五章四節 - 月白龍神
辰海はため息をついて、その場に腰を落ち着けた。あきらめたわけではないが、少し休みたい。
辰海は懐から笛を取り出した。禊のせいでかじかむ指を律し、息を吹き込む。
龍神を称える曲を吹こうとは思わなかった。その代わり、目を閉じて与羽を思い浮かべる。強くて、無愛想で、でも実はとてもやさしくて、少しさびしがりやな与羽。
どれくらい、そうやって笛を吹き続けていただろうか。辰海はふと人の気配を感じた。大斗が見つけてくれたのか、それともただの幻か。
――どうせ幻を見るんなら、与羽に会いたい。
そう思って目を開けた辰海が見たのは、大斗でもなく、与羽でもなく――。
まず見えたのは、長い白の髪と白い頬に伝う涙。辰海の笛にそれほど感動したのだろうか。しかし、辰海はすぐに違うと思った。
彼の頭に生えた、鹿のような金色の角を見た瞬間、ぼんやりとした頭にはっきりと一つの神話が浮かぶ。
笛の音が途絶えたからだろう、閉じていた目を開けて辰海に向けた瞳は緋い。
辰海は彼が何者か悟った。
四月龍。
月白龍神。
月主。
呼び名は様々あるが、どれも同じ龍神をさす。龍神伝説では悪神と語られる神。しかし、のちに改心し、悔恨の涙を流し続けているという。
「あ……」
「黙れ」
何か言いかけた辰海を、彼は冷い声でさえぎる。
「これは幻だ。俺の名を呼べば、この幻は消える。お前を外へ案内しよう。美しい笛の音の礼だ」
そう言って、彼はきびすを返した。