百七十歩目 「兄と母は嫌い?(I)」
作者です!!
長らくお休みして、申し訳ありません!!
これからは完結まで、出来る限り毎日投稿して行きます。
休んだ分、文字数も多めにとりましたので、どうかこれからも見て貰えると嬉しいです(・▽・)
タッタッタッタッ………
足音は、どんどん遠のいていく。
「翡翠様?!」
「ねぇ、雷丸………あの子、翡翠なの?」
「は、はい!十中八九!!」
「まぁ……………!」
女性は、翡翠の後を追おうとする。
しかし………雷丸に制止された。
「お願い、翡翠のところに行かせて。」
「駄目ですよ!そんなお体で……」
「翡翠のところに行かせて!!妾が生きていた意味が、やっと、やっとあったの!!」
「俺が行ってきます。」
「でも………」
「俺を信じてください、我が主。」
「…………」
女性は、再びベッドに横たわる。
彼女はそれ以上、雷丸に何も口を出さなかった。
「嫌だ、嫌だ嫌だ………嫌だ……………」
翡翠は、屋敷の中を駆け回っている。
何で逃げているのか明確な理由があるわけでもなく、目的地があるわけでもないが、衝動的に逃げてきてしまった。
二人から恐怖を感じ、それに耐えられなくなったからである。
「何故、何故?何故?」
昔からきっと、吾輩は人の感情や行動を把握し、誰よりも腹黒く小賢し生きてきたのだろう。
気がつけば人を無意識に判断していた。
自分に近寄らないでくれという意思表示を、相手のことを知っているということを示すことで、してきたのだろう。
思い出せそうになった時に、吾輩はそれを無視したが、数日前のその日から、断片的な記憶が少し蘇ってしまったことは否定できない。
優しき兄も、その妻も、無邪気な少女も、全員…………変な感じがする。
それが何かはわからなかったが、自分が知らない、当たり前の何かであることだけは、なんとなく察した。
思わず記憶がないにも関わらず兄を抱きしめ返してしまったのも、おそらくそれが原因と見える。
記憶がなくて不安だったはずなのに、自分がそれを無意識に、かつ当たり前に隠せる人間だったのだと、目覚めてから十分でわかってしまった。
自分自身がどんな人間だったかが曖昧だったのに、ちゃんと不安を隠せていたから。
これ以上、記憶を戻したいとは思わない。
自分自身のことはどうでもいいが、兄の悲しむ顔は、もう見たくないと思ってしまう自分がいる。
記憶が戻ってしまったら、吾輩は、兄が言っていたように、また兄を塵と呼ぶのだ。
再び色々な人々を傷つけ、その挙句、今度は自分が塵に堕ちるなんて。
分からない。
何故周りの人々は、あんなに柔らかい感情をこちらに向けるのか?
勿論、その感情がどんな感情なのかも。
ただ、どうか…………そんな感情を、吾輩に向けないで欲しい。
なんとなく分かる、吾輩が碌な人間じゃなかったことは。
その上でこんな人間に向き合ってくれたとしても、何も覚えていないし………第一、人の道を外れた者に、そんな権利はないんですって。
いくら皆がそのような感情を向けたところで、意味なんてないのだから、残酷なだけだから。
この足音、絶対に雷丸様から追いかけられている。
まだ遠いが、素の足の速さでは彼に負けいるかもしれない。
いや、足音が徐々に近づいている為、確実に負けていると言える。
だがここで、微かな記憶があるのを良いことに、秘術を使うのは駄目だ。
吾輩は暫く秘術を使っていない。
失敗することはないと言っていいが、うっかり強過ぎる力を引き出してしまうことが考えられる。
あまりに強い力を使うと、ここの床が抜けたり、建物自体が振動する可能性が高い。
何かあったら、兄にもこの邸宅の人々にも迷惑が………
_____は?
なんで今、他人のことを考える?
現在この事柄を思考するのは得策じゃない、合理的じゃない。
自分の目的に集中しなければ。
……あれ?
吾輩の目的はなんだ?吾輩の明確な理由はなんだ?
人の行動には、必ず理由がある。
理由がなかったら、それは即ち、己自身が恐れているものに、吾輩自ら堕ちたということ。
………それだけは駄目だ、それだけは。
そんなの、許されていいことじゃない!!
そうだ、それは許されていいことじゃない、そうなってしまったら、自分が永遠に苦しむだけ。
「この邸宅………何処が出口だ?!屋根に登るわけにもいかないし……」
いっそずっとここに待機して、自分がいない幻覚を見せようか?
………無理だ、幻覚を見せるには、相手の視線が何処から来るかを計算しないといけない。
幻覚を見せるには、相手に見せたい景色を軽くイメージし続ける必要があった。
それを入れても…………体力も消耗せず、いくらでも好きに使え、何人もの人間に効果を発揮できる良い魔法と言える。
しかし、この魔法には、決定的な弱点がある。
その弱点というのは、とんでもない想像力が必要であることだ。
頭の良い人間なら、相手からみて、自分がどんな風に見えるか考えるのは容易い。
翡翠も、真正面や真後ろ、右側左側から見られた角度程度、想定できる。
問題は、上下の視点。
万が一屋根に登られて捜索された場合、そこから自分がどのように見えるのか、屋根に登ったことのない彼に分かるはずもない。
そこからなら、幻覚を掻い潜られてしまう。
身長は同じくらいだが、そこそこ低い姿勢で走ってこられた場合、普通に姿を捉えられる可能性が高い。
自分の父が、どのようにして想い人をこの魔法で救ったのかを知ったら、きっと翡翠は驚愕するだろう。
翡翠はそんなことを考えながらも、走り続けている。
だが、翡翠はとあることを見落としていることに気づいた。
「なんで…………?!」
目の前には、さっきいなくなったはずのエティノアンヌの姿が。
翡翠は、思わず一瞬だけ笑顔を崩しかける。
「ノアね、全部聞いた。全部見た。」
「…………………!!」
「どうして皆から逃げるの?理由を言って、そしたら、きっと皆やめるから!!」
「お願いです、もう許して。」
「それはノアの台詞!!翡翠のことを恨んでる人なんて、ここにはいない。」
「それが本当だなんて、証明できない!!」
「じゃあ翡翠は、証明できなければ人を信用できないの?!」
「貴方はできるんですか?!」
「出来る!」
「他人でも?知らない人でも?」
「何でそこで他人を例にあげるのかな?!」
「吾輩にとっては皆他人だ、知らない人だ、相手の言動を信用した方が負けです!!」
「…………最初は、皆知らない人だよ。」
「それが?!」
「……………………どうして、それを勝ち負けで判断するの?!」
「判断基準は人それぞれですからね。」
「そんなこと言っても………ノア、もう逃げないよ。」
「逃げないって………まぁ、ご勝手に。」
「じゃあ逃げない。」
先程とはどこか違う兄の目を、翡翠はゆっくりと見つめていた。