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赫き剣風  作者: 林来州
6/10

 六


「……おはようさん……」

 動乱の一日が明けて、もうすっかり陽は高く昇った晴れやかな朝。未だ寝たままの澪を残して大島虎兵衛の屋敷に再び訪れた刀治は、玄関にて寝ぼけた鈴と再会した。目はほとんど閉じたままで、自慢の黒髪はあちこち寝癖が跳ね、着物の着こなしも少々崩れている。

「……おはよう」

 そんな鈴を見て、刀治は淡々と挨拶を返す以上には何も言わなかった。

「ほな、帰ろか」

 くぁ、と大きくあくびをしながら、鈴は覚束(おぼつか)ない足取りで歩き出した。刀治は何時も通りと言わんばかりの様子で、その右隣に着いて行く。

「いやぁ。昨日は結局七回もヤッてなぁ。尻がまだむずむずするわ。ほなけどまぁ虎兵衛様の元気なこって、朝が来たら平然とお勤めに向かわれたわ」

 朝っぱらから猥褻(わいせつ)なことを言い出す鈴に、刀治が顔をしかめる。

「そう言う話は今すなや」

「え~、別にええやん。誰が聞き耳たてとる訳でもないんやし」

「聞かされるこっちの身にもなれぇ」

「なんや刀治はん。初心(うぶ)なこと言いなはるなぁ」

 鈴は含みのある横目を刀治に向けて、口の端を吊り上げた。寝ぼけていても、刀治をからかうことに余念はなかった。

「……それよりも、伊予藩のことは聞けたんかい」

 付き合いきれんとばかりに、刀治は話題を逸らすことにした。

「ああ、うん。ちゃんと聞けたわ」

「ほぅ。思ったよりあっさりやったなぁ。何も教えてもらえんと思いよったんに」

「ほらもう、あたしのコレがお上手なおかげよ」

 そう言いながら、鈴は右手の人差し指と親指で輪っかを作り、それに空気が通るように振ってみせた。どうしても下品な話に繋げるのかと、刀治は肩を落とした。

「……で、一体どんな話が聞けたんや」

「……うん……まぁ……どこから話したらええもんか……」

 刀治の問いかけに、鈴は口を濁らせる。

「まず最初に。澪はん、やっぱり嘘吐いとったわ。本当(ホンマ)は伊予松山藩の大名、松山家の屋敷で働いとった下女やったんよ。元々は。ほなけどある日、松山家の当主の定助(さだすけ)様っちゅう、どえらい好色な大名に一目惚れされて、側室になりそうやったんやって」

 側室と聞いて、刀治の目が丸くなる。無くは無いとは言え、下女が側室に取り立てられると言うのは驚くべきことであった。

「ほなけど、ほれは叶わんかった。……ほらまぁ、ほんな大出世、周りの人間に良く思わん奴が出るんは当たり前や。で、ほの筆頭が、定助様の正室の奈津さまや。たかだか下女が大名家に入ろうっちゅうんが大層気に食わんようで、大反対したそうや」

「いや……けど……」

 不思議そうに、刀治が口を挟む。

「側室っちゅうんは、身分関係無しに美人どころが揃うもんやろ」

「ん~。まぁ、確かにほうなんやけど、すんなりほういかんのが人情や。……娘が偉いお方と結婚するためにと、両親は色々根回しし、頭を下げてきた。自分も大名の妻にふさわしい人になるべく厳しく躾けられてきた。自分と家族がほんなに苦労して手に入れた立場に近いもんを、下女があっさり手に入れようっちゅうんやから、まぁ面白ぅないわ。とにかくほういう経緯で、定助様と奈津様があれこれ言い争っとるうちに、いつの間にか澪はんが消えたそうな。――何故(なんで)か、今うちに()るけど。

 ま、ここまでがあたしが聞いた話や」

 そう言って、鈴は一つ大きなため息を吐いて「なんや、えらい事に顔突っ込んでもうたなぁ」と一人ごちた。

「けどまぁ結局、澪はんが本当(ホンマ)に命を狙われとんのかは分からずじまいや」

「……奈津様の仕業とちゃうんか」

「う~ん、ほれやとちょっと動機が弱い気がするんよなぁ。澪さんは松山家から出て行っとる訳やし、()っといたら側室入りはおじゃんや。ほれをわざわざ追いかけて殺す理由なんて……」

 澪の言葉に納得し、刀治は考え込んだ。しかし、すぐに何かを思いついて目をはっと見開いた。

「……子ども目当てや。今思い出したわ。俺の兄弟子の嫁さんが身篭った時、つわりが酷うて……。昨晩の澪さんも、ほの嫁さんみたいに調子悪そうにしとった」

 淡々と紡がれる刀治の言葉に、鈴は豆鉄砲を食らったような顔になる。

「あの野武士らや新三郎は、澪さんが身ごもった松山家の跡継ぎを産ませまいと、奈津様が放った刺客やないか」

「……なんとまぁ」

 驚きのあまり言葉も出ないと言わんばかりに、鈴は口元を袖で覆った。

 澪の子が本当に跡継ぎになれるとは限らない。だがそれでも、跡取りとなり得る子を産んだ(ほま)れは確かである。(しか)らば、自らを差し置いて勝手に子を成した定助と澪を奈津が怨み、妬み、そして深い殺意を抱いてもおかしくはない。

「……あたしらは、どないすればええんやろ?」

 ポツリと、鈴がこぼした。その顔は不安と苦悩に満ち、どんよりと暗い。

「俺らが(かくま)っとるおかげか刺客も襲って来てへん。今のうちに澪さんをもっと別の所に逃がしたほうが()えかも知れん」

「どこかって……どこよ?」

「さぁ。少なくとも、江戸からは逃げた方が()え。……澪さんがほれに納得してくれるかどうかは分からんけど」

「……ほれしか無いんかいな。なんかこう、奈津さまと澪はんが和解する道とか……」

「俺とお前と澪さんが、平穏無事に生き延びるっちゅうんなら、逃げるんが一番やろ」

 刀治は真っ直ぐな目で鈴に訴えた。無茶だと。鈴はそれを察し、ため息を吐いた。

「……ほうかぁ。仕方(しゃあ)ないなぁ……。ほなせめて、用心棒がてら二人で途中まで送って行ってあげましょ。ほんで、ついでにどっか温泉にでもよって帰りましょ」

「……おう」

 やるせない思いを笑顔で隠す鈴を見て、刀治は己の不甲斐なさを痛感した。


「ただいま~」

 刀治と鈴が長屋の部屋の戸を開けると、そこには誰も居なかった。

「……あれ? 澪はん?」

「……厠にでも行っとるんちゃうか?」

「ん~、ほうかなぁ……?」

 どうしたことかと二人が首を傾げていると、「ちょっとちょっと、鈴ちゃん!」と、背後から声をかけられた。振り返ると、そこには隣に住む権助の妻のお福が、なにやら慌てた様子で立っていた。

「あら、お福はん。なんでっか?」

「今さっき、あんたの所の新しい居候の……え~っと、そう! 澪ちゃん! 澪ちゃんが、若いお侍様に連れて行かれてたけど、何かあったの?」

「ええっ!」

 想定外の出来事に、刀治は「しまった!」と心の中で激しく後悔した。

(もう既に、ここに()るとバレとったんかい!)

 焦る気持ちを抑え、刀治はなんとか平静を保ち、お福に尋ねた。

「その……侍の容姿というのは……」

「そうねぇ、凄いたおやかな美形だったよ。もう、女なのに嫉妬しちゃうくらい」

 それだけ聞いて、刀治の脳裏に浮かんだのは、あの優男の新三郎の姿であった。

「何処に、何処に行ったん?」

 焦りを隠し切れないまま、鈴も早口にお福に尋ねる。

「さぁ、そこまでは……。すれ違う時に、軽く挨拶されただけだから」

(……挨拶? 挨拶する余裕があった? 人一人連れ去るのに?)

 なんとなく、新三郎の言動に合点が行かず、刀治は更にお福に尋ねた。

「では、ほの時の澪さんの様子は? 無理矢理連れて行かれるような雰囲気でしたか?」

「ううん。全然。むしろ澪ちゃん、なんだか嬉しそうだったねぇ。いつもにこにこしてるけど、今日はまた一段と晴れ晴れしてたわぁ」

(……どういうこっちゃ)

 不可解な澪の様子に、刀治の頭に更なる疑問の渦が湧く。

「……刀治はん、どないしよ?」

 しかし、鈴の震え声で我に返り、とにかく今は澪を見つけねばと気を入れなおす。

「――とりあえず、伊予松山藩邸に行ってみる。もしかしたら、ほこに居るかも知れん」

「ん。分かった。ほなあたしは人伝(ひとづて)に、澪はんを追ってみるな」

「……いや、お前はここに残っとれ。危ないわ」

「なに言うてんの。澪はんの一大事じゃ。あたしだけのうのうとしとれるかい」

 真剣な眼差しで、鈴は刀治を見据える。刀治は少しだけ迷い、そして折れた。

「……例え澪さんがどんなに酷い目に遭っとっても、お前は絶対にでしゃばるな。俺を呼べ。()えな」

「はいな」

「ほな……。お福さん、ありがとうございました」

 そう言い残して、刀治は疾風の如くその場を後にした。

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