百七十八歩目 「暫しの別れ(V)」
今まで一緒にいられたのは、彼が一人の人間として、自分に接してくれていたから……………自分が人ではないという事実に耐えることができていただけ。
だが、この羽では彼を抱きしめることさえ出来ない。
自ら彼に触れることも出来ない上、関係が知られれば、彼は異常者だと思われる可能性まである。
この姿では、人として触れ合うことに限界があった。
「(ごめんなさい、欲が出たの。)」
ヴィオローネのその言葉を聞くと、エピンは少し諦めたように、彼女に問う。
もう彼女の答えが、何を言っても変わらないことを悟った目だ。
「成功するか分からない。成功しても…………会えるか分からないし、会えても十八歳差になる、本気か?」
彼女は、彼のことを、じっと見る。
お互いに恋人同士になってから……いや、一緒にいるようになってから、何年がたっただろう?
気がつくと、あんなに小さかった少年は、すっかり体も心も大人になっていた。
………優しいエピンに、不満どころか感謝しかない。
しかし、彼の姿を見るとヴィオローネは、自分が人間だったらと思ってしまう。
彼の細過ぎる体、青年にしては相当高い声。
最初は伸びていたはずの身長は、義足になったことを考えても、不自然なくらい変わっていない。
これらは全て、成長期に適切な生活を行ってこなかったことにある。
自分が木兎じゃなかったら、食事も用意できて、体を動かす手伝いも出来て、彼を戒めたドレスと小さな靴だって捨てることができたのに。
相当幼い頃は、ベルエギーユやその家臣が、彼の母に黙って、なんとか毎日一回くらいは食事を与えていた。
だが、それによってエピンの身長が伸び、ベルエギーユが原因だと知ってしまってから、バンボラがエスカレートし始める。
エティノアンヌが偶にお菓子を持っていったり、時雨ができる限りご飯を食べさせたりはしたものの、その回数は多いとは言えなかった。
………人形を用いて数分歩くこと、車椅子で移動すること以外、かなりの理由がないと、運動は許されない。
やがてエピンは、コップなどの軽いものを持つ時でさえ、マリオネットを使うようになる。
彼自身人形は結構好きであり、スポーツが好きだったわけでもなく、ご飯を抜いてもあまり空腹を感じない体質だった為、兄や弟の言葉なしに、母の言いつけを破ることはなかった。
自分は美しいことに意味があると、バンボラに教えられてきたからか、ドレスを嫌がったことも、アクセサリーをつけるのを拒否したこともなかった。
エティノアンヌのように、ドレスやアクセサリーを好む性格ではなかったのだが、自分を美しく見せる手段としてドレスやアクセサリーが最適なら、武器として良いと考えたのである。
ヴィオローネは、誰よりもエピンの近くにいた。
だからこそ、自分の無力さを分かっている。
人間だったらできることが沢山あるのに、側にいることしかできない。
それでもエピンは、〔貴方がいてくれると、心が安らぐ〕と、口説き文句のような言葉を、素で彼女に言っていた。
その言葉で安心したのは事実だが、彼女はずっとどこかで、人間に戻りたいという思いを捨てきれていなかったのだ。
「(私は、本気で人間に生まれ変わりたい。)」
「………………」
「(だから今夜、私をこの世から消して。)」
「……………………………分かった。」
「(良いの?)」
「ヴィオローネの人生は、ヴィオローネの物だから。」
エピンは、なんとなく、いつかはこんな日が来るような気がしていた。
大事な人を失いたくないとは思っているが、やはり別れというものはやってくる。