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7.魔法

 『コロシアム』の上層部が管理する高位奴隷の拘束場はおよそ、奴隷を捕まえておくような場所には見えず、貴族を迎える為に用意されたような一室だった。

 自らを殺傷する物を除き、最低限の家具が置かれ、食事以外でも水を飲むこともできるようになっている。扉の前には見張りが立ち、部屋は全部で三つ。最近では一部屋だけ使用されていた。


「……」


 その一室。ベッドの上で座り、音に耳を傾ける『長耳族』は、生まれつき光を知らない高位奴隷だった。


 【森の鼓動】。そう呼ばれている彼女は自分が特別だとは一度も思ったことは無いし、家族や同胞たちも、彼女を特別扱いしなかった。

 だから、『人間』に対しても彼女はごく普通に接し、そしてごく普通に騙されてしまったのである。それでも、危機的状況であると悟った彼女は“耳笛”を吹いた。

 その音で父が追いかけてくる声が聞こえたが、それも次第に聞こえなくなった。

 『コロシアム』に連れてこられ、『深緑の森』では聞くことのなかった音はとても不気味で、今まで以上に恐ろしかった。

 自分は普通だと思っていた。けど、こんなにも無力だとは思いもしなかった。

 そして、この部屋に囚われて一週間。

 生活に不備はなかった。しかし、丁寧に“特別”扱いされていると自覚すると怖くなって蹲りたくなる。

 そんな時、彼が声をかけてくれた。


「ケルファト……」


 彼は度々、この部屋の扉の前に訪れて話をしてくれた。ここへ簡単に通してもらえるとは思えない。きっと無茶なことをしているのだと彼女も悟る。

 それでも、彼の声は心強かった。


“今日で7連勝目だ。後三つだからよ。待っててくれよな”


 どうして、自分の為にそんなことが出来るのか。と聞くと、


“俺が勝手に決めたんだ。だから、これはただの自己満足。お前が気に病む事じゃねぇよ”


 自分が特別だったから、誰かが傷つく。


「……私はどうなってもいい。でも……ケルファトは……助けてください……女神様――」


 盲目の身では一人で逃げだすこともできない。彼女にできるのは祈る事だけだった。






 アレックスは妙だと勘づく。

 起こった土煙は明らかに不自然だったのだ。ケルファトが拳を振り下ろした直後に巻き上がり、しばらく視界を奪うように都合よく停滞していた。

 そして、土煙が晴れる。


「……これが“魔法”ですか?」

「ああ? お前“魔法”を見た事なかったのか? どこの田舎モンだよ」


 異世界アークでは“魔法”とは日常的に使われている。魔法を使えば、劣悪な環境でも生活でき、踏破することが出来ないとされている危険地帯にも行くことが出来る。

 日常生活でも当然のように使用され、戦いにも用いる事ができるなど無限の可能性が秘められている。


『ケルファトの奇襲に深追いしないアレックス! これは長引きそうな予感がします!!』


 レフェリーの解説が戦いの場に響く。実況も観客達への余興の一つだ。

 ケルファトはアレックスが挙動を警戒して様子を伺っている間に爪先に“魔法”で積み上げていた。そして、アレックスに向かって蹴り上げる。


「!」


 アレックスは即席の目つぶしに反応して避ける。だが、ケルファトとしては受けても避けてもどちらでも良い。行動を制限する為なのだ。


「避けてばっかりって事は、受け慣れてねぇんだろ?」


 避けた先を読んでいたケルファトの拳はアレックスの顔面を捉えて殴りつける。

 回転するようにアレックスは回ると頭から地面に沈む。しかし、次には跳ね上がるように靴の裏がケルファトへ迫った。


「うおっ!?」


 殴られたアレックスは回転して威力を抑えると、手を地面につけ、逆立ちするように跳ね上がったのだ。しかし、


「そこから次があるのか?」


 反撃に予想しない角度からの驚いたケルファトだったが、避けられない攻撃ではなかった。そして、伸び切ったアレックスの足首を掴む。


「ありますよ」


 その言葉を証明するようにアレックスは逆立ち状態から身体を横にひねる。掴まっていない片足の踵がケルファトの側面から迫る。

 ケルファトはアレックスの足を離すと身体ごと僅かに下がって躱す。躱された勢いのままアレックスは空中で身体を安定させ両足で着地した。


()りづれぇな。お前――」

「こっちの台詞です」


 と、アレックスの口の端から、一筋の血が垂れる。回転して威力を殺したとはいえ、ケルファトの拳はまともに受ければ十分な威力を持っていたことがわかる。


『瞬きすれば見逃してしまいそうな攻防だァ! これは目が離せません!!』

「降参するならまだ聞くぜ?」

「今さら降参はかっこ悪いでしょう?」


 と、不意を突くようにアレックスもケルファトと同じようにある物を蹴り上げた。

 ケルファトの視界を覆ったのは手枷。この場所に入ってきたときに着けていた物だ。反射的にケルファトは、はじく動作へ移る。

 攻めあぐねた今が好機だと判断しての行動だ。アレックスは間合いを詰め、ケルファトの太ももへ最初と同じように蹴りを放つ。


「“魔法”を見たことがなかったんだよな?」


 次にアレックスが感じたのは肉を打つ音ではなく、硬い砂を蹴ったような痛みだった。


「痛ッ!?」


 何が起こったのか見えた。そして、“魔法”の汎用性の高さを再認識する。


「“魔法”ってのは土埃を起こすばかりじゃねぇんだよ」


 ケルファトはアレックスの下段蹴りに肘を合わせて受けたのだ。ただし、その腕には地面と同色の肌質をした茶色の甲が存在している。


『おおっと! ここでケルファトが魔法を発動! このフィールドは奴の適正を100パーセント発揮できる最高の環境なのだぁぁ!!』

「お前が、打撃しかないのはわかった」


 周囲にある、魔法的要素を使えるのは“土”。そして、ケルファトが一週間もない日時で七連勝できたのは自分の適正に戦いの場が合っていたという要素も大きい。


「降参しろよ。かっこ悪くても死ぬよりはマシだろ?」


 ケルファトの魔力は“土”の適性を持ち、それらを自在に操る事が出来るのである。






 魔法。

 それはアークにおいて、生きていく上では真っ先に学ぶ要素であり日常的に使われている技術そのものであった。

 アークの住人は皆、生まれながらに魔力を持ち、自らの適正に合った魔法を発現させる。

 だが、基本的にはその場に、適正に合ったモノが存在しなければ使用することは出来ない。


 『火魔法』を使いたければ火を起こす必要があり、『水魔法』を使いたければ水分がなければならない。無から有を生み出すことは出来ないのである。

 その為、基本的には己の適正が存分に発揮できる場所で行動する。

 火であれば戦火渦巻く戦場や、水であれば海や水辺など、自らが使えない要素しか周囲になければ“魔法”は無力に近い能力ともなる。

 そして、魔法を使用している間は“魔力”を消費する。魔力は修行次第で伸ばすことは出来るが、種族による差も大きいのが特徴である。


 しかし、大技を連発できる魔力を持っていたとしても、周囲に操るだけの質量がなければ意味はほとんどない。

 例えば、『火魔法』を極め、町一つを焼き尽くすほどの魔力と技量を持っていたとしても、それが行うことが出来る程の“火”がなければ、焦げ跡一つ残すことはできない。

 魔法とは便利ではあるが、万能ではない。

 場所を選ばずに魔法を使うことが出来る者は世界でも一握りしか存在しなかった。






 痛めたか? いや……少し痺れただけだ。アレックスは足のダメージを確かめる。

 砂山を蹴ったような感覚だったが、負傷したわけではなかった。頭の片隅に“魔法”の要素を警戒していたからこそ、無意識に威力を抑えて、この程度のダメージで済んだのだ。

 アレックスは一度距離を取る。が、


「降参する気はなさそうだな」


 次にケルファトが眼前に居た。アレックスが動揺しているうちに決着をつけるつもりで踏み込んできたのだ。

 アレックスは両手で顔を守る。しかし、予想に反しケルファトの拳は腹部へ叩き込まれる。


「くっふ!」


 肺の空気が強制的に吐き出され、逆流する血の味が口の中に広がる。

 一度怯めば、二度目は避けられない。次の拳はガードしている腕に叩き込まれ、その次は腹部へ突き刺さる。


「終わりだ」


 ケルファトは攻撃の手を休めない。これで決めるつもりなのだろう。掴んだ流れから一気に勝負を持っていくつもりだった。


『アレックスは防戦一方! このままケルファトの九連勝がすぐそこまで迫っているぅぅ!』


 アレックスは急所だけは最低限守る。そして攻撃を受けながらも後ろに下がって少しでもダメージを減らす。

 まだ心も身体も終わってはいない。諦めるのはまだ早――

 と、次に背が感じたのは壁。下がり続けた結果、戦いの場の端まで追い込まれていたのだ。咄嗟に横に動く。


「逃がすかよ」


 ケルファトは足を先に出してアレックスの逃亡を阻止。そして、拳を叩き込んだ。


「ぐぅ……」


 アレックスのガードが崩れる。攻撃を受けすぎた腕は今の一撃で上がらなくなったのだ。


「バカが」


 最初から降参しろよ。と言いたげにケルファトは拳をアレックスの顔面に叩き込む。

 血が跳ねる。ケルファトの追い込みは完璧だった。最初から最後まで油断は一欠けらもない。

 しかし、放った拳の先にアレックスは居なかった。


「!?」


 代わりに壁を強く打ち付け、そのダメージで自らの拳から血が噴き出たのだ。

 アレックスは開脚してその場で沈み、間一髪で拳を躱していた。そして、開脚した足を閉じて起き上がる。腕も地面に添えて勢いをつけるとロケットの様にケルファトの顔面に反撃の頭突きを叩き込む。


「ぐぉ――」


 ケルファトは鼻血を出しながら数歩下がる。今度はアレックスが追撃を加える。

 太ももの内側に下段蹴りを打ち込む。身構えていなかったケルファトは、まともにダメージを受け、態勢を崩して片膝をつく。

 そして、低い位置に降りてきた彼の顔にアレックスは右フックを叩き込んだ。


「がぁぁ!!」


 左フックを構えた所でアレックスは、咄嗟に起こった土煙に視界を奪われる。警戒してケルファトから距離を取った。

 土煙はケルファトが発生させたようだが、魔力が足りないのか数秒程度で消え去る。


「はぁ……はぁ……テメェ、ダメージを負った威力じゃねぇぞ」


 アレックスは今ので決めるつもりだった。腕ももう限界だ。土煙自体はケルファトの咄嗟の悪あがきでダメージは望めないものだったが、そうであると知らないアレックスは用心して離れたのである。


「……こっちも必死なんです。降参してくれませんか?」

「そのつもりはねぇ。死んでもな」


 間合いを取ったままの二人だが、呼吸を整えているのはケルファトの方だ。しかし、先ほどの砂の防御の事もあり、アレックスとしてはカウンターでしかダメージを望めない。

 すると、ケルファトは呼吸を整え終わった。


「お前……名前なんだったっけ?」

「アレックスです」


 すると、ケルファトは地面に腕を着ける。すると周囲の土が這い上がる様に彼の腕を伝って、数秒で両腕には土の甲が出来上がっていた。


「アレックス……お前の名前は忘れねぇよ――」


 ケルファトは残った魔力を“土甲”に集中する。アレックスがガードしても、その上から叩き潰すには十分な威力が保証されたのだ。


『おっーと! 遂にケルファトが本気になった! アレックスに業を煮やし、強者と認めたのかぁ!?』


 アレックスの足は回復している。ケルファトの魔力が切れるまで逃げ続けるのも不可能ではない。

 そう考えた次の瞬間、発生した土煙が視界を奪う。


「くっ……」


 動揺するアレックスへ斜め前に移動したケルファトの土甲を装備した拳が襲いかかった。






 ケルファトが土甲を着けた時点で勝負は既についたと観客たちは思っていた。

 そして発生した土煙を見て、これが晴れる頃にはケルファトの勝利だと退屈そうに決定づける者たちもいる。そして、土煙が晴れていくと――


「!?」


 観客たちの誰もがその結果に目を見開いた。

 アレックスとケルファト、そのどちらも立ってはいなかった。

 二人とも倒れこみ、ケルファトが上を取っている。しかし、アレックスはケルファトの片腕を脇で抑え、足を使ってケルファトの首を絞めていたのだ。

 余っているケルファトの片腕はあらぬ方向に曲がり、力が入っていない。恐らく骨が折れているのだろう。

 ケルファトは苦悶の表情で落ちるのに耐えているが、落ちるのも時間の問題だと誰が見ても解った。

 観客の誰もが、圧倒的に優勢だったケルファトがどうしてここまで追い込まれたのかがわからない。しかし、今の結果を見て土煙で何があったのかを理解している者が二人だけいた。


「見切れない速度ではなくなったのね」


 ネスはケルファトが“土甲”を装備したこと自体が失策であったと観る。戦いの流れから、お互いの素手の拳は決定打に欠けていたが、見切れるほどの速度ではなかった。

 故にアレックスは避けるか防ぐかの二択しか選択できず、カウンターを決めたのはケルファトが大振りの時だけ。


「土甲で拳速が重くなったことで、躱しながら反撃できる猶予が生まれたか」


 ビクターも同じように何が起こったのか見切っている。アレックスが向けられた拳に躱すと同時に、伸び切った腕にしがみつくように足を絡め、肘十字の要領で折ったのだ。

 そのままバランスを崩した二人は、倒れこみはしたものの、ケルファトは上を取って、アレックスに土甲を叩き込んだんだろう。

 しかし、アレックスは倒れたまま上半身だけを動かして躱し、逃げられないように片腕を拘束すると足でケルファトの首を絡めたのである。






 なんだ!? 一体……どこでミスをした!?


 絞められながらケルファトは優位だったにも関わらず、一瞬の間に首を絞められている現状に理解が追い付かなかった。


 なんだ……なぜ、俺が窮地に陥っている!?


 万全ではなかったが、油断していたつもりはなかった。


「ぐ…おぉぉ」


 完璧に極まっているのか、それとも既に体力もないのか現状ではピクリとも動かせない。折れた腕は役割を失ったかのように力が入らない。

 負けるわけにはいかないのだ。俺はアイツにそう言った。

 名前も知らない、目の見えない『長耳族』の女。特別扱いされ、近いうちにも売り出されると知った。


 俺なんかじゃ到底手が出せない金額。それでも……その事を―――

 違う! 今考えるのはそんなことじゃない! 俺は……勝つんだ! 勝たないといけないんだ! じゃないと……また“嘘”になっちまうだろうが!!


 ケルファトはまだ諦めていない。首を絞められ、意識を失うまでの時間は約7秒。

 残り時間は――5秒を切っていた。

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