最終章 百八十歩目 「例え貴方が居なくても(I)」
…………次の日。
メイは、エピンの家にメロンパンを届けに行った。
しかし、ドアには鍵がかかっていないように見える。
彼は焦り、大急ぎでドアを開けた。
ガチャ!
「え……………?!」
そこには、この街とこの街の人々を象った、とても大きな彫刻だけが残されていた。
どこを見渡しても、エピンの姿はない。
それどころか…………動物たちも、かけられていたコートも、楽器も消えている。
皿が綺麗に並べられている食器棚と、家電家具一式以外、何もないのだ。
エピンに嘘を吐かれたのかと、メイは一瞬思った…………が、床に落ちていた手紙を読んで、そうではなかったと気づく。
〔皆へ
約束を嘘にしてしまってすまない〕
手紙の文字は、とても歪んでおり、何かで滲んでいる。
何かに巻き込まれたとも考えられるが、その割には部屋は荒れていない。
事情があったのだと、メイはなんとなく察した。
「それにしても、この彫刻すげぇ。」
木で出来た、部屋を埋め尽くすほどの彫刻は、とても美しかった。
ここの街並みと、人々が象られていて、とても細やかに作られている。
とても、たった一晩で作れる出来とは思えないほどの作品だが………一体、どんな手を使ったのだろう。
「オレも、少しくらい……エピンさんの頭に残ったのかな。」
ガチャ
メイは、エピンの家から出た。
………そして、まだ暖かいメロンパンを持つと、新しくなった靴で、辺りを駆け回り始める。
その眩しい姿は、太陽に負けないくらい輝いていた。
それはもう、日傘が欲しくなるほどに。
「メロンパン、いかがですか?」
何があっても、甘いものを食べて笑い合えるくらい、皆が幸福でいられますように。
きっと ”彼” もそう願ったはずだ。
幸せとは、そんな些細のないことが、当たり前に存在していること。
難しく考える必要なんて、絶対ない。
隣で大事な人が笑っていて、自分も笑って………それに幸せを感じないなら、それこそ、幸せではないのだろう。
「あ、あの………そこのお兄ちゃん!」
「…………えっと、君どうしたんスか?」
「それ……そ、その…………」
「あぁ、メロンパンですか?」
「う、うん!二つお願いします………お、お兄ちゃん、お金これでいい?」
「はい、どうぞ。」
「わーい!ママとメロンパンだぁ!」
走り去る少年を、メイはじっと見つめていた。
真っ直ぐな甘さのメロンパンは、眠気覚ましに丁度いい。
そして、それから数日が経った。
「雷丸、少し良いか?」
「……翡翠か?あぁ、構わんで。」
「手伝え、午後までに書類を終わらせたい。知っているとは思うが、今日はお母様とお兄ちゃんが来る。雷丸も一緒にどうだ?」
「そりゃあ行きたいが、俺がおったら邪魔になってまうんやないの?」
「名目上は吾輩の従者、問題はないだろう。お兄ちゃんも雷丸にもう一度会いたいと……」
「あの、今更言うのもあれやけど…………翡翠がお兄ちゃん呼びって意外やね。」
「何と呼ばれたいのか、お兄ちゃんに改めて聞いて、お兄ちゃんがいいと言われたからだ。それが何か?」
「あん人は、めっちゃ大人の風格あって綺麗な人やが………どこか無邪気よな。」
「お兄ちゃんに無邪気って言ったら怒られるぞ……」
「わーっとるわ!」
雷丸は、雑に返事をした。
笑顔だった翡翠も、真顔だった雷丸も、段々表情が豊かになってきている。
「雷丸……ばっ、馬鹿かお前?!そんな大声を出したら周りに聞こえる!!」
「大丈夫やっての、心配性やな。」
「これでも外面では主従なんだ、しっかりしてくれ……」
「はいはーい。」
「念の為言っておくが、外に出たら互いに敬語を忘れないように。」
「はいはいはい。」
「雷丸以外の人間は、全員敬う主義だからな。」
「な、なんやと………」
「数日共に過ごしたが、なんとなくお前は信頼できる。それはもう、敬う必要もないほどに。」
「………世辞でも嬉しいわぁ。」
「そうか。」
「俺こんなやけど、一応翡翠のことは尊敬しとるし、信頼しとるで。」
「…………ありがとう、お世辞でも嬉しい。」
「……あ、今の世辞やぞ。」
「はぁ?!」
「ふふふ……顔真っ赤やな。もしかして、照れた?」
「巫山戯るな!憤っているからだ!!」
「あーっはっはっは!やっぱ翡翠って遊び甲斐あるわぁ!!」
「好い年して恥ずかしくないのか?!?!」
「阿保、まだ二十半ばや。」
「チッ…………」
「まぁまぁ、そう怒らずに………言っとくけど、信頼してるのは本当やからな?」
「尊敬は?」
「してるわけないやろ。」
「……雷丸。」
「何や?」
「…………お前には、人を苛立たせる才能がある。お前は天才だ」
「え?天才やって?おおきに、ありがとうな!」
「雷丸…………確かにお前に、吾輩と対等になれとは言ったが、吾輩を弄べと言った覚えはない!!!」
「あっ、やっべ……」
対等になってから、二人はこうして、毎日のように追いかけっこをしている。




