二章五節 - 再出発
「つまり私に舞えと」
「舞えるだろう?」
「そりゃぁ、舞えますけどね……。天駆に入って、私無事でいられるんですか?」
皮肉っぽい口調で問う。
自己の評判をあげるために争っている人々だ。そこに、その名誉な舞手として与羽が現れたら、彼らは自分たちの利益を脅かすものとして、彼女に危害を加えようとするかもしれない。
「俺たちが守ってやるさ」
希理が太い自分の腕をぽんと叩く。
「お前が聖地に入りさえすれば、こっちのもんだ。聖地は入る者を選ぶが、中州の姫君なら全く問題ないだろう。手伝ってくれるよな?」
「そうするしかないもんな……」
与羽はあいかわらず不機嫌な様子だったが、しぶしぶそう言った。これからも天駆と良い関係を保つために、できる限りの協力はするべきだ。
それに、ここで与羽が舞い手として名乗りをあげなければ、天駆の内乱は当分続くだろう。中州のためにも天駆のためにもここはうなずいておいた方が良い。
「助かる」
希理は与羽の打算を知ってか知らずか、やさしくほほえんだ。
「では、急いで天駆に戻ろうか。ここは開けすぎている。どこに人の目があるか、わからないのでな」
希理の合図に、空はおもむろに馬を進めてきた。与羽と舞行の乗る馬の隣まで来ると、腕を伸ばして与羽を軽々と抱えあげ、自分の前に横座りさせる。
「急ぎますので、彼女はわたしが乗せましょう」
舞行の老体を慮ってのことだそうだ。
「気が利くのぉ」と舞行は感心していたが、与羽はさらにむすっとする。
少し攻撃してやろうと、「あんた、私が馬乗れんの見て、馬鹿にして笑ったでしょ」と確信的に言ってやったが、「申し訳ありません。人形のように愛らしかったので、つい――」と反撃を食らってしまった。
与羽は、不覚にも自分の顔が赤くなるのを感じ、とっさに不機嫌な顔をしてごまかした。
しかし、それでも空は動じない。
「眉間にしわを寄せるのは、かわいくありませんよ、姫」
空はそう言って、与羽の眉間を人差し指を曲げた関節でこすってきた。
「神官でしょ? 気安く女に触っていいの? 汚れが移るかもよ」
与羽はいつの間にか敬語が消えていることに気付いたが、直さなかった。敬語は不要だと言われていたし、彼と話していると敬語の必要性も感じない。
「あなたは我らが信仰する龍神の子孫ですから、むしろ清められる気分ですね」
ああ言えばこう言う。与羽の毒舌を、空はことごとくのらりくらりとかわしていく。
「さて、と。舌戦なら、聖域に入ってしまえば、いくらでもできます」
空が前方にいる希理を見た。早くしろとずっと目でせかしていたのだ。その希理にうなずいてみせる。
「魚目武官、そっちは頼むよ」
大斗が影のように控えている荷馬を引く武官に声をかけているのが聞こえる。
与羽も静かについてきてくれていた自分の女官に声をかけようとしたが、空にさえぎられた。
「しっかり掴まっていてください」
そう言うや否や、声を出す間もなく頭に布をかけられた。与羽がすでに浅くかぶっていた綿入れのさらに上からだ。特殊な髪も目も隠れてしまったため、一目では彼女の正体が見抜かれることはないだろう。
素早く馬を駆りはじめた天駆領主に、他の面々も急いで従った。