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はじまり2



 ザガートの僅かな変化に真っ先に気が付いたのは、あの日同じ場所にいた幼馴染のアルフォンスだったが、最近は城に上がる度に柔和になって行く……と言っても見る人が見なければ分からない程の微々たる変化だったが、そんなザガートの様子に次代のロウディーン帝国の皇帝であり、ザガートの兄でもあるフェルティオ皇子も気が付いた。


 同じ母親から生まれたというのに、第一皇子であるフェルティオは眉目秀麗の、おとぎ話に出て来る王子様を絵にかいたような美男子であった。ザガートと似ているのは金髪碧眼という髪と瞳の色だけ。ザガートよりも二歳年上で今年で二十三歳になるフェルティオには、既に妃と生まれて間もない姫が一人いたが、多くの妾を囲う無類の女好きで有名でもあった。


 妾の多さはフェルティオ自身が率先して囲っている訳ではなかったが、皇太子という身分とザガートとは相反して女性も羨む容姿をしていたので、毎日のように良家の子女たちが群がって来るのだ。

 それを拒む理由などないフェルティオは、言い寄る女全てに優しく接し、気にいった者には遠慮なく手を付けて行った。


 そんなフェルティオであったが、醜悪な容姿をしているうえに極悪非道と誤解されがちなザガートを兄として一応は気にかけている。ザガートに微々たる変化をもたらした原因が一人の娘にあるという話を耳にするや否や、その娘の情報をアルフォンスから聞き出し、皇太子という身分に関わらず城を抜け出してザガートの屋敷に忍び込んだ。


 言い訳がましくなるが、けしてザガートお気に入りの娘を手篭めにしようとか考えての事ではない。


 可愛らしい娘だとアルフォンスから聞いてはいたが、絶世の美女も普通の容姿の娘も、あらゆる女はフェルティオにとっては引く手数多、よりどりみどりで辟易する程だ。

 まぁ向こうから勝手に落ちてきた場合は仕方がないのだがと、勝手ないい訳を考えながら、あのザガートを虜にする娘にフェルティオは期待に胸を膨らませていた。


 そうして見付けたリアの容姿を見て、フェルティオはかなりがっかりと肩を落とす。



 可愛らしい娘と聞いてはいたが、フェルティオの頭の中では何時の間にかいかなる男をも手玉に取る妖艶な絶世の美女を連想していたのだ。


 勝手知ったるおとうとの家。お忍びに慣れているフェルティオは、誰に見咎められる事無くザガートの部屋に忍び込み、そこで水差しを寝台横のサイドテーブルに置こうとしている娘を見付ける。


 アルフォンスの言ったように確かに可愛らしかったが……この程度の娘ならいくらでもいるし、ザガートの相手が出来る様な肝の据わった娘にはとうてい見えない。


 他の何処かに男を魅了する何かがあるのかと、フェルティオは過去何百人という女に向けて来た瞬殺ものの微笑みを娘に向けた。






 *****



 リアは突然主の部屋に現れた男を前に唖然としていた。


 下手物好きのリアですら目を見張る程の美貌の持ち主がこちらに向かって微笑みかけているのである。あまりの美しさに夢でも見ているのかと思ったが、人の気配がある事に気付いて慌てて己を正しつつ、突然現れた見知らぬ男を相手にどの様な態度を取ればいいのかがはっきりと分からない。


 ここは主であるザガートの寝室。もしかしたら主を狙う輩かもしれないと思いつつも、見た目華やかで身分も高そうな男を前に、客人であるならそれ相応の接待が必要になると頭を巡らせた。


 そもそもリアがこの屋敷に来てからここを訪れた客人はアルフォンスだけで、そのアルフォンスも何故か直ぐにザガートの手によって追い返される始末なのだ。その為リアは客人に対しての対応の仕方を理解できていなかった。



 「主はまだ屋敷に戻ってはおりませんが―――」


 腰を沈め挨拶した後でそつない言葉で誤魔化してみると、「知っている」と言う返事が返って来た。


 「ザガートが森から連れ帰った娘というのはお前だな?」 

 「あの……」


 口籠るリアに男は歩み寄りながら自己紹介をした。


 「私はフェルティオ、ザガートの兄だ。」


 ザガートの兄―――

 その言葉にリアは慌てて跪く。


 「フェルティオ皇太子殿下―――!」


 何故そんな高貴な身分の方がここにいるのだと不思議に思い驚き恐縮しつつも、ザガートも皇子であり、フェルティオからすれば弟なのだからおかしな事ではないのだと、改めてザガートの置かれる立場と身分を実感し、平伏すように首を垂れる。


 「お忍びで来ているのだから形式ばらなくても良い。さあ、顔を上げてごらん。」


 フェルティオはリアの前に片膝を付くと、繊細な長い指でリアの顎を捕え上を向かせた。


 緊張からか漆黒の瞳は涙を湛えて揺れていて、僅かに開かれた唇は紅を塗っている訳ではないのに艶やかに赤く染まっていた。捕えた顎は細く、同様に細い首から下に見える鎖骨が透き通る程の白い肌に影を落としてとても綺麗だ。


 フェルティオはおもむろにリアの後ろに手を伸ばすと、一つに束ねられた髪を解く。

 その瞬間、されるがままだったリアの体がびくりと撥ねた。


 長い漆黒の髪がリアの白い軟肌を更に引き立たせている。

 確かに美しい事は美しいのだが―――この程度でザガートを虜にしたとは納得できない。


 フェルティオはリアを抱きかかえると側にある寝台に運び、その身をリアごと寝台に沈めた。






 *****



 リアはフェルティオの行動が理解できず眉間に皺を寄せていた。


 「あの……別に具合が悪い訳ではないのですが―――」


 跪いたのは相手がフェルティオだからで目眩を起こしたとか気持ち悪いとか、体の不調からではない。


 「私とてそうだよ。」


 面白い事を言う娘だと、フェルティオは思わず噴き出した。


 「変わった子だね。そんな所がザガートの気にめしたのかな?」

 「ザガート様?」


 リアは上から覗き込むフェルティオの瞳を見上げた。

 姿形はまるで違うというのに、同じように深い青の瞳をしている。

 ぼんやりと見上げているとフェルティオの顔がリアの傍らに沈み、ふんわりと甘くいいにおいが鼻を掠める。

 フェルティオの身体の重みがリアに圧し掛かった。


 「だっ、大丈夫ですか?!」


 いったい何があったのだと焦るリアに対して、フェルティオはリアに密着し顔を埋めたまま肩を震わせ静かに笑いだした。

 吐息が首筋を撫で、くすぐったさに顎を引く。


 「あのっ、皇太子殿下?」 


 肩を震わせるフェルティオから逃れようと力を込めるが身動きが取れない。


 「ご気分がすぐれないのでしたらお医者様をお呼びいたしますが?」

 「お前はこの状況が理解できない程幼いのか?」

 「あのぅ……一応年相応には見られますが。」

 「幾つ?」

 「十七でございます。」


 少し考えた後でフェルティオはリアに圧し掛かったまま身を起こすと、その姿を吟味するように見つめた。


 「確かに年相応のようだが―――男は知らぬようだな。」

 「え、あの、男女の区別なら付きますが?」


 要領の得ない間の抜けた答えに、フェルティオはリアから体を離し横に転がると、ついに声を上げて笑い出してしまった。


 十七にもなって今時こんな娘がいると言うのか?!

 孤児院で育ったのなら男女が何たるものか、ある程度の知識が身に付いていてもおかしくはない筈である。それなのにリアの口から洩れてくる答えは決してかまととぶっている訳ではない、純粋に自分の置かれた状況が把握できていない子供の物だ。


 なんて危険な娘だろう。ザガートの心を捕えたのは病的なまでに疎く鈍い娘の態度だ。恐らくこの娘は純粋な瞳でザガートを見据え、屈託ない笑顔を向けるのだろうとフェルティオは推察する。 

 さすがは女好きなだけあって、フェルティオはあっと言う間に全てを見抜いてしまった。


 鬼神の如く獰猛で猛獣と例えても足りない程のザガートに言い寄れる娘などやはり存在しない。もしこの娘がそのような輩なら、さっさと弄んでザガートの元を去らせる予定だったが―――


 さて、この先の二人はどうなる事やら。

 それにしてもあのザガートがこんな娘に本気で恋をしようとは、さすがのフェルティオにも予想が出来なかった。



 リアは何時までも笑い転げているフェルティオに対して、何か失礼な事をしてしまったと心配になり、不躾と思いつつも、寝台の上で体を折り目尻に涙をためて笑い転げる綺麗な顔を覗き込む。


 何処からどう見ても笑っているようで、怒りを買った気配はないし、医者も必要なさそうだ。

 リアはほっとして、乗りかかったままになっていた寝台から体を下ろした。


 「わたしに出来る事があればなんなりとお申し付け下さいませ。」

 「お前に出来る事?」


 笑うのを止め、目尻に溜まった涙を拭うとフェルティオは目を細めてにっこりとほほ笑んだ。


 柔かな笑みとは裏腹に瞳の奥には鋭い光が宿っている。

 それに気付けないリアはザガートと同じフェルティオの青い瞳に見入っていたため、彼から伸ばされた腕に簡単に捕らわれてしまった。

 次の瞬間、リアは再びフェルティオの腕の中に引き込まれたかと思うと、あっと言う間に再び寝台に組み敷かれていたのである。


 「皇太子殿下?」


 無意味に近過ぎる破壊的に綺麗な顔を目前に、リアは薄っすらと頬を染める。

 やっと女性らしい反応を勝ち取り、フェルティオの悪い虫が騒ぎだした。


 「では私の相手をしてもらおうか?」

 「皇太子殿下のお相手でございますか?」


 答えの代わりに微笑むと、フェルティオは吐息がかかる程リアに顔を寄せ―――唇を重ねようとしたのだが。


 「お顔が近いです。」


 そう言ってリアの掌がフェルティオの唇を拒む。二人の間に、小さな白い手が滑りこんでいた。


 「お前に出来る事はしてくれるのではないのか?」

 「はい。ですが何の相手をすればよいのか承っておりません。」


 組み敷かれている事も理解できず、リアは眉間に皺を寄せ答えを求める。

 ザガートの兄であるフェルティオに出来る限りの事をしたいと必死で、自分の置かれた状況が把握できていないのだ。


 「伽の相手をせよと申せば分かるか?」

 「とぎ―――」


 リアは小さく呟き考える。


 とぎ……とぎとぎとぎ――――とぎ?

 とぎっ?!


 リアの顔がまるで夕日の様に真っ赤に染まった。


 「とっ…伽でございますか?!」

 「そう、伽だ。」


 フェルティオは過去に幾多もの女を陥落させた微笑みを落とした。しかし当のリアはそんな微笑みに酔っている暇などない。


 幸運にもザガートの屋敷に上がり仕事をさせてもらってはいるが、リアの生まれは孤児で、どう転んでも王太子の相手が務まる様な身分ではないのだ。

 それに記憶に間違いがなければ、寝台の上で密着した伽といえば……男女が肌を重ねるという意味である。つまり子供を作る行為だ。こんな接近した状態で『伽』が話し相手を意味していない事くらい今更だが理解できた。


 「むっ、無理ですっ!」


 慌てたリアは必死で身を捩るが、自分よりも大きな男に圧し掛かられた状態では抜け出す事すら叶わない。

 自分の腕の中で必死になって抵抗を見せるリアの様子を、フェルティオはどこまで出来るかと余裕綽々に見守っていた。


 勿論、嫌がる娘を無理矢理抱いてやる趣味など持ち合わせてはいない。同意されればこのままリアを抱いただろうが、この娘は本気で自分の誘いを嫌がっていた。そもそも、フェルティオの誘いを断る女が過去に存在しただろうか?

 何ともまぁ面白い娘である。


 真っ赤になって抵抗するリアに新鮮さを覚え、もう少し意地悪をしてみたくなりそむけられた頬に触れようとした時―――


 ぱん―――と乾いた音が部屋に響き、鈍い痛みがフェルティオの頬に走った。


 「離して下さいっ―――!」


 ぽろぽろと、リアの漆黒の瞳から大粒の涙が零れ落ちていた。







 *****



 殴られた―――?

 この私が……ロウディーンの皇太子たるこの私が頬を殴られたというのか―――?!


 フェルティオは初めての経験に呆気にとられ、ゆっくりと身を起こした。

 あまりの驚きに、たいして痛みもしない頬に手をあてがい、組み敷くリアを唖然と見下ろす。


 フェルティオは茫然としたまま、漆黒の瞳から止めどなく溢れて来るリアの涙に見惚れていると―――思わぬ殺気を感じて我に返りその場を飛び退いた。


 その瞬間、今までフェルティオがいた位置に大ぶりの剣がぐさりと突き刺さっていた。




 「フェルティオ……貴様っ!」


 地響きが起こるのではないかという程低音で怒りに満ちた唸り声を上げ、鬼神の如きザガートが怒りのオーラを発しながら一歩一歩近付いて来る。

 突然降って来た剣に驚き涙を止めたリアの傍らまで歩み寄り見下ろすと、その形相は怒りで更に悪鬼の如く変貌した。


 ザガートは寝台に突き刺さった剣を抜き取ると、切っ先をフェルティオへと向ける。


 「別に本気で手を出すつもりはなかったのだから、何もそこまで怒ることもなかろう。」


 飛んで来た剣を間一髪の所でかわしたとはいえ、ザガートの豹変にさすがのフェルティオも冷や汗を浮かべる。


 「触れただけで万死に値する―――!」 


 皇太子であるフェルティオに剣を向け、本気で殺そうとしているザガート。

 その様子を何があったのか訳も分からずリアがぽかんと見ていると、緊迫した部屋にアルフォンスが慌てて飛び込んできた。


 「早まるなザガート、相手はフェルティオ様だぞ!」

 「関係あるか。」

 「関係大有りだってっ、目を覚ませよザガート!」


 今にもフェルティオに切りかかろうとするザガートの前に立ち塞がったアルフォンスの目に、寝台の上で頬に涙を伝わせ呆然とするリアが映った。


 「リア、ザガートを止めて!」


 アルフォンスに名を呼ばれてはっとしたリアは、ようやく目の前で何が起きようとしているかを把握した。


 ザガートが皇太子に剣を向けている?!


 反逆罪ともとられかねない状況にリアは蒼白になった。


 ザガートは自分に仕えるリアを主として守ってくれようとしている―――!

 しかしその相手はロウディーン帝国の皇太子、剣を向けるなどたとえ兄弟であっても許される筈がない。


 慌てたリアは何の迷いもなくザガートが掲げる剣に飛び付き、フェルティオに訴えた。


 「申し訳ございませんっ、これは全てわたしの罪です。命をもって償いますのでどうか、どうかザガート様を咎めないで下さい!」

 「お前の罪などではなく、女に見境ないあの男の罪だ!」


 ザガートは唸りながら剣をリアから遠ざける。


 「女に見境ないとは心外な―――殆どは向こうから勝手に言い寄って来るのだぞ。」


 剣を向けられながらも踏ん反り返って余裕を見せるフェルティオに、ザガートの目からは今にも炎が噴き出しそうだった。


 「屋敷に忍び込んだうえに貴様の方から手を出しておいてぬけぬけと―――!」

 「止めないか。お前がそんな顔をするからその子が怯えている。可哀想に―――」


 フェルティオの言葉にはっとしたザガートが見下ろすと、自分の腰に手を回し必死にザガートを止めようとしているリアの健気な姿が映った。

 止まっていた涙が再び込み上げて来ている。


 「申し訳ありません、わたしのせいでザガート様にこの様な事をさせてしまって……本当にお詫びのしようもございませんっ!」


 ぽたぽたと涙を零すリアを前にしてザガートは今までの怒りが一気に冷め、手にした剣を思わず取り落とした。

 その剣を慌てて拾ったアルフォンスはほっと安堵の息を吐く。



 娘一人にここまで逆上するとは―――恐るべし野獣の初恋。



 アルフォンスは疲れ果てた表情でフェルティオに振り返る。

 フェルティオに情報を与えた身として、アルフォンスも責任を感じていた。


 「この様な行いをさせるためにお話した訳ではありません。」

 「違うのか?」

 「当然でしょう!」


 目くじらを立てるアルフォンスをフェルティオは笑い飛ばすと、そっと耳打ちした。


 「あれに本気で思いを寄せる酔狂な娘がこの世に存在し、あれも娘に思いを寄せておる。今後が見ものだとは思わぬか?」

 「―――巻き込まれる身としてはうんざりしますが……まぁ確かに殿下の申される通りですね。」


 二人の視線の先には涙を流し謝り続けるリアと、それにどう対処していいか分からずオロオロするザガートの姿。


 純粋でか弱い娘が近い将来、獰猛なザガートを操る猛獣使いになるのではないかと―――二人は声に出さずに同じ事を予想していた。 







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