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赫き剣風  作者: 林来州
5/10

 五


 刀治が己の住処に帰った頃には、もうとっくに日が落ちて、江戸は宵闇に包まれていた。

「ただいま」

 刀治が戸を開くと、家の中は蝋燭の微かな明かりすらなく真っ暗であった。

(……澪さんはもう寝とんやろか?)

 そんな事をぼんやり思いながら、刀治は手元の提灯でゆっくりと家の中を照らしながら、玄関を上がってすぐの障子戸も開ける。

「……澪さん?」

 その先の狭い一室の真ん中で、澪は体を丸め、右半身を上にして横になっていた。提灯の淡い茜色の光に照らされた彼女の顔は苦悶でゆがみ、浅く苦しそうに息をしていた。

「!」

 流石の刀治もこれには動揺し、大きく目を見開く。しかし直ぐに気を取り直し、手早く土産のどぶろくを部屋の隅に置いて、提灯の火を蝋燭台に移してから片づける。そして澪の枕元に座し、彼女の額に右手を当てて具合を確かめる。

(……熱は無い。何かの病気か?)

「……ああ、刀治さん。お帰りなさい」

 今目を覚ましたのか。弱々しい声で澪が喋る。

「……今、医者を呼んできます。どこが悪いんか教えて――」

「いえ……医者は結構です。横になっていれば、そのうち治まるので……」

「けど……」

 医者を呼ぼうとそわそわする刀治の袴を、澪の右手が力なく掴んだ。ひやりと冷えた手の温度が、袴越しに伝わる。

「お願いします……。一人にしないで……」

 澪の縋るような物言いに、刀治はただ、「分かりました」と答える事しか出来なかった。

「……某に出来ることは何かありますか?」

「そうですね……背中をさすって頂ければ……」

 澪に頼まれ、恐る恐る、背中をさする。……自ら女人に触れるなど、刀治には草鞋を編むよりも不慣れなことであった。

「……ああ。楽になってきました」

「……このまま続けましょか?」

「……はい」

 互いに無言のまま、刀治はたどたどしくも優しくさすり続ける。四半刻(約三十分)ほどそうしていると、次第に澪の呼吸が落ち着き、顔色も良くなった。

「……もう大丈夫です。ありがとうございます」

 調子が戻った安穏と、夜が更けた故にだろう。澪はとろんとした半目になっている。

「もう少し、横になっとった方がええです」

「はい……」

 それから間もなくして、静かな寝息が聞こえてきた。刀治は無言で布団を敷き、眠った澪を両手で抱き上げ、布団に移した。

 そしてようやく、刀治は大きく息を吐いて人心地付いた。

(……今日は色々ありすぎたわ)

 心身共に疲れ果て、思わず座り込む。しかしこのままではいかぬと、腰の一本差しを部屋の隅に置き、自分の分の布団を敷こうと立ち上がろうと右の片膝を立てる。

 ――と、その時。澪が微かに呻いた。すわまた症状がぶり返したかと、刀治がぴくりと身構え、澪の顔を見やる。……しかし、澪の表情は落ち着いたままであった。

 気を取り直し、再び刀治が立ち上がろうとしたところ、澪の口から言葉が漏れた。

「さだすけさま……おあいしとうございます……」

 その意味深な言葉を、刀治は聞き逃さなかった。

(『さだすけ』? 誰のことや)

 刀治は片膝立ちで静止したまま、あれこれ考えよう、思い出そうとする。だが疲れ切った頭では思考に(もや)がかかって考えがまとまらなかった。結局、諦めて立ち上がり、自分の布団を敷いて、着替えもせずにさっさと眠りこけた。

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