観測の天使
理解できない。
僕は今、相談室で横に並べた椅子の上に寝転がっている。しかも、シノの大きな尻尾を枕代わりにして。
起き上がろうにも、頭が鉛のように重い。手足が思うように動かない。体に意識が集中できない僕は、とりあえずこれまでのことを思い出すところから始めることにした。
ことがおかしくなったのは、数日前。ジュリが死んだあの夜からだ。あの時、ジュリの遺体を抱える僕を、通りかかった夜間巡回が見つけて確保した。
ただし、迷子とかそう言うものではなく、殺人犯として。
それから数日間、僕は地下牢獄施設に監禁され、食事は配られたがほとんど飲まず食わず眠らずの時間を過ごしていた。やってもいない殺しで投獄された混乱というのもあっただろうが、それよりもジュリを失ったショックで、僕は何もできずにいた。
あの時、ジュリが突然死したあの時、僕は何かできることがあったのではないか。彼女の体に何か市の予兆が見られなかったか。最期の口ぶりからして、彼女は自分が死ぬことを知っていたのではないか。彼女に求婚されていたメグルや他のパーティメンバーは、今どうしているのか。そんなことばかり一人で考えていると、ただでさえ美味しくない食事が、余計に喉を通らなくなった。
天使の体は他の生き物よりかなり丈夫にできているため、数日何もしない程度では体調を崩したりはするが、命に関わることはない。だから、看守の僕に対する扱いはぞんざいで、外の情報を渡すといった支援もなかった。
「出ろ英雄殺し、裁判だ」
ある日、看守は少し痩せた僕に手錠をかけ、牢から引きずり出した。
牢獄施設の地上にある簡易裁判所。僕はそこで裁判を受けた。裁判と言っても、この国には検事だ弁護士だと言った法律はない。ただ裁判官と事件の当事者や関係者が協議し、罪の是非を決定する。
だが、盾の勇者が殺された事件とあっては、やはり世間の注目度は高いらしく、傍聴席はカイ一行を先頭に多くの人々で埋め尽くされていた。
「被告人、観測の天使エリウス。前へ」
裁判官が声高に言うと、僕は力の入らない体を看守に無理やり持ち上げられ、手錠ごと腕を証言台に固定される。
「被告はさる夜、盾の勇者ジュリを殺害した容疑でここにいる。まずこのことについて、容疑者本人の意見を聞こう」
「僕は……」
僕は暗く濁ったままの目で、周囲を見渡した。多くの民衆が、憎悪と好奇の目線で僕を見ている。メイラとシノは真剣な面持ちだが、果たして僕が殺していないと信じてくれるだろうか。
それでも、僕は自分の本心に従った。
観測の天使は、嘘の情報を何よりも嫌う。
「僕は、やっていません」
「よろしい」
当然の反応と言わんばかりに裁判官は眉一つ動かさず、僕の発言を紙に書き記す。そして一呼吸置いてから話し始めた。
「では、我々の見解を述べよう。被告には勇者を殺害する動機がある。先の戦争において、被告は観測の天使として魔王と反逆両軍を観測してきた。その中で、被告の心情が魔王軍に傾く可能性は大いにあったと考えられる。魔王軍の敗北を観測した被告は勇者一行に恨みを持ち、被害者と二人きりになる時を狙って犯行に及んだ」
全て憶測だ、証拠はない。そう叫ぼうとしたが、肺と喉に力が入らない。僕は事務的に進められる裁判に、ただ立ちながら流されることしかできなかった。
「次に、被告側の証人を入廷させる」
証人など、呼んだ覚えがない。だいいちあの夜は夜間巡回に見つかるまで誰も近くを通らなかったはず。ジュリの死の瞬間を見ている者など、なおさらいるはずがない。しかし裁判は、何の滞りもなく証人を迎え入れた。
「……ナイル!」
証人とは、あの日、ジュリが死ぬ前に別れたはずのナイルだった。なぜ彼がここにいるのか、今外はどうなっているのか、僕は聞きたいことが多すぎるあまり声より先に身を乗り出した。しかしナイルは人差し指を口に当て「静かに」とサインを送る。
この場で被告人が騒ぎ立てても意味がない。場合によっては裁判官の心象を悪くするだけだ。この状況において、ナイルは僕なんかより遥かに冷静だった。
「では証人、観測の天使ナイル。証言を」
そう言われると、ナイルは小脇に抱えていた大きな本を自分の証言台に置く。裁判の資料か彼の観測記録だろうか。彼はその本を開いてから、証言を始めた。
「僕は、エリウスの無罪を主張する。まず、裁判官側の意見について異論の余地はない。この意見は憶測の域を出ないが、事実として魔王派の残党や反逆軍の裏切り者は存在する。正直、同じ理由で僕が疑われても返す言葉がない。しかし、それとは別に被告には犯行が不可能である理由がある」
そこまで言うとナイルは口を閉じ、裁判官に続けていいかと目線を送る。裁判官は「どうぞ」と続きを促した。
「すでにご存知の方は多数いるだろうが、僕たち観測の天使には特有の性質がある」
そう言って、ナイルは突然手元のペンを僕に放り投げた。
それを受け取ろうにも避けようにも、証言台に手錠で繋がれている僕はこの場から動けない。だが、僕はそもそも動こうとはしなかった。その理由は、ナイルが言った特有の性質にある。
ペンが僕の体に当たる寸前、僕とペンの間に光の壁が現れて飛来するペンを阻んだ。ペンはその壁にぶつかり、僕の体に触れることなく床に落ちる。
ペンが落ちたのをしっかりと確認してから、ナイルは続けた。
「観測者の制約。僕たちはあらゆる攻撃を受けない代わりに、自らも故意の攻撃ができない」
これこそが、僕たち観測の天使がかの激しい戦争を生き残った理由。この無敵の体は、客観的な観測を可能にする。
「しかし、それはあくまで直接での話。罠や毒殺など、遠回しにならその制約は効果を発揮しない。観測の天使にも殺人は可能だ」
裁判官の反論ももっともだ。観測者の制約はあくまでも初見殺し。性質さえ理解していれば、掻い潜る方法はいくらでもある。おそらくナイルは、裁判官がこの制約を知らない可能性に賭けていたのだろうが、その手は通用しなかった。
しかし、ナイルはまだ止まらなかった。
「では次に、被害者の死因について。このスケッチを見てほしい」
ナイルが提示したのは、町の医師によるジュリの胸の傷を描いたスケッチ。添えられたメモによるとジュリの死因は、そこから大量に出血したことによる失血死だった。
「医師によれば、この傷は形状からして外側からのものではない。内側から食い破るような形をしていると解剖結果が出ている。少なくとも裁判官の言った罠や毒殺では不可能な傷だ。そして、彼女が事件当日まで傷口付近に付けていたペンダント。これも同じように内側からひびが入っている」
「では、その傷は誰がどうやって?」
裁判官がナイルを警戒するように目を細める。ナイルはきっとこの時、僕と同じ可能性を考えていたのだろう。いや、僕の無罪を証明するならもうそれしか残されていない。だが、そのカードはなるべくなら使いたくないものだった。
「呪いだ」
ナイルは一度だけ奥歯を噛み締めてから、追い詰められたような面持ちで言った。信じてもらえる確証がなかったからではない。呪いとは、何よりもその存在自体が最大の呪いであるからだ。
「この世界は形を保つため、世界を変えうる力を持つ者に滅びの呪いをかけることがある。これは僕や他の観測の天使の記録を見れば明らかだ。被害者も同様に、呪われるだけの力があったと考えられる。そして呪いは、対象者を内側から変えていく。今回の傷が、まさにその証拠だ!」
そもそも物理的でない呪いを示す物理的証拠はない。だが、天使もエルフも実在するこの世界で、呪いの存在を疑う者はそういなかった。
「証人」
裁判官の目が、鋭く光る。
「一旦、証人の意見を信じるとしよう。となると、そこにいる勇者一行も同様に呪われていることになるが、それでよいと?」
裁判官の目線が、傍聴席のカイたちに突きつけられた。それにつられるように、法廷中の注目が同じ一点に集められる。
呪いとは、ただ単に受けた本人だけが滅びるものではない。さまざまな形を成して、時には周囲に多大な影響を与えることもある。ナイルの証言は僕を無罪に近づける代わりに、カイたちを針のむしろに追いやるものだった。
「観測の天使は、嘘の情報を何よりも嫌う」
「よろしい」
その後、多少の小競り合いはあったが、結果としてナイルの証言がきっかけとなり、僕は無罪を勝ち取った。
だが当然、問題は僕の釈放では終わらない。
「この町に爆弾を置いておく気か!」
「勇者はもういらない!」
「カイは町から出ていけ!」
裁判の終了と同時に、住民たちの不安と疑念が爆発した。それは裁判所の外まで波及し、カイたちに石を投げる者が後を絶たなかった。
裁判所から近い逃げ場ということで、ナイルは僕とカイ一行を連れて役場の相談室に駆け込んだ。
ようやくひと安心できる所までたどり着いた。流石に役場の奥まで詰め寄る人はいないらしい。僕は自分の椅子に腰かけた瞬間、緊張の糸が途切れる音を確かに耳にした。
「……あ、エリー起きた」
そして、今に至る。僕が目を開けたまま動けずにいると、枕(尻尾)の持ち主であるシノに気づかれた。
僕は動けないなりに起きあがろうとした。そして無理に発揮した力はあらぬ方向へはたらき、僕の体は椅子から転がり落ちる。衝撃でまた動けなくなったが、同時に少しだけ意識が戻った。
「ま、まだ動かない方が……」
「いや、動けるなら動くべきだ」
シノが僕を抱え上げて椅子に戻すが、ナイルの一声で萎縮したように動きを止めた。
「まず、僕たち二人で話したいことがある。悪いけど、少し席を外してくれないか」
ナイルはカイたち三人に部屋を出るよう促す。その様子には収穫祭で見たようなミーハーさはなく、ただ冷静に情報を扱う、観測の天使の冷徹さだけがあった。
「すまない」
去り際、部屋に戻ろうとするシノの背を押しながらカイがこぼした。「すまない」。その一言にどれほどの思いが込められていたことだろうか。この時の僕にはとても計り知れなかった。
「さて、エリウス」
三人が部屋を出たのを確認すると、ナイルは外に聞こえないよう小さな声で話し始める。カイとメイラはともかく、獣人であるシノは耳がいい。盗み聞きのような無粋な真似はしないだろうが、うっかり聞こえてしまったなどということがあっては元も子もないのだろう。
「まさか、僕にカイたちから手を引けって言うんじゃないだろうね?」
ナイルが口を開く前に僕は言った。どうやら図星だったらしく、ナイルは片眼鏡の奥で目を白黒させる。が、すぐに先ほどまでの冷静な表情に戻った。
「その通りだよ、わかってるじゃないか。裁判でも言ったけど、彼らも呪われていると見ていい。彼らの近くにいるのは危険だ」
「危険って、僕らには観測者の制約がある。少なくとも直接の危害を加えられることはないだろ」
「違う!」
その一瞬だけ、ナイルは声を荒げて僕の言葉を遮った。見ると、彼はいつの間にか目線を落とし何かを堪えるように肩を震わせている。
「どうして、そんなに……」
「君のためだ」
ナイルは反省するように小声に戻ると、しばらく何も言わなくなった。
「とにかく、この件からは手を引け。僕も明日には町に戻る。君がわかってくれるなら、君だけでも他の町に移動できるよう、手伝おう」
きっと、全ては僕のためと言うのだろう。ナイルはそういうやつだ。
それでも。
「僕はもう、ただの観測者じゃいられない」
メグルの相談を受けた。ジュリの話を聞くと決めた。そして、ジュリにカイを託された。僕は、この件に限っては観測者ではなく、当事者になってしまった。確かに、あくまでも仕事だからと冷たく手を切ることもできなくはない。
だが、それ以上に不安だった。彼らの呪いに巻き込まれることではない。その呪いによって、彼らが何の救いもなく滅んでいくことが。彼らを呪いから助けることはできないかもしれない。それでも、その不安を和らげることくらいはできる。いや、そうしなければ僕の責任感が許さない。
気がつくと、僕は首元に付けっぱなしだったジュリのペンダントを握りしめていた。
「ナイル、あの本」
僕は机に置かれた大きな本を指差す。ナイルが裁判に持ち込んだ資料だ。
「呪いについて書かれているんだろ? それ、僕にくれないか」
「……もともとそのつもりで持ってきたんだけど、まさか君、これで呪いから助けられるとか思っていないだろうね?」
僕は首を横に振る。
「知っておくに、越したことはない」
町を出ることに関しての言い合いは、もう平行線だ。ナイルはその流れを察してか、ため息をついてから僕にその本を手渡した。
そして、カイたちを呼び戻すため扉に手をかけた時、彼は一度だけ僕に振り向いて言った。
「君のそういうところ、昔から嫌いだったよ」
それは警告か捨て台詞か、何を指してそういうところと言ったのか、僕にはわからなかった。いや、きっとそういう僕だから永遠にわからないのだろう。それでも、僕は一人の天使としてこの件を諦める気にはなれなかった。




