少しだけ広がった世界
翌日の放課後。
レンは、再びアーヴェルの研究室を訪れていた。
「昨日は風だったから、今日は別の属性を試してみよう」
アーヴェルが用意したのは、昨日と似た構造の魔法陣だった。
「火属性?」
「そう。構造自体は簡単なものにしてある」
「分かりました」
レンは魔法陣を見つめる。
昨日は何度も失敗した。魔力を流す方向や量、速度。そして、魔法陣の各部分がどう働くのか。まだ分からないことは多いものの、少しずつ感覚を掴み始めている。
「まずは魔力を流すところから」
「はい」
レンは集中し、魔力の流れを意識する。
昨日よりも、自分の中から魔力が出ていく感覚が分かる。魔法陣を通り、決められた経路を進んでいく感覚も、ほんの少しだけ掴めるようになっていた。
「……ここか」
流れを調整すると、魔法陣が淡く光った。
「お」
「そのまま」
アーヴェルに見守られながら、レンは慎重に魔力を流していく。
火属性へ変換する部分へ魔力を通した、その瞬間。
――パチッ。
「……!」
小さな火花が散った。
「今のは?」
「変換の直前で止まったね」
「なるほど」
レンは魔法陣を見る。
「じゃあ、ここを少し変えれば……」
「待って」
アーヴェルが止める。
「一度、原因を考えてからにしよう」
「あ」
レンは手を止めた。
「たしかに」
昨日と同じように、焦って魔力を流せば失敗する。
レンは改めて魔法陣を観察した。
「火に変換する前に、魔力の流れが少し弱くなってる」
「そう見える?」
「はい」
「じゃあ、そこを調整してみよう」
レンは魔法陣の一部を書き換えた。
複雑な構造ではない。けれど、ほんの少し変えるだけで魔力の流れは変化する。
「……これで」
もう一度、魔力を流す。
今度は魔法陣の中心に、小さな赤い光が灯った。
「……!」
レンが息を止める。
光が少しずつ強くなり――。
ぽっ。
小さな炎が浮かんだ。
「……できた」
「うん」
アーヴェルが頷く。
「火属性の発現だね」
レンは目の前の炎を見つめる。
風とは違う。揺らめき、熱を持っている。
ほんの小さな炎。それでも、確かに自分の魔力から生み出したものだった。
「……火だ」
レンは思わず笑った。
フィーリアも炎を見つめる。
「綺麗」
「そうだな」
しばらく炎を眺めていると、やがて魔力が切れ、炎が消えた。
「……終わった」
「初めてなら十分だよ」
アーヴェルが言う。
「これで、昨日の風と今日の火。二つの基礎術式ができたね」
「はい」
レンは頷いた。
「名前は?」
「まだ決めてない」
「じゃあ、今は仮でいいんじゃないかな?」
アーヴェルが笑う。
レンは少し考えた。
「……ファイア」
「ファイア?」
「うん。分かりやすいし」
「いいんじゃないかな」
「じゃあ、ファイアで」
レンは魔法陣をもう一度見る。
単純な構造で、まだ改良できるところも多い。けれど、今はこれでいい。
風のウィンド。
火のファイア。
二つの小さな術式。
「……これで一旦いいかな」
レンが言う。
「何か思いついた?」
「うん。もっと効率よくできそうだし、発動も速くできそう」
「それはこれから研究していけばいい」
「そうだな」
アーヴェルが頷く。
「焦らなくていいよ」
「分かりました」
レンは立ち上がった。
「今日はここまでにする」
「それがいいね」
研究室を出ると、フィーリアも一緒に歩いてくる。
「レン」
「ん?」
「嬉しそう」
「分かる?」
「うん」
レンは少し笑った。
「魔法が使えるようになったのもそうだけど、自分で仕組みを理解して、動かせたのが面白い」
「そっか」
二人は研究施設を出た。
外は夕方。街には学校帰りの生徒たちが歩き、魔導車が静かに通り過ぎていく。
いつもの街。
いつもの時間。
けれど、レンの中では、ほんの少しだけ何かが変わっていた。
* * *
翌日。
「おはよう」
「おはよう」
教室では、いつものように四人が集まっていた。
「昨日どこ行ってたの?」
ユナが聞く。
「ちょっと用事」
「また?」
「うん」
「最近多くない?」
「そうかな」
アルトが笑う。
「レン、なんか楽しそうだぞ」
「そう?」
「顔に出てる」
「まあ、ちょっとな」
「何かあった?」
「秘密」
「またそれかよ」
アルトが笑い、レンも笑った。
昨日まで、魔法は自分とは関係のないものだった。
今は違う。
まだ小さな炎と、小さな風。それだけだ。
けれど、それらは自分の手で生み出したものだった。
だからこそ、少し嬉しい。
それ以上を急ぐ必要はない。
今は学校があって、友達がいて、放課後にはまた何かを楽しめる。
魔法も、その中の一つになっただけだ。
「レン」
「ん?」
フィーリアが呼ぶ。
「次の休み、どうする?」
「そういえば決めてなかったな」
「どこか行く?」
「いいね」
アルトがすぐに乗ってくる。
「じゃあ、また四人で行こうぜ」
「賛成」
ユナも頷く。
レンは三人を見る。
「……うん。行こう」
チャイムが鳴り、四人はそれぞれの席へ戻っていく。
レンも教科書を開いた。
ふと窓の外を見る。
青い空。
この世界へ落ちてきた、あの日と同じ空だった。
けれど、今はあのときほど遠く感じない。
知らない世界だった場所が、少しずつ自分の世界になっている。
「……悪くないな」
小さく呟いて、レンは授業へ視線を戻した。
魔法のことも、この世界のことも、これから少しずつ知っていけばいい。
二度目の人生は、まだ始まったばかりだった。




