五章一節 - 聖域
与羽は響き渡る音に耳を傾けながら、力いっぱい鐘を叩いた。まだ町中では皆が戦っている。戦いの終了を告げなくてはならない。ちゃんと、皆に聞こえるように――。
磨きぬかれた金色の鐘は、高く澄んだ音を天駆中に響かせる。
与羽たちは安全に聖域へ入っていた。人を見ることはあっても、相手に気付かれないよううまく隠れ、空が示すままに山を抜けたのだ。
「このあたりはもう聖域ですね」と空が言った時にはなんと拍子抜けしたことか。
安全に聖域へ入れたのも、陽動をしてくれた希理たちのおかげだ。その感謝も込めて、力いっぱい木槌を振るう。
「もう十分でしょう」
数十回鐘を叩いたところで、隣に控えていた空がそっと与羽の手を押さえた。強く握っていた木槌から、与羽の指をやさしくはがす。
与羽は素直に木槌を手離し、目を閉じた。深く息をつきながら目を開けたのは、鐘の余韻が消えてからだ。
「皆に聞こえたと思う?」
「ええ。国中どこにいても聞こえたでしょう」
空が長い前髪の下でほほえむのが分かった。
今彼らがいるのは、聖地の中でも天駆の屋敷に近い風主神殿。ここで多くの巫女や神官たちが神に祈りをささげているらしい。
与羽はここで正月の舞を行う許しを請うた後、すぐさま聖地の奥へ入り大晦日まで清めの儀式を行わなくてはならない。祈りをささげたり、自分の身を清めたり――。
風主神殿に龍神の血を継ぐ与羽が舞手になることを拒む者はいなかった。
すんなりと整地の奥にある小さな神殿に招かれる。そこで、神官家の人々の手を借りつつ、様々な儀式をこなしていくのだ。
「禊しろって言われてもなぁ……」
与羽はもやの立つ滝壺を見た。
今は霜月――十一月の終わりだ。辺りには薄く雪が積もり、吹く風は禊のために薄着している与羽の肌を容赦なく刺していく。
頬も腕も鳥肌がたち、気を抜くと歯の根が合わなくなりそうだ。
そして、滝壺の水は凍るように冷たいのだろう。
足を踏み出す勇気がわかない。
「大丈夫ですから。早くしてくれないと投げ込みますよ」
本気で投げ込むつもりなのか、ここまでついてきた空が伸ばしてくる手をかいくぐって、与羽はそっとつま先を水につけた。できるだけ水に触れる部分が少ないように――。
「ん?」
与羽は軽く首を傾げて、足首まで水につけた。
水温が予想以上に高い。こんなに寒い日であるにもかかわらず、よくよく見ると水面には全く氷が張っていなかった。
「温かいでしょう?」
空がどこから持ってきたのか長いひしゃくで水をすくい、与羽の肩にかけながら言う。普通なら、水の冷たさに飛び上がるところだが、ぬるま湯程度には温かい。
「天駆には、温泉の湧く場所がたくさんありますからね。この川に流れるのも上流で湧いた温泉です。源泉は熱すぎますが、寒い時期はこのあたりでちょうどいい湯加減になるのです」
空はにっこりほほえんだ。




