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お茶の時間

 



 ここはロウディーン帝国王宮内にある、とある一室。


 煌びやかで嫌味なほど贅を施した調度品のみで調えられたこの部屋は、ロウディーン帝国国皇帝の妃が最も気に入っている一室である。


 その妃お気に入りの部屋・入り口付近には、この部屋には不釣り合いとしか言う他ない程に醜く、巨大で異様な物が陣取って異質な空気を発していた。しかしその異様な空気との境目には目に見えない鉄壁の煌びやかな壁が作り出されている。


 そしてその煌びやかな空気の中ではこの場に相応しい二人の麗人が向かい合い、繊細な茶器に注がれた最高級の茶に口をつけ、のどかで優雅な午後の一時を過ごしてた。



 「あれから早一年になるな。」


 麗人の一人―――女人も羨む絶世の美貌の持ち主であるロウディーン帝国皇太子フェルティオが呟き、一分の隙もない優雅な所作で茶を口に運ぶ。

 一通り香りを楽しんだ後でこくりと喉を潤してから茶器を元の場所に戻すと、フェルティオの指はそのまま皿に盛られた少々不揃いの焼菓子にのばされた。


 「そうですね。」


 同じく菓子をつまんだフェルティオの向かいに座る麗人、ロウディーン帝国魔法師団副師団長の地位に在るアルフォンスが一呼吸おいてから、少々不機嫌気味に遅れて返事をする。 


 対するフェルティオは何故だか楽しそうで、こう言う時は必ずと言っていい程アルフォンスの身には良くない事が起こるのである。目の前の皇太子が原因でその身を危険に曝す事ばかりなのだから、相手が皇太子だからといて愛想ばかり振りまいてもいられない。本当に命がいくつあっても足りないのだ。

 そんなアルフォンスの立場を知ってか知らずか、フェルティオは無礼な態度を気にも留めずに話を進めた。


 「一年も経つと言うのに我が弟は何故未だに独り身なのだ?」

 「さあ……ノミの心臓だからではないでしょうか。」

 「戦場において鬼神や悪魔と恐れられる百戦錬磨の男がノミの心臓?」

 「剣を振るうのだけが唯一の男です。殿下のようにとまではいかずとも、一般貴族並みに女性の扱いに長けていたならとっくの昔に告白の一つでも済ませていたでしょう。」


 フェルティオはアルフォンスの言葉をふんと鼻であしらう。


 「心外だな。私であればとっくに妻の一人に迎えている。」

 「……でしょうね。」


 何か言いた気にもアルフォンスは口を噤むと、異様な雰囲気が発せられ始めた扉へ向かって僅かに視線を馳せた。


 「もしや……奴はプロポーズの仕方を知らぬわけではあるまいな?」

 「かも知れませんね。」


 異様な雰囲気を感じながらもアルフォンスはあえてそれを無視し、フェルティオに同調しながら何食わぬ顔でお茶を啜る。


 「何しろ剣を振るうだけが取り柄ですから。」

 「それではあの娘がいかに奇特とはいえ、待ち切れずに他の男を選んでしまうのではないか?」

 「彼女の性格からするとそれはないでしょうが、このままでは一生独身で終わるやも知れませんね。」

 「何と哀れな……」


 花の盛りは長くはないのに―――と、フェルティオは大袈裟に頭を抱え苦悶した。

 すると扉の脇で壁に背を向け無言で立っていた男から更に異様で負に渦巻くオーラが発せられたが、フェルティオとアルフォンスはあえてそれを無視し話を続ける。


 「あ奴は何故私を頼って来ない? あれでも私にとっては可愛い弟。口説き文句の一つや二つ、問われるならいくらでも手取り足取り伝授してやると言うのに。」

 「彼女は殿下の周りにいる女人と違います。流石の殿下にも落とすのは無理なのでは?」


 無理、というアルフォンスから思わずもれた本心に、フェルティオの脳裏には過去の苦い思い出が蘇った。


 彼女を口説いて自慢の美しいかんばせを殴られた―――しかも二度も、だ。


 フェルティオはあの時の痛みを思い出し無意識に頬へと手を伸ばすと同時に、無理と言われてしまうと是が非でも落としてみたいという悪い虫が騒ぎ出して来たのだが、それも一瞬の事。

 

 一年前より全く何の進展もない、想い合っている筈の二人の将来……ひいてはロウディーン帝国の将来にも関わりかねない現実に、フェルティオは珍しく皇太子の立場として国の将来を想い溜め息を落とした。


 このままの状態が続くようならアルフォンスの言うようにあの奇特な娘、リアと、誰もが恐れ敬遠する飢えた猛獣ザガートには何の進展も望めまい。それだけならまだいいが、リアの方はいつ何時他の男に持って行かれないとも限らないのだ。


 身分はないが見た目は可愛らしく気立てもよい。聞く所によると侍女としての働きぶりも良く、唯一の難点は極度の方向音痴だけという。


 そんな娘ならば年頃の男達にとって恰好の花嫁候補と成り得るだろう。


 もしリアがどこぞの男に持って行かれたりしたらザガートはどうなる?

 表向きリアの選んだ男ならと納得しながらも、愛する女を得られなかった苛立ちの矛先があらぬ方向に向いてしまうのではないか? はたまた牙を抜かれた獣に成り果て、ロウディーン帝国は守りの要を失ってしまうのではないだろうか。

 そうなってしまうと次代の統治者となるフェルティオとしては少々、否、大いに不味い事になる。


 「跪くだけだと言うのに何が難しいと言うのだ。」


 微笑み一つで女を落とせるフェルティオからすると、己に恋心を抱いている相手に一年も手出しが出来ていないなど有り得ない話で、これはもう犯罪だ。しかも同じ屋根の下で生活しながら指一本すら触れていないというのである。


 そもそも剣を握り魔物を狩っては頭からかえり血を浴びる攻撃的なザガートが、初恋の娘を前に黙って指を咥えて見ている様を想像するとどうにも気持ち悪い。


 「何しろ相手は身分差を完璧なまでにわきまえた頑固な一面を持ち合わせていますからね。しかもどさくさ紛れにした告白を真実と受け取ってもらえなかった過去もありますし。」

 「全く、ノミの心臓以下だな。」


 フェルティオは飲みかけのお茶を啜りながら、入口の扉横に立ち、射殺さんばかりの鋭い視線を送りつけて来る獰猛な弟を一瞥した。


 「ならば二人きりではなく大勢の集まる場で愛を告げればよいのだ。」


 そうすれば多くの者が証人となるし、その様な状況故に疑りようがない。傍観者がいれば戯れで告白しているとは思えないだろうし、もしそう取られるなら相手が頷くまで跪き愛を語り続けるまでだ。


 「果たしてザガートにそれが出来るでしょうか。」

 「出来ぬなら娘が他の男の物になる様を黙って指を咥えて見ているしかあるまい。まぁその時は娘をゲルハルク家の養女として、私の側室の一人に加えてやってもよいがな。」


 前髪をかき上げながらふっと微笑むフェルティオに、アルフォンスは心底嫌そうな視線を送る。


 「殿下の戯言にゲルハルク家を巻き込まないで下さい。」

 「何を言う。その為のゲルハルクアルフォンスではないか。」

 「でっ―――!」


 ザガートといいフェルティオといい、自家のあまりの扱われ様に思わず言葉が詰まる。


 「それに義理とは言え可愛い妹が出来るのだ。喜ばしいかぎりではないか。」


 名案であろうと椅子の背に身を預け優雅に足を組み替えたフェルティオに、アルフォンスは全くこの御方はと溜め息を零しかけた所で顔面蒼白となり、勢いよく椅子から立ち上がって悲鳴をあげた。


 「うわ―――っ、やめろザガートっ!冗談っ、殿下の悪い冗談だってばっ!!」


 フェルティオの背後には暗黒のオーラを纏い、鋭く研ぎ澄まされた大振りの剣を片手に迫り来るザガートの巨体があり、アルフォンスは慌ててフェルティオとザガートの間に身を投じる。


 「悪い冗談だと? そこをどけアルフォンス。首と胴を切り離し二度と軽口など叩けぬようにしてやる。」

 「アルフォンス、ザガートの好きな様にさせてやれ。」

 「殿下っ?!」

 「ザガートもやりたい様にやればよい。但し、あの娘に求婚してからだ。想う女の一人も手に入れられぬ今のお前には私に剣を向ける資格はない。」


 フェルティオの言葉に、怒りに燃えるザガートの動きがぴたりと止まった。


 「何を迷う? ああいう娘には二人きりではなく公衆の面前で跪き、大袈裟に求婚すれば良いだけの事だ。それでも本気と取られず拒否されるならドレスの裾を掴み、相手が頷くまで決して放さず顔を上げるな。それで駄目なら地面に額をすりつけ懇願しろ。そうして娘が根負けして頷いた所で即教会に連れ込み式を挙げてしまえばいいだけの事ではないか。たったそれだけの事が何故できぬ?」


 剣を振り上げたまま微動だに出来ないザガートを尻目に、簡単な事だとフェルティオは微笑みながらお茶を啜った。



 確かにたった一言で済む簡単な事なのだろうが―――その簡単な事がザガートには出来ない。

 いかなる敵を前にしてもけして怯む事のない百戦錬磨の野獣といえど、恋する人の前では何の力もない、まさにノミの心臓を持ったデクノボウと化す。

 同じ兄弟達の様とまではいかずともせめて世間一般人並みの風貌・容姿をしていたなら―――否、全てを見かけのせいにして拒絶されるのを恐れているだけの自分に気付き、ザガートは振り上げた手を力無く下ろした。


 「話とはそれか?」


 剣を鞘に戻しながら重い声で問うザガートに対し、フェルティオは「話?」と問い返し―――ザガートをこの場へ呼びつけたのが自分であった事を思い出してぽんと手を打ち鳴らした。


 「ああ、これをお前にも食べさせてやろうと思ってな。」


 そう言ってフェルティオは目の前の菓子を一つ摘んでザガートへと差し出す。


 差し出された何の変哲もないただの焼き菓子を前に、ザガートは怪訝に顔を顰めた。

 王宮で、皇太子という身分のフェルティオに出されるにしては少々不格好な焼き菓子。皿に並べられた菓子は不揃いで、高級な茶器を手にするフェルティオには不釣り合いでもあるが……それが何だというのだ。


 結局ザガートには意味が掴めず、単にフェルティオの暇つぶしに弄ばれているのだと受け取ると、全ては時間の無駄とばかりに冷ややかな視線を落として無言で踵を返した。


 「おや、要らないのか? 形はともかく、都でも評判の菓子職人秘伝のレシピを使って作られただけあってなかなかの美味だというのに―――」


 フェルティオの言葉に退室しかけのザガートの足が止まり、疑問に血走った目がフェルティオを睨みつけた。


 「何だと?」

 「あの味をこれ程まで忠実に再現できるとは。あの娘、料理の才もなかなかのものではないか。」


 ザガートを無視して一人感嘆に耽り、フェルティオは菓子を口へと運んだ。

 対するザガートの目が更なる怒りに燃える。



 何故・それが・ここに・あるのだっ?!



 「貴様っ―――!」

 「ザガートっ?!!」


 地響きを轟かせ大股でフェルティオへと歩み寄るザガートの動きに、その暴挙を止めるべき嫌なお役目が常となってしまっているアルフォンスも間に合わない。


 ザガートはアルフォンスの傍らを疾風の如き速さですり抜けると、大きく太い腕をフェルティオへと伸ばし―――フェルティオを通り越してそこにある菓子を皿ごと掴みあげた。


 ザガートがフェルティオへの暴挙に出ると想像していたアルフォンスは目を見開き、怒りの対象者であるフェルティオは澄まし顔で「皿ごと食す気か?」と微笑みを浮かべる。


 血走ると同時に、氷の様に凍て付く真っ青な眼光がアルフォンスを捕え、流石のアフォンスも腰を抜かしそうになる。


 「どういう事だアルフォンス―――!」

 「何で僕なのさっ?!」


 確証はないがザガートが皿ごと手にするこの菓子は、リアが手作りしたものに間違いなかった。


 先日ザガートはリアが都で評判の菓子を口にした際に、孤児院の子供達にも食べさせたいと呟いていたのを地獄耳で聞き取り、彼女の願いを聞き入れたいと自らが足を運んで大量に購入してリアに持たせたのだ。だがリアは庶民では滅多に口には出来ない高価な菓子にいたく恐縮してしまい、己の呟いた言葉を反省し悔いていた。それならとザガート自らが再び菓子屋に出向き、主に頼んで(おどして)門外不出のレシピを手に入れたのである。


 リアは昨日仕事が終わった後に調理場でその菓子作りに精を出していた。出来上がった菓子は今朝方リアの手によって孤児院に届けられた筈だ。


 その菓子が、何故、今、ここにあり、フェルティオの口に入っているのだ?! とザガートはアルフォンスに問うたのだが……まったく事情を知らないアルフォンスにはいったい何の事だかちんぷんかんぷん。


 「散歩に出たら偶然・・あの娘に出くわしてね。何でも孤児院に焼き菓子を届ける途中というので送ってやろうとしたら丁重に断られてしまった。」


 その時に菓子をわけてもらったのだと、フェルティオはまるで当然のように話す。


 実際の所は城を抜け出し、街遊びをして朝の帰宅途中ふと思い立ちザガートの屋敷を訪ねようとした所で(勿論ザガートに用はない)菓子を大量に持ったリアに遭遇したのだ。孤児院まで送ってやろうというとリアは委縮し当然の様に断る。

 そこでフェルティオが興味を持ったのはリアが手にした菓子で、よくよく話を聞くとそれはリアの手作り、しかもザガート自らが高名な菓子職人からレシピを入手してくれたのだというではないか。そうなれば何としてもその菓子を入手しなくてはならないと使命に駆られたフェルティオは、自分の手による品などとんでもないと恐れ慄くリアから半ば強制的に菓子を分けてもらったのである。

 当然その菓子、リアが初めて作ったもの故にザガートの口には入っていない。


 菓子がどうのという程ザガートは意地汚くはない。

 込み上げて来る怒りの原因は、フェルティオがリアに接触したという事実だ。フェルティオをリアに接触させない為にアルフォンスが存在するというのに―――


 ザガートの中では魔法師団副師団長たるアルフォンスは本来の役職ではなく、フェルティオをリアに寄せ付けさせない為の要員の地位に置かれている。それ故フェルティオがリアに接触=アルフォンスの不手際なのだ。

 そんな自身の不手際すら気付いていないアルフォンスに言っても無駄とザガートは愛想を尽かす。


 ザガートは皿に乗った菓子を取り落とさぬよう、思わず力を入れて皿を割ってしまわぬよう、肩に力を入れ指先に神経を集中し、大事に手にしたまま暫くその場に立ち尽くしていた。


 菓子を手にしたまま立ち尽くし、それを取り落とさない事に意識を集中するザガートに、フェルティオは欲しいなら持って行きなさいと言葉をかける。するとザガートははっとし、暫く苦悶に満ちた表情を浮かべた後で手にした皿をそっと元の場所に戻した。


 そこにはリアの手作りした菓子をこのまま持ち去るかどうかという葛藤がもの凄く垣間見えたが――― 


 やがて踵を返したかと思うと、ザガートは菓子をその場に残し、大きな足音を轟かせながら後ろ髪惹かれる思いで菓子を諦め部屋を後にして行った。



 ザガートが立ち去った後でアルフォンスは何事もなかった事にほっと胸を撫で下ろす。

 全身冷や汗まみれの己に、このままでは寿命が縮む。否、現在進行形で短命の道まっしぐらである。きっと老けるのも早いだろう。


 ほっと胸を撫で下ろすアルフォンスの耳に、小さく舌打ちし不満を口にするフェルティオの言葉が届いた。


 「怒り狂って暴れるものとばかり思い母上お気に入りのこの部屋を選んだというのに。まったく面白みのない奴め―――」

 「―――確信犯ですか。」


 結局の所フェルティオはザガートをいじって遊んでいるだけなのだ。毎度の事ながらそれに巻き込まれる側のアルフォンスとしては、若い身空ではあるが既に引退したい気分にさえ陥り、深い溜息と共にお妃様お気に入りの部屋が無事に済んでよかったと胸を撫で下ろしたのであった。



 



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