9.不正
「骨はどこも折れてない。打ち身が少しみたいですね」
戦いが終わるとアレックスは牢に戻された。ビクターからの連絡を待ってじっとしていると、ネスが訪れ、負傷具合を診療していく。彼女は『コロシアム』側から頼まれて赴いたとのこと。
「ありがとうございます」
「これも役割の一つですから」
「それは、『コロシアム』側としてですか?」
「ふふ。さぁ、どうでしょう」
ネスはどこか楽しそうに笑う。対照的に牢の見張りはこちらの様子を伺っていた。
「だいぶ、警戒されているみたいです」
手枷がついているので、過剰な監視体制にはならなそうだが、魔法を使わずにケルファトを降したことは警戒させる要因になっているのだろう。
「男の子は強くないといけませんよ」
「運が良かっただけですよ」
アレックスは先ほどの戦いは限りなく運に近い勝利であると思っていた。もし、ケルファトの魔法が『土』ではなく別の適正だったら、彼が最初から全力の状態だったら、考えれば考える程、負ける要素しか見えてこない。
唯一優位だったのは、こちらの技を相手が知らなかった事だ。何度か戦う可能性を考慮して打撃で押し切りたかったが、絞め技まで使ったのは少々軽率だったかもしれない。
全ての引き出しを晒したわけではないが、もう一度戦う事になったら、勝ちを掴むのは難しいだろう。
「それでも、勝ったのはアナタです。強い人が必ずしも“勝者”ではないのですから」
数々の戦いを行い、観てきたネスは、強さが勝利に直結するものではないと理解している。
アレックスもその辺りは、技を指南してくれた師範なる人物から何度も聞かされている。曰く――
“強い=勝利。とか考えてる阿呆は強い奴には一生勝てん。アレックス、お前は阿呆だが、そんな阿呆にはなるな”
「私としては、アナタに渡された力を見てみたいと思っていたのですが。残念です」
そういえば、そんな力もあると聞いている。未だになんのリアクションが無いのは、そこまで窮地に陥っていないからかな? ……いやいや、何度も死にかけた事はあった。
「僕としては、そっちには期待していません」
「ふふ。そうですね。驕りは己の力を惑わしますから」
「こちらです」
ノーフェイス(ビクター)は従業員に案内されて別の部屋に通されていた。なんでも、運営長が話をしたいとの事。
ビクターとしては、【森の鼓動】の件でも話をしたかったので、申し出を受け入れていた。
「ノーフェイス殿。私は、この『コロシアム』の運営長を勤めさせてもらっておりますコルテと申します」
机を挟んで椅子が設けられ、コルテがふんぞり返っていた。偉そうな様子だが、何か手を考えているのだろう。ビクターはどことなく周囲を警戒する。
「ノーフェイスだ。話したい事はなんだ?」
「今回の賭け金の件です」
やはりか。と、ビクターは椅子に腰を据える。流石に金貨25000枚は無視できない金額だろう。
「我々は、これを不正だと思っているのです」
「……なに?」
あまりに突拍子のない発言に、ビクターは怪訝そうな顔をする。仮面で見えないが雰囲気から、その様子はコルテに伝わった。
「あの奴隷――アレックスと言いましたか。奴は貴方が連れてきたと聞いています」
「ああ」
「『コロシアム』の状況は知っているでしょう? もし、どこかで捕まえてきたあの奴隷が武道の達人だという事を偽れば、容易く賭け金を得られるでしょう?」
コルテが言いたいことはこうだ。
アレックスはお前が連れてきた。そして、“一対一”に出させて不正に賭け金を巻き上げるつもりだった、と。
「申し訳ないですが、不正をする者に賭け金を払う事は出来ません。賭けた金貨500枚は返金致します」
「……そうか。なら、こちらにも言い分はある」
それだけ勝手に屁理屈を述べられて、はいそうですか、と引き下がれるハズがない。
「まず、対戦する奴隷の件だが、あれは完全に運だ。選んだのはこちらではなく、そちらだろう?」
「そ、そうですが……連日の『コロシアム』では戦える者は少なくなっていましたので、予想することは難しくないかと」
「次に賭け金だ。俺はそちらに提案した時は、“次の勝負で倍率の高い方に全て賭ける”と言った。アレックスという奴隷に賭けるとは一言も言ってない」
「し、しかし!」
それでも何かと食い下がらない。そんなに払いたくないのかと、ビクターは呆れる。
「……わかった。ごたごたして互いの仕事に支障が出るのは避けたい。こちらも『コロシアム』には奴隷の件でなんどか世話になっているからな」
ノーフェイスとして振る舞い、そして椅子から立ち上がる。
「ただ、この件は無視できない。出るところに話を通させてもらう。この賭けで、レジトリスという貴族と個人的に勝負をして顔見知りになっていてな。そちらに相談させてもらう」
「!? お、お待ちください!!」
まさか最も出資している存在と顔見知りになっていたとは思わなかった。コルテはノーフェイス(ビクター)を慌てて呼び止める。そして、レジトリスとの会話を思い出した。
“いいかい、コルテ君。ボクは不正が嫌いだ。この『コロシアム』にボクが出資をするのは、非合法とはいえ公平だからだよ。今回の件は完全に正当だ。ノーフェイスは金貨25000枚を受け取る義務がある。だが見過ごせないのもまた事実。しかし『コロシアム』の評判も考えると、ノーフェイスに危害を加えるのも、どうかと思うんだ。簡単に行く相手でもないだろうからね。そこで、ノーフェイスが……君の提案を受けるなら、ボクは君に『ハートレス』を貸すよ”
残された道は二つ……
一つは、順当に賭け金を払うという事。しかし、これは『コロシアム』側としては望ましくない。
もう一つは、再度“一対一”を行う事をノーフェイスに承諾してもらう事。
客を全て帰してからの非公式の対戦。
受ける場合、ノーフェイスは全額――金貨25000枚を賭けてもらう。
戦うのは奴隷のアレックスで、彼に限定で賭ける。
賭け金の倍率は最低の1.2倍。
そして――
「【森の鼓動】を引き渡します」
ノーフェイス(ビクター)が【森の鼓動】を手に入れたいという思惑はコルトも承知している。そもそも、【森の鼓動】を買おうとしてここまで張ってきたのだ。再度賭けを受ける可能性が上がるのなら、コルトは、あらゆる特典を付け加えるつもりだった。
「……相手は誰だ?」
ビクターとしては、それくらいは知ってからどうするか決めたい。アレックスも負傷している。受けるにしてもあからさまに不利なのはこちらだ。
「受けていただけますか?!」
「明らかにこちらが不利だ。それに、リスクの方が多い」
この条件ではこちらばかりリスクを負う羽目になる。荒波立てずにソニアを助け出せるのは当初の目的通りだが、勝てる可能性はケルファトの時よりも低いだろう。
「どうするかは、奴隷当人と話をしてから決めたい」
「という話だ」
「それは……なんか複雑すぎてどうなっているのかよくわかりません」
ノーフェイス(ビクター)は、牢からアレックスを同行させ、ネスの鑑定部屋を借りて話をしていた。ネスは気を使って退席し、外で他に誰もいないか見張ってくれている。
「まとめると、運営は金貨25000枚を払いたくないらしい」
「それで、“一対一”をもう一度?」
「ああ」
「それって、受ける意味あります?」
アレックスは既にリスクを冒すまでもなく、金貨25000枚でソニアの見受けを出来るのではないかと指摘する。
「意味はない。だが、本来の目的はソニアを助ける事だ。金を稼ぐ事じゃない」
金貨25000枚もあれば孫の代まで遊んで暮らせる。だが、ビクターとしてはソレが目的ではない。そもそも、ここまで渋っているのだ『コロシアム』は何かと理由をつけて払わない気でいるのだろう。
「じゃあ、金貨25000枚でソニアさんを見受けすればいいんじゃないですか?」
本来は金貨1000枚だが、運営は間違いなく呑む。
そうなった場合、僕を奴隷商から買い取ってからお願いします、とアレックスは付け加えた。
「だが、ノーフェイスという存在の定義が邪魔をする」
ビクターは、顔が隠せて更に素性を深く探られない、『ノーフェイス』を隠れ蓑にした。偽物も多く出回る『ノーフェイス』の中で限りなく本物に近い立ち回りをしたつもりだ。
しかし、本物の『ノーフェイス』ならば今回の件でどう反応するかは全く分からないのである。
奴が奴隷に固執するという一点はわかる。しかし、法外な値を払ってまで特別な奴隷を手に入れるか? それとも奴隷を売り買いするのは金銭を得るための延長なのか?
本物の『ノーフェイス』が何故、奴隷の取引を行うのかは本物に会ったことのある人間以外は探りようがない。
「ここまでくれば、運営もなりふり構っていられない。拒否すれば血眼になってこちらの素性を調べ上げるだろう。それに、後ろについている奴も中々厄介だ」
ビクターは『女神の契約書』に浮かび上がったレジトリスの本名を知り、彼が世間でもどのような地位にいる『人間』なのかを思い出していた。
悟られていないが、こちらの目的が悟られるキーワードをいくつか『コロシアム』側は手に入れている。
『長耳族』と【雷人】が接触した可能性が少しでも『コロシアム』側の考えに浮かべば、現状での一番の目的と、ビクターの正体を警戒され、ソニアは永遠に手の届かない場所へ連れていかれるだろう。
今は金貨25000枚をどう捌くかで意識がそちらに向いているが、冷静になればそうなる可能性は高い。
「戦うのはお前だ。だからお前が決めていい」
「拒否したらどうなります?」
「お前を買い戻して当初の計画に戻るだけだ」
力業による奪還。危険度はかなり上昇する。
「決めました」
アレックスはビクターへ意思を伝える。その答えにビクターは呆れつつ、
「お前は馬鹿だな」
「馬鹿じゃないですよ。僕は阿呆らしいです。それに――」
どれだけ窮地に居ても彼は己の歩みを曲げない。それは美徳でもあるが、角度を変えれば危険性が分からない狂った人間としても映るだろう。
「僕は悲しい事が嫌いなんです」
少しでもソレが避けられるなら犠牲になるのは自分だけでいいと、彼は笑顔で戦う事を告げた。
ノーフェイス(ビクター)からの了承で、再度“一対一”を行う事となった。
これは非公式の戦いであり、客が帰ってから行われている。
空いた客席。不気味なほどに静まり返った戦いの場には先にアレックスが先に入っていた。手枷は既に外され、対戦相手を待っている。
観客席には四人しか存在していなかった。
ノーフェイス(ビクター)、レジトリス、コルテ、ネスである。他の従業員は皆、下に待機しており、いざという時の為に武器を携帯していた。
「おや、美しいご婦人だ。お名前をお聞きしても?」
「ネスと申します」
「ボクはレジトリスと申します。見たところ、ネス殿は『コロシアム』のお抱えですか?」
「はい。ですが、そろそろ別の『コロシアム』に移動するつもりなので見納めに」
ほほほ、と茶を濁すようにネスはレジトリスと会話していた。
「見納め、とは。ご婦人は戦いがお好きなのですね」
淑女のような雰囲気と見た目からは、らしくない趣味だとレジトリスは尋ねる。
「長年、『コロシアム』に関わって仕事をしていると娯楽がそれくらいしかないのです」
と、傍から見れば紳士と淑女が会話をしているような構図だが、ここは『コロシアム』である。明らかに異質なもの同士であると、気に掛ける第三者が居れば思っただろう。
ただ、その第三者であるノーフェイス(ビクター)とコルテは戦いの場に立つアレックスだけを見る。二人はアレックスが只者ではないと認識していた。
彼は無傷ではないが、動きに大きな影響が出る程にダメージがあるわけではない。それでも、この戦いで勝たなければコルテは終わりなのだ。
だから、使う事を承諾した。あの――『ハートレス』を……
「…………」
コルテは『ハートレス』を使う事だけはしたくなかった。そもそも、奴と対面したくなかったのである。
それは、かつて『コロシアム』で行われた出来事。『ハートレス』の戦いがコルテにトラウマを植え付けたからだった。
数年前。この『コロシアム』で一人の奴隷が圧倒的な力で勝ちを重ねていた。
それはある種の八百長であった。力のある者があえて奴隷として売られ、『コロシアム』で荒稼ぎするという、当時は他の『コロシアム』でも行われている問題だった。
裏の営業をしている事もあり、『コロシアム』側は強くは指摘できず、ルールに則って力づくで、排除するしかなかったのだ。
しかし、その奴隷の強さを誰も止める事は出来ない。頭を抱えた『コロシアム』の元へ、ある貴族が解決できる策を持ちかけてきた。
非公式の“一対一”が組まれ、勝利した奴隷には膨大な賭け金が払われると約束されていた。
そして、奴隷の待つ戦いの場で対面側の門が開く。だが、門から現れたのは三匹の魔物だった。
獅子のような体躯と黒い毛皮で背が燃えている獣。
フレイムビースト。危険地帯に生息しており、食糧が少ない環境から非常に獰猛で攻撃的な魔物だった。
いくら強いとはいえ奴隷は、怪物の中の怪物に手も足も出なかった。空腹だったフレイムビーストは三匹で奴隷を苦も無くバラバラにすると貪る。だが、獲物が一つでは三匹の空腹は到底満たせない。共食いを始めようとした時、一人の男が戦いの場に入ってきた。
「いいぞ……血の味を知ってこそ獣だ……存分に味わえ……」
フレイムビーストを放った男は剣とムレタを持ってその場に入場する。本来は彼が八百長をしていた奴隷の相手をするハズだったのだ。
「ワタシは……ヒトに飽きた……」
その後、三匹のフレイムビーストを一人で始末した男は『コロシアム』を渡り歩き、不当な強さを持つ奴隷を全て狩り尽くすと闇へ消えた。
その戦い方はあまりにも無慈悲な物で相手に同情するほどの光景。
当人の美学なのか、それとも油断しない為なのか、男は心臓をえぐり取ることで相対者の絶命を認識する。その戦いを一度でも見れば、二度と会いたくないと思うだろう。
後に『コロシアム』での奴隷による八百長は激減し、代わりに一つの噂が流れ始めた。
『コロシアム』には暗闇から心臓を奪いに来る処刑人『ハートレス』がいる。
そして、『ハートレス』が現れる時、それはルールに則った“殺害依頼”に他ならないのだと――




