理不尽な姉を誰か止めて下さい。
初投稿です。
弟、姉、弟の順番で視点が変わります。
「あっ……」
近所のコンビニからの帰り道、曇天の空を見上げるとひらひらと雪が降って来た。通りで寒い筈だ。
(早く帰ろう……)
首に巻いた白いマフラーに顔を埋めながら俺、篠崎雪那は思う。
ポケットに入れていたスマホを取り出して時間を確認する。家から出て既に十五分過ぎていた。
早く帰らなければ怒られるだろう。自然と足が駆け足になる。
(クソッ! ほんと、何で俺が……!)
左手に持つコンビニ袋を揺らしながら俺は深くため息をつく。
我が家である篠崎家には一人の女帝が居る。四十を過ぎたばかりの母、美枝では無い。街を歩けばほぼ間違いなく誰もが振り向き、美しいと言うだろう美貌と抜群のプロポーションを持つその女帝は俺の一つ年上の姉、椿である。
ちょうど時計が三時近くを指していた時の事だ。唐突にアイスが食べたいと言った椿は自室でゲームをしていた雪那にコンビニに行って来いと命令した。
勿論、俺は行きたくはないと突っ撥ねた。しかし、椿は家族から女帝と称されるだけあって我が家の大黒柱である父、正義さえも足蹴にする女だ。反論のかいなく俺は家から追い出された。
何で、俺が。
不機嫌極まりない俺に対し、笑顔で玄関から顔を出していた椿は言った。「ハーゲンダッツ、買って来てね」と。
そして、現在に至る。今頃、椿はぬくぬくとコタツに入ってテレビを見ている事だろう。
「ただいま」
「遅い!」
家に入ると直ぐ手前の和室の方から椿の怒った声が聞こえた。自分が命令しておきながら酷いものだと思う。姿を見せないのはコタツから出たくないからだろう。
俺は深くため息をつきながら靴を脱ぎ、和室に向かった。
廊下を歩く音が近づいて来る。ようやくコンビニから帰って来た弟、雪那の足音だ。コタツに入ったままの私は近くにあったティッシュの箱を構えた。
「おかえりぐらい言えよ、ね――うわっ!」
雪那が襖を開けると同時にティッシュの箱を思いっきり投げ付ける。狙った顔面コースだ。咄嗟に雪那が避けると私は「チッ」と舌打ちした。相変わらず、反射神経だけはいい。
「何すんだよ、ねぇちゃん!」
憤慨する雪那を私は見据える。
「あんたが遅いからでしょ。アイスは?」
私を待たせた雪那が悪い。
黒髪に黒い瞳、私と同じ血が流れているだけあって雪那の見た目はそこそこ良い。友達に写真を見せればかなりの確率で羨ましがられる。だが、私にはどうでもいい事だ。
私にとって重要なのは使えるかどうか。百歩譲って弟は使えるが愚弟は要らないのだ。
雪那は何か言いたげに口を開きかけたが、何を言っても私には無駄だと骨身に沁みているのだろう。睨むだけでぐっと堪えている。
言いたい事があれば言えばいいのにと私は内心、呆れた。
まぁ、確実に叩き潰してやるけれど。
「ほら、買って来たよ」
雪那がコンビニ袋を私に放った。冷たい感覚がする。私は直ぐに袋の中を確認した。
濃い赤色のカップに抹茶のパッケージ。流石は雪那。私の好みをよく分かっている。
(合格ね……!)
満足だ。そう思った私だったが、テレビの画面が特番のドラマからコマーシャルに映り変わったのがいけなかった。
ふと見つめたテレビ画面にハーゲンダッツのコマーシャルが流れている。真っ白なバニラ味のアイスにスプーンを入れるシーンに思わず目が釘付けになった。
(これは……!)
食べたくなった。いつもは抹茶味を好んでいるが、たまにはバニラ味の定番を食べるのもいい。
可愛そうな雪那。
自分でも思うが私はかなりの気まぐれだ。帰るのが遅くなった雪那。ちゃんと早く帰って来ていれば良かったのに。運が悪い。
「ちょっと待ちなさい、雪那」
既に自室に戻ろうと踵を返していた雪那を呼び止めた。「何?」と睨むように振り返った雪那に私は右手に持ったハーゲンダッツを突き出した。
私はニッコリと微笑んだ。
「これ、私が欲しかったヤツじゃないんだけど」
「はぁ?」
(やっと解放された……)
コンビニ袋の中身を確認する椿を横目に俺は安堵のため息をついた。
癪に障るが弟という立場上、何より、間違えた物を買ってくると後が怖いという理由から椿の好みは一番よく理解している。
椿が何も言ってこないという事は合格という事なのだろう。
(戻ってゲームの続きでもするか……)
用事が済めば椿の居る場所に長居する気はない。居れば確実に次の命令をされる。
しかし、踵を返した俺に「ちょっと待ちなさい、雪那」と椿が呼び止めた。
嫌な予感がする。経験上そう思った。
「これ、私が欲しかったヤツじゃないんだけど」
「はぁ?」
振り返った俺は椿の思いがけない言葉に怪訝な眼差しでハーゲンダッツと椿を交互に見据える。
何を言っているんだ。ハーゲンダッツを買って来いと言ったではないか。
「ねぇちゃん、ハーゲンダッツを買って来いって言ったじゃん」
「うん。言ったよ。でも、これじゃない。私が欲しかったのはバニラ味のハーゲンダッツよ」
俺が買って来たのは椿の好みである抹茶味だ。
確かにハーゲンダッツを買って来いとは命令されたが、味の指定までは聞いていない。
「何味がいいって言ってなかっただろ。大体、ねぇちゃんがハーゲンダッツ食べる時はいつもそれじゃん」
たまに他の味を食べる事があっても本当に稀な事で二カ月に一回あるか無いかだ。椿は和に通ずる味を好む傾向が強い。味の指定を受けていなければいつも通り抹茶味を選ぶに決まっている。
反論すると何故か椿は呆れたようにため息をついた。
「あんた、仮にも私の弟でしょ。私が今何味のハーゲンダッツが食べたいかぐらい読みなさいよ」
「…………」
俺はエスパーか。
出来る訳無いだろう。理不尽すぎると俺は絶句した。椿は気にもしない。
「これ冷凍庫に入れて直ぐに買い直して来て」
コンビニ袋に戻したハーゲンダッツを椿は俺に投げ返した。反射的に俺はそれを受け止めた。
「外、雪降ってるんだけど……もうこれでいいじゃん」
外に出たくない。俺は露骨に嫌そうな表情をしたが椿は逆にニッコリと微笑んだ。
「嫌」
「これもハーゲンダッツだろ」
「行け」
「…………」
「早く」
「…………」
「雪那の本棚、下から三番目の――」
「行ってきます!」
駆け足で俺はハーゲンダッツを仕舞いに台所に向かう。表情は真っ青だ。
何で知ってるんだ。俺、秘蔵のゲームのありかを。態々マンガ本の中身をくり抜いてカバーまでかけて完璧に隠したというのに。
思い出すのは俺が小学生の頃の事、椿の命令を聞かなかった俺は椿の制裁を受けた。当時、俺の宝物だったゲームカセットを椿は全て売り払ったのだ。しかも、中身だけ。パッケージや箱をそのまま残して。
箱を開けて肝心の中身が無いという途轍もない絶望を椿は幼い俺に植え付けたのだ。
あの時の事は今でもトラウマに近い。あれ以来、俺はゲームを全て隠すようになり、椿の命令に従わなければ酷い目に遭うと骨身に沁みた。
結局、姉の命令は絶対だ。再び、トラウマを植え付けられるよりはマシかと俺は割り切ってもう一度コンビニに行く事になった。
冷凍庫にハーゲンダッツを仕舞って玄関に向かう。
「雪那」
襖が開けっ放しになっている和室の前を通るとコタツに入って寝そべっている椿に呼ばれた。
「はいはい、閉めればいいんだろ」
襖の取っ手に手をかける。
「違う、それ」
「それ?」
椿が指差す方に視線を向ける。そこには廊下に転がっているティッシュの箱があった。
「取って」
「ねぇちゃんが投げたんだから自分取れ」
それぐらいはやれ。あと、動かないと豚になるぞと言ってやりたいがこれを言うとゲームを売られるよりも酷い目に遭うので絶対に言わない。前にうっかり口を滑らした時は家中が災厄に見舞われたかのようだった。
「何言ってるの。雪那が遅いから私は投げさせられたんでしょ?」
当たり前だと小首を傾げた椿にもう反論するのも疲れた俺はティッシュの箱を椿に投げて襖を閉めた。当然だが、椿から「ありがとう」の一言も無い。
靴を履いて外に出ると先程よりも雪が酷くなっていた。これは走ってコンビニに行った方がよさそうだ。
「はぁ……」
空を見上げて俺はため息をつく。白い息が宙に溶ける。
誰でもいいから理不尽な姉をどうにかしてくれ。
心の底から俺はそう願った。
精一杯、姉弟間の理不尽を書いてみました。
面白可笑しく読んで頂けていれば幸いです。