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廃棄世界物語 Red coat   作者: 猫弾正
PA.311年 ヴァルカン 
9/9

生命と対価

 ヴァルカンは死んだ。少なくともハンターギルドの公的な記録にはそう記されることになる。

 ギーネ・アルテミスは、ヴァルカンを名乗っていた悪党の首魁を確かに滅ぼしている。

 そのヴァルカンが実は人形だったかも知れないと報告したとて、なにが変わる訳でもない。

 精々、賞金の支払いを渋られるのが落ちだろう。だから、ヴァルカンは死んだのだ。

 賞金首として知られていた紫炎のヴァルカンは死んで、しかし、再び別のヴァルカンが現れた時、それは同名の別の賞金首ということになるのか。

 もっとも、次も『ヴァルカン』がヴァルカンという名を名乗るとも限らない。

 本名がエマだとジゼルには語っていたが、それも何処まで本当か知れたものではない。

 兎に角も、ヴァルカンとの決着をつけた日の翌朝。ヴァイオレット軍曹と別働隊の乗った大型トラックが再びソレトの町に姿を見せた。

 

「では、明日ですが。我々はコートニーに帰還します」

 町の広場で、アーネイが指揮官代理として町長や治安判事といった町の顔役たちに別れの挨拶を告げている。

「うむ、助かった。君達がいなかったらと思うとな」

 当初は戦利品の取り分で軋轢が生じたレッドコートと町長たちだが、送別の宴を開いてくれる程度まで町側の態度が軟化したのは、ヴァルカンの残した物資についてレッドコートが大幅に妥協を見せたからだろう。

 

「女たちのことをよろしくお願いしますよ。町長」

「任せてくれ。就職や共同住宅の手筈も整えているし、希望するものには故郷までの武装バスや列車の切符も用意しておる」

 アーネイの声に町長が胸を張って肯いた。無理矢理に女をかき集めていた娼館エルドラドについては、ヴァルカンの死後、女たちはいずれも他の店に移るか、故郷に戻ることを希望しており、敢え無く廃業の運びとなった。

 どんな世でも善人も悪人も尽きないから一概に比較はできないが、ティアマットの水準からすると町長たちは親切な方だろう。

「ソレトが盗賊に襲われたらいつでも連絡をくださいね。格安で引き受けましょう」

「それはありがたいね。だが、今後は出来るだけ自分たちで守れるようにするつもりだ」

 

 エルドラドで働いていた女たちも礼を言いにきていたが、ジゼルの姿は見当たらなかった。

 やたらめかしこんでいた娼婦が、レッドコートが女ばかりなのに気づいて呆然としていたのはなにやら気の毒にも思えた。

 離れた位置に座っていたギーネは視線を彷徨わせてジゼルを探したが、他の女の話によれば、あれから直ぐに町から姿を消したらしい。

 手元の炭酸水をちびちび飲みながら、ギーネは灰色に曇っている廃棄世界の夜空を見上げていた。

 ジゼルは、ヴァルカンを追って旅立ったのだろうか。

 あの程度の技量では死ににいくようなものだ。

 納得できないものがあったとしても、他人がどう感じるかまでギーネに責任は取れない。

 

 ギーネは、善や正義を理解できるし、それなりに尊重もしている。

 時には善人や正義の味方に心打たれて、ささやかながら手助けしたりもするが、しかし、特に善であることに拘泥しないし、さほど正義に執着もしない。

 革命荒れ狂う母国を捨てて、荒廃したティアマットで安住の地を求めるような女である。

 自分一人が自由で満ち足りていれば、世界の理不尽さや悪辣さには目を瞑る性分であった。

 ギーネ・アルテミスにとっては善も悪もどうでもいいのだ。

 ただ己の支配する領域で好き勝手に生きられればそれでよい。

 

 ギーネにとって己を制約する全ての権力は気に喰わない。かといって善政を行っている帝国政府をただの我欲で破壊しようと目論むほどまでには悪人にはなれない。

 天才ではあるが理想もなければ、野望ももたない。そんなギーネ・アルテミスからすると、統一政府や国家権力の存在しない崩壊世界ティアマットは、実に居心地のいい土地であった。

 ふふん。おっかない共和派もやってこないし、わたしの可愛い人形たちが面倒を見てくれるし、最近、近づくと何故か息が荒くなるのが恐いけど。税金も取られないし、税金も取られないし。

 最初にやってきた頃は、荷物は紛失するわ。モヒカンがヒャッハーしているわで、どうなるかと思ったものだが、巨大芋虫の焼いたのだの、鼠の肉シチューで食い繋いだのも今となっては良い思い出でござる。二度と食べたくないけど。

「……ふっふっふ、力だけが全て。いい時代になったものだ」

 文明崩壊したポストアポカリプスで世紀末なティアマット生活を満喫しつつ、思わずご満悦の悪人顔でつい先日と正反対の台詞を呟いたギーネさんだが、近くに佇んでいた町の人に偶然、独り言を聞かれていたのは気づかなかった。

 そんな迂闊さが人格に対して深刻な誤解を招いてしまう原因なのだが、結局のところは自業自得であろう。

 

 夕陽が地平線に差し掛かった頃になると、ソレトの町では各所にドラム缶に入った篝火が焚かれていた。

 広場には食卓が並べられ、食事や酒が振舞われている。町の人間によるレッドコートへの送別会が開かれていたが、大勢の人間が集って陽気に騒いでいる広場の外れ。ギーネ・アルテミスは建物の陰の目立たぬ位置にある石段に一人でぽつんと腰掛けていた。

 

 送別会の開かれるまでの時間、町をぶらついていたギーネだが、何故か分からないが、彼女が近づくと町の住民たちがやたら脅えた顔をして逃げ出すのだ。

 買い物しようとしたら商人が強張った笑みを浮かべて只でどうぞとか言い出すし、すれ違った老婆が心臓麻痺を起こすし、目の前で転んだ子供を助けようと近づいたら、血相を変えた老人が飛び出してきて「どうか!どうか!この子だけは!私なら何をされても構いませんから!」とか言い出した時には、どうしようかと思ったものだ。

 責任者出て来い。助けた相手に対して、その態度はどういうものなのか。

 そこのところじっくりと聞かせてもらおうじゃないかと、逆切れしていたら町長が出てきてどうにか誤解は解けたようだが、いまだに腫れ物を扱うような態度である。

 

 遠目に見れば、町の中心でアーネイが主賓としても持て成されているが、別に羨ましいとは思わない。そもそもが、ギーネは見知らぬ人間の大勢いる場所は苦手な性質であった。だから、本当に羨ましくなんか思わない。本当だとも。

 最初に幾ばくかの食べ物を確保したギーネが、涙目でもそもそと何の肉か良く分からない焼肉やら揚げ物を安い合成酒で流し込んでいると、近寄ってくる小柄な人影がおずおずと傍らに腰を降ろした。

 

「……ギーネさん」

 ギーネは一目見て、クーンがひどく憔悴しているのに気づいた。

 痛々しい笑みを浮かべたクーンは、助けられたことについてギーネに礼を述べる。

「クーンか。これからどうする?」

「分からない」

 足元の小石を蹴ったクーンは、ほろ苦い笑みを浮かべた。

「一人でけりをつけて、一人で逝って。勝手な人」

 ギーネが手を伸ばしてクーンの小柄な身体を抱き寄せた。クーンは数年ぶりに暖かな感触を味わった。

「もしよければ、わたしのところに来ないか?」

「レッドコートに誘ってくれるの?」

 クーンは満更でもなさそうに顔を上げた。

 レッドコートは新兵を募集していない。コートニーに流れてきた帝国の軍人崩れやら脱走兵を簡単に加えている経緯にも拘らず、レッドコートは親しいハンターたちと組むことはあっても勧誘はしないことから、帝国人だけで編成されるチームなのだとハンターたちには見做されていた。

「それでもいいし、穏やかな生活を望むのなら手伝えると思う」

 クーンの肩を抱き寄せたまま、ギーネはその耳元で囁いた。

 ついさっきまで《涙目のご主人、テラ可愛い》と眺めていたレッドコートの兵士たちが、歯軋りしたり、くやしいのう、くやしいのう、と顔芸を見せていることにはギーネは敢えて気づかない。

 

「……帝国からの避難民を世話している団体に伝手がある。

 その団体は、コートニーにコテージや食堂を経営していてね。

 普通の一家が多いし、君と年齢の近い子供もいる。

 勿論、その若さでミュータントを狩れる君なら、兵士としても歓迎する」

 今のギーネは親切な気分であったし、クーンを気に入ってもいた。なので、穏やかな声で選択肢を提示する。

「今のところレッドコートは私の家臣と軍人崩れ、人形ばかりだが大半はいい奴だ」

「……どうしようかな。少し考える時間を」

 クーンが言いかけた時、二人の近くでレッドコートの女兵士が仲間に抱きついた。

「運転しっぱなしで身体が固まってしまいましたぁ。ねぇ、マッサージして」

 少女にしか見えないレッドコートの兵士が、洋菓子に蜂蜜を塗したような甘えた声で媚態を見せている。

 抱きつかれた方が満更でもない顔をしながら、やや年長のレッドコートの娘さんが相手にだけ見えるように制服を肌蹴てみせた。

「その前にこいつを見てくれ。どう思う」

「凄く……大きいです」

「ご主人に生体工学教わって、付けてみました。理論上は、女の子同士でも子供も創れますよ」

「ふわあ、孕まされちゃうよぉ」

 レッドコートの少女たちが、連れ立って物陰の暗がりへと消えていく。

 

 クーンがパッとギーネから離れた。身の危険を感じ取った小動物のような動きであった。

 なにやら警戒したような表情でギーネを見ている。

「遠慮……しておく。その……」

「ああ、その方がいいだろうな」

 男の子か、女の子か分からないが、クーンは可愛い顔立ちをしている。

 考えてみればレッドコートに入れるのは、餓えた狼の群れに鶏を投げ込むようなものだ。

 真っ先に毒牙にかかりそうである。

「あ、あの、これ唐揚げ。本物の鳥を使ったんだって。その……良かったら」

 決まり悪そうなクーンだが、手にしていたお皿を差し出した。

「ああ、うん」

「こっちは檸檬。それとこれはコーラ。炭酸が好きだって聞いたから」

「檸檬はつけない派なのだ。だが、ありがとう」

 ギーネが微笑むと、クーンは頬を赤く染めて立ち上がった。

 

(いい子や、惚れてしまうかも知れない)

 周囲が周囲なので、ちょっとした気遣いにギーネは感動していた。

 そう、大体おかしい。……最近、人形たちは勝手に動くし、アーネイは何考えてるんだか分からんし、口うるさいし、フィーアもやたら反抗的で給与のアップを要求してくるし、ヴァイオレットは出会った時からなんか恐いし、無口だし、エールの奴は随分とだらしなくなってきているし。あいつ、なんなの、あの汚部屋は。

 わたしがレッドコートの総帥のはずなのに。総帥だよね?あれえ?いや、総帥の筈だ。

 皆、わたしをもっと敬うべきだと思います。

 

 兎に角、クーンだ。

 誰もいない静かな泉の畔であの子と二人きり、ただ抱き合っていたい。

 いや、これはけしていやらしい気持ちではない。

 ただ純粋な愛情。そう、アガペーの発露。

 愛には肉欲を伴うエロスと、純粋な精神的愛情のアガペーがある。

 わたしのこれは、プラトンが焦がれながらも届かなかった純度100%のアガペーです。

 ああ、いい匂いだった。

 固くて、その癖、柔らかくて、あの年頃だけのアンバランス。

 もう男の子でも女の子でもどっちでもいい。

 どっちでも、オッケー。

 その日の気分によって肉体にオプションをつければいいのだ。

 両方付きにしてしまってもいい。君によし、私によし。入れたり、入れられたり。

 ある特定の分野に関してならば、我が帝国の技術は世界一である。

 相手は明らかに未成年?おまわりさん、こいつです?

 大丈夫。アルトリウス帝国では、普通。普通ですから。

 帝国法で許されている以上、こんな未開の土地の法律なんぞ関係ないね。

 

 ギーネ(クズ)が己に対して邪に発情しつつあることなど露知らず、朗らかに微笑んでからクーンは立ち去った。

 

 広場の反対側にいたレッドコートの一人が、握り締めていたコンクリート壁を粉砕した。

 周囲にいた町の住人がぎょっとする中、やけに殺気だったレッドコートの一団が歯軋りしながら血の涙を流している。

 《きぃぃ!なにさ!あの泥棒猫》

 《ギギギ、悔しいのう》

 《殺す殺す殺す殺す殺……》

 《誰か、あのフラグをへし折って来い!》

 《ご主人はあんな風に奥ゆかしい感じが好みなのか。把握》

 額を一筋の冷や汗が流れ落ちるものの、ギーネは最後まで部下たちの熱い視線に気づかなかった。

 

 

「そこで艱難辛苦を乗り越えたあちしは、ゾンビをちぎっては投げ、ちぎっては投げ……」

 一方その頃、多量のまたたび酒をきこしめたネコミミは、完全にいい気分で町の住人に対して自慢話を繰り返していた。

「あの人たちは、あちしがコートニーで見つけてきたハンターだにゃあ!

 ヴァルカンをやっつけてくれて。あちしも鼻が高いニャあ!大手柄だニャあ」

 得意げなネコミミだが、この話をするのは十八回目である。周囲で聞いている人間たちも、さすがにうんざりした様子で投げやりに褒め称えてやる。

「分かった、分かった、確かにお手柄だ」

「ああ、お前はよくやった」

「殊勲者に対して頭が高いニャ。あちしがいなければ、世界は永遠に暗黒の支配するところ……ンニャ?ギーネがいるニャ」

 完全に出来上がっているネコミミは、尻尾をふりふりと揺らしながらギーネに向かって歩き出した。

 

 折角の癒しである可愛いクーンが立ち去ると、入れ替わりに酔っ払ったミュータントが近づいてくるのにギーネは気づいた。

「おーい!そこで年端もいかない子供に対して発情した牝の匂いを撒き散らしていたハンター。楽しんでいるかニャ?」

 出会い頭に喧嘩を売られて、さすがに温厚なギーネさんが不快そうに眉を上げた。

「人の顔を見た途端、いきなり唐突に失礼な事をほざくものだな。馬鹿猫。

 悪いのは鼻か、脳みそか?それとも自殺志願なのか?」

 胡乱な眼差しで睨みつけるも、相手は脳みそまでアルコールとまたたびに漬かっている酔っ払いだった。

「気にするなニャ!夏は交尾の季節ニャ!ティアマットは年中常夏だけどニャ!にゃははははは!」

 ギーネの目の前にある唐揚げを断りもなく摘まみながら、ネコミミが腹を抱えて笑っている。

「ふん、楽しんでいるようで何よりだが……そうそう、忘れるところだった」

 ギーネはポケットから紙切れを取り出して、笑っているネコミミの前に置いた。

「なんニャ?これ……請求書?6000GC!」

 叫んだネコミミに、ギーネが淡々と告げた。

「賞金とは別の必要経費だ。払ってくれ」

「そんな!払えるわけないニャ!」

 ネコミミの切羽詰ったような響きの叫びに、周囲から何事かと視線が集中した。

「こっちは散々、悪党共に搾り取られて、もう素寒貧ニャ

 武力を持って町の皆に金を要求するなんてハンターの風上にも置けないニャ!」

 ネコミミの弾劾するような口調にギーネが首を振った。

「いやいやいや、なにを勘違いしてる?人聞きの悪い。これはお前個人宛の再生治療費だよ」

「ニャ?」

 固まったネコミミ。ギーネは思い出させるように説明した。

「うちの真ん前で、ゾンビに食われて死に掛けてただろ。大変だったんだぞ。蘇生。

 高価なバイオマテリアルにナノマシンジェルやips臓器やら。

 電気ショックや再生レーザーを駆使しての心肺蘇生、臓器再生、血液補充、大脳皮質のゾンビウィルスの除去と攻撃性抑制」

 ネコミミの顔がさあっと鮮やかに青ざめていく。

「これでもおおまけにまけてるんだ。なにしろ、死者の蘇生だ。本来なら倍は貰いたいところだぞ。

 お陰で使う予定のバイオマテリアルまで使ってしまったんだから」

 

「こ、こんな大金払える訳ニャアア!」

 びりびりに請求書を破いたネコミミだが、ギーネはにこやかに微笑んでいる。

「払えないんだったら、年季奉公という形で支払ってもらってもいい。

 幸い、お前は中々に優秀なメカニックだ。

 給与は年400GC払ってもいい。ちなみにコートニーの法定金利は年二十パーセントだな」

「ふざけんにゃあああー!働けど働けど元金減らない奴隷契約じゃねえかアア!」

 絶叫したネコミミの両腕をレッドコートの歩兵が恐ろしい力で掴んだ。

「まあ、流石に金利はまけてやろう。

 しかし、代金はまからんぞ。6000GC。耳をそろえて払ってもらう」

「あちしが、GCなんていい物を持ってるように見えるニャ!?」

「では、身体で払ってもらうしかないか。連行しろ」

 ギーネの命令で、レッドコートがそのままネコミミを引っ張っていこうとする。

「やめるニャ!本気であちしを債務奴隷にする気ニャ?

 いい人だと思ったのに!こんなのあんまりニャ!」

「いい奴だとも。悪人ならば、そもそもヴァルカンと戦ったりはしない。

 もっと悪辣で儲かるやり方など幾らでもあるのだからな。

 一方的に期待して、一方的に失望するか?」

 ざわついている町の人々。レッドコートたちも、やや警戒しつつも状況を見守っていた。

 

「お前は言ったではないか。自分がどうなってもいい。町を救ってくれと」

 超然とした態度のまま、ギーネは言い切った。

「それとこれとは全然、別の話ニャね!やっとヴァルカンがいなくなったのに!」

「わたしはすでにお前の期待に応えた。そして蘇生させた。

 この二つに対して正統な報酬を要求しているだけだ」

 掌を伸ばしたギーネは、普段のぼっちとは別人のような威厳を漂わせて代償を要求している。

「そ、そんなこと……」

「大神オーディンに懸けて私はお前に命を与えた。

 債務を返すまでお前の命は私のもの。

 蘇生させた代金を払えないと言うのなら、この手で与えた命を回収するまで」

「あ、あちしを殺すというのニャ!」

 大きく眼を瞠ったネコミミに、ギーネは半神のように傲然と宣告した。

「お前の目の前にいる者が、与え、奪う力があることを認識しろと言っている」

「うう。あちし、ギーネにゃんを嫌いになりそうニャよ」

「何億の有象無象に嫌われようが、屁とも思わないね」

 

「6000は大金だが、十余年を働けば返せる。それほど嫌か?」

 ギーネの口調は、微塵の殺気や怒りも漂わせていない。

 そもそも利益や脅しの為の交渉ではない。

 オーディンの定め給う、宇宙を律する絶対の掟を遂行する為の対話であった。

 文化が違う。ミュータントの怪獣や原子爆弾、コンピューター様崇拝のカルトが横行しているティアマットとは違い、アルトリウス帝国では、いまだに原初の神々への信仰が息吹いており、高度な科学技術文明を築きながら、帝国人の精神の奥底には、神々への根源的な畏れが深く根付いていた。

 そして恐らく人が人を慰め、救う為の教義を持つ、人の為の宗教の信徒には、想像もつかないだろう。

 オーディンは厳格で無慈悲な神であり、故にまたギーネも応報を強く求めるのだ。

 だから、ネコミミを嫌いではないが、対価の支払いを断られたら微塵の容赦も躊躇もなく殺すとギーネは決めていた。

 そして断られていたら、実際、あっさりネコミミを殺しただろう。

 そこに妥協の余地は存在していない。

 ギーネの異様な厳しさをまたネコミミは全く察していない。

 ティアマット世界での唯一神はキャッシュであり、全能神は弾丸であり、

神々の王は食糧である。ギーネの宣告を交渉の一環としか捉えていない。

 異文化とのコミュニケーションは誤解がつきものだね。テヘッ。という残念な事例がまた一つ詰みあがる可能性も高かった。


「ざ、残念だニャあ!ギーネ!」

 暴れていたネコミミが、はっとしたように顔を明るくして叫んだ。

「あちしも満更でもニャいんだけど、町のために尽くしたあちしがコートニーに奉公に出るなんて、みんなが承知してくれないニャ!」

 そうだよね!と賛同を求めるようにネコミミは町の住民たちの方を見つめる。

「モカ、元気でな!」

「たまには手紙を寄越してくれよ!」

「おいら、モカ姉ちゃんのこと、絶対に忘れない」

 にこやかに手を振る青年やら、近所のおばさんやら、涙ぐんでいる子供やら。

 しかし、誰一人助け出そうとも抗議もしてくれない。

 

「みんな、何いい話にして終わらせようとしてるニャ!

 町長!何とか思わないかニャ!町の功労者が浚われようとしてるニャ! 」

 懐から葉巻を取り出した町長は、紫煙を吹きながらあらん方向を眺めてどうでも良さそうに激励した。

「新天地でも頑張るんだぞ。モカ」

「そ、そんな馬鹿な!町のアイドルのモカにゃんが!あっさり見捨てられたニャアア!」

「貴様のようなアイドルがいるか」

 宣告したアーネイの手によって、首輪がカシャンとネコミミに嵌められた。

「ゲェー、奴隷商人御用達の逃げると爆発する首輪ニャ!」                                                                                                                                  

「説明ありがとう。安心しろ。逃げると遅効性の麻痺薬を打ち込むだけだ。

 もっとも曠野で逃げ出して力尽きたら鼠やら巨大蟷螂やらに生きたまま食われるだろう」

 やけに嬉しそうなギーネの微笑み。

「お前はもはや、モカではない。今から、そうだな。ミケだ」

「ご無体なー!」

 

 ネコミミは最後の最後に、雇い主に縋るような視線を向けた。

「こ、工場長!何とか言って欲しいニャ。それが駄目なら、立て替えて欲しいニャ!」

 押しの弱そうな中年男が額の汗を拭いながら、きょときょとと目を動かした。

「しかし……だな。さすがに六千もの大金は……」

「さっさと助けろニャ!使えない揉み上げだニャ!!そんなことだから女房に逃げられるニャ!」

 そこまで言われて黙っていては男ではない。意を決した工場長が、ギーネに向き直った。

「ギーネさん。ペットなら、他にもっといいのが……」

「いや、これがいいんだ」

「当人の意思を無視して、何勝手に決めてるだニャ!」

 何時の間にかトラックの片隅に鉄格子の檻が設置されていた。

「さあ、入るんだ!」

「い、嫌だニャあ!幾らミュータントだからって、こんなのってないニャあ!」

 

「私を見捨てるのかニャ!町のみんな!町長。工場長!おい、こうじょうちょおおお!視線を逸らすな!

 絶対に許さないニャ!猫は七代祟るニャよ?お前に呪いを掛けてやるニャアアア!

 あちしは何時の日か戻ってきて、必ずや貴様らに復讐を……まって!屋根裏に隠してある鰹節だけでも回収させて……ギニャアアアアアアア!」

 近所に住んでいた別のネコミミミュータントたちが小さく呟いた。

「鰹節はみんなで食っといてやるニャ」

「お前は悪くないが、お前の酒癖が悪かったのニャー」

「さらばニャ、モカ」

 

 出発の日、憔悴したネコミミはレッドコートのトラックの片隅に座り込んでいた。

「まあ、真面目に働いたら十数年で返し終わる債務だ」

 ギーネを恨みがましそうな目で見つめている。

「ミュータントの寿命は短いニャよ。十数年経ったら、あちしは婆さんニャ」

「寿命なんて、注射一本で数十倍に伸ばせるだろうに。

 まあ、その間は、テロメアを伸ばして年も取らないようにしてやるよ」

 ソレトの町長と工場長が見送りに来ている。

「行くのですか?」

「ギーネさん。アーネイさん。あの子をよろしくお願いします」

 工場長が、車に乗り込んだギーネたちに話しかけてきた。

「口は悪いし、頭も悪いですし、酒癖も悪いし、性格も悪いですが……あれ?いいところあったっけ?」

「タマのことは引き受けました。悪くはしません。では、さらばです」

 アーネイが真顔で返答するその横で、ギーネが初めての飼い猫という本を読み込んでいる。

「……トイレの場所を躾ける。予防接種。ご飯は煮干がよい。塩分は控えめで酒はもってのほか。ふむ」

「あちしの名は、モカにゃああ!」

 ネコミミの絶叫を後にひきながら、武装した車列が砂塵を巻き起こして走り出した。

 廃墟が広がる曠野の彼方に向かって走り出したレッドコートたちを、如何な運命が待ち受けているのか。

 黎明の地平線に昇る灼熱の太陽は、ただ無言で大地を照らすのみであった。


初出 2013/07/31 

違う文化の思考形態を書きたい病が出た

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