三章四節 - 作戦開始
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扇状地の下は水が得やすく、生活に適す。龍頭天駆でも、多くの人がその扇端部に住んでいた。
しかし、彼らは商人や職人などのそれほど身分が高くない人たち。もともと内乱に加担しておらず、巻き込まれるのを避けて他の地域に住む知り合いのところへ逃げたり、希理の手助けで離れたところへ避難した者も多い。
そんな扇端部のひっそりとした通りを、三人は闇にまぎれて馬を駆っていた。先頭が希理。最後が大斗。
黒い着物を頭からかぶり、顔を隠した辰海は間に挟まれ、いかにも大事そうな中州の姫君を演じている。
正直、この役はやりたくなかった。しかし、三人の中で一番背が低く華奢な体型なのが辰海だったのだ。
それに、「あんたならできるよ」とやさしく与羽に言われては、断るものも断れない。
時間が晩いこともあり、誰とも会わずに扇端部の町を抜ける。
その先、扇央は下の方が畑、その上――さらに水が得にくい場所は草山になっている。春にはここに生えた草を刈り取って、田畑の肥料にし、秋には乾燥させて家畜の飼料にするのだ。
ここに暮らすものはいない。水を得るための下男を雇える裕福な人々は、さらに聖地に近い扇状地の上部で暮らしている。
この上と下に分かれた町が、平民と役人の貧富の差をはっきりと表していた。町の中に最上位の武官が営む鍛冶屋や八百屋がある中州とは大違いだ。
辰海は少しだけ目線をあげて、扇頂部を見た。問題はここからだ。
草山に木はない。生えないようにちゃんと手入れされている。隠れる場所はなく、扇状地の頂から丸見えだった。
今夜は月がまだ昇っていない上に雲が多かったが、蹄の音まで隠すことはできない。
向かう先には松明らしき赤い炎がいくつか見え隠れしていた。それが中州の姫君を守ろうと巡回する人々なのか、その逆の目的を持つ人々なのかは分からないが……。
しかし、先頭を行く希理はためらいなく、ゆるやかな斜面を駆けあがっていく。彼らの目的は陽動だ。陽動が隠れてしまっては意味がない。
できるだけ人の注意をひきつけ、与羽たちが安全に聖地へ入れるようにしなくてはならない。
そして、三人は見つかった。
「誰だ!?」
叫んで駆けてくる者がいる。その声を聞きつけてか、他にもいくつか火が近づいてきた。
辰海たちは火を持っておらず、向こうからは見えにくいはずだ。その一方、こちらから向こうは、松明の炎でよく分かる。
「天駆領主、希理だ」
律儀に希理が名乗ると、その火がぴたりと止まった。
「希理様ですか! それでは、後ろは中州の姫君!?」
最初に叫んだ声が尋ねた。他の人々は、周りの者と何か言葉を交わしている。
「そうだ」
希理が馬の足を止めて堂々とうなずく。
辰海はできるだけ身を小さくし、控えめな女性を演じた。こういう時、与羽ならば、胸を張って名乗りをあげるのだろうが、こちらの方が"姫君"らしい。どうせ相手は与羽がどんな人物なのか知らないのだし。
案の定、希理の答えに辺りの人々が「ほう」と納得したような声をあげた。疑うものはいないようだ。