百五十七歩目 「もう一人居るよね?(III)」
景色のいい首吊り場所も、静かに死ねる入水場所も、ちゃんと、探しておきました。
貴方様が、吾輩と愛する人と、共に死にたいと仰ってくれたから。
貴方様、いや若様。
吾輩の本当の、名前を読んで欲しい。
貴方の声で、吾輩の名前を………
「………………駄目だ、これを思い出したら。元に戻れなくなる。」
「翡翠、ごめんなさい。無理に言うんじゃなかった。」
「いいえ、お気になさらず。ただ………もうこの話は終わりにしましょう。」
「何故?!」
「せっかく、エティノアンヌ様が…………兄が、そうしてくれたから。」
「……………」
「なんとなく、どうしてこうなったのかも、分かった気がするので。この記憶は、もうなかったことにします。」
「待って。エティノアンヌは嘘をついてたのよ。信じられるの?」
「………は?何言ってるんですか。信じるとでも?」
「じゃあ、これから翡翠は、どうするのかしら?」
「…………………」
「あ、決まってないんだ。」
「でも、エティノアンヌ様は…………知られたくないこと、それは、吾輩のトラウマと、吾輩が今までやってきた行動だと仰いました。家族について隠す気はないようです。父と母が生きているかは知りませんが、吾輩もおそらく一族の息子。帰れる家くらいあるのでは?」
「なるほど。」
「どうやら吾輩はエティノアンヌ様を拒絶していたようです。この時点でエティノアンヌ様と、同居はしていない。それにどうやら、昔の人格が、かなりの危険人物だったようですし………そんな人間が自分から離れて、一人でいたら、放っておくわけないと思いません?いや、嫌いだから放置する、という人もいるのでしょうが、命救われてますし。」
「ほんと頭が回るわね……」
「とりあえず、帰るべき場所をエティノアンヌ様に聞きます。そこに関しては……エティノアンヌ様も、嘘を吐く必要がないので。」
「…………そっか。」
「エティノアンヌ様はどちらに?」
「パパのとこ、二階よ。」
「では、早速行って参ります。」
翡翠は、逃げるようにアリサの元から立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!!」
「……………?」
「本当のことを知りたくなったら、いつでもリサに言いにきなさい。」
「………………」
翡翠はリサの方を振り返ったが、何も言わずにその場から去っていった。
「本当か?俺と同じだな!」
「はい、私も彼女にイラついたことが、人生で一回もないんです。」
「分かる…………俺自身も謎だが、サンマリアに対してイラついたことが、本当に全くない。」
「………けれど、伴侶に対してイラッとくる人が大半だとか。何故なのでしょうね?」
「俺の友人は、小言を言われた時、妻にイラッとくる………らしい。」
「えぇ…………………小言を言われたら、普通は自分にイラッとしません?!」
「めっちゃ共感!!」
「自分が至らなかったんだなって思うと、申し訳なくなってしまって。何やってるんだ自分ってなります。」
「あぁ、それは本当に思う。」
「そうですか!分かってもらえて嬉しいです!!」
「俺も、本当に君とは話していて、とても楽しい!」
エティノアンヌとアントワーヌは、とても気が合った。
二人とも、伴侶が好き過ぎて、その話なら半永久的に語り合い、耳を傾け合える。
少し狂気すら感じるその愛の重さも、彼らにとっては普通のこと。
エティノアンヌは今まであまり人と話してきていないため、人の価値観を知らないが、アントワーヌにとってエティノアンヌは、愛情の価値観が、唯一ぴったり合う人間だったのだ。
もう誰もいない。