百四歩目 「なんで知らないんだろう?(III)」
「はい、私にも愛されている自覚はあります……………だから、私を置いておけなくて、お客様にお願いしたんじゃないですか?…………だって、お客様以外の連絡先なんて、私知りません。だから、ノアは………一人で外出したんじゃないですか?」
「電話番号なんて知らないけど。」
「メモ用紙があったはずです!」
「そんなものがあったんだ………でも、私は見ていないよ。」
「ここで、メモ用紙なんてなかったと言わないあたり、流石ノアと言った所でしょうか。メモ用紙なんてなかったと言ったら、探していたようなものですから。まぁ、メモ用紙の話は嘘なんですけどね。」
「私には、アリアが何を言っているのか、よく分からないな…………」
「お客様は、固定電話しか使えない。ノアなら、私がいつもボタンを押してる所を見ただけで、番号を記憶できるでしょう?」
彼は、必死にしらばっくれ続けていた。
ケーキは、自分が何かの味を再現して作ったと言えば、誤魔化せる。
家に材料はあるし、アリアだって食べたことのないケーキの店の名前を、当てられるはずがない。
しかし、全て彼女が起きる前の状態と、同じにしてしまったことが、逆に寇となってしまった。
………………記憶力が優れすぎる故のことである。
「リアは、別に怒ってませんよ。別に。ただ、どうして ”死ぬ危険” があるのに、一人で、外出したのかなって、それが知りたいだけなんです。」
「じゃあ………怒っているように見えるのは、気のせい?」
「リアは怒っていません、でもおかしいな。病み上がりなのに血圧が上がっているような気がするなー………」
「そ、それは不思議な現象だ……………」
「外出しましたよね、ね?」
「…………………」
「困りました…………黙っていては分かりませんよ。」
「一つ聞いてもいいかな。」
彼女が無言で頷くのを確認したエティノアンヌは、思い切って率直に聞いた。
「…………………どうして、外出したって分かった?!」
「これくらい考えないと、貴方の妻なんてやってられませんからね!!」
「ここまでくると、流石に怖い!!」
「確かにそうかもしれないですけど…………………前に、似たようなことをノアだってやったじゃないですか!前に、あのろくでもない客の時とか………指輪の時とか!!あ、あの時だって………」
「最初の……………あ、あれは仕方なかったと思う。二番目は………まぁ、良いとして、最後のは…………ごめん。」
エティノアンヌは、少しだけしゅんとした。
アリアはそれを見て、母親のことを思い出す。
「そういえば、三歳くらいの時、お母様に言われました。頭の良い人と付き合っていくには、こちらも相応の頭の良さが必要だから、絶対に引っかかるなって。」
「………………」
「……………まぁ、まんまと引っかかっちゃったんですけどね。全てを覚えて、色々なことを考えて、自分を救ってくれた、頭の良い人に………まんまと。」
「………ごめん、ケーキ買いに行ってた。」
「えっ、ケーキ?な、なんで………い、家で作れば……………」
「熱出てる時………苦しそうに、あのケーキが食べたいって、言ってたから。雑誌のやつだって一瞬で気づいたし、いつも、色んなこと………任せっきりで、だから、買いに…………ごめんなさい。」
「人と会話、しました?」
「一応用意はしていったけど、変な人に絡まれて、その時………ノイズキャンセラー………外した。」
「もう…………貴方は、自分と他人、どっちが大切なんですか。」
外に出て、人と話せば、当たり前に感情を抱く。
他人との些細な会話での感情は、普通すぐに忘れるものだ。
しかし、エティノアンヌは、見たもの聞いたもの感じたもの、それら全てを無意識に覚えてしまう。
知り合いが増えて、感情が蓄積されれば、そこには多少なりとも愛が生まれてしまう。
人と話すのが好きだった彼にとって、それは苦行だった。
大怪我したアリアを連れて、この屋敷で二人きりになるまでの間、何度か首が絞まったことがある。
それほどまでにエティノアンヌは人を愛し、境遇を覆して人に愛されたのだ。
守りたい大事なものはあれど、目の前から消えてしまったらどうしようという恐怖感は、もう麻痺していたはず。
だから、人とたくさん話すことができていたのに、拒絶されても平気だったのに、なのに…………
どうして、隣に居たいと思ってしまうのだろう。
どうして、彼女の側にいるのは自分でありたいと願ってしまうのだろう。
偶然………彼女も同じ思いだった、これは果たして、運がいいのか、悪いのか。




