百七十一歩目 「兄と母は嫌い?(II)」
「もしかして翡翠って、怖いの?」
「………質問はもう少し具体的に。」
「行動と感情が結びついていないような人とか、裏切られる可能性とか。」
「そんなもの、誰だって恐れているでしょう。」
「でもさ、翡翠はそんな自分を、戒めているような気がする。そう思っている自分が、一般的に見て良くないと分かってるから。」
「つまり言いたいことは?」
「翡翠は自分で自分を苦しめてる。そしてそれを分かった上で苦しんでる。」
「別に、吾輩は苦しんでなんかいません。」
「ねぇ…………なんで、聞いてたこと気づかれちゃうのに、さっき部屋に入ってきたの?」
エティノアンヌは、急に核心に迫る。
「それは………………………………貴方を助けた方が、吾輩にとって得だからです。」
「明らかにリターンの方が少ない、少し考えればわかるよね。」
「そんなことない!!」
「ノアは、君にそこまで損をさせてない。媚びを売る必要なんてある?」
「そ、そういうこと………では………………」
翡翠は、自分の不器用さを責めに責めた。
いつも遠回しに言うせいで、何も伝わらない。
どういえば伝わるのかは分かっているのに、なんで上手く伝えられないのだろう。
やはり、吾輩が何かを望むことなんて…………
____駄目だ、言い訳したら。
「そういうことでは……………決して媚を売ったわけでは、ありません。」
「………………」
「あの時は本当に、部屋に入ったほうが得だった。」
「だから、今更……!!」
「愛する兄が苦しまないというのは、弟にとって、最高のリターンだと思いませんか。」
「………………?!?!」
「自分が嫌われるだけで、大事な人が苦しい思いをせずに済む。そんな利益が今すぐ手に入ると思ったら、考えなしに突っ込んでしまいました。」
ギュッ
エティノアンヌは、翡翠を強く抱きしめた。
「翡翠、ありがとう。」
「……………逃げて、ごめんなさい。」
「それは………ノアも逃げたから、お互い様。」
「怖くて。どうしてそこまで、中身がない翡翠という人間にこだわるのかが、分からなかったから、怖くて。」
「翡翠は翡翠だよ。今まで翡翠でいられる時間がなかっただけだから。」
「こんな、分からない状態でも、吾輩はずっと笑顔なんですよ。怖いでしょう?怖くないんですか?」
「逆に、ノアが突然子供みたいに振る舞うの、怖くないの?」
「特に怖くはないです。」
「ほんと?」
「本当に怖いと思ってませんよ、可愛らしいとは思ってますが。」
「こ、子供扱いしないで!」
「さっき自分で子供って言ってたのに?」
「………自分で言うのは良いの!それより、雷丸さんの所行かなくていいの?」
「え、なんで知って………」
「全部聞いたって言ったでしょ。その辺に複製した耳とか目とか…………」
「待って待って待って、それ屋敷内の人が見たらどうするんです?!」
「大丈夫大丈夫!とりあえず雷丸さんの所に戻ろう。」
彼のその一言を聞くと、屋根で待機していた雷丸が、二人の元に降りてきた。
雷丸なりに、空気を読んで上にいたのである。
「お話は、済みましたか?」
二人は、笑顔で頷いた。
雷丸は、主人の所に二人を連れて行った。
物音で従者が戻ってきたことに気づいたのか、彼女は起き上がる。
「ただいま戻りました。」
「ありがとう、お帰りなさい。」
「…………少し俺は、外の空気を吸って参ります。」
彼はそういうと、棟梁に頭を下げた。
エティノアンヌも彼女に軽くお辞儀をすると、雷丸と共に部屋を去る。
翡翠と棟梁は、二人きりになった。
お互いに何を話せばいいのか、どうすればいいのかわからなかったが、彼女が勇気を出して、なんとか翡翠に話しかける。
「初め……まして。」
「あ、はい。初めまして………先程は、申し訳ありませんでした。」
「えっと…………妾のこと、分かる?」
「……………ごめんなさい。記憶がないので、分かりません。」
「えぇ?!」
「え、記憶喪失のことをご存知ないと……?」
「全くもう、雷丸はいつも大事なことを言い忘れるんだから。まぁ………………薄々反応がおかしいとは思っていたのだけれど。」
「………………」
「じゃあ、自己紹介から。妾の名前は……………桃簾、改めてよろしく。あと、妾は貴方の……」
桃簾が真実を言いかけたその時。
翡翠は、記憶がないのに…………彼女が何を言おうとしているのかが、何故か分かった。
「母親、ですよね。」
「な、なんでそれを………!」
「…………なんとなく、です。」
「な………?!」
「ずっと、貴方に、お会いしたかったような気がして。」