百七十六歩目 「暫しの別れ(III)」
エピンのその言葉を見ると、メイは頷いた。
…………自分も、ずっとそう思って生きてきたからだろう。
【この靴は、メイにプレゼントする】
「え………タダで貰っていいんですか?!」
【こんなにボロボロなのだから、こちらに変えるべきだ】
「じゃあ、遠慮なく!」
改めてメイの靴を見てみると、本当にボロボロだ。
………彼が作った靴は、少々雑に扱っても、ほぼ一生使えるというのに。
もしかしたら、メイは何年も何年も、別のどこかで、この靴を履き続けていたのかもしれない。
「エピンさん、家出るのって、いつぐらいになるんスか?」
【明日】
「めっちゃ急!!!!」
【トルテには、もう挨拶を済ませている
近所の人にも報告したから】
「オレだけか、知らなかったの……」
【すまない、気まずくて後回しにした
皆に言わないでくれと頼んでしまった程で】
「エピンさんらしいッスね。」
メイはそういうと、エピンから靴を受け取り、その場で履き替えた。
両者共に、少し寂しそうな顔をしているが、しっかりと別れる覚悟はできている。
【メイ、その靴を履いていれば、多分幸せになれる】
「あれ、物理的な願いしか叶えられなかったんじゃ………」
【願えばきっと叶うはずだ】
エピンのおかしな言葉に、彼はクスッと笑った。
そして、笑って軽くお辞儀をする。
「数年後には会えますよね!……………って、まださよならじゃないか。明日もメロンパン、エピンさんに届けるし。」
【明日の朝はまだいる、勝手に追い出さないでくれ( ;ω;)】
「まだ絶妙な絵文字だ。」
メイは玄関のドアを開け、エピンに向かって再び笑顔を見せる。
そしてそのまま、外に向かって歩き始めた。
……………パタン
扉が閉まり、急に部屋が静かになる。
エピンは家の鍵を閉めると、自分の部屋に戻った。
カシャ、カシャ……
階段を踏む度に、金属と木材がぶつかり合う。
記憶を取り戻してからは、弟に言われた〔そんなに階段を駆け降りたら、階段が可哀想〕という言葉を、なんとなく思い出すようになった。
確かにこの鉄の重さを考えると、階段が可哀想に思えてくる。
なので、一段一段、ゆっくり上がるようにしていた。
自分の部屋に着くと、エピンは部屋にいたヴィオローネに声をかける。
「待たせてごめん。」
「………キュ。」
彼の声を聞き、ヴィオローネは振り返った。
…………エピンは彼女の顔を、不安そうに見つめる。
「ずっと前から、ヴィオローネが伝えたかったことって…………なんだ?」
彼女は、ずっと何かを隠している。
エピンはメイの靴について相談した時に、ヴィオローネに言いたいことがあったことを知った。
だが、今度教えるの一点張りで、何も言ってくれなかったのである。
彼は深刻そうな彼女の姿を見て、ゆっくりと仮面を外した。
エピンは嫌な予感を感じ取っているのか、既に小刻みに震えている。
「キュイ、キュキュ………キュキュイ。」
ヴィオローネのその一言を聞いた瞬間、彼は嫌な予感が的中したことを理解した。
「な、なんで…………?!」
「キュルキュ。」
「………嘘。」
エピンの目から、涙がこぼれ落ちる。
体の震えもどんどん増し、もはや自分の感情も行動も、今起こっていることさえも理解できない。
…………彼女は、彼にこう言ったのだ。
”人間に生まれ変わって、あなたに会いたい ” 、と。
「それは、死ぬことと同義だ!!何故そんなことを……」
「……………キュキュルキュ!」
「人間として僕と会うなんて、そんなの出来ない!前世の記憶があることは信じている。だが、人間に生まれ変われる保証はあるのか?もしすぐ生まれ変われたとしても、年齢差が…………それに僕は、第一、人と会話できないんだから!!」
「………………」
「僕に何か、不満があるなら言ってくれ………遠回しな別れ話なら、正直に。」
「キュ!」
「それは違うって、じゃあどうして?!」
「ルキュキュ、キュイ。」
「僕は、貴方の前世が人間だから好きになったわけではなく、ヴィオローネの人柄と気品に惹かれたんだ。そこに人間か動物かなんて関係ない。」
「キュイ………キュイィ。」
「確かに僕らは一般的ではない、不安を感じるのも分かる。だが………人間に生まれ変わる必要はあるのか?」
「キュキュッ!」
「お願いされても、無理なものは無理だ。」
「キュルキュ、キュルキィキュ!」
「………………それは、可能性の話だろう?確実じゃないことに、ヴィオローネを賭けるなんて!!」
「キュキュ、キュッ……」
「少し見せてもらった、時雨の母親の、手紙の内容を信じる気か?!?!」
「…………!!」
「例えそれが真実でも、その人物が協力してくれる保証は?その前にまずは生まれ変われる保証を………」
「キュイィ……」
「…………心配しないでくれ、僕は絶対に貴方を裏切ったりしない。ずっと一緒にいるのに、まだ信じてくれないと?」
ヴィオローネは黙り込んだ。
エピンの片目と頬の紋様は赤く染まっている。
今にも泣きそうな彼のことを、彼女が疑っているわけがなかった。
だが、ヴィオローネはどうしても、なんとかして人間になりたいのである。
なりたいと言うより、本人からすると、戻りたいと言う感覚に近い。
エピンと時間を共に過ごすうちに、そんな思いが、だんだん抑えられなくなっていたのだ。