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執着

五年後です。



 もしかしたら初恋だったのかもしれない―――





 獰猛な猛獣・悪の化身・魔王の落とし種―――様々な負の噂が実しやかに囁かれ、誰もがそれを事実と頷ける要因を持ち合わせるイシャルの兄であり、ロウディーン帝国第二皇子ザガート。

 少数精鋭の黒騎士団を率いる兄はイシャルが物心付く前から強力な負のオーラを辺り構わずまき散らし、彼の軟弱な精神を蝕み続けた。そうしてイシャルは兄を恐れるあまり、もとより弱かった体を更に弱らせ病弱な少年期を過ごしてきた。


 だがそんなひ弱で頼りないイシャルにも転機が訪れる。


 それはイシャルがザガートを一目見ただけで恐怖のあまり失神していた十六歳までのあの日。

 襲いかかるようにしてイシャルに迫って来たザガートとの間に一人の天使が舞い降りたのだ。


 天使の名はリア。

 見た目は何処にでもいる娘に過ぎなかったが、悪の化身を前に怯むことなく微笑みを称えイシャルを守ってくれる存在となった。そうであると悟ったあの瞬間から、イシャルにとってリアは最後に縋るべき砦……心の支えとなったのだ。


 リアがいる。そう思うだけであの恐ろしい兄に出くわしても心を強く持てるようになり、失神する回数が僅かながらに減った。

 男としてはかなり情けない話だが、リアの小さな背に庇われると兄の毒牙にかかる事はない確信がイシャルの心に平穏を齎してくれるようになったのである。

 その安心感から少しずつではあるが病に伏し床に縛り付けられる時間が減り、やがてザガートと対峙しても極度の緊張はもたらされるものの、その瞬間に無様に泡を吹いて失神するという事態には陥らなくなって行った。


 リアがいてくれる―――その安心感がイシャルに心の平穏をもたらしてくれていたある日。

 女神であり天使でもある彼女が倒れ、意識を失い目を覚まさないという恐ろしい事態に陥った。このままでは命も危ういとの知らせを受けたイシャルは、またあの恐ろしい日々が訪れるのかと思うと心の底から恐怖した。


 知らせを耳にしたイシャルはリアを失う恐怖から誰に言われるでもなく部屋を飛び出し、自ら悪魔の城(ザガートの屋敷)へと足を踏み入れたのである。

 勇気を持って失神せずに乗り込んだ先で、イシャルは昏睡状態にあるリアを死の淵から呼び戻し、漆黒の瞳に再び光を取り戻させたのだ。


 リアを死の淵から呼び戻しほっとしたのもつかの間、リアが昏睡状態に陥った理由がザガートとの婚姻によるものだという事実を知ってイシャルは打ちのめされ、深い後悔に苛まれた。


 ザガートを恐れ幾度も意識を失って来た自分だからわかる恐怖。リアは失神ではなくあまりの恐怖に目を覚ます事を拒絶したのだ。


 それもそうだろう、なにしろあの兄との婚姻なのだ。死にたくなるのは至極当然。だが目覚めたリアは『幸せすぎて死にそうになる事もあるんですね』とイシャルにほほ笑んで見せた。


 その言葉に衝撃を受けたイシャルは深く己を恥じた。

 自分の平穏ばかりを気にするあまりリアを死の世界より呼び戻してしまった事、兄を恐れるあまりいたいけな少女の背に庇われる日々を望んだ卑怯な思惑。


 イシャルは卑劣な自分に嫌気がさすと同時に己を深く恥じ、後悔し葛藤を続け、やがて一つの決断を下す。


 それはリアへの償い。


 世界平和の為に生贄としてザガート(あくま)の伴侶と無理やりならされたリアをザガートから守りぬく為に、自身のこれからを、一生をリアに捧げて行こうと。


 イシャルは決断の翌日には怖れの対象であるザガート率いる黒騎士団の門を叩いた。

 そうして出迎えたザガートを前に最速気絶という所業を成し遂げると高熱を出し、そのまましばらく寝込んでしまったのである。











 *****



 決断の日から五年の月日が流れ―――ロウディーン帝国王宮、黄金と鏡を使って豪華絢爛にしつらえられた大広間では王侯貴族が集う舞踏会が開催されていた。


 多くの花が舞う広間の中央には二人の美しく煌びやかな男女の姿がある。


 黒を基調とし金糸と銀糸の刺繍が施された騎士の正装に身を包んだ青年はこの国の第三皇子イシャル。

 ひ弱な美少女と謳われた面影を残しつつも立派な青年騎士へと成長を遂げたイシャルの姿を、いったいあの頃の誰が想像できただろう。

 ザガートを恐れ弱り切った心身では成人まで持つかどうかと密かに噂されていた程だ。それが今やその肉体は優美な筋肉に覆われ、容姿は同じく絶世の美貌を自他共に誇る皇太子フェルティオに勝るとも劣らない。

 だが本来なら宝石のように美しく輝く翡翠の瞳は別の意味で鋭く鋭利に冷たい輝きを放ち、共に踊る美女を見下ろしているようでその姿を全く映してはいなかった。



 蕩ける様にうっとりした眼差しでイシャルを見上げる美女はこの日を待ちわびていた。

 そろそろ伴侶をと望まれる年齢に差し掛かったイシャルにとって、自分には年も美貌も身分も何もかもが揃っている。今日こそは皇帝陛下と父が婚約をまとめてくれるのではないか、それよりイシャルよりの告白が先かと、美女はいつも以上に時間をかけ自分を磨きに磨き上げた。

 王侯貴族が集う舞踏会。この絢爛なる世界は跪き、愛を告げられるのにはうってつけの場所だ。


 だがそんな美女を前にしてイシャルの目つきは更に鋭く冷たくなっていく。

 イシャルは自ら手を取り腰を支え共に踊る美女がその気になればなるほど、その身に悪寒を走らせていた。


 周囲から見ればお似合いの美男美女―――しかし自分に向かって微笑を向ける美女は、残念ながらイシャルからすると異様な臭いをまき散らす黄緑色のカボチャにしか見えていなかった。


 イシャルは曲が終わると目の前のカボチャに何の余韻も残さず手を離し、言葉もなく即座に踵をかえす。そうして役目は終えたとばかりにそそくさと舞踏会場を後にした。


 

 イシャルは成長するに従い天使のように愛らしい微笑みを捨て、氷のように凍てつく雰囲気を纏った。それはそれで多くの女性と僅かとは言い難い男性から『氷の貴公子』とあだ名され、熱烈な愛情を強制的に向けられるようになる。それに従うようにイシャルは自分にそのような視線を向ける者たちの姿が人ではなくさまざまな植物……特に野菜にしか見えなくなってしまったのだ。


 天使のごとき容姿と病弱故の細さで、少女の様に優しく儚い美しさを称えていたロウディーン帝国第三皇子イシャル。それを失ったからとて彼は全く不自由していない。


 何故かと言えばイシャルにとって重要なのは、自分にいい寄ってくる気味の悪い女達ではなく、まして男達でもない。

 何よりの最重要事項はザガートへの恐怖に打ち勝つ鋼の精神力と、少年時代の自分を守ってくれたか弱き乙女―――ザガートへの生贄として捧げられてしまったリアを、魔の手より救い出すという神より与えられた使命だからだ。



 だがしかし、最近になってその決意が些か変わった方向へと寄り道してしまっていた。


 舞踏会の最中だというのにお役目として言いつけられた一曲を終えると、皇帝夫妻に挨拶もなく暗黒の空気を纏ったままその場を後にする。そして迷いなく目指すは魔王の城。


 あまりの呆気無さに取り残された娘は唖然とし、目と口をこれでもかとまんまるに開いて何とも間抜けな顔をしている。

 その様子を見ていたははは、美しく立派な騎士へと成長した我が子ではあるが、まるで悪魔ザガートの僕であるかに変化してしまった愛しい息子の姿に人目を憚らず咽び泣いた。












 *****


 「まぁイシャル様、今宵はおいでにならないものとばかり。」

 「何を言われますか義姉上。兄上不在の折は義姉上をお守りするのが私の役目だといつもいっているでしょう。」


 深夜の訪問に驚きながらも笑顔で迎えてくれるリアに、イシャルは彼女以外に見せる事のなくなった少年のような屈託ない笑顔と輝きをまき散らす。

 王宮で黒い雰囲気を纏い不機嫌かつ無表情、そしてやる気のなかった姿はいったい何処へやら。今のイシャルは心の底からの笑顔で無邪気さを装い義理の姉となったリアを見つめていた。


 そう、ザガートとの婚姻によってリアはただの使用人から魔術師団長の養女となり、貴族の身分を手に入れ、ロウディーン帝国黒騎士団団長で第二皇子でもあるザガートの妻の座へと収まったのだ。


 孤児出身のリアからすればまさに夢物語で羨みと嫉妬の筵になっても仕方のない大出世だったが、現実は周囲の同情を得ている。それも全ては獰猛な猛獣としてその名だけで一国をもつぶしかねない悪魔の生贄にされてしまったからだ。


 当時のイシャルも唯一の心の支えが悪魔の生贄になってしまった事実に絶望した。

 だが今はそのおかげで義理の姉となったリアに悪魔ザガート公認で、たとえ夜が更けていようとも側に寄り添う事が許されるよいうになったのである。


 何と言う不幸中の幸い。


 見事なまでの変貌を遂げたイシャルは上手く立ち回り、野生の感を携えるザガートの中ですら『無害』と位置付けられていた。ザガートにとって病弱なイシャルは周囲からどう見えていようと可愛い大切な弟で、疑う余地のない人畜無害な、けして自身が手に入れる事の出来ない聖なる領域にある存在だったのだ。信頼以上に、全く疑いの念を向ける理由がない。

 イシャルは悪いフェルティオ除けかつ護衛となりリアを守るザガートの右腕と化し、今となってはその地位を思う存分私物化しているのである。 


 この五年でリアは皇族の妻としての役目をそこそこにこなせるようになってきていた。だが今宵の様な舞踏会に姿を見せる事は全くなく、イシャルとしてはそこが不満でもあった。今夜とてリアが出席していれば、何があっても絶対にそのような行事に出席する事のないザガートに変わってその隣に陣取り、完璧なエスコートで終始付き纏い穏やかに楽しい一時を思う存分過ごさせてあげる事が出来たと言うのに。


 リアは上流階級の女性としては有り得ない、荒れた手に持つ刺繍の手を止めて傍らに置くと、イシャルに椅子を進めてお茶の支度を始める。リアは高貴な身分を手に入れてからも今までの生活を変えようとはせず、新たな使用人の確保も難しい事実が手伝って、洗濯に掃除といった屋敷の雑事を自らの手でやり続けていた。そんな様が人々の同情をさらに買うはめになっているのだが、当人は全く気が付いていない。


 やがて薄暗い室内に暖かいお茶と甘い菓子が用意されリアはゆっくりと腰を下ろした。するとイシャルはそれを待ちわびたように椅子から滑り降りるとリアの傍らに跪く。


 そしてゆっくりと、優しく、リアの膨れた腹に剣で鍛え固くなった掌を這わせた。


 「順調ですね。」


 ゆっくりと大きな膨らみに頬を寄せると、愛おしそうに微笑んで瞼を閉じる。


 「ええ、夕刻に少しお腹の張りが気になりましたが、横になっていたらすぐに良くなりました。今日も元気で痛いくらいに暴れていたんですよ。」


 毎日のように繰り返される質問に答えながら、リアはくすくすと小さな声で笑った。


 「無礼かもしれませんが、これではまるでイシャル様がこの子の父親のようです。」


 騙し打ちの様な結婚から五年。

 リアのお腹には来月には産み月に入る赤子がいた。


 「無礼など―――そう思っていただけるなら光栄です。」


 イシャルは両腕をリアの腰に絡めると、大きくなった腹にいっそう頬を寄せて胎動を感じ取ろうとする。


 リアの妊娠が判明した時、驚愕のあまり立ち尽くして外目には何の反応も示さなかったザガートとは違い、イシャルは我が事のように歓喜して喜んだ。それ以来己の持つ癒やしの力を利用し、腹の子の成長を身守るように必要以上にリアに接近しては、天使と崇める義姉の体に触れるようになっていったのだ。


 リアも最初の頃はイシャルの態度に驚きはしたもののそこには何の嫌らしさもなく、純粋に生まれて来る子供を楽しみにしてくれていると解ったのでされるがままに受け入れていた。


 事実イシャルは最高の癒しの術を行使でき、ザガートからは全幅の信頼を得ているのだ。死の危険を伴う出産を控えたリアにとってこれ程心強い存在はないと、ザガート自らイシャルに往診を求めている。勿論出産にも立ち会う予定だ。イシャルが胎内の様子を探り、心で語りかける行為はいつの間にか当然の日課になってしまっていた。



 『全身全霊をかけて愛し、守ってあげるからね。僕たちの愛しい子―――』




 イシャルはリアとの時間を一通り終えて満足すると、また明日といつもの様に去って行く。

 それからまずは侍女頭のライラの下に寄って―――その後に赴くのは今でも気を引き締めてかからなければいつ殺されるかもしれないザガートの下だった。








 *****


 黒騎士団団長の執務室はいつも薄暗い。

 深夜において蝋燭一本、それだけで書類にくまなく目を通しサインしていく男は人外の視力を持ったザガートその人だ。


 まもなく長期休暇を控えたザガートは執務に追われている。だが深夜に訪問してきた弟を認めると手を止め筆を置いた。


 眼光鋭く睨まれ、一瞬射殺されるのではないかと構えたイシャルだったが、心に受胎した天使を思い浮かべ何とか足を踏ん張り背筋を伸ばしてザガートに一礼する。


 この瞬間だけで喉がからからに乾いてしまった。

 つばを飲み込むと意を決して口を開く。


 「本日兄上が屋敷を出てからの義姉上ですが―――午前中は洗濯と屋敷の掃除、特に窓磨きに余念がなかったようです。どうやら窓の曇りが気になるらしく、危険ですので僭越ながら上部は私がお手伝いさせていただきました。その後は執事と料理長、ライラを含む四人で軽い昼食を済ませ洗濯物の取り込み、庭の清掃、一階の拭き掃除を済ませ夕食はお一人で。このあと腹部の張りが気になり横になっていたようですがすぐに収まったとのことです。陽が落ちてからは刺繍をしながら時間を過ごし、私が訪問した折には共に熱いお茶を頂きまして、後はそのまま就寝される模様です。そして先ほど確認しましたが、義姉上の宿される胎児に悪い様子は全く見られず健やかに眠っておりました。」



 リアの予定を逐一漏らさず報告する。勿論必要ない部分はなかった事にして、だ。


 朝から晩まで、寝ても覚めても想うのは守るべき愛しい人。

 自分が死の淵から連れ戻した責任と、後悔と、そしていつの間にやら芽生えた独占欲が病弱な少年の人生を大きく変えた。






 五年が経過し―――リアの崇拝者第一号は見事なストーカーへと変貌を遂げたのであった。





 

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