1.名前
「う……」
瞼の裏から感じる太陽の光で彼は意識を取り戻した。
「こ……ここは――」
光に目が慣れてくると、周囲を確認する。
木の枝が伸び、天井を数多の葉が覆っているが木漏れ日が室内を照らしている。手ごろなところに伸びる木の枝には、小さな光が閉じ殺られた瓶が吊るされており光を放っていた。
眠っていたのはベッドの様だが、土台に藁を敷き、その上からシーツを被せた代物。
ベッドの横には持ち運び用の作業台と水の入った桶に布が置かれ、誰かが介抱してくれたと察せる。その介抱人は席を外しているのか、姿が見えない。
場所は木造の一室――なのだが、丸太や板を使って組み立てた小屋のようなモノではない。年輪の床に、枝の生える室内。この部屋は、巨大な大木をくり抜いて造られた部屋なのだ。
「……なんとも。信じがたい――」
何とか立ち上がって開放されている扉から外に出ると最初に出た彼の感想はソレだった。
同じような大木がいくつも存在し、その全てが同じようにくり抜いた部屋が造られている。木々の人の出入りを繋ぐ、縄と板で造られた木の橋が至る所に伸びており、人々が行きかっていた。
そして、その歩いている人々にも驚きが含まれている。
長身で細身。端整な顔立ちの美男美女ぞろい。戦士のような風体の者は弓と矢を持っている。そして、全てに共通する特徴が細長い耳を持つということだった。
「長い耳……確か『エルフ』っていう種族だったかなぁ。ロードが喜びそうな光景」
親友がその手の話題に詳しかったので、そのあたりの知識は知れずと刷り込まれていた。彼としてもファンタジーものの映画なども見て一般人程度には知識があるつもりだ。
だが、実際に目の当たりにすると少々困惑する。するのだが、師範曰く、
“テメェの眼で見たモンしか信じねぇ、なんてバカみたいな考えを当たり前にするな。その逆も然りだ”
とのことなので、とりあえず目の前の事を受け入れる。受け入れなければ始まらない。
「■!(目を覚ましたんですね!)」
すると横から『エルフ』に声をかけられた。相変わらず何を言っているのか分からない。
少女はトトッと駆け寄ってくる。軽装のシャツとロングスカートを履いた、年齢的には16歳ほどのエルフ。長い緑色の髪を元気に揺している。
「■? ■(大丈夫ですか? 三日も眠っていたんですよ)」
「えーっと……」
困った。どうやったら言葉が分からないと理解してくれるだろうか……
「? ■――(あ――)ごめんなさい。里だと共通語で喋る機会なんて、ほとんどなくて」
あはは、と後頭部に手を当てて少女は誤魔化すように笑う。だが彼としては、ようやく話の通じる人と出会えた。
「大変だったんですよ。アナタは『深緑の森』の中で倒れてて、お祖父様は貴方の身元を気にして、こーんな顔をして――」
「すみません。僕もアナタも色々と聞きたいことはあると思いますが……まずは自己紹介をさせてくれませんか?」
何よりもお互いをなんて呼ぶか知っておくことがコミニケションの基本である。異文化であれば尚更だ。彼は少女に向き直って握手をするように手を差し出す。
「僕は『アルバート・レックス』と言い――」
「? 今なんて言いました?」
「え? ですから、『アルバート・レックス』――」
「ちょっと聞き取れないみたい」
どういうことだろう? 彼としては普通に発言しているつもりだ。
しかし、彼女は『アルバート・レックス』という名前を聞き取れないらしい。
自分の常識では正常でも、ここでは聞き取れない言葉や成立しない単語などもあると彼は推測する。
「アレックスです」
「アレックスさん、よろしくお願いします! あたしはソーナと言います。見ての通り『長耳族』です!」
知り合いに呼ばれている愛称だが今度は通じた。長耳族の少女――ソーナは多少はふくよかに見える胸に手を置いて元気に挨拶を返す。
「ソーナ。あまり一人で行くな。お前がいないと、ここでは買い物もままならん」
すると、少女の後ろから男が歩いてくる。
白と黒のラインが混じったコートに身を包む、エルフたちを超える長身。手には手袋をはめており、長袖に長ズボンと肌の見えるのが頭くらいしかない。その頭も、襟首を立てて口元を隠しており実際に見えているのは鼻頭から上だけである。
「だったらエルフ語を覚えればいいじゃない」
「覚えている。だが、ここは訛りがひどくて、こっちからは伝わってもそっちからは伝わらん」
コートの男は呆れながらソーナに告げると次にアレックスへ視線を動かす。
「峠は越えたようだな。お前は運がよかった」
アレックスはコートの男が現れてから驚きに目を見開いたままだった。
鏡面の世界。光の女性。伝わらない言葉。長耳族。
少ない時間で大量の情報を押し付けられ、アレックスの中では自分の身に何が起きているのか“予想”ができていた。
おそらく、異世界へ転移したのだと。
受け入れる受け入れないは、別としてそれが“事実”として起こっているのだから否定しようがない。
しかし、目の前のコートの男に関しては違ったのだ。だから、次に出た言葉は至極当然のことだった。
「……ビクターさん?」
コートの男は、アレックスが元の世界で兄のような存在として慕っていた人間と瓜二つの外見をしていた。
「え? アレックスさん……なんで――」
ビクター。その名前が出た途端、コートの男は警戒するような気配を放ち、ソーナは驚きながらアレックスを見る。
そして、彼らの会話と様子を聞いていた長耳族の者たちも一部の者が反応し、弓を持っている者はアレックスを囲む為に移動を始めた。
数人が小さな銀色の笛を取り出して吹く。音は出ない。しかし、建物の一つから騒がしく剣や槍を持つ音が聞こえてくる。
「ソーナ……離れていろ」
「え……でも――」
複雑な表情でソーナは困惑する。しかし、戦いになれば巻き込まれてしまうと察して、指示に従った。
コートの男はアレックスに対してゆっくりと歩きながら距離を詰める。
まだソーナが近い。コートの男は、彼女がもう少し離れたら攻撃を行うつもりだった。
「……」
向けられる敵意と慌ただしい様子にアレックスも、それらが自分に向けられているモノだと察する。
コートの男が近づく。長耳族たちは次々に配置に就き、中には腰の矢束から矢を抜く者もいる。
あと一歩――
ピリピリとした場の空気の中、アレックスが動いた。
長耳族は一斉に弓を構え、矢先をアレックスに向ける。だが、まだソーナが十分に離れていないため撃てない。
コートの男は、反射的に踏み込むとソーナを巻き込まないように“魔法”の威力を抑えて攻撃を――
「降参します!!」
アレックスは両手を挙げて、その場で抵抗の意思がないことを最大限アピールした。
コートの男はアレックスへ手刀を眼前で止め、長耳族は矢を構えたまま動かない。全てが停止する。
「……どういうつもりだ? 何かの作戦か?」
刺すような視線を当てられてアレックスは冷や汗が流れる。
「よ、よく分からないんです。アナタたちが何を警戒するのか。ぼ、僕が悪いことを言ったなら謝ります」
「お前は“降参する”と言ったな。敵対する以外では出ない言葉だ」
「そ、そうでも言わないと……話を聞いてくれないでしょう?」
「…………」
「い、いきなり信用してくれるとは思っていません。不安なら縛ってくれても牢屋に入れてもらっても構いま――ぐえ!?」
アレックスの身体に電撃が走った。バチッと瞬間的なものだったが、彼の意識を奪うには十分だった。
「……お腹減った」
空腹で目を覚ましたが、身体は痺れて動かなかった。
身体は木の手枷で両手が拘束され、首にも枷がつけられている。首枷に触る。固さ的には鉄だろう。少し首に違和感がある程度で重くはない。
「痛たた……」
まだ少しだけ身体が痺れているが意識はハッキリしている。
「参ったなぁ……あれじゃ次はどうしようもない」
アレックスの懸念はコートの男が行った攻撃の発動瞬間がまるで見えなかった事である。異世界特有のスキルとかいうモノと推測するが……
「魔法……とか?」
定番の理論を想定する。又は色々と工夫して攻撃瞬間を悟られないようにしているのかもしれない。
正体不明として見ていたアレックスに正面から対峙する実力を持っていた事からも、コートの男はかなりの実力者であることは明白だった。
「話し合いが出来るといいけど……」
一方的に攻撃されつつも、殺さずに拘束された所から話しを聞いてくれると期待する。半身を起き上がらせるまでには痺れが回復したので次は周囲を見回した。
薄暗い。最初に目が覚めた場所は、天井が木の枝と葉だったが、ここは床と変わらない年輪が見える。拳ほどの穴が天井に空いている。空気穴だろうか。正面の壁は太い蔦が密集して出来たものだった。牢屋とは煉瓦造りの地下のような場所を想像していたので、少し斬新だ。
「そういえば」
この場所ではまだ地面は見ていない。
全てが木の上。下を見たわけではなかったが地面が視界に映るほど低い場所でもない様だ。
すると、空腹を訴えるように腹の虫が再び鳴る。
「ダメだぁ。もう考えるのは無理」
アレックスは三日も眠っていた。起き上がってすぐ歩き回れたのは好奇心と驚きに思考が支配されていたからだろう。
身体に怪我はない。だが空腹すぎて余計なことにイライラが募る。
「本当に訳が分からない」
師範からようやく門外の了承をもらって、テラの所に帰る途中だったのに……なんで、こんなところで餓死しかけているのか。
「テラ……皆……元気かな」
それでも思い出すのは元の世界の仲間達と敬愛する女性の事だった。
「! アレックスさん!?」
蔦の壁が開き、そこからパンやスープといった食事を盆に乗せたソーナは呻いているアレックスに慌てて駆け寄る。
彼女はアレックスが三日の間、何も口にしていないことを知っていたため食事を持ってきたのだ。
その後ろからコートの男も牢に入り、見張りの者に扉を閉じるように指示を出す。
「もう動けるのか」
「死ぬかと思いました……」
コートの男は意識が戻っても数日は指一本も動かす事はできないように攻撃した。しかし、アレックスは、数時間で意識を取り戻し、上半身を動かせるまで回復している。
「ビクターさんが加減をしないから! アレックスさんは病み上がりだったんだよ!」
「当たり前の対処だろう。素性が知れないなら尚更だ。俺はお前のように“嘘”が分かるわけじゃない」
「そうだけど! 加減はできるじゃん!」
と、言い合っている二人の横に魅力的な食事が目に映る。残っている理性を総動員させて空腹を押さえて尋ねた。
「あの……」
「なに?」
「なんだ?」
二人してアレックスへ向き直る。
「ご飯……食べていいですか?」
味は薄かったが、空腹というスパイスは強烈で全てを平らげる。アレックスは少々物足りないと思いつつも、空腹が満たされたことでようやく安堵感を得た。
「お前のことを話せ。包み隠さず全部だ」
「その前に言う事があるよ。ねー」
コートの男が詰問を始めようとした矢先、話の腰を折るようにソーナがアレックスを見た。
「誰かに話を聞くときは、まず自分から名乗るものでしょう?」
ソーナは、アレックスの対応をそのままコートの男に求める。
「これは尋問だ。名乗る必要はない」
「あたしは、そうは思っていないけど。それに、いつもビクターさんが言っていることだよ? 『他人から情報を得る時は最低限名乗れ』って」
ソーナは口元を隠してコートの男の真似をする。
「こいつは俺の名前を知っていた。必要ないだろう」
「その辺りも含めて“色”を見たいからねー」
対する本人は揚げ足を取られ続けるのが不毛だと思ったのか一度、軽く嘆息をつく。
「ビクター・サリバンだ」
当然ながら握手はしない。ただ最低限に名前だけ、といった感じだ。
「『アルバート・レックス』です」
「? 何か言ったか?」
「……アレックスと言います」
やはり名前は伝わらない。長耳族だけの事かと思ったが、そうではないらしい。
「改めて聞く。お前はここがどこだかわかっているのか?」
「全く知りません」
ビクターはソーナを見る。彼女は首を縦に振っていた。
「本当みたい」
「ならば、お前は何者だ? 奴隷商の人間ではないのか?」
「奴隷商……?」
「……聞かれたことから先に答えろ。質問で返すな」
こちらが質問している最中だ、と言いたげにビクターは睨む。
「違います。僕はここが何所なのか、そして長耳族という種族も初めて見ました」
「本当だよ」
ソーナの言葉にビクターは次の質問を考えるように口を閉じる。彼はアレックスに対する情報を整理しているのだろう。
嘘は言っていない。全部本当ならば、辻褄が合わないことが一つだけある。
「なぜ、俺の名前を知っていた?」
「知り合いに貴方とよく似た人がいまして」
「名前もか?」
「はい。僕が知るのはビクター・ヴォルクスという人ですが」
「嘘は言ってないよ」
ソーナの裏も取れた。だが、嘘でないことでアレックスという人間が何者なのか更に分からなくなる。
ビクターはコートの襟首を見えるように開放すると鼻から下をアレックスに見せた。
「これでも同じか?」
その素顔は、彼の持つ“魔法”の代償である。人に見せられる顔ではないので本来は隠している。
「はい。驚くほどに同じです」
「ソーナ」
「本当の事しか言ってない」
納得がいかないが、ビクターは襟を戻し、最後の質問をする。
「お前はどこから来た? お前のようなのが何人いる?」
この質問の答えはビクター達にとっても理解できるモノであるはず。まさか故郷が無いなんて事もないだろう。嘘は通用しない。
「……二ホンのK県E市のハイギ道場でお世話になっています」
「……ソーナ」
「嘘じゃない……と思う」
ソーナは、アレックスの答えに“本当”だと裏が取れても、その答えがあまりにも荒唐無稽すぎて最後は声が小さくなった。
異世界定番のエルフ。作中では読み方を『長耳族』で統一しています。




