5.信頼
「ノーフェイス様。失礼ながら、質問させてよろしいでしょうか?」
アレックスを待つ間、奴隷商とノーフェイス(ビクター)は適当な会話をしていた。
「なんだ?」
「今回の件ですが、あの『人間』の奴隷を連れてこなくとも、殺した後に『呪縛の輪』だけを持ってきた方が労力は少なかったと思うのです」
『長耳族』よりも価値のあるのは“『呪縛の輪』を着けた奴隷”ではなく、『呪縛の輪』そのものなのだ。
奴隷を連れ歩くよりは、奴隷を殺して『呪縛の輪』だけ持ってきた方が楽だったのでは? と奴隷商は尋ねる。
「……俺はノーフェイスだ。偽物や名を勝手に使う愚か者は数多にいるが……そう奴らほど中途半端で失敗する」
「といいますと?」
「俺以外のノーフェイスならばあの奴隷を殺して『呪縛の輪』だけを持ち込むだろう。だが、そうなればいくつも違う手順を踏まなければならん」
ノーフェイスは奴隷だけを取引する存在。それ以外のモノに手を付けないからこそ、奴隷の取引に精通している。
故に奴隷を取引するという一点において、あらゆる抜け道を知っている。だから『女神教会』は今でも本物のノーフェイスを捕らえられない。
「物を売るだけなら質屋に持って行く。だが、それによって足がつく可能性が増える」
しかし、奴隷として取引するのならば『女神教会』に悟られない方法もいくつも知っている。加えて今回の目玉は『女神教会』も無視できるモノではない『呪縛の輪』だ。どこから情報が漏れて、窮地に陥るのか分かったものではない。
「……慎重に動くには、いつものやり方が確実だ。俺は奴隷を含めない取引はしない」
「そこまで徹底した志とは……疑いを持ち、申し訳ありません」
「別に構わん。偽物も多く歩き回るのはこちらも承知している。疑う事は商いを行う者として当然の事だ」
適当なでっち上げで、ノーフェイス(ビクター)がアレックスを殺さない事を納得させていると扉が開いた。
アレックスがネスに渡された鑑定書を奴隷商の部下に渡す。
「ふむ。ノーフェイス様もどうぞ」
部下から渡された鑑定書をノーフェイス(ビクター)にも見せる。ちなみにアレックスはこの世界の文字は全く読めないのでなんて書いてあるのか分からない。
「……本物だな。前の主人の名前もちゃんと入っている」
ネスの鑑定書には『呪縛の輪』が本物である証拠に、前に着けた者の名前も記載されていた。
「……【邪龍】。嘘か本当か……伝説通りならば、恐ろしい事だ」
前にこの『呪縛の輪』を所持していた存在として【邪龍】と記載されていた。アレックスはネスの悪ふざけだと何処となく察する。
奴隷商は鑑定代込みで、アレックスと『呪縛の輪』は金貨500枚で取引されることになった。金貨一つはアレックスの世界で言えばだいたい100万円前後の価値がある。
世界に四つしかないとされている呪具であるが、『女神教会』に目を付けられるリスクも加味してその値段に落ち着いた。
「今回は有意義な取引をありがとうございます」
「こっちとしても問題なく捌けてよかった」
取引用の小綺麗な部屋でノーフェイス(ビクター)は目の前に並んだ金貨袋を見る。
「どうしましたか?」
触れようとしないノーフェイス(ビクター)に奴隷商が尋ねた。枚数を疑っている様子ではなく何か考え事をしている様子だ。
「一つ教えてほしいのだが」
「なんなりと」
良い取引が出来て上機嫌の奴隷商は笑顔で対応する。
「【森の鼓動】の値段を知りたい」
金貨500枚。
その事が牢に鎖で繋がれたアレックスにも告げられる。作戦としてはここまでは予定通りだ。後はどうなるかは運が絡むとビクターから聞いていた。
「金貨500枚……高いのかな?」
ビクターの狙いは、謎の奴隷売りノーフェイスとしての手腕を信用させ、高額の金貨を持っていると知ってもらう事だった。
今回の作戦で最も難所となるのが、【森の鼓動】の身柄を確保することである。
この大きな『コロシアム』で運営の上層部が管理している【森の鼓動】は相当な監視体制にあるだろう。
それを正攻法で突破する。
ビクターは奴隷として商品となっている【森の鼓動】を買い取ることが一番の策だと考えていた。
だが、これには不測の事態が発生する可能性は高い。そうなった時に、ビクターから合図があり、アレックスの役割が決まるのだ。
「よいしょっと」
どうなるかわからない。ただ、身体だけは動くようにストレッチを始める。
手枷をされたままではまともにストレッチは出来そうにないが、出来る限りの備えをしておこう。
「こちらが【森の鼓動】の値段だそうです」
奴隷商は伝手を使って、『長耳族』の巫女――【森の鼓動】の値段をノーフェイス(ビクター)に紙で提示する。
「……金貨1000枚とは随分な値だな」
国土の一部を買い取ることのできる程の値段に、ノーフェイス(ビクター)は眉をひそめる。
「適正価格だそうです。ノーフェイス様に売るという話が運営に通りまして、転売することも考慮してこの値段だと」
名のない奴隷売りでは怪しまれると思い、ノーフェイスの名を使ったのが裏目に出たようだ。いや、そもそも売る気など無いという事だ。さすがに金貨1000枚は個人では負担できない。娘に今度こそ親子の縁を切られかねない。
「吹っ掛けているな。交渉の余地はあるのか?」
「先方は、その値段から銅貨一枚の変動もないと言っております。それに明日には別の取引があるそうで、飛び入りを優先すればこそだそうです」
「…………」
恐らく『コロシアム』の後ろ盾に居る貴族に献上するためだろう。端麗な容姿と不思議な能力を持つ高位奴隷。金を持て余す貴族どもからすれば、連れているだけで拍のつく存在だ。奴らは自尊心だけは異様に高い。
「……今晩に取引を行いたい。それまで保留にできるか?」
「と言いますと?」
ビクターの中で作戦は別方向へ変わった。ある程度は想定していたことであるが、ここからは一部が賭けになる。
「金はある。だが、今用意できるのはこの金貨500枚だけだ。【森の鼓動】は明日には売却されるのだろう?」
「そのようです」
「……運営に伝えてほしい。次の勝負で倍率の高い方に全て賭ける、と」
ノーフェイス(ビクター)の話を奴隷商から部下を通じて『コロシアム』の運営の耳に入っていた。
「ノーフェイスか。奴の奴隷フェチは筋金入りだな! レアな奴隷を見ると手を出さずにはいられんか!」
嬉々として笑うのは『コロシアム』を管理する運営長のコルテである。国に運営を任されており、表の運営長も務める彼は貴族との関係を深めることで忙しかった。
そんな中、転がり込んできたのはノーフェイスが連れてきた【森の鼓動】である。
『長耳族』の中でも巫女と言われ、生まれつき目が見えない代わりに森の声を聴くと言われる存在。
嘘か本当かはどうでもいい。問題は希少な存在であるという事だ。ネスに鑑定させた所、不思議な魔力を持っているのは間違いないとのこと。
「運営長。明日にはレジトリス様との取引が控えています。本当にこの話を受けてよろしいのですか?」
「馬鹿かお前はァ! 目の前に金貨500枚が捨てられてるようなもんだ! これを拾わない奴はただの阿呆か間抜けだろうがっ!」
コルテは金にも貪欲だった。金はいくらあってもいい。裏では金を持っているだけでいくらでも融通が利く。その影響は表にも出る程だ。
「今晩最後の催しは、奴の九回目の挑戦だったよなぁ」
「はい。ですが……戦える奴隷は既にいません。弱っていてはあからさまに相手になりませんし、魔物が相手ではノーフェイス殿は納得しないでしょう」
『コロシアム』には不条理な賭けは無い。大番狂わせが起こればきっちり払う事は約束しているがあからさまな八百長は納得しないだろう。
「言われんでもわかってる!! それにこっちで抱えている奴隷商から打診もあった!」
コルテはノーフェイス(ビクター)には伝わらない部分の交渉を奴隷商と済ませていた。
「奴隷商が今日取引した奴隷をタダで使わせるとよ!!」
金は僅かでもかからない方法があるのならそっちを取る。コルテという男は他人でも呆れるほどケチ臭い性格なのだ。
「はい。ステータスは鑑定の所、魔力はゼロ、青年であることからも調教にも適さない奴隷です」
タダで対戦相手を用意する代わりに、確実に殺す事と死体からの首枷を譲ることを言われている。
ちなみに奴隷商は『呪縛の輪』の事はコルテには話していない。首枷は奴隷商の持ち物なので返してほしいと話を通していた。
「明日の夜には『女神教会』の監査が入る! あの面倒なユバースのクソガキが来るからな!明日の朝までに全部捌く!!」
準備させろ!! とコルテは部下に怒鳴るように指示を出すと、金貨500枚の事を頭に浮かべ、仕事中にもかかわらず晩酌を始めた。
「内容は話した通りだ。お前はこれから『コロシアム』で戦ってもらう」
牢に居るアレックスは檻越しに『コロシアム』の従業員から説明を受けていた。
アレックスは『コロシアム』でも一対一の対戦に繰り出される。相手に降参を言わせるか、戦闘続行が困難になった方が敗者であると最低限の説明を聞く。
「用意されている要素は“土”だけだ」
「“土”?」
「魔法の――そういえば貴様は魔力ゼロだったな。ならこの説明は必要ない」
「え、あ、ちょっと!」
従業員に質問したかったアレックスは思わずそんなことを出しながら去っていく背中を追った。
「なんか、とても重要なことを聞き逃した気がする」
これは作戦通りなのか。ビクターからの連絡がない状況では不安ばかり募っていく。
「そもそも、勝つことが前提だとすれば――」
状況はかなり悪いんじゃないか? 相手を知らない事もそうだが、この世界の常識である“魔法”を何も知らない。
魔力がゼロらしいので、その辺りを試せないことも大きな問題点だ。
漫画やアニメなどでよくある、火の玉などを飛ばして来たら……正直なところ銃で撃たれるよりもどうしようもない。
「ネスさんに聞いておけばよかった……」
使えなくてもどのような“魔法”があるのか、どんなものが一般的なのか。最低限の情報だけでも仕入れておけばよかった。
「時間だ。出ろ」
そう言って牢が開けられる。状況はこれから処刑台に向う囚人と大差ない。手枷をしている限り抵抗しても無意味なので言う事に従った。
「……あの」
「なんだ?」
発行体を入れた瓶を灯りの代わりに掲げて歩く従業員に、せめて対戦場に着くまで対戦相手の情報を収集する。
「対戦するヒトってどんな方ですか?」
「なんだ、お前……知らないのか?」
従業員の男は呆れるように言うと、問題はないと思ったのか相手の事を口にする。
「お前が殺されるのは連勝中の『ヒュドラ族』だ。名前はケルファト。みんな奴に賭けてる」
殺される前提で話をするのはやめてほしいなぁ、と苦笑いを浮かべながらアレックスは質問を続ける。
「えーっと、確か十連勝を目指してる方ですよね?」
「そんくらいは知ってたか。運営と契約したみたいでな。詳しいことは俺も知らんが、十連勝すれば遊んで暮らせるほどの大金が手に入るって話だ」
「へー」
「暢気なものだな。次に殺されるのはお前だぞ」
「う……」
そう、他人事ではない。今アレックスは処刑場に向かっているのと同じ事なのだ。そろそろビクターから何らかしらの指示が欲しいところである。
だが、特に変わった事は何もなく閉じた入場門の前まで来てしまった。分厚そうに見える扉の向こうから大勢の人間の声が聞こえる。と――
「誰だ!」
従業員の男が灯りを前にかざす。すると姿が現れたのはノーフェイス(ビクター)だった。
「話は通しているハズだ。ここまでくればコイツも逃げられん」
「確か……この奴隷を連れてきた“ノーフェイス”だったか」
「ああ。話は聞いているだろう? この門が開くまで、コイツと話をさせてくれ」
と、ノーフェイス(ビクター)は数枚の銀貨を従業員に握らせる。従業員は奴隷が逃げられればノーフェイスが損をすると聞かされているため、特に何も言わずに去っていった。
「お前に賭けた」
アレックスが何か言う前にビクターが告げる。
「勝てるか?」
「……正直、自信はありません」
「なら、逃げるか?」
ビクターは歩いてきた通路へ視線を向ける。暗闇に慣れた眼は灯りが無くても道は分かる。
「逃げるというなら手を貸してやる」
「ビクターさんはどうするんですか?」
この作戦はアレックスの存在があってこそだと互いに理解している。
「俺はどうとでもなる。まだここに【森の鼓動】が居るとわかっただけでも十分だ。明日に取引があるらしいが、その時に奪還する」
最低限の情報は手に入れた。この正攻法が失敗しても次の手を考えている。
「それは確実なんですか?」
「……奴らも必死で抵抗するだろう。そうなったら、お互いに無傷ではいかん」
【森の鼓動】は『コロシアム』にいる奴隷の中で最も価値がある。取引では、それを奪おうとする者の襲撃も想定しているだろう。奪われるくらいなら、と最悪【森の鼓動】を殺される危険性もある。
「ここまでは、ビクターさんの作戦通りなんですか?」
「ああ。だが……“一対一”にお前が選ばれるとは思わなかった」
元はノーフェイスを演じながら、【森の鼓動】の情報を得る事が目的だった。そして、『呪縛の輪』を売った金で買い取るまでは作戦通りなのだが……
「アレックス、もう時間がない。どうするかはお前が決めろ」
金貨500枚を持って去るよりも、【森の鼓動】を手に入れようとして賭けに投じる。そうすることで奴隷に固執するノーフェイスを演じながら勝っても負けても次につながる。
だから、もういいと、ビクターは逃げることを勧める。
「やります」
アレックスはただ一言だけ短く答える。こんな状況でも笑うことが出来るように彼は生きてきた。
「信頼してくれることは何よりも嬉しいんです」
ビクターが初めて“アレックス”と呼んでくれた。他人が自分の名前を呼ぶという事は特別な意味を持つとアレックスは思っている。
「僕はこんな生き方しか僕は見つけられませんでした。だから、期待してくれる人……僕の背中に頼ってくれる人の前から逃げる事だけはしたくありません」
ビクターだけではなく、ソーナやソリティスの事も含まれている。彼らも信用してくれたのだ。
皆で帰る。その為の分岐点に立っていると彼は自覚していた。失敗するかもしれない。死ぬかもしれない。けど、そんなことは、今はわからない。
必要なのは“進む”事を諦めない事。アレックスが手を差し伸べられた3歳の頃に芽生えた本質は、この状況で少しも揺らいではいなかった。
「……なら勝て!」
アレックスの眼は覚悟を決めたモノではなく、更にその先を見ているとビクターは感じ取り背中を押す。
「はい!」
『そして、今宵! 彼の連勝に立ちふさがる存在が現れた! 魔力を一切持たないという無謀な挑戦者ァ!』
そんな声が聞こえ、音を立てて門が開く。
暗闇の通路に差し込む光は、決して希望などではない。足が進む。躊躇いはない。自分を頼ってくれる人がいる限り、この歩みは間違いではないとわかっているからだ。
『謎の『人間』! 首枷の奴隷! アレックスゥゥゥ!』