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赫き剣風  作者: 林来州
4/10

 四


「伊予藩の藩士が澪はんを?」

 刀治が向両国に出かけたその日の夕暮れ。空の重箱を提げ、鈴の右に並んで武家屋敷を歩く途中、刀治は昼の出来事を鈴に話した。

「……一体、どういうこっちゃねん」

「それは分からん。とりあえずは、嘘吐いて誤魔化しといたけど」

 眉間にしわを寄せ、腕を組んで鈴が考え込む。だが、首を傾げて小さな頭を二、三度揺らしたところで、「あっかん。思い付かへん」と諦めた。そして、少し迷った後、ふと「……虎兵衛(こへえ)様に聞いてみよか」と呟いた。

「すまんけどほうしてくれ。このまま手ぇこまねいとったら、不味いことになりそうや」

 口下手な己には到底出来ぬことだ。と、心の中で鈴の才に感謝する。

「まぁ、任せとき。あたしに()とせん男はおまはんだけや」

 鈴が悪戯っぽい笑みを刀治に向ける。刀治は「頼んだぞ」と素っ気無い態度と言葉を返した。

「……なんやその反応は。えらい癪に障るなぁ」

 鈴の眉が、一転して険しくなる。しかしその目はどこか楽しそうであった。

「……えぇ?」

「『こんなに美人な鈴様に全く(なび)かんで申し訳ありません』ぐらい言うて謝ったらどうな

ん?」

 そんな無茶苦茶なことを言いながら、鈴は右手を伸ばして、刀治の左頬を軽く(つね)る。

 ――たまに、無茶な言いがかりをつけて刀治を苛めるのが、鈴のささやかな楽しみの一つであった。

「……す(ふ)まん」

 刀治もまたそれには慣れたようで、理不尽に怯まず、仏頂面のまま適当にあしらう。

「ま、ええわ。いつか必ず、あたしを抱かせたるさかい」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、鈴は手を離した。――二人がそうこうやり取りしているうちに、とうとう当初の目的地である大島(おおしま)虎兵衛の屋敷に辿り着いた。

 他より少しばかり大きく、内にちょっとした庭が付いた屋敷だ。

「おおう。もう着いたんかい。――よっしゃ、ほな刀治はん、頼んだで」

「……おう」

 軽く息を吐いて気を引き締める。そして刀治は戸を軽く叩いた。

「御免ください。商いに参りました」

 そして、いつもより声を張って挨拶をする。それから少しの間を置いて、「は~い」と扉越しに女の返事が聞こえてきたかと思うと、静かに戸が開いた。

「こんばんは。お久しぶりです」

 開いた戸の先には、一人の下女が居た。まだ幼さは残るが、背筋をしゃんと伸ばし、はきはきと喋る女であった。

 最初の呼び出しさえ済ませてしまえば、後はもう用はない。刀治は静かに脇に逸れ、鈴が前に出て受け答えをする。

「いつも贔屓にして(もろ)てありがとうございます。虎兵衛様は奥にいらっしゃりますの?」

「はい。もう湯浴みも済ませて、首を長くして待っておられま――」

「おうおう。もう来よったか!」

 下女と鈴が挨拶を交わしていると突如、廊下の奥からどたどたとやかましい足音と張りのある声と共に、一人の男が現れた。

「おう! 鈴殿! よく来てくれた!」

 死人のような刀治とは真逆に、非常に溌剌(はつらつ)とした男であった。

 張り艶のある綺麗な楕円型の輪郭に、吊り上がり気味の細い眉、きりりと力強い目、高く締まった鼻筋、そして薄い唇が乗った、『二枚目』と言う言葉が呆れるほどに相応しい男であった。

「こんばんは。虎兵衛様。本日はよろしゅうお願いします」

「いやいやこちらこそ、今日はよろしゅうな! さ、早く上がってくれ!」

 鈴がにこやかに挨拶をすると、二枚目の男――彼こそが、大島虎兵衛である――は、お天道様の如き明るい笑顔を浮かべて、鈴を招く。

「はぁい。それではお言葉に甘えて、お邪魔します」

 普段とは違う、甘い声音をあげながら、鈴はゆったりとじらすように屋敷に入る。

「ほな。刀治はん、留守番とお迎え頼むな」

 ゆるりと振り返り、刀治に言葉を残して、鈴は玄関を上がった。そして、恋仲同士のような慣れた仕草で虎兵衛の右腕に絡みつき、己の体重を少しばかり預ける。

「……今宵はたっぷり愉しみましょ」

 鈴の潤んだ上目遣いと甘い囁きに、虎兵衛の顔が見る見る上気し、鼻の下が伸びる。

「……! で、では、金剛どの! 暫く鈴殿を預からせて貰うぞ!」

 しかし、下女と浪人の前でそんな腑抜けた顔を見せまいと意地を張り、なんとか快活な笑顔を再び浮かべてごまかそうとする。

「はい。どうぞ、ごゆるりとお楽しみ下さい」

 そんな虎兵衛の痴態を刀治は見てみぬふりをして、さらりと返事をした。

「そうじゃ! (きよ)! 金剛殿に土産を持たせてやれ! この前贈られた剣菱がよい!」

「はぁい」

 清と呼ばれた下女は、元気に返事をして屋敷の奥へと向かった。

「そんな、某には勿体無の うございます」

「よい。よい。わしが酒好きじゃからと、皆から飲みきれんほど酒が贈られてくるのじゃ。一本ぐらい、気兼ねなく受け取ってくれ」

「……ありがとうございます」

「うむ。では、また明日」

 刀治の礼を聞き終えると、虎兵衛は鈴を連れて屋敷の奥へと引っ込んだ。そして、それと入れ替わるように清が一本のどぶろくを抱えて再び現れた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 清が差し出したそれを受け取り、刀治は一人、己の住処へと帰った。

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