6.倍率
一対一。
『コロシアム』が設立当初から存在する名物戦である。他にも、
複数乱闘。
複数対複数。
勝ち抜き戦。
魔物対戦。
などの種目もあり、対戦形式や参加選手などで賭金は大きく変動する。
どれもルールが決められており、基本的には死人は出さないように考慮されているが、選手は試合前に契約書を書かされるなど、死人が出た時は一切の責任を『コロシアム』は負わないと明言されている。
だが、それは表の話。裏では当然、死人などは考慮されていない。
裏の営業では、人の生き死にをリアルに見ることが出来ると、催しの一種としては多くの客の娯楽として注目されている。
中でもシンプルな形式である“一対一”は並みならぬ人気があり、表の営業でも裏の営業でも一番の注目となるのは必然だった。
場所は土の地面に円形に囲まれた壁に西と東に入場門がある。
戦いの場はドーム状に透明の壁で遮られており、闘技者側からの余波は観客へ一切影響を及ぼさない。それを見下ろす形で観ることが出来る観客席は高い位置で入場料のランクで快適な場所を用意される。
結界を破られる可能性を考慮して戦いの場では闘技者の魔力を一定以下に封じる結界が施されているなど万全の安全性を確立していた。
つまり、強力な魔法使いであるほど、戦いづらく、より戦術を考える必要があるのだ。
遠距離から一方的に攻撃できる熟練の魔法使いの優位性と近接技量を持つ戦士たちにとの決定的な優位要素を調整して今の形に落ち着いているのである。
それによって客は魔法使いと戦士のどちらにも勝ち目を見て賭けることが出来る。その為、“一対一”では賭け金の倍率は低くても1.1倍。高くて2.0倍前後が一般的な数値だった。
だが今夜の“一対一”は、倍率が大きく偏ることになる。
『皆様方……本日の我が『コロシアム』の営業はどうだったでしょうか?』
戦いの場に立つのは、タキシードに身を包んだ『人間』の男。だが、彼は闘技者ではない。彼は“一対一”のみに存在するレフェリーであり進行を務める解説者でもある。拡声石と呼ばれる鉱石を口元に当て、観客たちに実況が聞こえるようにしていた。
『満足された方もいらっしゃれば、そうでない方もいらっしゃるでしょう。しかし! ワタシにはわかります! 皆様はまだ満足していない! この挑戦を見逃して帰れるものかと! 故に最後のこの瞬間、席についているのだと!』
観客たちは今か今かとソレを待ちわびていた。
『ならば我々、運営がその瞬間を届けましょう!! 今夜最後の催しは最も熱く注目されている“一対一”! あの男の十の挑戦の九つ目だぁぁ!!』
派手な演出と共に西の入場門が開く。
そこから現れたのは一人の青年だった。充血しているような赤黒の眼に褐色の肌。浅くついた傷が腕や顔に存在し、まだ真新しい。しかし、戦う者としての覚悟は当の昔に済ませたと言わんばかりに覚悟を決めた眼で戦いの場に足を踏み入れる。
『『ヒュドラ族』の挑戦者! ケルファァァァトォォォォ!!』
「うるせぇな……」
レフェリーの言葉と観客の歓声を鬱陶しく罵る『ヒュドラ族』の青年――ケルファトは気だるそうに入場した。
『そして、今宵! 彼の連勝に立ちふさがる存在が現れた! 魔力を一切持たないという無謀な挑戦者ァ!』
東の入場門が持ち上がる。眩しそうに手枷のはめられた手で光を遮りながらアレックスが現れた。
『謎の『人間』! 謎の奴隷! アレックスゥゥゥ!』
「あ、どうも」
と、注目されることに慣れていないアレックスは照れながら愛想笑いを周囲に向ける。
『皆さん! 開始は十分後です!』
ノーフェイス(ビクター)は対戦の様子を眺めるために標準ランクの観客席に座り対戦相手を分析していた。
「…………」
身長的にはケルファトが拳一つ高い。体格は同じくらいだが、アレックスには魔法と言う選択手段がない。
対してケルファトは、亜人の中でも随一とされる回復力を持つ『ヒュドラ族』。
上位の戦士となれば切り落とした腕も即座に回復させるなど、戦うために特化した能力を生まれながらに身に付けているのだ。
「せめて、その辺りを説明してやればよかったか」
だが、現在のケルファトは完調とは言い難い。いつから運営と取引したのかは知らないが、ここまでハイペースで勝ちを重ねている様子から一週間以内であると推測が立つ。
少なくとも一日一試合以上はこなさなくては、現状で九連勝とはいかないだろう。
「……魔力も低いが、全く使えないというわけではないな」
恐らく、ケルファトは傷の回復に当てる魔力を温存して自分の特性魔法を使う事を選んでいる。その為、『ヒュドラ族』にしては不自然に見える程に擦り傷が多い。
「……ここまで差があるか」
次にノーフェイス(ビクター)が注目したのは戦いの場の上空に現れた勝者による賭け金の倍率を表した数字だった。
ケルファト……1.2倍。
アレックス……5.0倍。
ケルファトは万全ではない。しかし、それを加味しても魔法が一切使えないアレックスは到底及ばないと運営は判断したらしい。九連勝の実績は決して軽視できるモノではないという事だ。
「失礼。隣、いいかな?」
ノーフェイス(ビクター)に声をかけてくる『人間』の男が居た。
軽薄な口調は、人をからかう事が趣味の様に感じられる。特徴のある顔ではないが、話しかければ誰とでも仲良くなれるような飄々とした様は不気味なカリスマを感じる。
「別に構わんが……他に空いている席はあるが?」
ノーフェイス(ビクター)の席の周りは低ランクの席であるため、空いている場所が多い。大半の客は中ランク以上で取れる場所に座っている。
「一人で観るのは寂しいものでね。出来れば誰かと話しながら観戦したいと思っていたんだ」
と、隣に腰を下ろす男は握手を求めて手を差し出す。
「ボクはレジトリス。君は、ノーフェイスだよね?」
既にノーフェイスが居るという話は広がっているようだ。特に隠す必要もないので対応する。
「ああ」
「よかったよ。間違えていたら失礼の極みだからね」
「特に気にしない。こっちは正体不明で通ってる。本物と言っても信じまい?」
「そっか、ノーフェイスは概念のようなモノだったけ?」
「ああ。本物と言い張るのもくだらないと思っていた所だ。だが、他を演じるつもりも、余計な事を明かすつもりもない」
「別に構わないよ。ボクはただ、暇つぶしがしたいだけだからね」
同じ目線で人と話す。レジトリスからは、そうしようとしている様が出ているが、ビクターとしては違った。こちらとは、どことなく感覚がズレている。
「貴族か?」
「流石はノーフェイス。出会うことも稀な本物なだけはある。人を見る眼は誰よりも優れていなくては」
レジトリスは会話をしただけで身分を当てられたことに楽しそうに肯定する。
「ボクと一つ、その洞察力の勝負といかないかい?」
「なに?」
突拍子のない提案にビクターは対応を誤ったかと慎重に事を運ぶ。これ以上は目立つ事は控えたいのだ。
「そう、気構えないでくれ。この対戦の事だよ」
レジトリスは闘いの場に居る『ヒュドラ族』と『人間』の二人を見下ろしながら続ける。
「君は『人間』に賭けているんだよね? ボクは『ヒュドラ族』に賭けている。そこで、どちらが勝つか、『コロシアム』の賭けとは別に個人的に賭けをしないかい?」
運営だけに通していた話をレジトリスは知っている。その事からビクターはレジトリスを運営とのパイプが太く、貴族の中でも上位に居る存在であると警戒した。
下手に突っぱねると面倒なことになるかもしれない。
「……いいぞ。いくら賭ける?」
「君はいくら賭けられるのかな?」
と、探るような口調はこちらの心理的動揺を誘っているのか、レジトリスがいくら賭けるのか読み切れない。なので、喧嘩を売る事にした。
「……金貨1000枚」
「な!? 金貨1000枚!?」
レジトリスは驚きに目を見開く。それだけ、一個人が気軽に口にする額ではないのだ。
「ふ、ふふ。ノーフェイス……本当に彼はそれほどの価値があるのかい?」
「問題はそこじゃない。ここでの答えはただ一つだろう?」
賭けるか賭けないか。『コロシアム』の観客の義務は、ただそれだけだ。
「わかったよ。ふっかけたのはこっちだ。受けよう。だけど、ボクが出せるのはギリギリ金貨500枚なんだ。それで手を打ってくれないか?」
「構わん。ただし、ちゃんと支払うという証拠が欲しいものだ」
結局は口約束。負けても姿をくらませればそれまでだ。ビクターからすればこの賭けは別にどうでもいいわけなのだが、そのように言えば信憑性を持たせられる。
すると、レジトリスは一枚の小切手のような細長い紙を取り出した。
「『女神の契約書』とは、込み入ったものを持っているな」
重要な依頼などで使われる『女神の契約書』。これに記載した者は『女神教会』に名前が登録される仕組みとなり、目的が達せられるまで記録が残り続ける。
「一応は『コロシアム』の裏営業を介さない“健全な賭け”だからね。検挙対象でもないだろう。雲隠れしても『女神教会』で消息を捜せばいい」
本来は『女神教会』しか発行していない『女神の契約書』。大きな物では国々の同盟にも使われているソレをなぜレジトリスが持ち歩いているのかは不明だ。だが、これで確実な保証が出来たと言える。
ビクターは契約書には『ノーフェイス』と名前を記載する。
「これでお互いに問題はないね。それじゃ、結果を楽しもうか」
アレックスの試合をビクターとは別の客席でネスも見ていた。
彼女は『コロシアム』のお抱え魔法使いなので、低ランクの席ならばタダで座ることを許可されている。
「お互いに未知との遭遇になりそうな試合ですね」
“光の女性”がアレックスに渡したモノ。ネスはそれに強い興味があった。もし、全てが運命として決まっているのなら、この圧倒的に不利な現状を打開するのは、それを使うしかない。
「一体、彼は“運命”の他に何を託されたのでしょうか」
試合開始まで既に一分を切っていた。
この一戦であらゆるモノが動く。
その大半は金だが、戦いに身を投じている二人は他の思惑とは違い、金以外の目的で対峙する。手枷を嵌められたままの二人は戦いの場の中央で待機していた。
「おい」
するとケルファトがアレックスに声をかける。
「お前、ここを嘗めてるだろ?」
「はい」
敵意のあるケルファトの言葉に対しアレックスは、この場に立つ者として相応しくない友好的な笑顔で返す。
「……いいか、一つだけ助言をしてやる」
「なんでしょう?」
赤黒の眼がアレックスに忠告するように向けられる。
「始まって攻撃を受けたらすぐ降参しろ。運が良ければ骨の数本で済む」
「嫌です」
「親切に言ってやってんだぜ?」
「それはありがとうございます」
「……こっちは手加減する余裕なんてねぇからな」
そういいつつも、アレックスの意図的な挑発にケルファトは苛立ちの一つも出す余裕はなかった。
ケルファトは自分の体の状態を理解している。連日の戦いで魔力は殆ど回復が追い付いていない。だが、身体の回復は動きに問題がなければ軽度の傷は無視している。
後、二勝。それがケルファトにとって唯一望むモノなのだ。
『それでは締め切りとさせていただきます! 闘技者の両名! 準備はいいか!?』
レフェリーがアレックスとケルファトへ振り向くと手を挙げる。次の瞬間に、二人の手枷が音を立てて外れると地面に落ちた。
どういう仕組みだろう? とアレックスが落ちた手枷に関心を向けるのに対し、ケルファトは軽く肩を回し、戦闘態勢を取る。
『始め!!』
勢いよくレフェリーが腕を下ろした。それが合図となって戦いが始まった。
「――――あ」
開始の腕が振り下ろされた瞬間、ケルファトは跳ぶ。正確には跳びかかるように拳を振り上げ、そのままアレックスに叩きつけて来たのだ。
土煙が上がる。観客から見た限りでは、直撃したように見えたが。
「避けんなよ」
「無茶言わないでくださいよ」
アレックスは滑るように横に動いて躱していた。
開始直前の虚を突いた、ケルファトの動きは『コロシアム』の戦いでは初めて見せた動きである。しかし、前情報がないことが功を奏したのか、アレックスは柔軟に対応し綺麗に避けて見せた。
「…………」
着地にわずかに硬直したケルファトにアレックスは反撃しない。何か魔法的な要素を警戒して不用意に踏み込まない故の選択だった。
「チッ……お前、めんどくせぇな」
多少の打撃なら受けながらのカウンターを考えていたケルファトだったが、見事に考えを外されて悪態をつく。
まだ晴れない土煙の中でアレックスへ向かう。
「――っと」
次に攻撃を仕掛けたのはアレックス。向かってくるケルファトの足に合わせて下段蹴りを叩き込む。太ももから肉を打つ音が響いた。
見えてんのかよ、こいつ……けどな――
「効かねぇよ!」
ケルファトは止まらない。アレックスの胸倉を掴むと、余った拳を顔面へ向ける。
「おっと」
アレックスは胸倉を掴んでいる腕の関節を押して曲げ、前に体重をかけて殴りかかってきた拳を躱す。そのまま頭突きを食らわせた。
「ってぇ……」
思わずケルファトは怯む。アレックスは容赦なく脇腹に中段蹴りを見舞った。更に追撃を加えようとするが、今度はケルファトが距離を取る。
「……小賢しい奴だな」
「誉め言葉ですか? 照れます」
と、まるで今の状況を楽しんでいるようなアレックスに、ケルファトは少しずつ感情的になっていく。
土煙が晴れる。