百六十七歩目 「崩れそう?(II)」
「……………」
「……………」
沈黙が続く。
雷丸は窓を開けるために、少しエティノアンヌから距離をとった。
「あの…………忘れ草、大丈夫ですか?」
「………?は、はい。」
……………次の瞬間、何かが部屋に飛び込んでくる。
「駄目です!!」
飛び込んできたのは、翡翠のようだ。
雷丸もエティノアンヌも、呆気にとられている。
「翡翠、急にどうしたの。」
「はぁはぁ………雷丸様、煙草は駄目です!!兄の前で、煙が出るようなものは控えてください!!」
「え、どういうこと?」
「いくら窓を開けていても、呼吸が苦しくなるに決まっているでしょう?!」
「待って待って、煙草って?」
「忘れ草というのは、煙草の遠回しな表現です!」
「えぇ?!」
自分の言葉の意味が伝わらなかったことに気づいた雷丸は、慌ててエティノアンヌに謝った。
「申し訳ありません!!」
「だ、大丈夫ですよ。それに、私の無知が原因ですし。」
「以後気をつけます……」
「ありがとうございます、助かります……………それより翡翠、翡翠に聞きたいことが出来たんだけど。」
兄の表情を見て、言いたいことを全て理解した翡翠は、彼から目を逸らす。
翡翠は、無計画に飛び出した自分を責めた。
「ねぇ、翡翠。」
「…………」
「助けてくれてありがとう。でも、このお部屋……防音だよ。なんで雷丸が煙草を吸おうとしてるって気付いたの、かな。」
「香りで、強めだったから吾輩でもすぐに……」
「なら……忘れ草って言い方をしたって、分かる筈ない。」
「…………!!」
「それに、翡翠が入ってきた時、扉が開く音………しなかったよ。さっきまで閉まってたのにね。それはなんで?」
「……気のせいでは?」
「いつもの語彙はどこに置いてきたの。すごく焦ってるように見えるなぁ。」
翡翠は、言い出せない。
自分の魔法をもう全て、思い出しているということを。
恐らくエティノアンヌが、この魔法のことを把握していないと勘付き、それを使っていたことも、言い出せない。
必死に言い訳を考える。
………そんなの無意味だとわかっていた。
でも、それでも言い訳を必死に考えている。
二人の視線が痛い。
今まで、恐らく過去にも感じたことがないであろう、この疑問と疑いと愛が混ざりに混ざった視線。
なんで感情のままに動いたのか、自分が損をすると考える以前に、なんで兄を助けようと思ったのか。
どうして兄が植物と人間を掛け合わせた未知の生き物であることを、把握していたのか。
なぜこんなに、色んなことを思い出しては、正しい方向がわからなくなっているのか。
翡翠は震え出した。
自分自身が恐れていた、何を求めて動くのかがわからない人間に、自分がなっているのだと、気付いたからである。
どうして自分が、非合理的な行動に出たのか?
どうして自分が、不利益が伴うことを無視して、兄が苦しまない方を選択したのか?
どうして自分が、こんなに怖いのか?
どうして自分が、恐ろしい記憶から逃げているのか?
どうして自分が、幸せな方向に行くことに少し躊躇するのか?
どうして自分が、こんなに自分について知らないのか?
「なんでって……………全部、聞いてたからに、決まってるじゃないですか。」
「…………は?」
「馬鹿だ、吾輩は。幻覚を見せることが出来ても、ドアの音はどうにもならないというのに、こんな真似を………」
「待って、全部聞いてたってどういうこと?!」
「あなたは、目も耳も複製しなかった………そんな兄の信頼を、利用して、ドアを閉めたような音を聞かせるなんて、ね」
「……………!!!」
「ふふふ、ふふふふふ…………下駄で鳴らした音だから、複製した耳で、近づいて聞けばドアを閉めていないと、分かったでしょう。」