↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/1

瞑想1

片隅に映ったのは不安という黒と赤に似た色と形容してもいいような不気味な点だった。

どこでも良いだろう、そこに行く為には何をする必要は無かった。

あるとすればそれは後ろを確認するかどうかだけ。

たくさん会ってきただろう、分かるとも分からないなんだか首を傾けて合図をしたようなサイズ。

塊を握った時にヌチャッとするようではまだまだだなと思わされる。

じゃあそれはなんだ?と言われるとここまで自分はこう侮辱を背負わされているのだなと再確認させられる。

余りを少しずつ数えて少しずつなぞって唇をちぎってその度に血を拭って、うさ耳を転がりながら注文をさせられるというのは様々な要因から関係する左右に展開する製法図の様な、またはアリストテレス哲学がかつて通ったあの十字架や柱から感じられるエネルギーを下世話にも7つの点に集めて勝手に決めつけて自分の元に集めた気になっている事だろう。

頭が痛いと思った時に願い事をする涼しい風を感じて空を見る。

優越を感じながら周りを見ている者共に今日も矢を刺されながら生きていく。

全部が全部そうでは無かっただろうが君と僕の間ではずっとそうだったはずだ。

語りかけているんだ、君に。

全てが適当だと思うなよ、汲み出された言葉はやがて最大を目指して進んでいく。

藪から棒に何をと感じられるかもしれないが全ては一つの場所に繋がっていると言われていた。

そんな訳が無い、ならば僕らが目指しているこの道中は何故こんなに無駄が多いのか。

散々言ってきただろう、答えなんて無いってお前だって俺だって分かっていたんだ。

剣を持とうがペンを持とうが到底俺なんかじゃ世界を変えられない事、どちらも使い手によって強さが変わる事。

頭を抱えながら壁に打ち付けた血をインクにして書き続けるんだ。

それでもどこにも届かない事を夢でも現実でも感じながら。

指先が流れるままに、この先に何が待っているかなんて考える事をせずに。

なんて文にしたためている間はずっとこの先に何かが待っていると期待をせずには居られないのだろう。

そうだ、僕はどっかで何か大逆転があるのではないかとずっと模索している。

だが今はもうやめたおみくじでは必ず努力が必要だと書いてあった。

僕は努力家では無い、寧ろもっと怠惰な存在である。

鉛筆を転がして回答を急ぐ様な真似はしないが鉛筆を転がす事すらしないだろうと例えてみる。

数打ちゃ当たるという言葉は正しいと思っている。

正しいと思っているというか正しいと信じていなきゃやっていられないと言った方が正しいだろう。

数が努力を示すならば神様は頷いてくれているハズだと思う。

自分では分からない、この数は決して適当に積み重ねてきた数では無いのだがどうも身になっているような気がしない。

きっと目に見えないし自分には自身も自信も無いから。

自分の中のこれで良いと言う基準はどこまでいっても少し遠くへ居る。

ハードルを越えようとしているのに少しずつ向こうに行ってしまってはそれが越えられる物なのかどうかすら分からないじゃないか。

なんて文句を言いながら今日も進み続ける。

自分の怠ける心と相談しながらどこまで出来る?どこまでなら無理する事が出来る?と。

向いてない事をやっているのだろうという感覚はどっかにある。

義務教育というのは子供の頃に何が向いているのか確かめる場所だと思う。

僕はまず人付き合いも向いていなかったし、芸術も向いていなかった。

褒められたのは歌くらいだと思う。

それも自分がゲームにハマりすぎたせいで体が衰弱して先生にではなく生徒達に端っこへ追いやられる始末だった。

今でいうドパガキという奴だったんだと思う。

ドーパミンを求めすぎてゲームを何十時間とやりその度に病気になり、家族に迷惑をかけるという事を繰り返していた。

その分を勉強していれば、だから過去に戻らせてくれとは思わない。

自分は過去に戻って努力が出来る程成長はしていない。

きっと過去に戻って何か出来るのであれば今だって何か出来る筈だと思っている。

きっと今、何も成せていない時点でどの時代に行ったとしても何も成せないのだ。

よく異世界転生だなんだとこのサイトでも言われるが僕はどれだけのチート能力を持った所で何も出来ないと思う。

きっと皆人間というものはある程度の環境であればチート能力というものをどこかに抱えて生きているものだと思う。

そしてそれが何かというのをどこかで気付くはずだ。

でも必ず反発をする、俺のような凡人はそうだ。

私は数学を勉強した方が良い事には気付いている。

気付く事が出来たのは家族と仲が良かったからだろう、じゃなければ自分一人では一生気付けなかった。

今となってはIQというのは色んな種類のIQがあり、きっと自分はそれに特化していただけだと思う。

とあるテストが簡単な数学のテストをたくさん解くというものだった。

後日家族づたいで聞いたのが君はそれを大事にした方が良いという当時の担任の先生からの言葉だった。

でも僕はその時はゲームに明け暮れていたし、今となってはなりたいものは芸術系の物だ。

芸術は極めていくと数学的なものだとはいうが僕は全く違うと思う。

昔はずっと絵を描いていたが全く上手くならなかったし、今も音楽というものに挑戦しているが少しずつしか成長していない。

この年月を自分が向いていると言われた数学に向けていたらどうなっていただろうか。

でも僕は過去に戻ってもきっと同じ過ちを繰り返す。

今からでも数学をやればいいだけの話だからだ。

そうずるずると向いてないものを繰り返して今では暗算すら平均より遅いと思う。

素因数分解すら覚えていないし、分数の計算でやっとだろう。

この向いていない芸術でさえ今はどうしたら良いのか路頭に迷っている。

それは向いていないからなのかどうなのか、答えは僕には分からない。

今更話が飛び飛びになったり第一人称がバラバラなのはジャーナリング?(タイトルにあるのは調べたものなのでそれを参照してほしい)によるものなので了承してほしい。

この瞑想の方法は僕には向いているなあと思った。

今まで何度も頭を空っぽにする瞑想を試していたのだが、まあ頭は痛くなるわ風邪は引くわで禅病というのになりやすい身体だった。

その度にイライラしていた、瞑想というのはデメリットが少しスピっぽい印象があるというくらいでメリットが多そうだったからだ。

だからもし、この方法で頭がスッキリするのであればこれからもやっていきたいと思う。

とは意気込むものの数日離れるとこういう事をするのも面倒くさくなったりするものでね。

今ではカフェインもメリットが大々的に書かれていてデメリットが利尿作用による水分不足くらいだが僕はいつかアルコールと同じ扱いになると思う。

元々自分もカフェイン中毒であったが酒を飲んでやめられない人を見て自分も同じようになっていないか?と感じ、やめようとしたその日の夜、頭痛が凄すぎてその頃から絶対駄目だなと思った。

まあ今でも完全にカフェインをやめた訳ではなく、好きな飲み物や食べ物にカフェインが含まれてそうな場合は普通に食している。

その度に変に元気になり、次の日には片頭痛が起きるという悪魔の様な成分だ。

もうちょっとジャーナリングというのはバラバラに文章を起こした方が良いんじゃないか?と自分でも思ったりする訳だがこれも自分が瞑想下手という事で一つ許してほしい。

ましてやこれは人に見せる文章なのか?と疑問が起こりながら書いてる故若干の齟齬は気になったりしながらも削除せずに手を進めている。

何故急にジャーナリングをやろうと思ったかというと(小学生の文字数を稼ぐ書き方みたいになっているが)自分の意識というのは勝手に意識したくないものに向いてしまう、恐らく人間の構造的にそういう事が多々あるとは思うのだがそれをなんとか改善したくて頭の片隅にあった頭に浮かんだ文章を適当に書き続ける瞑想というのがあった事を思い出した。

自分は鉛筆やペンで書くよりもキーボードで入力する方が頭から直接排出しているような感覚があるので打ち込む事で瞑想する事にした。

出来ているのだろうか、頭は空っぽになっているのだろうか。

答えは分からない。

分からなくても良いのだろう、何かに気付く事が瞑想では無いだろうから。

自分の身体のコントロールが得意な人は結局運動神経が良い人だと思う。

結局何をするにも身体を上手く動かす事が必要だし、そこが不器用だと何をやってもあんまり上手くいかないような気もする。

これは経験から来る予想である。

両親がどちらも運動神経が良かったのに自分はめちゃくちゃに運動神経が悪く生まれてきてしまった。

だいたい学校でやらされるものはビリだった。

運動が出来なくて成功している人を見た事が無い。

皆駄目じゃんって言われている人でも多分自分がその学校に居たらビリにはならかったと思う。

そもそも根性が自分には無くて、継続力が全く無い。

前の方でも書いたようにきっとこのジャーナリングはこの一回きりだと思う。

今は初めての事でドーパミンが出ているような気がするが次やる頃にはなんで俺こんな事やってるんだろうと思いながら文字数も少なくそのまま終わっていくのが目に見えている。

音楽を聞きながらドーパミンを放出しつつ瞑想している。

カラカラ空っぽな頭を振って出てくる言葉は稚拙。

いや空っぽになっている事は瞑想している自分にとっては良い事なのか。

多分今はそういう事では無いよとどっかで自分が自分にツッコミを入れてる気がする。

何文字打ったとしても意外に自分は手が痛くならないだなということに少しびっくりしている。

自分はタイピングをメインにした仕事はした事が無いので(というかあるのか分からない)何文字も書いた事は無いが、よく配信を見てコメントをする事がある。

それで培ったものなのだろうか。

何かに活かせればいいが活かせる方法を知らない。

そもそも昨今はAIの発展により私の様な人物はどんどん淘汰されていく思う。

別に淘汰されていくのはいいんだけれどもAIのせいでPCの価格が段々高くなっているのだけは勘弁してほしい。

今は時期が悪いおじさんも無を貫いていると思う。

今はゲームがしたいならクラウドゲーミングなどを利用した方が良いんだろうなと思う。

AIを使う時でさえローカル環境で使うとなれば何十万という金がかかるので絶対やめた方が良い。

別にこれをここまで見てくれている余裕のある貴方、お金があるならばそれは買っても良いと思う。

羨ましい。

時々配信を見ていると自分も配信してみたいなと思ったりはする。

それはそうだ、今自分がこの道を進んでいるのも素晴らしいなと思ったものから影響されたからだ。

今参入するのは遅いおじさんも多々居るが自分はそんな事は無いと思う。

いつ始めたって遅いって事は無いと思うんだ。

ただその始めるっていうのが難しいだけだ。

そこに向かって走っていくのが難しいから仕方なくこっちの道を走るしか無いという事も多々ある訳だ。

かくいう自分も歌を褒められていたし、歌を歌って生計をたてられたら楽しい事をして暮らせたら素晴らしいなと思っていた。

でもその道は走れなくて少しずれた音楽を作るという道を進んでいる。

それはそれでやってみたかった事なのでとても楽しいが、なんとなく人に認められないと続けられないような気分がある。

ゲームや歌は多分人に見られていなくてもやりたい事であると思うし、なんならゲームは一人でやらせてくれなんて時もあるし。

でも音楽は自分一人で奏でるには少し寂しい。

今はDTMといってもPCや大きなスピーカーが必要だったが簡単なものであればスマホとイヤホンだけで出来る。

そういう状況に置かれている私はそれはそれで楽しい。

でもそれは多分本当の楽しいでは無い。

まあ飲み会が楽しいという人は人がいっぱい居たら楽しいだろうからそれはそれで良いだろうが、こと芸術に置いては自分は本当は一人で黙々と進めて、それがとても楽しい人が向いているのだろうなと思う。

人の評価を気にしてやる気が上がったり下がったり、それは本当に楽しいと言えるのだろうか。

造語になってはしまうがSNSゲームというものに音楽を利用しているだけでは無いかと思ったりする。

そういう事をぐるぐる考えていると少しずつ音楽にも迷いが出てきて喉につっかえたように筆が進まなくなったりする。

AI作曲などが出てきた事は当時は全く気にしていなかったが、最近作曲が出来なくなり手を出してみた所、自分より上手いじゃんと思ったりした時は凄いと素直に思う気持ちと自分要る?という気持ちが混ざっていた。

自分の好きな曲は明らかにAIでは辿り着けないものが多々あるが自分の曲を改めて見返してみるとステレオ感?というのかミキシングやマスタリングは明らかに自分より上だし、編曲が何より定番によっていて素晴らしいと思う。

アンダーグラウンドな文化や最近のJ-POPでは定番から少し外れたものが流行ってるような気がするが、自分はド定番が好きなのでAIの作曲は自分に激刺さりしているのである。

濁りが無い、芸術は気持ち悪いをいかに芸術という型に落とし込めるのかという話があるが私はそうではなく、どれだけ見た人の心を綺麗に洗い流せるのだろうかという事を考えている。

だからそのものを見た時、聞いた時にぐるぐる消化不良の様に残っているのは嫌いだ。

AIは見たり聴いたりしたら(技術的にある程度奇妙な物もあるが)スーッと自分の心を通っていって消化がしやすい。

そういう場所を目指していた自分にとっては驚愕だった。

それを踏まえて自分が書いた短い曲はどこか気持ち悪さがあるようなものだった。

それが自分だと言い聞かせたい所だがやはり納得がいかない。

その納得がいかなさからまたそこから遠ざかりたくなってしまう。

最近ゲームもそうなってきた節がある。

何かといえばオンラインオンラインで人と競わされる。

競わないゲームもあるのだがそれだとマンネリしてしまうよく分からない心情だ。

平和に生きていたいのに戦わなきゃいけないのは人生もきっと同じだろう。

そして平和に生きてばかりではつまらなくなり戦い始めるのだろう。

だからアーマードコアの新作は求められる、やった事は無いが。(面白そうだけどPS5や良いPCを持っていないので)

自分の糧にしたくて色んな本や映画を見てみようとしたがいまいち食べ物でいうところの揚げ物ばかりで自分は消化しにくくて苦しかった。

リアルな人間模様を再現しようとしているものが嫌いなんだと思う。

エンディングは必ずハッピーエンドであってほしいしそりゃ自分の人生だってハッピーエンドであってほしいのと同じように。

バッドエンドがあるって事はバッドエンドで終わる可能性があるということだ。

その概念がなければそれは存在しないまま終わっていくと思う。

因果としては逆なのだろうけど。

でも皆が皆人の幸せを願う訳でも無いし、そんな世の中は嫌だけどそうならざるをえない環境である人にも配慮してそれが最低だとは言わない。

自分はこの文章から読み取れるようにマズローの欲求不満?みたいな感じのやつでいうにここで文字を使って瞑想するくらいは余裕があるので幸せな方に分類されていると思う。

だからこそハッピーエンドで終わってほしいのだ。

自分よりもっとハッピーな人に対して自分と同じ所、もしくはそれより下に落ちてくれなんて微塵も思わない。

もっとハッピーな人もどこかで自分より苦労しているだろうし、もっとバッドな人もハッピーになる為に凄い苦労しているだろうと思う。

でも他人が幸せになる事によって比較して不幸になる人が居るって事実は忘れてない。

嘘をつかないように生きようとしたって嘘をつく人間のせいでつきたくなくてもつかなきゃいけない事もあるし。

こういう考えになるまでに自分も歪んだ思想をしていた事だってあったし、今が歪んでいないとは言わないけど。

歪んでいた時の方が人と関わる事が出来ていた気がするのは何故なのだろうな。

どこに基点を置けばいいのかという事は本当に分からなくなる事がある。

こっちに置いたらこっちが変になるしそっちに置いたらそっちが変になるというジレンマは本当に煩わしい。

そういうのを気にせず何かに特化して生きている人間をとても羨ましく思う。

嫌われる勇気という本が流行った時期があったが(読んではいないがドラマは見た)それも自分にはしっくりこなかった。

人に嫌われない事に越した事は無いと思う性格だからだと思う。

でもこんな考え方だから誰にも好かれないだろうなとも思う。

誰かの嫌いな所って誰かにとっては好きな所だなってネットを見て考える。

自分は自分の嫌いな所を知っているけれどそれをさらけ出す勇気は無いから一生印象の無い人のままで終わるんだろうな。

それは別に印象の無いままで終わるのは構わないのだけれど、そういう人が芸術してて何になるんだ?って思ったりする。

人と関わるのが苦手なのも全ての道に悪影響を及ぼしている。

ピカソみたいな人は本当に凄いなと思う。

自分にはピカソの絵の凄さは全く分からないが、商売上手だったという話を聞いてそこがとても凄いなと。

逆に自分がとても悲しく思ったのはゴッホで色々と苦しい人生が終わった後に親戚?だったかなんだかの人が商売上手でその人がゴッホの絵を広めた事によって死後評価されたという分類になっていた。

死後評価されたというのはとても悲しい、だって生きてる時に分かりたいじゃん。

ゴッホの星月夜はとても素敵だなって自分でも分かる程だ。

当然ゴッホは癖の強い人物だし(耳たぶ切り落としたり)だからこそ良い絵を書けたのだろうけど結局人の評価があってそれが広まってやっと自分のもとにその絵が凄いぞ!という事が届く。

それってあまりにも悲しい事だと思う。

今はネット社会があるから埋まる事はなく誰かかしかの目につくけれど、やはりそこにも人と話すという事が無いと広まらないのである。

ネット上では物凄い賛否両論あるから個人名は出さないが、原宿でずっとビラ配りしていたYouTuberは本当に凄いなって関心していた。

瞑想出来ているのかな?という確認は頭の中で自動的に入る。

瞑想ってもっとランダムなんじゃねえかな〜って。

もっと水の流れる様に思考を研ぎ澄ませてみたいものだ。

そろそろ脳の披露も感じてきた。

瞑想ってもっと脳を休ませたり回復させたりするものじゃないのか。

恐らく失敗してる、何か違う気がする。

それでもまあ一時的に意識を背けたいものからは良い感じに背けられたので良かった。

瞑想って脳を疲労させて何も考えなくさせるって事じゃないよね。

この文字を書いている間に下側に何文字くらい書いたのか見えるのだが、だいたい1万文字くらいいきたかったんだけどそこまでいかずに疲れて終わりそうです。

そろそろ締めたいなと思います。

ここまで読んでくれた方、居るのであれば本当にありがとうございます。

一生ネットの宝物になりたいのですがどうやらその道は遠いので、ネットの海で豪華客船に見つかるまでぷかぷか浮いていたいと思います。

ありがとうございましたというと縁が切れると一時期話題になった謎のマナー講師が言っていたのでそうならないようにします。

読了ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。