2.大長
「貴方たちから見て異世界と呼ばれる所から僕は来たんだと思います」
困惑するビクターとソーナへアレックスは、思っていることをそのまま口にした。意図して来たわけではないのだ。それ以外に説明のしようも無い。
「“思う”……か。お前が意図した事ではなかったという事か?」
「はい」
師範の許しをもらって道場から出て、一人の女性のもとに向かうつもりだった。
少ない荷物を持って道場から一歩出た瞬間、あの『鏡面世界』に立っていたのである。しかも、荷物もすべて無くなっており、着ている服以外は何も持ち込めていない。
「僕としては、元の世界に帰るのが唯一の望みです」
「お前の話が嘘でなくとも、柔軟に対応できるかどうかは別の話だ。他にお前は何ができる?」
異世界人だという事を仮定して、ビクターは何か特殊な力がないか探りを入れる。
「貴方が思っているような力は僕にはありません。僕自身も、なぜこの世界に来たのか分からないんです」
この転移は『鏡面世界』にいた“光の女性”が行ったことだとは思うが……意図したかは不明だ。
しかし、光の女性がアレックスに何かさせるつもりなら一歩間違えば死の可能性がある現状で何の能力も現れないのは辻褄が合わない。
「ビクターさん。アレックスさんは何も嘘は言ってないよ」
「ああ。本当に面倒なことになったものだ」
ソーナ達は、『長耳族』の大長からアレックスの身元を探るように言われている。
だが、異世界から来た人間、などと言って納得してもらえるとは思えない。
ビクターは立場上、『長耳族』の味方だが、何の罪もない者が殺されるのを黙って見ている事には抵抗がある。
「ソーナ。こいつから聞いた事は誰にも言うな」
「いいの? お祖父ちゃんは全部聞いて来いって」
「こんな話を信じていると狂人扱いされるぞ」
「じゃあ、どうするの? お祖父ちゃんはたぶん、アレックスさんを殺すつもりだよ」
「え……それ普通に嫌なんですけど……」
どうやら、殺される一歩手前まで状況は進んでいたらしい。アレックスは改めて己の立場を知って血の気が引いて行く。
質問には正直に答えた。しかし、それを加味して、命を助けるという判断を下すのは相手側なのだ。現状を甘く見過ぎていたかもしれない。
「ここまでお前のことを縛り上げる理由は話さんが、お前の状況は教えてやる」
ビクターはアレックスの首枷の事を告げる。
「それは『呪縛の輪』だ。無理に外そうとすると装備者の命が尽きるまで生命力を吸い取る」
呪物。使用者に制御できない呪われた装備をそう呼んでいる。作ることができるのは、『闇魔法』を使う“闇人”だけだと世間では認知されている。
ビクターはとある経緯から手に入れ、今までずっと保留にしていた代物だった。
「本当ですか?」
「嘘を言っていると思うなら外してみろ。その方がこっちも手間がなくて問題が全て片付く」
「……やめておきます」
ソーナは黙って事の成り行きを見守る。
彼女はアレックスが悪人には見えない。無論、そう装っている可能性もあるのだが、ソーナの持つ能力――“心の色を見る”力は相手の感情を色として見ることが出来る。
ビクターのおかげで使いこなせるようになった事もあり、相手が“嘘”をつけば分かるのだ。
今までの話からアレックスは本当に困っているだけなのだと分かっていた。
しかし、それでは大長を含む組長の者たちは納得しないだろう。そもそも、彼女の能力はビクターと大長だけが知っているという事もある。
特に今の『長耳族』は外部から来た身元の分からない『人間』を迎え入れる事など出来ない状況にある。
「お前が選べるのは二択だ。一つは、ここで死――」
「嫌です」
「……もう一つはお前が『長耳族』にとって“敵”ではないと証明する事だ」
ビクターの立場として譲歩できるのはそこまでだ。ソーナがいる限り嘘は通じない。だから、彼女をこの尋問に同席させたのだ。
「これからお前を『長耳族』の大長の元に連れていく。そこから生き延びられるかどうかはお前次第だ」
「ワシがこの集落の大長――ソリティスと言う者じゃ」
その場所には九人の『長耳族』が座っていた。その中の誰もがビクターと共に入ってきたアレックスを見て敵意や殺意を向けてくる。
八人が道を作るように座り、開けた道の先には一人の髭の生えた『長耳族』の老人が座っている。
彼らは八つの組を取り仕切る組長であり、それぞれが部下を持つ戦士たち。特に最近は外部との摩擦が強くなっておりピリピリしていた。
その空気を肌で感じ取り、おどおどしながらもアレックスはソリティスの正面に用意された席に座る。
ビクターはソリティスの隣に座り、ソーナは反対側に座る。
「ど、どうも……アレックスと言います」
「カハハ。そう緊張せんでええ」
「ハハハ……」
どう答えていいか分からないアレックスは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「騒々しくてすまんのぅ。組長どもは外部との関係で恨み言も多いものでな」
「みたいですね……」
初対面だというのに、種が違うだけでここまで敵意を向けられるとは。親の仇のような敵対心に胃に穴が開きそうだった。
「みたいですね、だと!? 貴様ら『人間』は我が同胞を攫い、奴隷として扱っているではないか!! 他人事のように言うな!!」
組長の一人が抑えきれずに声を上げた。その勢いに他の者も声を出さん勢いだ。
ちなみにアレックスは、驚いてコケていた。
「まぁまぁ、まて。確かにここ数年での『人間』との摩擦は大きい。が、目の前の彼がその手の者とは限らん」
「大長は甘すぎる! 奴らは話し合いなどまるでなく、森の獣よりも秩序がない!! こいつも腹の中では何を考えているのか分かったものではない!!」
少しだけアレックスにも状況が分かってきた。
つまり、彼らにとっては『人間』は不倶戴天の敵なのだ。昔からなのか、それとも最近からなのかは分からないが。
「だが『人間』にもビクター殿のように、我々の為に動いてくれる者もいる。『人間』は全てが悪と決めるには早計じゃろうて」
その言葉に気性の荒い『長耳族』は納得いかなそうに腕を組んで座る。ここまで毛嫌いする『人間』であるビクターはそれほどに信用されていると言うことなのだろう。
「さて、話が逸れたから戻そうかのぅ?」
ソリティスは改めて座りなおしたアレックスへ視線を向ける。
「お主はワシらの敵かのぅ?」
「……違います」
「嘘をつけ!!」
次に立ち上がったのは別の少女だった。ソーナよりも年下に見える童顔で、組長の一人の後ろから立ち上がってアレックスを指さす。
「そう言った『人間』をソニア姉も信じていた! だが、奴は姉を裏切って攫って行った!!」
少女は短刀を持って、今にも抜きそうな勢いだった。アレックスはまたびっくりしてコケる。
「ソマル、座りなさい」
ソーナがたしなめる様な目と口調で少女へ告げる。この場で発言があるのは大長と組長だけなのだ。しきたりを無視するのなら退室させることも辞さない。
ちなみにソマルという『長耳族』の少女は今回来られない組長の代理である。話を聞いて後に組長に伝えるのが役目だった。
ソマルは渋々座ると、ムスッと黙る。
「度々すまんのぅ」
「い、いえ……」
再びアレックスも座りなおす。
「それだけ、お主に対する不満というか『人間』に対する感情は機敏になっておるという事じゃ。それを踏まえた上で改めて聞く」
ソリティスはまっすぐアレックスへ視線を合わせて尋ねる。
「お主はワシらの敵かのぅ?」
それは何年も生きてきた老練者が持つ眼。ソーナのような特殊能力でなく、人の本質を射抜き感情を持つ存在を見定める悟りの眼だ。
アレックスはその眼を持つ人を知っていた。
テラや師範の眼と同じ――自身の持つ経験から他者の本質を見定めるための眼。
嘘を言う以前に、この眼を前に嘘をつく事などアレックスの本質からは考えられなかった。
「僕は……ビクターさんの手伝いをするために来ました」
アレックスの言葉に場がどよめく。
だが、当人のアレックスには何も聞こえない。今、応えているのは目の前に座るソリティスだけなのだ。他に意識を配るのは失礼だろう。
「ビクター殿の手伝いとな?」
「はい」
「どこの依頼かのぅ?」
「どこの依頼でもありません。僕がそうしたいと思ったからです」
「そうか、手を貸してくれるか」
と、ソリティスはアレックスの手を取って喜ぶ。だが、その様子に他の組長が叫んだ。
「大長! 駄目されちゃならん!! そいつは『人間』だ! 奴らは口だけは上手い!! 口八丁で逃げるに違いない!!」
「不服かの?」
「当たり前だ!!」
そうだ、そうだ! と他の者たちも大長の判断には不服だった。
「そうなんか? お主は嘘をついておるのか?」
ソリティスは眼前でアレックスを見る。目と鼻の先に互いの眼がある。近い……と言葉を漏らしつつもアレックスもその眼を見つめ返す。
「嘘をついているように見えますか?」
今のアレックスには外野の声は聞こえない。ただソリティスの眼だけを見て彼だけと会話をしていた。
「さぁて……どうじゃろうな」
「じゃあ、じっくり見てください」
額をぶつける程に二人は互いの眼を見る。感情の探り合いという下品な事ではない。ソリティスはアレックスの眼を見て彼の本質がなんであるのかを見定めているのだ。
「お主――」
ゆっくり離れるとソリティスはニィと笑う。
「嘘つきじゃないのぅ」
「大長ァ!!」
現状でアレックスが敵ではないと認識したのはソーナと大長だけ。他は許すことなど考えられないと言った様子で声を上げる。ビクターは中間のように沈黙を続けていた。
「納得いかんか?」
「当たり前だ!! こいつは『人間』で、同胞を攫った奴らの仲間だ!」
『長耳族』と『人間』との溝はかなり深くなっている。それだけ、信頼を寄せていて裏切られてきたのだろう。
「なら、同胞を助けてもらえばええんじゃなかか?」
と、大長の言葉に反対の意思を強く唱えていた者たちは、え? と口を止める。
「お前さん、ビクター殿を手伝うと言ったな?」
「はい」
「なら、ソマルの代わりをお前さんがしなせぇ」
その言葉は誰も反論しなかった。それどころか、そう言う事か、と納得する者もいる。
「ビクター殿の策で数日後『コロシアム』へ奴隷を連れていく事になっておる。本来ならワシの孫娘の一人であるソマルに行ってもらう予定だったが、その代わりをお前さんがしなせぇ」
それがどのような意味を持つのか、アレックスは少ない単語から推測した。
『コロシアム』。『奴隷』。つまり――
「わかりました。僕でよければ使ってください」
アレックスは躊躇いなく肯定する。その眼は自暴自棄になったモノでもなく、どうにかして逃げようと考えているモノでもない。
期待に応えて、生きて戻ってくるという意思を強く宿したものだった。
「それとな、その首枷じゃがのぅ。ビクター殿の話では着けた者はどこに居るかがわかるそうじゃ。逃亡しようと考えん方がええ」
アレックスにそんな気など全くないにも関わらず、あえて釘を刺してきたのは組長たちに決して逃げられないと納得させるものだった。