている婚約者をないがしろにしてきた彼に、そのような表情をする資格などないということすら理解していないようで、ギリ、と歯を噛み締めていた。
「ルナリア、お前…!」
「何かございますか?」
「何故だ!何故わたしに対してはそのように微笑まぬ!将来、いや、近いうちに夫婦となるのだぞ!?」
「まぁ…これは面白いことを仰られますこと」
ふ、と微笑んで嗤うルナリアの意識と視線は、デイルの背後の国王夫妻へと向けられた。
「だって、この再婚約をお示しになられたのは、デイル殿下ではなく国王陛下と王妃殿下でございましょう? 殿下自身の意見・意思ではございませんが故に、わたくしは了承いたしました。それに……」
「何だ」
「今の今まで自分が好き勝手わたくしを除外しようとあれこれ動き回っておられたのに、どうしてあなたに対してそれほどまでの信頼があると思いまして?」
蔑みきった眼差しを向ければ、ビクリと恐れたように肩を震わせる。
国王が言ったから、再婚約を受け入れた。それも、嬉しいから受け入れたのではない。意図があってのことである。
一度不貞行為をした人間を、どうして信用などすることができようか。信用するに値しないのに、気を許して微笑んでやる義理などルナリアにはない。それを理解していないデイルの頭のおめでたさに、呆れを通り越して笑いすら出てきてしまう。
デイルの後ろで国王夫妻が頭を抱えてしまっているが、彼にはそれも見えていないし、愛する我が子がここまで愚かに成り下がってしまっているのかと、デイルに対する温度感がじわりと下がっているのも見受けられた。
ここまで突き付けられても現実は受け入れられないようで、ルナリアのことを睨んでいる。そこの神経の図太さに関しては褒めてやらなくもないが、頭のおめでたさを公爵家当主達と家臣に披露しているだけなので、そろそろやめた方が良いのではないだろうか、とルナリアは思う。
無論、忠告もしない。
そして、ルナリアが再婚約を受け入れたこの瞬間に、彼女がこれまで行ってきた王太子妃教育が無駄にはならないことが確定したし、王太子妃として生きる道も出来上がった、のだが。
「王太子殿下、一応申し上げておきますが…」
「次は何だ!」
「わたくし、王太子妃としての『役割』は無論果たします。貴方は、『王太子』としての『役割』を果たしてくださいませね。あぁ、無論政務も王太子と王太子妃、分けていただきます。よろしいですわね、国王陛下」
「当たり前であろう。王太子と王太子妃、丸っきり同じ政務があるわけではない」
「…え?」
素っ頓狂な声に、王妃から呆れ返ったため息が零れた。
色ボケしていたデイルがまともに仕事ができないという事は、理解したうえで全員の前でこうして宣言したのだが、ここまでとは思っていなかったらしい。
学園にいた頃は、ルナリアが全て、面倒なことを引き受けていた。理由は単純。
婚約者であり、実務能力がしっかりと備わっていたためだ。
だが、卒業パーティーのあの場で婚約破棄を申し出たため、ルナリアが一手に引き受けてきた政務や雑務といった全てが、デイルへと差し戻された。婚約者でないのだから、する必要はないと、ハッキリ拒絶したのだ。
更にこうして厚かましくも王家が二度目の婚約の申し入れをしたことにより、立場としてはルナリアの方が優位には立てる。最初も今回も、国王夫妻の願いにより成り立っている婚約で、ソルフェージュ公爵家はそもそも縁続きになることなど願っていなかった。そうでなくとも、王家の血を少なからず引いているからこその『公爵家』なのだから。
「な、何故わたしがやらねばならん!」
「王太子だから、でしょう?」
何を言っているのやら、と言外に続けてやれば慌ててデイルは背後の両親を振り返るが、この短時間のやり取りの中で味方をしてやるという意思が早々に薄れてきた国王夫妻から、呆れた眼差しを向けられていた。
「わかっ、た…」
「では、そのように。あぁ、そうだ。わたくしまさかこうして再婚約せねばならないなど、予想もしておりませんでしたので、空き時間は全て公爵としての執務に充てさせていただきますわ」
「…は?」
「王太子殿下が、ご自身で望んで破棄したものを、無理に元に戻したのですからね」
冷たく言い放って国王夫妻へと恭しくルナリアは頭を下げた。
「王宮にわたくしの執務室を用意していただきたく存じます。王家からの無理を聞き入れたわたくしへの、僅かながらの褒美と思い、受け入れていただきたく」
「……………許そう」
「……そうね、我らが無理を申してしまった結果ですもの。誰か、早く準備をしてちょうだい!」
王妃の号令もあり、慌ただしく家臣がその場を後にして、ルナリアが政務を行うための執務室を用意するべく走り回る。
デイルは呆然としていたが、側近に促されて謁見の間から退出する。
それを公爵家当主達は見送ってから、改めて国王へと向き直った。
「…陛下」
「…すまなんだ…ソルフェージュよ」
「わたくし、相当無理をいたしましたわ。王妃殿下には申し訳ありませんが、あの方を二度と信用などもいたしません。そして、王太子妃と公爵としての執務、共にさせていただきますので当家の家令を呼び寄せることもこの場でご了承くださいませ」
「それ、は…っ…」
「ソルフェージュ女公爵の温情ではありませんかねぇ…」
それまで黙っていたファリトゥスが、ぽつりと呟いた内容に、ミトスもアリシアも頷く。
「あのパーティーであれだけの婚約破棄騒動を起こした上に、学園で王太子殿下はソルフェージュ女公爵を散々罵り、馬鹿にし、ありもしない冤罪ばかりを述べたてておりましたからね。それは平民の学生も多く目撃しております故、彼らの間でも恐ろしい勢いで話は広まっておりますよ。火消しは叶わぬとお思いください、陛下」
ミトスの言葉に王妃と国王は顔色を悪くする。
「それに、婚約者としての義務も果たしておりませんでしたでしょう? …そのような方からの再婚約の申し出、わたくしなら受けたりしませんし、受け入れたくありませんわ」
アリシアの追撃に、顔面蒼白を通り越して色を無くしてしまうが、そこまでを押し付け、思惑があるとはいえ受け入れさせたのは紛れもない王家である。
この短期間で何度も王家の恥ともいえる部分を晒してしまっていることに、ここまでやらかしてようやく気付いてしまった夫妻は、きっとルナリアに対して頭が上がらなくなった。
あのような王太子を受け入れてくれたのだ。
感謝こそすれ、彼女のことを否定も何も、できるわけがない。更に、学園でも王太子の婚約者である間は彼の補佐までしつつ、公爵家当主代理としての業務をこなしていた。公爵となった後は、公爵として動きながらも学園での生活、何もかもを成り立たせていた。
そうして色々なことをやってきた才女であるルナリアと、何もまともに役割を果たしていない聖女など天秤にかける価値すらない。
高く評価されている一方で、ルナリアは生活を送る中で常々思っていたことがあった。
今こうして、『ルナリア』としている自分は、ゲームシステムから逸脱している存在だ。学園の卒業パーティーでの断罪は彼らに返した。けれど、やられた事をやり返したわけではない。
シナリオ通りに彼らを結ばせてやったというのに、王太子が無理やりに再婚約させた。
これでは、何のために彼らが望むとおりの幸せを迎えさせてやったのか分かりはしない。ルナリアは女公爵としてこれからの生を、三家と並び、歩んでいくようにしたかったというのに、それを台無しにされる形での再婚約の申し出。
国王の気持ちも分からなくもない。
ならば、受け入れた上で全てを更に壊してやろうと、そう思ったのだ。
間違いなくマナとデイルは別れず、逢瀬をこれからも繰り返すだろう。
王太子の身分を捨てることを、生まれながらの王族として特権階級ともいえる地位にいたデイルが手放すなどとは到底思えなかった。ならば、そこから足を掴んで引きずり落として、何をやらかしたのかを全ての人の前で突きつけて、全てをまるっと台無しにしてやれば良い。
『再婚約』という単語を聞いて、一瞬でそこまで考えた。
今までしてきたことの結果を、彼とマナに突きつけ、思い知らせ、完膚なきまでにこれ以上叩きのめさなければ気が済まない。
ルナリアはそれほどまでに怒っていた。彼女の苛烈な感情を知るのは公爵家当主達のみだろう。
「陛下、御前を失礼致します。これからの事について我らは話し合う必要がございますゆえ」
「あいわかった。…ルナリアよ、王太子妃としての役割に関しては、そなたならばどのようにすればいいのか、把握しておろう。全て、任せる」
「承知致しました、陛下。わたくしはそのようにいたします」
礼をし、微笑んで公爵達は謁見の間から退出した。
王城にあったゲートをくぐり、やってきたのはソルフェージュ公爵家。彼らを出迎えてくれたカイルが、思わず目を丸くするほど、四家当主達の眉間には盛大なシワが寄っていた。
「お、おかえり、なさいませ…」
「早急にリラックス効果のあるハーブティーを用意してちょうだい…!」
「か、かしこまりました!早く、公爵様らへの準備を!」
「はいっ!」
慌ただしく使用人たちが動き出す。
応接間に移動して四人揃い、ソファに腰を落として背もたれに深くもたれかかって、タイミングを合わせたわけではないものの四人同時に、深い深いため息をついた。
「馬鹿じゃありませんこと…? 王太子殿下、無能丸出しですわよ…」
「色恋に溺れた代償でしょうかねぇ…。いやはや、困った」
「ルナリア、お前公爵家当主と王太子妃同時にやるつもりかよ」
「やるわよ…! やってみせるわよ。そうしたらあの殿下、わたくしに構わなくていいとか思って油断しまくって、マナ嬢と会うでしょう?」
「お姉様、何をなさるおつもりですの?」
「……ねぇ皆様。役割を果たさぬ『聖女』に存在価値などございまして…?」
目元を手の甲で覆い、ルナリアから静かに問われた内容に、三人は動きを止めた。
「役割を果たさず、こちらの忠告には聞く耳持たず、更にはパーティーでミッツェガルド女公爵であるアリシアに対しての暴言。ソルフェージュ女公爵たるわたくしへの暴言を吐きまくる。…己の役目は嫌がり、未だに何もしていない、功績が何も無い、穀潰しのような、そんな子爵家令嬢は…必要なのかしら」
ふむ、とファリトゥスは呟いて口の端を吊り上げる。
「不要、ですねぇ」
「可哀想なのは彼女のご実家である子爵家ですわよねぇ…。あぁ、王妃様も」
「おや、それはどうして」
「今までの王太子殿下は真面目に育ち、まぁそれなりにやれてきていたというのに、色恋にうつつを抜かしてしまった結果、ダメ人間へと変貌しただけではありませんか。王妃様はそれまでしっかりと教育なされていたでしょう?」
ルナリアは、目元を覆う手の甲は外さないまま言葉を告げた。
「王妃様と陛下には、現実を見ていただいた上で、あの方たちの手で、『処分』していただいた方が…」
ようやく手の甲を外し、ニィ、と口端を上げて至極楽しそうにルナリアは嗤う。
「彼らを絶望に落とせるではありませんか」
「まぁ…。お姉様ったら悪いお顔をしていらっしゃいますわぁ」
アリシアも、ニンマリと笑ってみせる。
幼いながらも魑魅魍魎蔓延るあの王宮や、公爵家当主として存分に手腕を発揮しているのだ。ルナリアの考えには勿論ながら賛成するし、何もしていない、男漁りをしているだけの聖女は不要だと考えている。
王太子が真面目にし、宣言通りにマナを突き放したままにしていれば、きっと何も問題は無い。あるとすれば筆頭公爵家の存続について、であろう。
だが、ルナリアの計画している内容がうまくいけば、今度こそ王太子妃とならず、彼女がこのまま女公爵として家を存続させていける。
そして、ルナリアは成し遂げるであろうという確信もある。
慌ただしくも、公爵家のメイドたちにより彼らに飲み物と茶菓子が振る舞われた。
ようやくひと心地つける、とアリシアはまずケーキを選び、ミトスはミントを使ったハーブティーをゆっくり飲む。
ルナリアとファリトゥスは、そろってアールグレイの紅茶の風味と香りを楽しんでいる。
「覚悟の大きさ、味わうがいいわ」
ルナリアは低く、小さく呟く。
その呟きを拾った三人は顔を見合せて頷きあったのだ。