零歩目 「夢でも覚めないで(I)」
これは、エティノアンヌとアリアが互いの感情に気づく、少し前の話────
「今日もお疲れ様でした。」
「うん……そうだね…………」
「…………あの。」
「はぁ………どうしかしたの、かな?」
「体調が優れないのかと思いまして……」
エティノアンヌは、アリアに向かって笑った。
とてもいい笑顔だったが、長年一緒にいる彼女には………それが作ったものだとわかる。
「体調が優れないのは、客の方だ。皆…………段々、買う麻薬の量が増えていってる。」
「エティノアンヌ様………」
「私の存在を知られてしまった時のために、金があったほうがいいことは承知してはいるが…………正直、薬草の販売だけでも生活するのは余裕と言っていい。人々につけこんでまで、金を巻き上げているようなものだよ、私は。」
「む、無理して、笑わなくても構いません!」
その言葉を聞くと、エティノアンヌは一瞬で笑顔を消した。
美しい花が枯れる…………いや、触れたはずの花が、そこにはもう存在していなかったかのような…………
しかし、アリアはそんなエティノアンヌを見ると安心する。
暗い彼を見る方よりも、無理して笑うエティノアンヌを見る方が、彼女にとっては辛い。
きっと、彼が笑うのには理由があるはずだ。
だが………その理由を知ってはいけない気がして……………
「ごめんね、アリア。」
「いいえ!私はエティノアンヌ様の役に立ちたくて………」
「君は悪くない。何も…………だから、もうやめてくれないか?」
「………………はい?」
何も分かっていない彼女の顔は、エティノアンヌにどう映ったのだろう。
ドサッ……!
彼は、アリアの手を植物から複製した腕で強く掴んだ。
彼女の瞳には、今にも泣きそうな顔のエティノアンヌが映る。
「少しくらい私を………ノアを憎め!!!!」
「………?!」
「アリアがこうなったのは、私のせいなのに……どうして憎まない?!あんな目にあっておいて、君は………」
「それは、言わない約束です。もうどうしようもないのですから。」
「……………ライターをくれ、この前暴れ回った客から抜き取っただろう。」
「私はそんなものを持ってません。」
「嘘をつくな!!今、首の筋肉が硬直した…………ライターをくれ。」
「…………刃物なら、差し上げますから。」
「あれじゃ意味がない!!勝手に体が修復されてしまう………」
「それは人間には許されていないことです、どうか刃物を。」
「…………………頼むから、突き放すなら今のうちにしてくれ。」
「私は今後もエティノアンヌ様にお使えします。あのことを申し訳なく思うなら、お傍に置いてください…………私としては、自傷も控えてくれると、もっと嬉しいですね。」
エティノアンヌは、近頃やや情緒が不安定だった。
近頃は刃物で自分の体を傷つけ始め、〔人間〕の食事を摂ることも減っている。
アリアもそんな彼のことを心配しており、客の喫煙や化学薬品の持ち込みを制限した。
燃やして煙を吸うタイプの大麻も、すぐには服用しないようにと客に念を押している。
食事の”水”にも肥料を混ぜ込んで、なんとかしようとはしているのだが…………
エティノアンヌは、アリアを掴むのをやめた。
「何故、ライターはダメなんだ?除草剤は全身に作用してしまうからわかるが………」
「刃物で自傷する人間はいますが、自らの体に毒薬を塗ったり、自分の体を燃やして自傷する人間はいません。」
「………………私を、人間として扱うのか。」
「エティノアンヌ様は優しい方です。エティノアンヌ様のおかげで、今の私がいるのですから。」
「それは、嫌味?」
「いいえ!」
「ありがとう。」
「…………………はい。」
アリアには、エティノアンヌが自分自身を責める理由がわからなかった。
エティノアンヌ様は、あの時のことを……… ”若君様とのこと” を後悔なさっているのだろうか。
けど、そんな………..………今更?
最近、エティノアンヌ様の様子がおかしい。
……やや感情が安定していないように感じる。
近頃、夜中に物音がするし………もしかしたら、眠れていないのかも。
何か、寝つきがよくなるものでも用意しておこう。




