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告白2



 リアは腰を抜かして部屋の片隅に追いやられた少年と目線を合わせるようにしゃがみ込むと、心配そうに翡翠色の瞳を覗き込んだ。


 誰かに似ていると思ったのは、リアが少年の名を知らなかったからだ。人形のように真っ白で整った容姿、少女とも見紛うばかりの可憐な美貌。


 突然現れたリア達に驚いて(実際はザガートに対してだが)腰を抜かした少年に申し訳なく思いつつ、どうしてザガートがこんな所に自分を連れて来たのかが分からず、はるか上空にそびえるザガートの青い瞳を見上げた。


 するとザガートもその場に跪き、少年がびくりと肩を震わせる。

 だがイシャルは、ここに天使がいてくれる限り自分の身が安全であると本能で感じ取っていた。


 「イシャル、娘の怪我を頼む。」

 「えぅ、ぇぇぅぁ……けけけけけっ……け・け・け・怪我、ですか?」


 イシャルは震える声で言葉を発すると、ザガートとリアの顔を交互に見つめた。

 ザガートが他人の、しかも女性を気遣う姿など初めてみたイシャルは、目の前の天使がザガートにとっての何なのかと気になったがそれを口に出す勇気はない。


 「あの、もしかしてイシャル殿下ですか?」


 目の前の少年が先程ザガートの事を兄と叫んでいたのを思い出し、イシャルと言う名でリアはこの少年がロウディーン帝国の第三皇子だという事実に思い到る。どうりで誰かに似ていると思った。雰囲気は違うが、何処となくフェルティオ皇太子に似ていたのだ。

 不安そうな瞳のまま少年が無言で頷いたので、リアは後ろに下がると両膝と両手を付いて頭を下げた。


 「わたしはザガート様のご厚意によってお側にお仕えさせて頂いております、リアと申します。わたしの様な者が恐れ多くもイシャル殿下の御前にみすぼらしい姿を曝してしまったご無礼、なにとぞお許し下さい。」


 両手を付いて頭を下げるリアの手元を見てイシャルははっとする。

 娘の怪我を頼むと言ったザガートの言葉通り、リアの右手人指し指が鬱血して紫色に腫れ上がっていた。

 おもむろにその手に触れようとしたイシャルだったが、突き刺さる視線と異様な空気に気付き、視線だけをその方向に移した。


 「ふ……ふっ、触れても構いませんか?」


 恐る恐る、勇気を出してザガートに確認する。


 「触れずに治せるのか?」


  威圧的な重い声色にイシャルは見えない重圧によって押し潰された。


 「出来ませんっ、ももも申し訳ありませんっ!」


 馬鹿な事を聞いてしまいザガートの怒りを買ってしまったのではないかと不安に苛まれるが、青く輝く鋭い眼光が早くしろと言っているようで、イシャルは慌ててリアに手を伸ばした。


 「失礼します―――」


 そう言って伸びて来た白く綺麗な指先にリアは見とれる。

 孤児院育ちのリアの手は幼少の頃より続けている水仕事のせいでずっと荒れたままになっており、ザガートの屋敷に上がってからもそれは変わらなかった。これが冬になるとあかぎれだらけの指に変わるのだ。

 綺麗なイシャルの手を見てリアは恥ずかしくなり手を隠してしまいたくなったが、折れた指を治してくれようとしているイシャルの好意を無下にしてはと、リアはそのまま動かずにいた。


 触れた指先がほんのりと光を帯び、同時に熱く熱を帯びる。

 魔法で傷を癒されるといった経験のなかったリアは、見る間に痛みが引き鬱血の痕すら消えてしまった己の指をみて、魔法による治癒の力というものにいたく感動した。

 きれいさっぱり治ってしまった指先を動かし、すごいと感嘆の声を上げる。

 イシャルは次にリアの両の手を取ると、自分の手で包み込むように優しく触れた。

 すると今度は荒れてガサガサしていた小さな手が、イシャル同様の柔らかで綺麗な傷一つない物へと変化する。


 「お前にしては気が利くな―――」


 背後から聞こえたザガートではない声にリアは後ろを振り返り、イシャルは不安げな表情のまま声の主を見上げ―――ザガートは心底嫌そうな顔をしてからリアの背をそっと押した。その拍子にリアの体は傾いて目の前のイシャルの胸へと倒れ込む。


 イシャルは幸運にも腕の中に降って来た天使を受け止めるが、その瞬間、凍て付く様な視線を感じて思わずリアを体から引き離した。

 病弱でも男の子……と言うよりも、命の危険を感じての火事場の馬鹿力だ。


 取り合えずイシャルなら害はないだろうと判断したザガートは、突然背後に現れた声の主を睨みつける。


 「フェルティオ……貴様が何故ここにいる?」

 「何故って、ここが城だからだろう?」


 何を馬鹿な事を言っているのだと鼻であしらうと、フェルティオは床に蹲ったままのイシャルとリアを見下ろし笑顔を向けた。


 「けだものに怪我を負わされたと聞いたけど大丈夫かい?」

 「獣ではなくザガート様で……あ、いえっ、けしてザガート様のせいでこうなった訳では!」

 「いやいや、それは間違いなくザガートのせいだよ。お前の様な娘がこんな獰猛な奴の側にいては危険だと常々思っていたのだ。どうだい、私の元に来ては。」


 ピクリと、ザガートのこめかみに血管が浮き上がる。


 「娘は俺の手の内の者だ、貴様などに気安くしてもらいたくはない。」

 「そうは言うけどね、彼女は私の初めての相手だし―――」


 「「「!!!」」」


 一同絶句。

 リアとイシャルに至っては共に顔を赤く染めている。


 「何を勘違いしているんだい? 皇太子である私が初めて頬を殴られた相手という意味だよ。私はそんなお前が気に入っているのだけどね。」


 それにねぇ―――と、フェルティオは意味有り気に自身の唇を人差し指の腹で撫でた。

 その仕草に先日の口うつし事件を思い出したリアは、己の口を両手で隠すと恥ずかしさに耳まで真っ赤になってしまう。それを見たザガートは、未だフェルティオにあの時の報復をしていない事に気付いて剣に手をかけると、そこへ今度は血相を変えたアルフォンスが飛び込んできた。


 「貴方は何をまた余計な事を言ってるんですかっ!?」


 今にも剣を鞘から抜きかねないザガートと、慌ててそれを止めるアルフォンス。

 一触即発の雰囲気を余所に、何処までもマイペースなフェルティオは余裕の笑みをリアに向け、真っ赤になって恥ずかしそうに顔を隠すリアに身を寄せていたイシャルは、天使の様なリアの温もりを肌で感じながら、ザガートの事などすっかり忘れ、何て可愛らしい人だろうと胸を高鳴らせていた。








 *****


 皇太子フェルティオに対して剣を抜き、あってはならない暴挙に出ようとしていたザガートの太く逞しい手を引きながらリアはイシャルの部屋を後にした。


 あのままでは止めに入ったアルフォンスも皇太子フェルティオも危険な状態であった事は誰の目にも明白だ。

 骨折した指を治療してくれたイシャルにきちんと礼が言えなかったのは心残りであったが、ザガートの怒りの根底にあるのが自分の存在だと気付いているリアは、大事な主が自分のせいで取り返しのつかない事をしてしまうのではないかという不安でいっぱいだった。


 ザガートは優しい。

 出会った当初から孤児院出身で何の身分もないリアを助けてくれただけではなく、主として気にかけ、精一杯の心遣をして守ってくれているのだ。

 国王に次ぐ権力を持つ皇太子にさえ剣を抜き、ただの使用人であるリアを守ってくれる。一歩間違えば……と言うよりも、フェルティオの怒りを買えば弟であるザガートとて手厳しい罰を受ける事は間違いないと言うのに。


 あんな風にしてまで守ってもらえると―――勘違いしてしまいそうだとリアは切ない溜息を落とした。


 高貴な身分にありながらリアの様な者にすら手を差し伸べてくれる心優しいザガートを敬愛し、気付けば一人の男性として好きになっていた。叶わぬ恋である事は重々承知だ。側に仕える機会を与えてくれただけでも幸福な事なのに、何も持たない自分がそれ以上を望める訳がない。

 けして手の届かない相手だが、秘めた恋心を持ち続ける事は罪ではないだろう。


 「何処へ向かうつもりだ?」


 地を揺るがすような低圧な声色で訪ねられ、思いにふけっていたリアは声のした方を仰ぎ見た。

 女性の平均身長であるリアの頭二つ半ほど上にあるザガートを見上げると、怪訝な青い眼差しとぶつかる。


 いったい自分は何処へ向かおうとしているのか?

 兎に角フェルティオからザガートを引き離す事しか考えていなかったので、取り合えず城を出ようとしていたのだが……

 ここは何処だろう?

 きょろきょろして辺りを見回すリアの様子から道に迷ったのかと察したザガートは、もう一度、リアが何処に行こうとしていたのかを訪ねた。


 「城を出ようと思っていたのですが……ザガート様がお仕事の途中だったことをすっかり忘れていました。申し訳ありませ―――!」


 そう言って頭を下げようとしたリアは、自分がザガートの腕を掴んだままであった事に初めて気が付き、慌てて腕から手を離した。


 「もっ、申し訳ありませんっ!!!」


 許しもなく主の体に触れるなどあってはならない事だ。

 恐縮し必死になって頭を下げるリアに、折角触れてくれていた腕を離されたザガートは残念な気持ちに陥り眉間に皺を刻む。

 それを不興を買ったと勘違いしたリアは、更に深く頭を垂れた。


 「構わん。それよりもこのまま行けば城壁にぶつかる。今日は仕事を切り上げて俺も屋敷に戻るとしよう。」

 「いいえっ、とんでもございません!」


 言うなり後戻りを始めたザガートの歩みを止める為にリアは前に立ち塞がった。


 「これ以上お手を煩わせる事は出来ません、ザガート様はどうぞお仕事にお戻り下さい。」

 「一人で屋敷に戻れるのか?」

 「勿論です!」


 声を上げて宣言するが、既に城内で通用門とはま逆の裏手に来ている時点でアウトである。説得力も何もあったものではない。

 訝しげに睨みつけるザガートの視線に、リアも負けじと睨み返す。

 自他共に認める方向音痴。ここでザガートと別れたら即刻道に迷うのは目に見えてはいたが、主の邪魔をして手を煩わせる訳にはいかないと虚勢を張った。

 道は人づてに聞けば何とかなるだろう。これ以上失態を働き愛想を尽かされるのだけは避けたいと、好きな相手に少しでもいい所を見せたいというリアなりの意地だったのだが―――

 リアの方向音痴が異常である事はアトラスの森で出会った時に実証済みだ。ここで別れてリアを一人で帰しては再び同じ様な事になり兼ねないと、ザガートは細心の注意を払いながら勇気を振り絞ってリアの腕を取った。


 「屋敷へ戻るぞ―――」 


 なんて細い腕だろうと感じながらザガートはリアの手を引いて歩く。ここで手放しては永遠に失ってしまうような感覚にさいなまれるのだ。


 大きくごつごつとした手に掴まれた手首からはザガートの体温が伝わって来る。

 一見乱暴ではあったが、掴まれた箇所からはザガートの緊張が伝わり、リアはその緊張がもたらすザガートの優しさに、申し訳ないと思いながらも心ときめかせ想いを募らせていた。







 *****


 リアと共に屋敷に戻ったザガートは再び登城する事も森へ魔物狩りに出かける事もなく、そのまま屋敷で書類を片手に執務をこなしながらゆったりと過ごした。


 ザガートがこれ程の時間を屋敷で過ごすなどリアがここに来てからは初めての事である。

 リアは使用人としての仕事をこなしながら、ザガートと同じ敷地内で同じ時間を過ごせる事に幸せを感じていた。


 夕食を屋敷で取る姿も初めて目にした。

 給仕を務めたリアはザガートが食べ終えた食器を下げる時に酒を用意するように言われ、台所に戻って侍女頭のライラにその旨を伝えると、ライラはザガートの好みの酒を用意して持たせてくれた。

 それを盆に乗せ再び部屋を訪れると、どうやらザガートは湯浴み中の様で、リアは用意した酒を盆ごとテーブルに置き、室内に置かれた戸棚から透明なグラスを取り出して酒の傍らに伏せて部屋を出ようとした。

 ちょうどそこへ湯浴みを終えたザガートが柔かなローブに身を包み、濡れた頭を乱暴に拭きながら室内へと戻って来る。いつもなら食事や入浴は勤めを行っている城で済ませて来るザガートだったので、こういう場合どうすべきか分からないリアは取り合えず部屋の隅に控える。すると一息ついたザガートは戸棚からグラスを取り出し、二つのグラスへ琥珀色の酒を注いだ。


 「お前も付き合え―――」


 酒を飲んだ事も勧められた事もなかったリアはどうするべきなのか分からず、取り合えず主の命令には従っておくべきだろうと前に進み出る。

 一つのグラスには半分程、もう一方、リアに差し出されたグラスにはほんの少しだけ酒が注がれていた。

 グラスに注がれた酒に視線を落としていると、座ったらどうだと言われ、主の傍らに腰を落ち着ける事は無礼にあたるのではないかという不安がリアの心を過った。


 「いいから座れ。」

 「……はい、失礼致します。」


 予定よりもかなり早く屋敷に戻って来たザガートは、今日はこのまま寝酒を煽り床に就こうとしていた。そして明日は早々に城に出向き、残してきた仕事を片付けるつもりである。 

 そこにちょうどリアが控えていた。

 折角いてくれたのだからこのまま退席させるより、たとえ僅かな時間でも共に有りたいと願い、酒を交わし楽しんで心満たされた気持のまま床に就きたいと思ったのだ。


 孤児院育ちのリアの事、どうせ酒には慣れてはないだろうからと、それを見越してほんの一口ふた口程の量をグラスに注いだ。

 惚れた女が酒豪であっても構いはしないが、歳や育ち、そして何よりもリアの持つ雰囲気を考慮して飲める口ではないと判断した。これで酒豪だというならさすがのザガートも人を見る目を改めなければならない。


 ザガートがグラスを取り口を付けたのを見届けてから、リアも同じ様にグラスを口へと運ぶ。

 ムッとした独特の匂いに顔を顰めつつも、主の勧めを断るのは無礼になると気合を入れて口に含むと、口内に熱気がかッと広がり、思わず両目をぎゅっと閉じてグラスを手にしたまま俯いた。

 苦味を持った液体が音と熱をもってリアの喉を通り過ぎる。


 「酒は初めてか?」


 予想通りの可愛らしい反応におもわず頬が緩む。

 リアはグラスをテーブルに戻すと、小さな手を数回握り締めた後に顔を上げた。


 顔を上げたリアの表情を見たザガートは息をのみ、僅かに後ろへ仰け反る。漆黒の瞳は潤み、切なそうにザガートの瞳を見上げていたのだ。


 白い肌はほんのりと色付き、僅かに開かれた唇は紅も塗られていないというのに赤く濡れている。ふうっ……と、リアの口から溜息が洩れ、そのままがくりと椅子から転げ落ちた。慌てたザガートが腕を伸ばすが間に合わず、リアは床に座り込んで項垂れている。

 ザガートはリアの前に跪くとそれ以上倒れぬように体を支えた。


 「大丈夫か?」


 予想通り酒豪ではないようだがここまで酒に弱いとは……ザガートはお気に入りの酒がかなり強いという事を思い出し、酒に不慣れなリアに飲ませてはいけないものだったとこの時初めて気が付いた。


 こう言う時の女の扱いには慣れていない。

 過去にザガートが酒の相手をさせた女達は皆、ザガートを恐れるあまりどんなに酒を口にしても酔った者はいなかったのだ。


 俯いたまま立ち上がれない様子のリアに悪い事をしてしまったと猛省し、彼女を部屋まで運んで後はライラに任せた方がいいだろうと、抱きかかえようと脇に腕を滑り込ませる。

 その瞬間リアの腕がザガートに伸び、不可抗力ながらも必要以上に近付いてしまったリアの顔が間近に迫っていた。


 潤んだ漆黒の瞳が切なげにザガートを見上げ、思わず息を飲む。熱を帯びほんのりと色付いた肌に艶やかな唇。色香漂うその姿はあまりにも艶めかしく、ザガートの理性を一瞬で奪い去った。



 女だけではなく、老若男女問わずあらゆる者がザガートを恐れる。彼自身は騎士道精神にのっとり力の弱い者には必ず手を差し伸べようとして来たが、そうする度に更に彼らを怯えさせる事になって来た。それ故、何処かに出かける際には人あたりの良いアルフォンスを伴う事が多くなり、人を助けなければならない場面に遭遇すると弱者の対応はアルフォンスに任せ、彼らを脅かす物を排除する役目はザガートが担うという様になっていたのだ。


 誰もが恐れる自分に、生まれて初めて純粋な笑顔を向けてくれたのがリアだった。それだけで恋に落ちるには十分な理由だ。

 リアを守りたい、彼女の為なら自分の気持ちなど二の次で、けして気持ちを押し付けるような事はしないと決めていたのに―――


 気付いたら小さな顎に自身の指をかけ、リアの唇を親指の腹で撫でつけていた。


 つい先日、この唇にフェルティオの唇が重ねられた事を思い出すと、ザガートの胸は締め付けられる。

 兄や弟が美しく生まれたというのに、自分は誰もが恐れを成す姿に生まれた。それについては一度も嫉妬を覚えた事はない。剣を振るい黒騎士として生きて行くには、醜く恐ろしい形相は敵を前にしてうってつけだ。


 だがこの時ばかりは心の底からフェルティオやイシャルの容姿が羨ましく思えた。

 あの二人のように破壊的な美貌とまでは行かなくても、せめて人並みに恐れられない姿をしていたなら、たったひとり愛した娘に躊躇する事なく触れる事が出来ただろうに。彼女に恐れを抱かせる恐怖が百戦錬磨の黒騎士団団長を襲い、ザガートにはフェルティオのようにこれ以上先に進む勇気は持てないのだ。

 ザガートにとってリアの笑顔を失うという不安だけが、この世で唯一の恐怖だった。







 *****


 リアはザガートに見つめられ夢心地の気分だった。

 けして美味しいとは言い難い酒を口にした瞬間から体が燃えるように熱くなり力が抜けた。ふわふわして心地よく高揚した気分に陥り、そんなリアを切なげな青い瞳が見つめている。


 自分は夢でも見ているのだろうか?


 ザガートのごつごつとした指がリアの顎を捕え、唇を撫でていた。

 何処となく寂しそうな瞳のザガートに、それにつられて切なくなる所か何故だか気分が異常に楽しく明るくなってきた。


 大丈夫と、何の脈絡もなくリアは腕を伸ばしザガートの金の髪に触れると、まるで子供にするように優しく撫で付けた。

 ザガートの青い瞳が驚いたように揺れ、唇を撫でていた指の動きが止まる。

 硬直したように動かなくなったザガートを見上げ、どうしたのと笑顔で首を傾げると、ザガートの瞳が更に耐え難く揺らぎ―――

 もう片方の腕がリアの後頭部に当てられると、ザガートの唇がリアのそれに重なった。


 刹那、リアの瞳が驚愕に見開かれるがそれも一瞬の事。


 ああ、なんて幸せな夢だろう―――


 リアは応えるように両手を伸ばしザガートの頬を包み込む。

 それによってもたらされた口付けは更に深さを増して、リアはあまりの心地よさにのめり込まれて行く。

 角度を変えながら繰り返されるそれに、リアも無我夢中で応え、最後には二人して床に倒れ込んでいた。

 名残惜しそうに離された唇からは熱い吐息が漏れる。

 今にも泣き出しそうな青い瞳に見下ろされ、リアは思わず呟いた。


 「大好き……大好きです、大好き―――」


 貴方が好き、大好きなの。

 叶わぬ恋だけど、せめて夢の中でだけは素直に告白させて。

 心優しい貴方が好き。

 何処となく不器用で、何の力も持たないわたし達にさえ手を差し伸べてくれる優しい貴方が大好き。


 リアの告白にザガートは息が止まった。

 聞き間違いかと我が耳を疑ったが、リアの口からは幾度となくザガートに向かって好きだという言葉が紡がれている。

 優しい蕩けるような笑顔でザガートを見上げ、何度も何度も好きだと言って頬を撫でて来る。

 その温もりに、言葉に全身が震えた。

 夢なら覚めてくれるなと、ザガートはリアの額に自らの額を摺り寄せる。


 「結婚しよう―――」


 自ずと言葉が漏れていた。


 愛しいお前が許してくれるのなら、誰もが恐れる我が身を受け入れ妻になって欲しい。

 ザガートは答えを待たずに、再びリアの唇にキスを落とした。







 *****


 熱い温もりが唇を伝って流れこんで来る。

 唇を塞がれ、リアは瞬きを二度繰り返した。


 『結婚しよう―――』


 その言葉に物凄い速さで覚醒が進む。

 驚きながら受けた口付けから解放されると、ザガートの大きな体の下でリアは自分の体の自由を確認した。

 ザガートはリアを押し潰さないよう、体をずらして体重をかけない様に気を使ってくれていたのだ。


 いったいどうしてこんな事になってるの?!


 お酒を口に含んでから異常に気分が高揚してとんでもない事を口走ったのを思い出し、更に夢だと思っていた事が全て現実の事だと突き付けられた。

 たった今ザガートを前にしでかした事に、全身が更に燃えるように熱くなり汗が噴き出す。

 リアはザガートの下からもそもそと這い出すと、その場に正座し両手を付いた。つられたザガートも身を起こし正座したリアの前に胡坐をかく。


 「とんだ失態を犯してしまい申し訳ありません!」 


 リアは真っ赤になったまま震える声を漏らして深々と頭を下げ、ザガートが言葉を紡ぐ前に素早く立ち上がると一目散にその場から逃げ去った。



 何て事なんて事なんて事―――っ!!!


 恥ずかしすぎて死んでいしまいたい。

 初めて口にした酒で酔った挙句、勢いでとんでもない告白をしてしまった。

 そこまでならいい、失態を犯したのは自分なのだからそれはリアだけの問題だ。リアが一番気にしているのはその後だ。


 一方的な告白をしたリアに対してザガートは、それを庇うかに『結婚しよう』と言ってくれたのだ。

 有り得ない―――高貴な身分であるザガートが最下層とも言うべき孤児出身のリアと結婚など絶対に有り得ない。

 それなのにザガートは、酔った勢いで口にしてしまったリアの告白を聞いて鼻で笑うでも蔑むでもなく、恥をかかせないようという配慮をもって対応してくれた。

 愛する人の言葉だ。たとえ同情であってもこれ程嬉しい事はないが、相手は王子であり黒騎士団に身を置く立派な騎士でもある。そんな人がリアなどに本気になる訳がない。


 いたたまれない思いに苛まれながら、屋敷内では当然のように道に迷い、やっとの思いで自室に駆け込むと恥ずかしさと申し訳なさにリアは頭を抱えて悶絶した。






 頭を抱え悶絶していたのはリアだけではない。

 身分差と、ザガートの様な立派な人間が自分に恋心を持つなんてありえないというリアの先入観から、一世一代のプロポーズの言葉をプロポーズだと受け取ってもらえなかったザガートは、脱兎の如く走り去ったリアに手を伸ばした状態のまま固まっていた。


 やがて時が過ぎ、伸ばした手をゆっくりと引いて頭にあてがい声にならない唸りを漏らす。


 「夢を―――見たのか?」


 柔かな唇に触れたのも、聞いた言葉も現実だと認識できていたが、逃げるように走り去ったリアの行動からすると先程までの甘い時間はまるで嘘のようだった。


 「酒に呑まれたか……」


 酔う程口にした覚えはない。


 敵の攻撃の先の先は読めるものの、恋愛に疎いザガートにはリアの心の内を読む事は叶わなかった。


 そんなザガートの今の一番の問題は、自分の取った行動がリアを傷付け嫌われはしていないかと言う、大きな男が恐れるにはあまりにも可愛らしい悩みだった。


 




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