ネコ!?ナンデ!ネコ!?コワイ!
崩壊暦 311年 4月 32日
※ ティアマト星の公転周期は13ヶ月 460日 重力は1.03G
※ ただし上の暦は地球標準時間での311年
廃墟と化した無人のビルが墓標のように連なるコートニー市の町外れ。
亀裂の入った商店街のアーケードから零れ落ちた陽光が、植物が芽を出しているアスファルトへと零れ落ちている。
この西-17地区の一角に、レッドコートが拠点としている十四階建てビルが建っていた。
まだ日の高い時間帯であるにも拘らず、辺りに人通りは少ない。
僅かに行き交う人間たちも自動小銃やサブマシンガン、強化プラスチック製のシールドなどを肩に担ぎ、油断ない視線を配りながら、足早に鉄格子付きの建物に出入りしている。
一般市民からすると、西-17地区は市内では危険な区域に属している。
ゾンビが充満しすぎて市当局が奪還が困難だと判断された閉鎖区域に隣り合っており、地面の下に網の目のように広がっている地下街のショッピングモールや下水道、地下鉄などは外壁を越えて郊外まで伸びている。
人の匂いに釣られて地下通路を辿ってくるのか。外壁や閉鎖したバリケードに割れ目でも生じたのか。
時折、蠢く巨大な肉塊や奇怪な怪生物、巨大蜘蛛、群れをなしたミュータントや凶暴な有角野犬の群れなどが突如として街路へと出没、住民を襲撃することも年に数度は見られる光景である。
警邏の兵も余り拠り付かず、かといって犯罪者が根城に出来るほど安全な地区でもない西-17地区の住人たちが、陽が落ちてから外に出ることは稀である。
太陽が地平線に沈むと同時に、住民たちは頑丈な壁にシャッターや鉄格子を備え付けた家に閉じこもり、扉や壁を爪でがりがりと削る夜行性のゾンビやミュータント、異形の怪物たちの唸り声や遠吠えを聞きながら、まんじりとせず夜が明けるのを待つのだ。
そんな西-17地区においては、レッドコートの隊員でさえも、幾らかは慎重な振る舞いを要求される。
勿論、銃火器で武装したバイオソルジャーならば、数体のグールやゾンビに襲われてもあっさりと返り討ちに出来るが、夜間に用もなく出歩くのは慎むべきであろう。
夕暮れに近い時間帯の街路をギーネの一行も足早に拠点へと急いでいた。
しかし同時に、西ー17地区は野心のあるハンターを惹きつけて止まない土地でもある。
前述の、地下エリアに網の目のように広がっているショッピングモールや工場、倉庫街などには文明崩壊前の商品や工業製品が山のように眠っているといわれている。
地下奥深くのプラント群は今尚、稼動中であり、様々な工業製品や繊維、機械部品などを地下世界の住民であるミュータントたちに提供しているとも囁かれていた。
ミュータントの手による地下帝国が築き上げられ、連中は地上の覇権を狙っている。
そんな荒唐無稽な噂も飛び交うほど、一帯の地下には広大無辺な領域が広がっている。
実はギーネも、お宝目当てに他のハンターたちと組んで地下街へと潜った事があった。
目的は、地下奥深くに眠るとされるマニトー社のバイオプラント。
コートニー最大の地下遺跡であり、ギルドの評価難易度はa-。
だが、その時はギーネや少尉、軍曹。レッドコートの全員が遺跡というものを甘く見ていた。
それまでにゾンビの群れを蹴散らした経験も在ったし、地図のデータは無かったが厳重に装備を整えていた。ゾンビやグールなど何体いても負けるとも思わなかったのだ。
暗視装置付きバイザーとバトルアーマー、ストッピングパワーに優れた7.62mmの重機銃で武装したバイオソルジャーの2個分隊は、しかし、地下道の彼方から押し寄せてくる無数とも思えるグールやゾンビに襲撃されて抗う術もなく敗走する羽目に陥った。
押し寄せる漆黒の波を前にしては、ゾンビの大群に飲み込まれた他のハンター達が貪り食われている合い間に、命辛々に地上へと逃げ帰るのが精一杯だったのだ。
壊乱した戦線を放棄しての撤退戦で一人の欠員も出さなかったのは、ギーネや少尉が卓越した状況判断能力や戦術指揮能力を発揮したことを示していたが、同時に手榴弾や弾薬を悉く使い果たし、最後には装備を遺棄して逃げ帰ってきた探索自体は、結果としてみれば赤字で終わった大失敗であった。
ともあれ、そんな危険な土地ではあるが、ギーネは西ー17地区を気に入って根城としている。
拠点としている建物の状態は悪くないし、なんと言っても家賃がただなのだ。
ビル一階のフロアでは、先に本部に直帰したレッドコートの面々が寛いでいた。
ソファに腰掛けているレッドコートの膝の上。子供程度の体格をしたお手伝いロボットが腰掛けて、絵本を読んでいた。
「なさけはむよう!ふぁいあー!そういってくろきしは……」
機械音声を出して絵本を読み上げていたロボットが何かに気づいて顔を上げると『妹』の身体を布で磨いていたレッドコートが尋ねた。
「どうしたジーア」
「ごしゅじんがかえってきたぞ!」
ギーネたち一行が本拠地に戻ると、扉の前に立っていたアンドロイドの門番二体が主人の姿を認めて敬礼する。
人間の女性に近い体型の門番アンドロイドに、足を止めたギーネが言葉を掛けた。
「ミース、レト。かなり良質のバイオマテリアルが手に入った。近いうちに肉のある身体に移してやれると思う」
二体のアンドロイドの脳殻には、ギーネが培養した人工蛋白質の生体頭脳が収められている。
「本当ですか!」
「それは……吉報ですね」
天然樹脂製の顔に満面の笑みを浮かべる手前のアンドロイドに対して、奥のアンドロイドは何やら口ごもっている。
「ん、なんだ?レトはあまり嬉しくなさそうだな」
「いえ……ただ、この身体にも愛着が湧いていたもので」
腕を組んでギーネは肯いた。
「お前たちの姉も皆、その身体を使っていた。
古着のようなものだ。お前の妹たちもいずれ使うだろう」
ギーネがアンドロイドたちと話し込んでいると、建物の奥から子供程度の背丈の手伝いロボットが駆けてきた。
「おかえり!ご主人!」
手伝いロボットに尻尾のアタッチメントが付属していたら、きっと全力で振ったに違いない。
手伝いロボットは、強化プラスチックの部品も多くてかなり軽量に抑えられている。
飛びついてきた小型ロボットを抱き上げると、ギーネは顔を綻ばせた。
「ただいま、ジーア。実はね、この二人に肉の身体を与えてやれそうなんだ」
「それはいいな!」
ギーネは、初めに小型の手伝いロボットを入れ物にして教育を施し、次いで中型の警備ロボット。そして人とほぼ同じ動作を可能とするアンドロイドと段階を経て順次換装し、忠実な部下となるレッドコートの情緒を育成している。
「ああ、だから順番で、次はお前がアンドロイドになる番だね。ジーア」
「ほんとーか!ごしゅじん!ついにジーアも、あんどろいどか!」
生まれて三年になるジーアの無邪気な返答に、ギーネも笑顔を浮かべる。
レッドコートに幾ら手間隙を掛けて育成しようとも、惜しくなかった。
己の手で生み出し、手塩に掛けて育てたバイオソルジャーたちの成長と幸福は、彼女にとって大いなる喜びであるからだ。ギーネは優しい声でジーアに訊ねた。
「もうじき、自由に動けるようになる。そうしたら、何をしたい?」
くわあっとジーアが目を見開いた。
「忌々しい共和主義者とアカの蛆虫共をぶっ殺します!サー!王党派万歳!」
「……ひい!」
ギーネ・アルテミスが小水を洩ら……もとい、どこか憔悴した背中を煤けさせながら、自室へと引き上げていくと、レッドコートの面々も思い思いにフロアに散っていった。
最低限の訓練プログラムを除けば、次の仕事までは何をしようとも基本的に当人の自由である為、娯楽を頼んだり休養している者もいれば、訓練に励む者たち、間食や読書を楽しんでいる者もいる。
アーネイ少尉とヴァイオレット軍曹の二人は、椅子に深く腰掛けながら語り合っていた。
軍曹の見た目の数倍はある体重を支えかねて、高級なソファが激しく軋んだ。
琥珀色をした天然のブランデーの豊潤な香りを楽しみながら、少尉が口を開く。
「ヴァルカンの話。どう思う?」
「アーネイは?」
アーネイ少尉とヴァイオレット軍曹は、プライベートの時間帯では互いを名前で呼び合っていた。
「ああは言ったが、お嬢さまの勘は馬鹿にならない」
少尉の言葉に軍曹は頬杖をついて微笑んだ。
「ヴァルカンとやりあう可能性は高いと踏んでいるようだな?アーネイ。
わたし自身は、勘などという曖昧な概念を判断の基準にはしたくない。
……が、嫌な予感に限れば、マスターの勘が理不尽なほど適中するのも確かだ」
「適中するとしても不確定の要素は取り入れないか。お前らしい」
「それにしても、マスター。逆に『今日は何かいい事が起こるような気がする』とか言っても、全くといっていいほど当たらないのは何故だろうな……何を泣いている?アーネイ」
「お嬢さまが余りに不憫で……ちょっと」
気を取り直した軍曹が椅子に掛け直した。
「まあ、何だかんだ言っても、元はたかがC級首。
これまでにも幾人も狩っている。負けるとは思わんよ」
「油断は禁物だぞ。町を押さえているとなると地の利は向こうにある」
アーネイ少尉が鋭い眼差しで油断を諌めた。
「自信がないのか?」
にやりと笑った金髪の軍曹の質問に、赤毛の少尉は苦い顔をする。
「……B級首ともなればな。慎重にもなるさ」
ブランデーを呷った少尉は首を振るう。
「B級首、C級首は誰をとっても、ハンターやソルジャーを何人も返り討ちにしている」
難しい顔をしたまま、手元のブランデーにロック・アイスを投入しながら言葉を続けた。
「どいつもこいつも凄腕か、大勢の手下に囲まれた上での高賞金だ。
ヴァルカンは単独で3000。相当の腕に違いないぞ」
ヴァイオレット軍曹はむしろ戦いを待ち侘びるかのように、楽しげに微笑んだ。
「別に今すぐ戦わなくてはならない必要もあるまい」
首を傾げた軍曹は、そうまで不安なら先延ばしにして戦力の拡充を待つのも手だと考える。
年内には、六名編成の三個分隊が完全充足する。
来年まで待てば、七名編成。それとも四個分隊に再編するのか。
いずれにしてもレッドコートの装備や練度もかなり向上しているし、戦術においても進歩を遂げている。時の女神は、彼女たちに味方しているのだ。
基本的に兵器というものは、高度になればるほど、維持するのにも相応の設備や技術を必要としている。
現在のティアマットに第二次世界大戦レベルの兵器が氾濫しているのは、製造可能なインフラが現存しているのと、ゾンビやミュータントなど大方の怪物や生物兵器に対抗するのに充分の性能を持っていることが理由としては大きい。
しかし一方で、大破壊前のインフラを維持する一握りの都市や軍隊は、恐ろしく高度な兵器を所有していることもあった。
また、複数の次元ゲートや宇宙港が存在しているティアマトでは、異次元世界や外宇宙の奇想天外な兵器がもたらされることもある。
バイオドロイドも存在していたかつてのティアマットではあるが、レッドコートに限ればギーネ独自の技術やアルトリウス帝国の生体工学が大いに使われていたし、地形の険しい星などで重宝される多脚戦車や人型機動歩兵、人型戦車なども『外』の産物である事が多い。
勿論、何事にも例外はある。一定の技術水準を超えて、恐ろしく自動化が進められた文明の産物などになれば、例えばたった一人のマスターが自動惑星を支配しているなどということもあった。
だが、軍曹にはそれほどの不安はなかった。
よほど重装甲のMBT(主力戦車)が対人戦闘換装を装備でもしてない限り、レッドコートならば現有装備で充分に撃破可能であると踏んでいるし、部下の練度にも不安はない。
技術先進国のAPCであればいくらかは苦戦するかもしれないが、まさかティアマトの科学水準を大幅に超えてレーザー砲やブラスター、装甲再生能力を備えている訳もあるまい。
そんな装甲車持ちの犯罪者であれば、C級賞金首で留まっている訳がない。
そしてよほどに進んだ技術であっても、APCなら破壊する自信が軍曹にはあった。
むしろ兵器の技術水準自体よりも、装甲車に歩兵と上手く連携を取られるほうがよほど厄介だと危惧している。
「ヴァルカンがよほどに強力な強化人間なり、星間国家級のテクノロジーで創られた装甲車でも所持してなければ、負けはせんよ」
気軽に言い切った軍曹に少尉が頷きかけた時、強化ガラスと鉄格子を組み込んだビルの正面扉が何者かにノックされた。
「……む、なんだ?」
「来客か?」
ビル8Fの自室へと引き上げたギーネの表情は、やや小水、もとい憔悴していた。
壁には『鬼畜米英』『神州不滅』と日本語で書かれた掛け軸が飾られている。
ちなみにギーネの祖先は北欧系であり、書かれた文字の意味はよく分かっていない。
自慢のコレクションを眺めていると、なんとなく日本文化の真髄に触れているようで、ささくれ立った心が少しだけ穏やかになってくるように思えた。
部屋の奥に置かれた金庫を開けると、ギルドクレジットの札束や次元管理局発行のレンドル紙幣、大陸中央銀行のオーガン紙幣。アルトリウス帝国の帝国ポンドに、刻印が押された黄金のインゴットが幾つか詰まれている。
ちなみに生体式自律人形ほどではないが、駆動するロボットはそれなりに高価である。
ギーネは現金の他にも、貴金属のインゴットや宝石、証券。そしてロボットの形に変えて財産を保持している。
ティアマットでは、黄金などと同じく、ロボットや工業製品、マザーマシンなどが何処の町に行こうとも値崩れせずに高く売れる。
そういった嵩張る戦利品は、宝物庫ではなく地下の一角に保管されていた。
札束を金庫に無造作に閉まってから金庫を閉じると、ギーネはソファーに座り込んだ。
地下もそろそろ整理しないと……確かにメカニックがいると便利だが。
疲れた表情をしたまま暫らく口を半開きして天井を見上げていたが、億劫そうに立ち上がると、もそもそと服を脱ぎ捨てて下着姿になった。
水道から温水を出して濡れたパンツを脱ぐと、お尻丸出しで洗面器で洗い始める。
下着姿のまま洗い終わって紐に干すと、真新しいパンツを取り出して穿く。
外では、ゾンビの遠吠えがしていた。
旧市街では、夜になると地下街や暗い死角から危険な生物が彷徨いでてくるのだ。
唸り声や吼え声に混じって、恐怖を孕んだ絶叫が聞こえた。
無用心にも夜に出歩いていた何処かの間抜けが、襲われているらしい。
ギーネは薄く嘲り笑った。
ギーネ自身は、己の身の安全を確信していた。
バイオソルジャー三個分隊と五体の戦闘ロボットがこのビルを守っているのだ。
無敵のレッドコートに囲まれたこの身は、例え何が起ころうと傷つくことはない。
無論、用心は重ねている。近隣の地下道の入り口には、単純な思考ルーチンしか持たないが、それ故けしてさぼることも油断する事もない武装ロボットを配しており、ビルの周辺にも死角をカバーしあうように見通しのいい場所に監視カメラが七台設置されてる。
例えミュータントの大群に襲われようと、充分に撃退できるだけの備えがビルには施されていたし、万が一に備えて地下のガレージには常に動ける車が待機しており、複数の脱出経路も用意されている。
難攻不落とまでは言わないまでも、生半な兵力では攻め落とすことは出来ないのだ。
下着姿のまま、ギーネはベッドに腰掛けてテレビをつける。
画面に移ったのは、彼女の好きな侍を主役とした時代劇。
ギーネの寝る前の楽しみである。
丁度、天井裏に敵の忍者が潜んで侍たちの会話を盗み聞きするシーンであった。
突然、槍を手に取った侍の片方が、天井に槍を突き刺す。と、血が滴ってきた。
「ふ……鼠め。逃げたか」
テレビ画面の中で侍がにやりと笑う。
何も考えたくないギーネは、頭を空っぽにして時代劇を眺め続けていた。
色々と考えるのがひどく億劫な気分であった。
「格好いいな、侍」
呟いたギーネの身体の奥底で、実は自分の先祖がこうだったらいいなと常日頃から空想している戦国時代の侍の血が熱く滾ったような気がしないでもなかった。
「ううむ、私に流れる侍の血が熱く滾ってきたぞ」
建国時のアルトリウス帝国には日本人もいたそうだし、本人は多分、先祖に侍がいたに違いないと思い込んでいるギーネだが、残念ながら地球は北欧の二足歩行するカバが徘徊する魔境出身の彼女の家系に日本人の血は一滴たりとも流れていない。
「この部屋で忍者が覗くんだったら、あそこの換気口だろうな」
SAMURAIになりきって馬鹿馬鹿しくも無邪気な空想を楽しんでいたギーネだが、遂に我慢できなくなった。
素早く立ち上がると、壁に立てかけてある日本製の十文字槍をそっと手に取った。
軍曹が持つ全特殊合金製の恐ろしく重たいそれとは違い、人でも使える軽さに調節されたそれは、ギーネがまだアルトリウス帝国にいた時分、地球(の方角)からやってきたという怪しげな行商人から購入した掘り出し物の戦国時代の日本の槍であった。
made in hong kongと刀匠の名前が刻印された槍を手に、いい買い物をしたと今でもギーネは信じている。
槍を手に持ったギーネは、重さを確かめながらすっと構えた。
ギーネは確かに遺伝子調整しているものの、不老処置が主であり、筋力は強化していない。
あまりに反応速度や筋力を上げると、日常の作業に不便なのだ。
とはいえ、別に運動神経が悪いわけでも、肉体面の苦痛や死に対して過剰に臆病なわけでもない。
かつてハンター稼業を始めた頃には、自分でも銃を取って戦っていたのである。
ギーネは突然、天井に槍を突き刺してみた。
「鼠、出てこい」
時代劇の真似をして格好をつけながら低い声で言ってみる。
心の赴くままに生きる女である。後でアーネイ少尉に怒られようが知ったことではない。
と、天井版から本当に猫耳が転がり落ちてきた。
「……ひぃいい、本当に凄腕ニャ!殺さないで欲しいニャアアア!」
おお!なんたることか!
槍で突ついた天井から猫耳生やしたミュータントが転がり落ちてこようとは!
宇宙を創造した聖なるスパゲッティモンスターですらご存知ないであろう!
衝撃を受けたギーネの真新しいショーツがまたしても湿ったが、ちょっとだけである。
本当である。
粗相は僅かであるし、吸水作用があるので外見的には分からずに大事には至らなかった。
(びっくりした。凄くびっくりした)
動悸の収まらないギーネの部屋の前では、レッドコートの装甲歩兵が二名。常に待機している。
部下を呼ぼうとするも、余りの驚愕にギーネの声帯は凍りついて動かない。
身体までが麻痺したかのようだった。が、扉の外から叫び声がした。
「総帥!何事ですか!」
忠誠心が(過剰に)溢れる部下たちに見つかれば、ネコミミは殺されてしまうかもしれない。
「なっ、なんでもない、転んじゃっただけだ!」
やっとギーネが辛うじて声を絞り出した。
レッドコートたちの間で体内無線が飛び交った。
《転んじゃっただけだって!転んじゃっただけだって!》
《どじっ子萌え》
《この前も目の前でこてんって転んで、ひああって言いながら涙目でぶつけたところ抑えていた!》
いきなり床にダイブしたネコミミにギーネが困惑した眼差しを向けてみると、神経質に耳を痙攣させながらお腹を丸出しにして転がっている。
「ごめんなさいニャ!秘蔵のマグロ缶差し上げますから!土下座しますから!
命だけはご勘弁ニャアアア!」
恥ずかしい格好なのか、羞恥に頬を染めながら、おずおずとした目付きで上目遣いで槍を手に仁王立ちするレッドコート総帥を見上げていた。
ネコミミは思った。怒っているニャ。無理もないニャ。
話を聞いて貰うためとは言え、部屋に無断に忍び込んだのだ。
これから自分はどうなるのか。命を狙ったと誤解されても無理はないのだ。
「……お願いニャ。話を聞いて欲しいニャ」
それでもネコミミは懇願する。自分の命のためではない。町のみんなの為であった。
ネコミミの顔には、黒のマジックで極太の眉毛がかかれている。ちなみに油性である。
「……なんだ、その顔は?ふざけてるのか?」
イラッとした様子を隠さずに、ギーネが片眉を上げた。
部屋の姿見を確認したネコミミは、なさけ無さそうな顔になって説明する。
「正面から訪ねたら、レッドコートの歩兵たちに捕まってやられたにゃー。
尻尾捕まれてにゃーにゃー泣いてみろって虐められて追い返されたんにゃよ」
兎に角にも、ギーネの寛恕を得ることができれば、何とかなる。
そう信じるネコミミは、シャツとズボンを捲って、さらにお腹を剥き出しにしながら許しを請うた。
猫族の遺伝子に伝わる降伏のポーズであった。
「記憶にはないニャいけど、どうもあちしは司令官に失礼をしたみたいニャ。
謝るにゃー。許して欲しいにゃー」
窓から外を眺めたギーネは、どうでも良さそうに関係ないことを話し出した。
「私の部屋は八階。よく忍び込めたものだな。
もう夜だ。ミュータントやグールも彷徨っているだろうに」
「ああ。あんな連中引っ掻いて、蹴っ飛ばして、丸めてポイだったにゃ!」
ギーネは鋭い眼差しをネコミミに向けた。
銀髪の麗人がやると様になっており、確かに凄腕の一流ハンターにも見える。
息を飲んだネコミミを見つめながら、ギーネは沈思黙考していた。
こいつはもしかして、もしかしなくても結構強いのだろうか。
そういえば、私をあっさりと取り押さえたし。
一対一で交渉するのは危険かも知れん。だが、それも面白いな。
遊びにしては危険だと承知しているが、実はギーネもけして弱いわけではない。
駆け出しハンターであった時代には、自分でも自動小銃を持ってバンデットやミュータントとやりあったものである。
「で、何が目的だ?」
訊ねたギーネをネコミミが見上げる。
「あ、あなた……(の力)が欲しいですニャ!」わあ、大胆な発言。
「へ、変態だー!出会え!者共!出会えー!」
「なぜにー!?」
君主の叫びに二名のレッドコートが即座に反応して部屋に飛び込んできた。
見慣れぬネコミミの女を見つけるや、即座に飛び掛って曲者を床へと取り押さえる。
二名のレッドコートは、素早く不審者を制圧。拘束する。見事な手際だった。
「ご無事ですか?総帥」
言いながらギーネに向き直るや、主人の下着姿を目にして一瞬、硬直。
やおら、腰からカメラを取り出してフラッシュを焚き始めた。
ギーネの護衛を務める際、レッドコートは常にカメラを携帯しているのだ。
ビルの屋上。埃っぽい風が吹き荒ぶ満月の夜であった。
ねこみみはロープで厳重に縛られて、クレーンで逆さまに吊り上げられていた。
クレーンには、ドイツ語で『今週の標語・労働は諸君を自由にする』と書かれている。
「あ、あたまに血が昇るにゃー」
「黙ってろ。これから尋問されるのだ」
ロープにナイフを突きつけている軍曹が怖い顔で言った。
ロープを切れば、ネコミミはそのまま地上へと真っ逆さまである。夜が深まると共に、真下の大通りでは、どこからか彷徨い出たグールやゾンビが数を増して呻き声を上げている。
下着姿のネコミミの腹には、今度は4WDとでかでかと油性マジックで書かれていた。
「うう、屈辱ニャ!ひどいニャ!四足歩行者への差別的表現には断固として抗議するニャ」
「夜這いに来られても貴女の気持ちには応えられない。他に用がないなら、大人しく帰ってください」
色々あってびっくりしすぎたギーネは、衝撃に上手く頭が働かない。
及び腰のまま、思わず敬語になってごめんなさいの返事を告げた。
「夜這い違うニャ!あちしにもその趣味はないニャ!」
「そうか、よかった」
ホッとしたギーネに、ネコミミが余計な一言を付け加える。
「でも、下の階ではあっちこっちで女同士が絡み合って凄い事していたニャ。なので司令官もそれ系かと思ったニャ」
「言うな。言わないでください」
《ご主人!淫夢にまで見たご主人の下着姿!》
《夜のおかずゲットであります!》
《念願のご主人の下着ブロマイドを手に入れたぞ!》
《⇒殺してでも奪いと……》
何やら言い合っているレッドコートたちを一瞥したギーネは、頭を抱えながら呻いた。
「……気づかないようにしていたのに。最近、部下たちの視線が恐いのに」
「なんか大変ニャねー」
なにやら深刻に貞操に危機感を覚えている麗人を目にして、ネコミミが同情の眼差しを向けた。
屋上の隅で正座させられていた二名のレッドコートが、抗議の声を上げる。
「ご主人。こいつはアカの手先の工作員に違いありません。処刑しましょう」
「事実無根の誹謗中傷を流して我々を仲違いさせる為の卑劣な罠です。どうか信じないで」
「……少し黙ってなさい。お前たち」
「で何故、我々のところにきたのだ?」
このままでは話が進まないと見て取って、少尉が口を挟んだ。
鋭い視線を向けるとネコミミがポツリポツリと事情を話はじめた。
「ギルドマスターに、士爵さまが凄腕のハンターだと聞いたニャ」
「……ほう」
ギーネが顔を上げた。
「この町でもトップに近い腕利きハンターチームを率いているって言ってたニャ」
「ほう、あの禿。見る目がある。本能的に長生きするタイプだな」
傲慢な物言いのギーネではあるが、本質的に賞賛されるのに慣れていないボッチである。
口の端が嬉しそうに緩んでいる。
「他にも何組かいるけど、このギルドならレッドコートが間違いないって勧められたニャ。
で、正面から訊ねたけど、兵士たちに捕まって門前払いにされたニャ」
「で、わたしに助けて欲しいわけか」
顎に手を当てたギーネが、呟くようにして声に出した。
「いかがしますか?」
少尉のなにやら言いたげな眼差しを無視し、ギーネはネコミミをじっと見つめる。
「ヴァルカン、か。私に、あの男と戦えというのだな?あの恐ろしい男と」
猫耳娘の喉がからからに乾燥していく。
ギーネ・アルテミスの視線は凄まじい重圧を感じさせた。
ネコミミの頭が真っ白になる。それでも口は動いた。
「……はい」
「お前は、私に対してなにが出来る?」
「お、お金なら……」
「金ではない。お前だ。お前自身の意志と覚悟を問うている」
ギーネの物言いの意外さに、ネコミミは絶句し、口ごもった。
「故郷を追われる気持ちは、分からんでもない。
だが、お前は生きている。それにまだ若い。
何処ででも生きていけるだろう。町を捨てて、自由に生きてもよいのではないか?」
それは或いは亡命貴族のギーネ・アルテミスが自分に対して抱いていた問いかけだったのかも知れない。
ネコミミは口を開いた。
「わたしは……わたしはどうなっても構いませんニャ」
「こんなミュータントの化け物のあちしだけど、可愛がってくれた人もいたニャ。
でも、連中に殺されてしまったニャ。可能ならあちしの手で仇を討ちたいニャ。
だけど、あちしじゃ、ヴァルカンには到底かなわないニャ」
ネコミミの言葉に、静かに耳を傾けているギーネとレッドコートの面々。
「お願いですニャ。ギーネ・アルテミス士爵。どうか、あちしとソレトの町を救って欲しいニャ。助けてください」
しばし沈黙していたギーネが、曇った夜天を仰いでから深々と溜息を洩らした。
……おや?お嬢さまの様子が?
少尉が僅かに目を細めた。
ギーネが部下たちの方に向き直った。矢継ぎ早に号令を下していく。
「……アーネイ」
「はっ!」
「朝一番に、ギルドに行ってヴァルカンについて調べよ」
「はっ。しかし、万が一ギルドにデーターがない場合、いかがしますか?
他のギルドや商会の情報を利用した場合は手数料が掛かりますが……」
「構わぬ。ヴァルカンの過去のデーター。戦い方。性格。武装。なんでもだ。
奴と戦ったハンターで生き残っている者がいるなら、話も聞きたい。
出来るだけ詳細に調べておけ。それとソレトの地形や構造、人口や産業のデーターもだ」
「はっ」
敬礼した少尉に肯くと、ギーネはついで軍曹に視線を移した。
「ヴァイオレットは、対装甲戦闘用の装備を調達し、隊員たちの武装を整えておけ」
「アイアイサー。ヴァルカンと戦うのですか?」
敬礼した軍曹が、首を傾げて質問を挟んだ。
「ヴァルカンに限らず、この退廃した惑星で生きていれば、装甲車持ちや戦車持ちの名うての悪漢と何時、あいまみえないとも限らない。
ヴァルカンと戦うにしろ、戦わないにしろ、念を入れていくに越したことはあるまい」
「武器弾薬にも消費期限はありますが……承りました、ユア・ハイネス」
にやりと笑った軍曹。
部下たちが散っていく。
「遠征の準備だね」
「タイヤが必要かな。燃料も」
「随分と楽しそうだな。ヴァイオレット」
大股に歩き出した軍曹に少尉が話しかけた。
「久方ぶりに滾る。少しは手ごたえがあるといいがな」
「……放してやれ」
ギーネがネコミミの方へと顎をしゃくる。
レッドコートの歩兵が一人、ナイフを取り出してネコミミの縄を解いた。
「幾らミュータントとは言え逆さづりは応えるにゃー……ああ、ひどい眼にあったニャよ」
身体を動かしたネコミミが、立ち上がってギーネ・アルテミスを見つめた。
「……助けてくれるニャね?」
「約束は出来ん……が、考えておこう」
「今はそれでいいニャ。駄目でも怨みはしないニャ」
ふっと笑ったネコミミが、屋上の縁に足を掛けた。
「夜の西地区は危険だ。泊まって行くか?」
「ゾンビ程度に負けやしないニャ。あんな連中なんかイチコロにゃよ」
「好きにしろ」
ギーネも穏やかに笑った。
ネコミミは最後に一度だけ頭を下げると屋上から屋上へ、飛び跳ねながら去っていった。
ギーネが踵を返した途端、大通りの方から叫び声が聞こえてきた。
「ぎにゃあああ!大群ニャ!こんな数のゾンビ!とても手に負えないニャ!猫キック!猫キック!いたた尻尾引っ張るな!痛い!いたい!噛まないで!あちしは美味しくないニャ!猫を食べたらカルマがマイナスされて地獄におち……ギニャアアアアーーーー!」
断末魔の鳴き声が途絶えた。暫く立ち止まっていたギーネが口を開いた。
「……フィーア伍長」
「はっ」
ギーネの声にフィーア伍長が進み出た。
「行って助けてやれ」
誰をとは言わなかったし、聞かなかった。
「アイサー。第二、第三分隊。行くぞ」
普段は四、五匹がうろついているだけの夜の市街地だが、一体何処から湧き出してきたのか。街路を埋め尽くしているゾンビの黒い影は、百や二百では効かなかった。
時たま閉鎖地域や地下道から溢れ出してくることがあるにしても、此れほどの数は異常である。
「……一体何が起こった」
戸惑っているフィーネの足元。
町にやってきたネコミミが香水だと思い込んで市場で買い込み、交渉前に身につけたフェロモンの瓶が転がっていた。
蠱惑のフェロモン。これで交渉相手も貴女の魅力にイチコロ。
ただし天然人間系フェロモンを使用している為、ゾンビを誘きよせる可能性があります。
ご使用の際は安全な場所かどうかの確認を怠らないでください。傘公司 と注意書きが書かれている。
購入者の三割が一ヶ月以内にゾンビによって殺害された為、急遽、回収された傘公司の欠陥商品であった。
「レッドコート!前進!」
動体目標とは言え、相手は鈍重なゾンビ。
この程度であれば、銃火をばら撒いて制圧する必要もなかった。
レッドコートの面々は、群がるゾンビを正確無比な狙撃で片端から始末しながら街路を制圧。哀れなネコミミと、家の壁がぶっ壊されて食われる寸前だった隣の一家を回収した。
最終的に447発の銃弾を消費し、445匹のゾンビを破壊。使用した弾数とほぼ同数のゾンビを始末したのはバイオソルジャーの射撃の精度を示しているといえるだろう。
中には、ランニングゾンビや知性を持つグールもいたにも拘らず、戦闘は終始一方的な展開で幕を閉じた。
為す術もなくゾンビの大群に飲み込まれてあえない最後を遂げた猫耳であるが、命だけは助かった。
眼球が抉れ、腸が飛び出し、腕や胸を大きく齧られて、うーうー言いながらギーネに噛み付こうと手術台で暴れるネコミミに、人工心臓を三つも取り付けてゾンビウィルスを排除しながら、脳と臓器に血液を廻し、破損した臓器や筋肉を再生レーザーとナノジェルで治療。
脳みそにまで入り込んだウィルスをナノマシンで除去しつつ、暴走を抑える薬を投与。
レッドコートに救出された時にはすでに死亡していたものの、早い段階でギーネの手による治療を受けたことが幸いして完全なゾンビ化はせずに蘇生。大事には至らなかった。
「電気ショック!さあ蘇るのだ!」
「ギニャアアア!」
早朝の手術室。徹夜して腫れぼったい眼をしばしばさせているギーネに、蘇ったばかりのネコミミがおずおずと謝った。
「うう、面目ない」
「……本当にな」
あらぶるギーネがひどく冷たい声音で吐き捨てると、ネコミミは降伏のポーズをとったまま涙目で謝罪したのだった。
いろいろと酷い
だがまだ続く
初出 2013/07/01