親友 1
リアとザガートの結婚式その直後のお話です。
ロウディーン帝国の北には幻想的で美しい森と湖がある。その一帯を治めるのは帝国はもとより世界中を恐怖という名で震撼させる帝国の第二皇子であり、実力主義の精鋭が集う黒騎士団の団長でもあるザガートその人だ。
大きな体に恐ろしい顔つきは魔の化身と恐れられ、産みの母である王妃ですら我が子とは信じていない。女子供は側に寄らず男らも恐怖する。物心つくころより周囲から距離を取られたおかげで、常日頃から肉体を鍛えることだけが唯一のが趣味となり、趣味と実益を兼ねた魔物狩りに出て魔物の返り血を浴びた姿は、人の生首を手にしている錯覚を万民に抱かせる。
そんな悪魔につい先日、生贄として年若い一人の娘があてがわれた。
娘は孤児として育ち煩い親や親せきは一人も存在せず、誰一人として生贄に異議を唱えるものはいなかった。それどころかロウディーン帝国の皇太子が自ら采配を取っただけではなく魔法師団長までもが加担したのだ。悪魔を封じる手段がそれしかなかったとはいえ可哀想な話である。が、人々はこれで身の安全が確保されるならと、娘を憐れみながらも感謝の涙を流した。
*****
「ライラさんの言ったとおり、本当に素敵な所だわ。」
湖畔にたたずむお屋敷はザガート所有の別荘。その別荘で正式にザガートの花嫁となったリアは変わらず下働きのお仕着せに身を包み、心癒される緑豊かな森と湖を臨みながら井戸の水くみに精を出していた。
リアは皇太子フェルティオの計らいで、魔法師団長たるオーレンの養女となりザガートとの婚姻を済ませたのだが、当のリアはその事実を全く理解できていなかった。
そもそもここへ来る前にリアとザガートが交わしたやり取りは全く噛み合ったものではなく、愛を請うザガートの言葉は言葉足らずのせいで理解されず、またリアの思い込みでザガートは重病にかかっていたという事になっている。『共にいて欲しい』という愛の言葉も『何処までもお供いたします』と返しはしたが、けしてプロポーズを受けての返答ではなかったのだ。それどころかリアは国を守る激務に身も心も疲れ果てたザガートが湖畔の別荘へ静養に来たのだと頑なに信じているのである。
これは新妻を迎える準備に忙しいライラを都に残し、同行させなかった皇太子フェルティオのミスともいえた。
神の御前で誓わされた愛の言葉も口付けも、ザガートの大事と錯乱し、ザガートに掴まれたせいで折れてしまっていた手首の痛みを耐えるのに必死でまったく理解できていなかった。受けた口付けも病に犯されたザガートが倒れ込んだせいで起きた偶然とリアの中では処理されている。騙し打ちともいえる婚礼に義兄となったアルフォンスは心を痛めたが、どの道二人は想い合っているのだからとリアの治療をしながら詳しい説明は避けた。詳しく説明して納得させたらきっとリアは嬉しさのあまりショックで死んでしまうと思ったからだ。新婚旅行を兼ねての領地視察の間になんとかなるだろうと、アルフォンスはザガートに期待した。事実、この後都に戻ってからアルフォンスの懸念通りになりかけるのだが、今はリアが知らずとも二人は新婚旅行中である。
ではその新婚旅行先でどうしてリアが下働きを続行しているのか。それはもうザガートが恐れられているからに他ならない。
領主であるザガートの屋敷は湖畔にあり、普段は管理人がしっかりと守っているのだが、主であるザガートがやってくるとなると生活に必要な一式を完璧に揃え雲隠れしてしまった。下働きとして数人の娘が雇われてもいたのだが―――震える彼女らを病と勘違いし、案じたリアが全て自分が請け負うからと家に帰してしまったのである。
屋敷に到着早々お仕着せに着替え仕事を始めたリアをザガートも止めなかった。こちらは愛しい娘との婚姻を済ませた安堵と幸福に酔い痴れ、笑顔で仕事に励むリアを自称微笑ましく見送り幸福に浸っていたのである。
人々に恐れられてはいるがザガートはいたって真面目な青年だ。国の行く末を案じ体を鍛えるだけが取り柄ではなく、めったに訪れない領民の為にと、到着した午後には森に入り魔物討伐へと性を出していた。
ザガートが治める北の大地には大した魔物はいないのだが、これもそれもこうして時折訪れるザガートが領民の為を思い片っ端から狩り取るおかげなのだ。
けれどザガートの思いは全身を魔物の血で汚し、戦利品の魔物の皮や肉や牙やら爪や骨やらを金に換えて生活の足しにしろと、仕留めた魔物を手に血に濡れたままで村人の家屋を訪問するせいでちっとも伝わっていない。それも自分がこんな姿だから仕方がないのだと割り切っており、特に何か言葉をかけるではなく、この日も村で最初に出合った小さな子供に血肉滴る魔物の残骸を押しつけ気絶させていた。
「お帰りなさいませ旦那さま!」
病に倒れ静養に訪れた早々、領民の為に魔物駆除に出かけたザガートをリアは笑顔で迎える。体が心配だったがリアが笑うとザガートも、リアの大好きな悪魔の微笑みを浮かべてくれるのだ。リアは万民が恐れるザガートの微笑みが大好きだった。
*****
夕刻になりザガートが魔物の血に汚れ帰宅する前ののどかな昼下がり。汚れて帰宅するであろう主を見越してリアは風呂の準備に精をだしていた。
大きな屋敷とはいえ風呂の支度は重労働である。しかも屋敷にいるのはリア一人、リア自身が手伝いに来ていた村娘らを帰してしまったせいで、風呂の支度は一人でしなくてはならない。けれどリアは苦労を苦労と思わない娘だったし、敬愛し想いを寄せる主のために働くのはリアにとっても至福の一時なので何の苦にもならなかった。
大きな湯船になみなみと水を注ぎ終えると一息つく。井戸と風呂場をいったい何往復しただろう。凝り固まった体を軽くほぐし冷たい水で顔を洗って汗を拭うと今度は風呂おこしだ。という時になって薪が残り少ないと気付く。これは薪割りから始めなければならないと、リアは輪切りにされた丸太を前に足を踏ん張り斧を振り下ろした。
「あれ?」
振り下ろした斧は丸太に刺さっただけで割れることなく刃を飲み込んでいる。薪割りが不得意なわけではないが、リアが割る薪はこれほどまでに大きな丸太の状態ではなかった。これは普通の娘に割れる状態ではない、男手が必要だが今この屋敷にいる働き手はリア一人。
「今から人を呼んでもきっと間に合わないわね。わたしが頑張らなきゃ。」
丸太に足をかけ突き刺さった斧を抜こうと引っ張るが、刺さった分はわずかでもなかなか抜けない。
「ザガート様のためよっ、う~んっ……きゃあっ!」
足と腕に力を籠め精一杯ふんばると斧が抜け、行き場を失った力とともにリアは尻餅をつく。と同時に斧は後ろに大きく放り投げられた。リアの手を離れた斧は見事な放物線を描いて後方の森へと吸い込まれていく。
「やった、抜けた!」
体を起こしたリアが森に吸い込まれた斧を拾いに草をわけ入ると、目的の斧はすぐに見つかったのだが。
「だっ、大丈夫ですかっ!?」
「うん、まぁね。」
斧は見知らぬ男の肩口を縫い留めるようにして後ろの木に刺さっており、男に傷をつけたのではと焦ったリアは慌てて男に駆け寄った。
「ごめんなさい、どうしよう怪我を!」
「ああうん、怪我はしてないから大丈夫。焦んないでね。」
斧で木に縫い留められた男は腕を振って大丈夫だと苦笑いを浮かべながら、反対の手で刺さった斧を容易く抜き取った。間一髪の所で衣服だけを斧が突き刺していたのだが、突然襲ってきた斧を男が器用に避けたのだということにリアは気付けない。避けるのが一歩遅ければ顔で斧を受け止めていたと思いながら男は額の汗をぬぐう。
「これ、君の斧?」
差し出された斧を受け取りながらリアはそうだと頷き斧を受け取る。
「本当に怪我はありませんか?」
「うん、ないよ。でも服が裂けちゃったから繕ってもらえると有難いな。」
「勿論です、どうぞこちらへおいで下さい。」
リアは男をたった今まで割ろうとしていた丸太の上に座らせ、肩口が大きく破れた衣服を受け取る。服を脱いだ男は見事に鍛え上げられた肉体をしていたが、いくつかの古傷はあるものの肩口に新しい傷はなくリアはほっと胸を撫で下ろした。
「あの……村の方ですか?」
「ああ、うん。村の方から来たんだ。僕はラゼル。君は?」
「リアと申します。すぐに繕いますのでお待ちください。」
リアは男に頭を下げて針と糸を取りに走る。年の頃は自分よりも上だがザガートよりも若く見えた。急いで服を繕いラゼルと名乗った男のもとへと戻れば、男は斧を振るい薪割りに精を出していた。
「ラゼルさん、そんなことをして下さらなくても!」
「君、苦戦していたでしょ。それに僕は薪割り得意だから。」
薪に斧をめり込ませるだけだったリアと違い、斧を振り下ろすラゼルは簡単に形のよい薪を割り作り出していく。村から来たということは手伝いに来てくれたのだろうか。リアはラゼルの申し出を有難く受け、次々に割られていく薪を拾って積み上げていった。
「旦那様の奥様ってどのくらい美人なの?」
突然に問いかけられた言葉にリアは薪を拾う手を止めラゼルを仰ぎ見た。ラゼルも斧を振り上げる手を止めリアを見下ろす。
「奥様を迎えて領地に戻ったって聞いたけど?」
ラゼルの言葉が理解できずリアは首をかしげたが、やがて不安に駆られ表情をなくした。
「ザガート様に奥様が?」
「結婚したんじゃないの?」
「え……っと、わたしは伺っておりませんが―――」
「ふぅん、そう。じゃあ僕の勘違いだね。」
不安そうなリアの様子にラゼル……ライゼオールは自分の勘違いということにして話を終えながらも、おかしいなと心の内で首を傾げた。
ライゼオールはロウディーン帝国に隣接する王国、ファブレシアの第四王子だ。ロウディーンとは友好関係にあるが、いつ何時ロウディーンに牙をむけられるやとも知れないと常に警戒し動きを探っているので、もたらされる情報に偽りがあってはならない。その中で得た情報によれば、つい先日ザガートが教会で急遽婚礼の義を執り行ったという。それを伝え聞いたラゼルは驚愕し身を震わせた。
『僕が誰よりも敬愛するザガート殿が結婚したぁ!?』と声を大にして。
自国であるロウディーンはもとより世界中に恐れを抱かれるザガートであったが、時にリアのような奇特な考えを抱く輩はいるものだ。その貴重で稀な思考回路を持つもう一人の人物がこのファブレシアの王子ライゼオールである。
知もそこそこだが武においては類稀なる才を持つファブレシアの英雄で、兄王子を差し置いて次なる王にとの声もあるが、ラゼル自身に王位など継ぐ気は全くない。何故なら自分と年が二つしか変わらないというのに子供の頃より戦場に立ち、名を馳せるザガートに極めて強い憧れを抱いているからだ。両親や兄を差し置き誰よりも敬愛するザガート。その憧れのザガートが臣下に下るというのに自分が王家に留まってよいはずがないと、ザガートに倣い王に忠誠を誓い武道一進を貫いている。
それだけではない。顔もそこそこで第四王子かつファブレシアの英雄。獰猛で人ではないと恐れられるザガートに唯一勝てるのではないかと、多くの民に夢を抱かせるだけの力を持ち合わせるラゼルには、多くの臣下や異国の跡取り姫より縁談が持ち上がっている。けれどラゼルはいかなる美姫の声にも靡かず、ザガートに倣い女性を拒絶しひたすらに剣の道を貫いていたのだ。
そんな時にザガート婚姻の報がもたらされ、ザガートを手に入れた女性に激しい嫉妬の念を抱きながらも、敬愛するザガートが唯一の人と求めた絶世の美女(勝手な思い込み)を一目見たいと身分を偽りここまでやってきてしまったのだが……下働きの娘はザガートの美人妻など知らないという。
我が国の諜報部が間違いを犯すはずがないのだがと訝しみながら、少しばかり気落ちした様子のリアをちらりと横目で見てから薪割りを再開する。自分が割った薪が何らかの形でザガートの役に立つのだと思うと俄然気合が入り、初めての経験でありながらも長年薪割りを続けているかの如く均等のとれた薪が次々と割られていく。リアもラゼルが村からやってきた薪割り青年と信じ切っているようで、我ながら何をやってもザガートの次に長けているとラゼルは自画自賛に耽った。
「ところで旦那様はどうしているの?」
ここまで来たのだ、影からでもいいのでこっそりと敬愛するザガートのご尊顔を拝みたいと居場所を問う。
「旦那様でしたら魔物狩りへ出てます。領地に戻るといつもそうしているからと―――」
そうなんでしょうと、同意を求めるようなリアの物言いにラゼルは斧を振り上げながら笑ってごまかした。
「ああ、うん。そうだったね。僕も一緒に行ってみたかったなぁ~」
下働きの娘と侮ってはいけない、敬愛するザガートの屋敷に努める娘なのだ。先ほど木の陰からこっそり様子をうかがっていた時に、突然ラゼルの顔面に向かって投げ出された斧には本当に驚いた。気配を殺していたのに存在を知られたと慌てたがどうやらそうではないらしいと、娘の体つきから鍛えられた人間でないと察しはするが万一のこともある。
「そうですね。ラゼルさんのように逞しい方なら、ザガート様に同行してもきっと邪魔になんてならないでしょうね。」
「あれ、その言い方からすると君も魔物狩りにいきたいの?」
ラゼルの馬鹿にするでもない問いにリアはとんでもないと首をふった。
「わたしなんてとても。ただ一度でいいので旦那様の雄々しいお姿を拝見してみたいなぁって。」
「僕もだよ!」
羨望に満ちた漆黒の瞳に惹かれてラゼルも思わず声を上げると、斧を放り出してリアの肩を掴み鼻を突き合わせた。
「僕の夢はザガート殿と一緒に魔物を狩ったり、背中を合わせて戦場に立つことなんだ!」
「そっ……そうなんですか?」
ラゼルの急な興奮っぷりに顔を寄せられたリアは引き気味になるが、興が乗ってしまったラゼルは一向に気づかない。何しろ初めて得られた同朋だ。疑うことも忘れ言葉が次々と湧き出す。
「君は思わない、あの神が作り給うた芸術品とも呼べる肉体に一度でいいから触れてみたいって。吐息を感じるほどでなくてよいので一歩でも側に寄ってみたいって思わない?!」
「そんなっ、考えただけでも気絶してしまいそうです!」
「だよねっ、僕もだよっ!!」
ファブレシアでは幼少より仕えてくれている側仕えさえ理解してくれない想いを、さっき初めて会ったばかりの娘に理解してもらえラゼルは上機嫌になると同時に、かつて得たことのないほどの幸福感に包まれた。さすがザガートに仕えるだけある。下働きであっても出来た娘だ。是非にもファブレシアに連れ帰り側に置いてザガートのすばらしさについて寝ても覚めても語り合いたいと、ラゼルの内に欲望が沸き起こった。
「僕の想いをこれほど理解してくれた人は初めてだよ。ありがとうリア、君に出会えて僕は本当に嬉しい。」
「いぇ、そんな。わたしもザガート様を愛してくださる方にお会いできて本当に嬉しいです。」
「じゃあ今日から僕たちは友人、親友だね。」
「ラゼルさんがわたしの友達になってくれるんですか?」
「大丈夫。ザガート殿のすばらしさを語り合うのに男も女もないから!」
何なら巷の娘らが同じ寝台に入り一晩中恋を語り合うようにするのも可能だ。男女の隔たりなく盛り上がり徹夜になる自信があるとラゼルが思う一方で、孤児院育ちのリアは孤児仲間はいても友人や、まして親友と呼べる存在がいなかった。ザガートと出会ってから優しくしてくれる人は沢山現れたが彼らはリアにとって共や親友ではない。『親友』という初めての言葉に嬉しさと照れを感じてリアは頬をほんのりと染める。
「ザガート様のすばらしさを……どんなに時間をかけてもきっと語りつくせませんね。」
「えっ……あ、うっ、うん。きっと一晩かけても語りつくせないよ。」
頬を染めたリアが小さく微笑むさまを至近距離で目にしたラゼルの鼓動が突然に跳ねた。どきりとしてリアから手を放し、ラゼル自身もほんのりと頬を染め急にもじもじし始める。
「えっと、それじゃあ僕は薪割り頑張るね。魔物狩りに出たのなら汚れて帰ってくるだろうから、風呂を沸かしといたほうがいいだろうし、それなら沢山割らないと。」
「ええ、わたしもそう思って薪を割ろうとしたんですけど上手くいかなくて。ラゼルさんが来てくれて本当に助かりました。」
「ザガート殿のための薪割りは僕の天職さ。割り終わったら風呂おこしも手伝うよ!」
ありがとう助かると礼を述べるリアにラゼルは上機嫌で満面の笑みを浮かべ頷く。薪割りも初めてだったが風呂を沸かした経験など一度もない。が、この後ラゼルは持ち前の有能さから風呂釜に薪をくべるとてきぱきと火をおこし、自分が割った薪で沸かした風呂でザガートが疲れを癒す様を想像しつつ、薪からでる煙にまかれながら至福の時を過ごした。