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赫き剣風  作者: 林来州
7/10

 七


 人を分け、猫を(また)ぎ、橋を渡り、 ()ぶが如き(はや)さで刀治は伊予松山藩邸に辿り着いた。

「……ハッ! すみませぬ……。ここに……武田新三郎殿は……居られるか……ッ!」

 息を乱しながら、刀治は藩邸入り口の見張りに尋ねた。しかし、見張りは顔をしかめて刀治を追い払おうとする。

「なんじゃ貴様は! ここは貴様のような浪人風情には関係ない場所じゃ!」

「……五月蠅(うるせ)ぇ! こちとら澪さんの命が(かか)っとるんじゃ!」

 怒り気味に、見張りに詰め寄る。しかし頭の芯はまだ冷静であった。刀治の目論み通り、「澪」の名を出した途端、見張りどもが動揺した。

(はよ)ぅ言え……新三郎殿は何処に!」

「ぬぅ……」

 怯む見張りに、刀治は更に詰め寄る。

「……そこの。今、澪と言ったか……?」

 その時、刀治の背後から声が響く。何事かと振り返ると、なにやら立派な着物に、三つ葉葵の紋付を着た武士が(いぶか)しげな表情で立っていた。更にその武士の後ろには、お付きと思われる若い武士が二人ほど控えている。

「……あんたは?」

「貴様! なんだその口の聞き方は!」

 怯まず、淡々と、刀治は口を開いた。その様を見た見張りの男が顔を青くしながら怒鳴った。

「そのお方は松平家当主、松平定助様であるぞ!」

「……松平」

 思わぬ人との遭遇に、刀治は今一度、定助と真っ直ぐに向き合った。

 年の瀬は二十五ほどであろうか。角ばった輪郭に、思慮深さが滲み出る細い目、そして愛嬌を感じる丸みのある鼻と、実に人の良さそうな顔つきである。しかし、その佇まいは威厳に満ちていた。

「よい。今は礼法についてとやかく言うつもりはない」

 落ち着き払った重々しい声で、定助は見張りを制した。

「そこの者の言うとおり、(わし)こそ松平家当主、松平定助じゃ。そなたの名は?」

「……浪人の細川刀治と申します」

「ふむ……。それで、そなたは何故、澪のことを知っておるのじゃ? わざわざここでその名を喚いておるのじゃ。儂の思う人と、同名の他人と言う訳ではあるまい」

 じっと、射抜くような鋭い目で、定助は刀治を見据える。しかし刀治は一切怯まず、堂々と今までの経緯(いきさつ)を話した。澪との出会い、新三郎との出会い、澪の真の素性、そして新三郎と共に消えたこと――。

「……ほんで、澪さんが新三郎殿に殺されぬように、彼の居場所を知りたいのです」

 刀治はそう締め括り、定助の反応を見守った。

「……ふふ」

 一通りの話を聞き終えた後、定助の口から笑みが漏れた。そして我慢できないと言わんばかりに、見張りやお付と共に大笑いし始めた。

「……いや、失敬。なんとも、刀治殿よ、考えすぎじゃ」

 目じりに涙を浮かべるほど大笑いしながら、きょとんとする刀治に定助はそう言った。

「まず、新三郎が澪を斬るなどあり得ぬ。あれは私の腹心ぞ」

「いや、しかし……」

「それに、奈津が手にかけると言うことも最早あり得ぬ。――確かに、奈津が鈴の側室入りに大反対したのは確かじゃが、七日前の話し合いでなんとか納得してくれたわ」

「……なんと」

 まさか、己の早とちりなのかと、刀治は唖然とした。

「まぁ、側室入りの許しが出たことを澪に伝えようとしたら、忽然(こつぜん)と消えておったのは確かじゃ。ただそれも、儂と奈津の仲が悪くなると気を病む(ふし)があったからきっとそのせいじゃろう。新三郎が澪を探していたのも、澪を探すのを頼んでいたからじゃ」

「ではまさか、本当(ホンマ)に某の早とちりで……」

「まぁ、そうじゃな。……しかし、一度は澪を救ってくれた事、そして今も澪の身を案じて動いてくれたこと、誠に大儀である。何か褒美を取らせるゆえ、入ってくれ」

 そう言って、定助は刀治の右横を通り過ぎ、藩邸内に入ろうとする。

(……俺の、思い過ごしやったんか……)

 突きつけられた結論に愕然とし、全身から力が抜ける。

(……ほなけど)

 しかし刀治は、未だに消し去れぬ疑惑を感じていた。

「……新三郎殿が澪さんをここに連れ帰る手筈やとしたら、遅うないですか?」

「……何?」

 定助の足が止まり、振り返る。刀治は背を向けたまま、淡々と己の推論を述べ続ける。

「某の住処からここまで、そう遠くはございません。なのに何故、未だに澪さんと新三郎殿は現れんのですか?」

 刀治の疑問に、定助は息を飲んだ。

「それは恐らく、別の道を使っておるか、どこかで寄り道を――」「ほれに、何故――」

 定助の言葉を遮り、刀治は更に続ける。

「何故昨日、新三郎殿は……人斬りの目をしていたのですか?」

 あの大侍に脇差を突き立てた時の新三郎の目を思い出しながら、搾り出すように、刀治は言葉を吐いた。また「考えすぎだ」と一蹴されそうな、しかしそれでは収まりのつかぬ疑惑を。

 直助は何も言わず、ただ神妙な面持ちで刀治を見つめている。

「……教えてくだされ。本当(ホンマ)は何かあるんと(ちゃ)いますか……? 新三郎殿が、澪さんに手をかける理由が」

 朗らかな晴天の下、冷たく張り詰めた空気が、伊予松山藩邸前に漂った。

「……お主らは下がっておれ」

 静かに、有無を言わせぬ重い言葉で、定助は見張りやお付を藩邸内に押し込めた。大名と浪人。全く異なる二人だけが、その場に残った。

「……何から話せば良いものか」

 むぅ、と腕を組んで、定助が口火を切った。


「……ほないなことが……」

 定助から明かされた真実に、刀治は息を飲んだ。

「うむ。……しかし、それでも考えすぎじゃと儂は思う。なんだかんだと、澪を側室に入れる際、新三郎は奈津を説得するのに協力してくれた。奴が澪を襲うなど……」

 未だに刀治の推論を否定する定助であったが、当初の威厳は消えうせ、その声に自信は微塵も無かった。最早刀治は「考えすぎ」などとは思わなかった。

「ほれで、新三郎殿がいるとしたら、何処で?」

「……西の外れにある小山、『兼能山』にある朽ちた神社じゃろう」

「承知しました。ありがとうございます」

 聞き終えるや否や、刀治身を(ひるがえ)した。

「待て。……お主は何故、赤の他人の澪のことをそこまで案ずるのだ」

 定助の疑問に、刀治は足を止め、しかして振り返らずに答えた。

「澪殿が死ぬると、悲しむ者がおります故……。ただ、ほんだけです」

 ただ淡々とそう言い残し、刀治は再び疾風の如く駆け出した。

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