百六十九歩目 「崩れそう?(IV)」
「ふふふ……」
「…………」
「………………笑う以外の表情を、知らないからですよ。」
「………?!」
「ごめんなさい………多分記憶を失う前から、ずっと笑ってきたので。」
「ずっと……」
「本当は先程、大嫌いって言われた時は、笑顔を………やめてみたかったのですが。」
翡翠は眉を下げたが、まだ笑っている。
「申し訳ない。初対面の方に言うようなことではありませんね。」
「いいえ、とんでもない。」
「…………………その煙草の香り、大事な何かを感じられて、暖かい気分になるのに、同時に大事な何かが遠くにあるような気がして、とても寂しくなる。」
「……………」
「記憶はほとんど飛んでいると言うのに、可笑しい。何故なのでしょう。」
そう言って俯く彼の手を、雷丸は思わず握った。
しかし、それは彼を励ますためなどではない。
雷丸はただ、大事なことを忘れていたのである。
「すみません、翡翠様!大事なことを忘れていました!!」
「えっ?あの、手……」
「ちょっと、俺についてきてください!!」
「えぇ?えぇぇぇ?!」
雷丸は、翡翠を引き摺っていった。
雷丸と翡翠は、とある病室のような場所に辿り着いた。
奥には王国式のベッドがあり、誰かが寝ている。
点滴が複数打たれていることから、寝ている人物の体が、生と逆方向に向かっていっていることが伺えた。
「棟梁。」
雷丸の声を聞いて、その人物は、ゆっくりと起き上がる。
「雷丸、ここでその呼び方はやめてと言っ………」
「……あの、雷丸様。この方は?」
寝ていた女性は、雷丸に何かを言おうとしたようだが、翡翠の姿を見て、固まった。
彼の顔を見れば見るほど、ある人物が蘇ってくる。
この髪色、切長の目、先程の声。
女性の記憶の中の、 ”あの人” にそっくりだった。
彼女は、困惑する。
こんなことは、絶対有り得ない。
わかっているはずなのに、どうしてもどうしても、心の声が、実際の声として出てしまう。
「……………翡翠?」
翡翠は彼女のその声を聞いても、ただただ黙っていることしかできなかった。
疑問系で名前を探ってきた時点で、この人物と自分は面識がないのだろう。
だが、そう理解しているはずなのに、初めて会った気がしない。
多少戻った断片的な記憶の中にも、彼女らしき、中年の女性の姿など、見つけることはできなかった。
でも、それでも…………
彼は思考を必死に巡らせていたが、とある記憶が、自分の中で引っ掛かる。
うっすらとしか思い出せないものの、確かにその記憶から何かを感じていた。
その記憶の中で彼は、送られてきた物を開けて、何か読んでいた。
〔いつか会いたい〕という言葉が、三度に一度は書かれていた手紙。
毎回毎回、服や美しい刀が出てくる大きな箱。
郷土料理のレシピが、細かく記されたメモ用紙。
送られてきたそれからは、いつも同じ香りがしたような気がする。
雷丸が先程火をつけかけた、あのお香と同じ香りが。
そんな朧気な記憶が、翡翠の頭をくるくると回っていた。
自らの意思や明確な感情が整理できず、彼は混乱している。
「い………嫌、です。」
震え始めた翡翠の姿を見て、二人は心配そうな顔をした。
それを見て、翡翠はさらに訳がわからなくなる。
「やめて……ください。その目、その目を…………」
「申し訳ありません、翡翠様。俺、また何かしてしまったでしょうか?」
雷丸のその一言を聞き、彼は部屋を飛び出した。
………病室に入る際に脱いだ下駄も履かずに。
作者です、突然失礼します。
風邪と、ワクチンの副作用が重すぎて、二週間ほどあったストックが、ここで全て切れてしまいました。
現時点では数日分あるものの、一向に体調が回復していないどころか、悪化しているので、おそらくストックを使い果たしてしまうと思われます。
風邪気味の時にワクチンを受けたのがダメでした、大変申し訳ありません。
まだ熱が下がらず、喉の痛さと鼻水も悪化している状況です。
もともと一日一回(これは機械が原因とはいえ)を守れておらず、もはや三日に二度くらいになっていますが、少し投稿出来ない、または更に頻度が落ちるかもしれません。
両手で数えられる程度(予測)の読者様に、お詫び申し上げます。10/29