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盾の勇者

 観測の天使にとって、肉体とは情報の集積でしかない。三百年も生きていれば、人の裸体などそれこそ飽きるほど見てきた。骨の形、血の巡り、皮膚と筋肉の下で忙しなく働く臓器の動きまで、僕はしっかりと観測している。

 特に魔族との戦いにおいて、僕はそういった経験に恵まれてきた。

 人は何をすれば傷つき、何をすれば死ぬのか。戦争とはそういう命の情報が多く動く観測点の宝庫だった。

 だからだろうか。僕は逆に、傷のない美しい体というものに弱くなっていた。

 そう。その日、僕は目撃してしまったのである。


 初めてファミーリエに行った翌日、僕は相変わらず役場の相談室へ向かった。が、扉を開けた時、その向こうにはすでに先客がいた。

「……あら」

 そこには、朝の光を浴びて、滑らかな背中を露わにしたエルフの少女が立っていた。

 服装が違う、と言うか半分ほど着ていないのだが、こちらに振り向いた顔は、つい昨日初めて会った盾の英雄、ジュリその人だった。

 僕の登場に少し驚いたのか、ジュリは振り向きざまに着ようとしていた服をはらりと落としてしまう。さらに露わになるエルフ特有の透き通るような白い肌。そして、その豊満な胸元には……。

「し、失礼しましたぁっ!」

 そこまで観測してしまいそうになったところで、僕は弾かれるような勢いで扉を閉めた。心臓の鼓動が、天使にあるまじき速さで鐘のように鳴り響く。顔が焼けるように熱い。三百年間脳に蓄積し続けた観測記録が、一瞬で消し飛ぶような衝撃だった。

 天使と言うか長命の種族は、その人生経験の豊富さゆえに予想外の出来事に対して思考が停止しやすい。どうやら僕もその例から外れてはいなかったようで、なぜか全力で扉から目を背けていた。

「ふふ。そんなに真っ赤にならなくてもいいじゃないですか。長生きの天使でも、照れることがあるんですね」

 扉の向こうから、鈴を転がすような笑い声が聞こえる。やがてパタパタと軽い足音がして、ジュリが出てきた。彼女は僕の顔を覗き込むと、いたずらっぽく微笑む。彼女はおそらく僕より年下なのだろうが、その様子は弟か何かをからかう姉のような余裕に満ちていた。

「それより、どうですかこの服。似合ってますか?」

 ジュリが見せびらかすようにしわを伸ばしたのは、この役場の制服。まさに僕がこれからこの部屋で着替えようとしていたのと同じ物だ。なぜ役場勤めでもない彼女がそれを着ているのか。なぜそれを僕の部屋で着替えていたのか。そもそも彼女は何者なのか。疑問が多すぎて整理しきれない僕は、とにかく片っ端からぶつけることにした。

「いや待て。どうして君がそれを着ているんだ。それにここ、僕の部屋」

 そう言われてジュリは部屋を見回すと、「ああー」と納得したように両手をあわせた。

「実は私、今度の収穫祭のお手伝いをさせてもらうことになりまして。着替えるのに空いてる部屋がないかと受付さんに聞いたら、ここに通されて」

 戦争が長く続いていたので、僕はすっかり忘れていた。そう言えば、今月はドラフト全体をあげた収穫祭がある。もちろん主催はこの役場なので、準備会やその手伝いに制服が支給される点については納得した。着替え場所については、後で受付に厳しく言っておこう。

 にしても、平和になれば盾の英雄も観測の天使と同じ制服を着るようになるとは。不思議なものだ。

「でも、よかったです」

「何が?」

 そう聞くと、ジュリは僕と目を近づけるように少しだけしゃがむ。宝石のように複雑に輝く彼女の瞳を目の前にして、たぶんこの時の僕はまた顔を赤くしていたと思う。

「私、エリウスさんに会いたかったんです。昨日エリウスさんが役場から来たって聞いて、もしかしたらって、ちょっと期待してたんですよ」

「僕に?」

 自分で言うのもなんだが、この世界において天使というのは珍しくはあれどそこまで偉い存在ではない。むしろ魔王を倒した英雄の仲間の方が、天の上の人だと思う。そんな人から会いたかったなどと言われた日には、それこそ軽く有頂天にもなってしまうというものだ。

「……いやあ僕もこの仕事長くやってるから、ちょっと有名になりすぎたかなあ。そんな大したことはしてないよ? こないだなんか庭の木の実が隣の家の庭に落ちたって人を一日中なだめたり、そんなことばっかでねえ」

「メグルのこと、ちゃんと話しておきたくて」

 照れ隠しに早口で捲し立てる僕とは対照的に、ジュリの声は真剣そのものだった。それがはっきりと伝わったから、僕は一瞬で黙ってしまった。

「そうだ。せっかく相談室に来たわけですし、私からの依頼。収穫祭の準備を手伝ってください。どうですか?」

 ジュリの真剣な様子はその一瞬だけで、その後は先ほどまでの柔らかい笑顔が戻っていた。だからだろうか。僕もいつもの調子を取り戻すことができた。

「いや、僕は別に準備会では……」

「いいじゃないですか。一度きりのお願いだと思って」

「なんだよそれ」

 収穫祭は年に一度。長命の種族である天使やエルフからすれば、毎月のような感覚でやってくる。ジュリは一度きりと言ったが、ここで受ければ来年も手伝わされることになるのだろう。僕は断固として拒否の姿勢を貫こうとしたが、この時の僕は結構弱い立場にいたらしい。

「さっき私の着替えを覗いたこと、皆に言っちゃいますよ〜?」

「……っ!」

 僕の反応を見て、ジュリはまたもわざとらしく笑って見せる。そもそも勝手に僕の部屋に入ったのはそっちだろうに。どうやら彼女には人を振り回す性格と言うか、そういう素質があるようだ。後で受付には相当厳しく言っておこう。

「仕方ない。盾の勇者の頼みを断ったとあれば、僕の立場にも関わる。手伝うよ。つきあえばいいんだろう?」

「やった、ありがとうございます!」

 ジュリはそう言って軽く頭を下げたと思うと、勢いよく僕に抱きついた。身長差のせいで、彼女の程よく大きな双峰が僕の顔面に押し付けられる。柔らかい。そこは蚊となく甘い匂いすらする。いや、そうじゃない。

「こら、気安く抱きつくんじゃない。盾の勇者の誇りとか、そういうのないのか?」

「今はただの準備会員でーす」

 ジュリは全力で僕の顔を胸元に封印しようとする。盾の勇者に対して非力な天使では抵抗しても逃れられない。僕は彼女にほだされないよう、とにかく余計なことを考えることにした。が、どうしても先ほど凝視してしまったあの美しい背中が脳裏から離れない。

 あまりに美しかった。傷一つないその肌は、血が通っていることを疑わせるほどに白く透き通りながら、年相応のハリを保っていた。

 この時、僕はふと疑問に思った。これが、盾の勇者の背中なのだろうかと。確かに、この世界には少数だが傷を癒す術や魔法が存在する。それでも、痛みや出血を止める程度で、傷そのものを完全に消すことはできない。失礼な話だが、全身傷だらけの方が僕もここまで考え込まずに済んだかもしれない。魔族との戦いを勝ち残った勇者がこれほどまでに無傷だと、逆に違和感を覚える。盾の勇者の異名通り、それほど彼女が防御に長けていたということの証拠なのだろうか。

 が、そんな疑問も違和感も、ジュリの柔らかい肢体が全て包み込むようにしてかき消す。結果として、僕はこの日、盾の勇者に圧倒的敗北を喫することとなった。

 そしてこれはただの後悔なのだが、僕はこの時の違和感をもう少し大切に考えるべきだったのかもしれない。


「あ、エリウスさんその飾りはあっちの柱にー」

「はいー……」

 気がつけば、僕はジュリにこき使われていた。結局、僕の力が必要だったのは、高所の飾り付け作業。ドラフトでは数少ない飛行種族である僕が、準備会には必要だったらしい。正直、僕の小さい翼では空を飛び続けるのは少し疲れるのだが。

 だが、単なる骨折り損ではなかった。この依頼を受けた礼とかで、役場を出る前ジュリは彼女自身のことを色々と教えてくれた。

「実は私、異世界転生の経験があるんです。それで、カイとは気が合って」

 異世界からの転生や転移。この世界ではそう珍しいことではない。魔族との戦争とかそういった歴史的な出来事には、大抵転生者が何らかの形で関わっている。言い伝えによれば、カイも戦時中に魔族領内に転生だか転移だかして、それが勝利へのきっかけになったとか。

 だが、異世界から来たと言っても、そのこと自体が重要な情報かと言われるとそうではない。稀に異世界から未知の道具や知識を運んでくる者はいるが、大抵は移動前の記憶が大きく欠落していて、いわば記憶喪失の状態でこの世界を徘徊していた者がほとんどだ。ジュリも後者だったが、幼子のエルフとして転生してきた彼女は、この世界の、この町の住人として特に不自由なく生きてきたと言う。

「それで、小さい頃にこの町の収穫祭の話を聞いて、思い出したんです。同じような祭りを体験したことがあると」

 収穫祭とは、その名の通りに自然の実りを祝うと同時に、死者の魂に再会できる日でもあると言われている。まあ後半については眉唾ものだが、どうやらジュリが元いた世界でも同じ祭りがあったらしい。

「長いこと戦争で祭りとかやっていませんでしたから。こういうイベントは大切にしたいなって思いまして」

 その言葉は、彼女がエルフだからだろうか。長命かつ個体数の少ないエルフは、他の種族よりも個人の死を悼む風習がある。が、そうなると今度はなぜ戦前にこの依頼が来なかったのかという疑問が発生する。しかし、僕がその疑問を口にする直前、ジュリは席を立って収穫祭の準備へと踏み出した。


 そんなことをして、気がつけば数日が経っていた。準備会の面々はすっかり僕のことを受け入れ、と言うか便利係として使い回していた。僕の仕事は本来こういう体力仕事ではないのだが、「君にしかできない」と高所作業を任された時は、何と言うか悪い気はしなかった。

 が、やはり気になることはそのままだった。ジュリはこの祭りの目的について、とにかく死者に会えることを気にかけていた。僕はある日、そんな話の中で思い切って胸の内の違和感を打ち明けることにした。

「……誰か、会いたい人がいるのかい?」

 ジュリは首を横に振った。だが完全に外れでもなかったようで、彼女は首から下げたペンダントを手に取り、何かを堪えるような悲しい表情でそれを眺め始める。

「逆です。もし私がいなくなっても、この日にまた会えるかなと、そう思いまして」

 僕が言うのも何だが、ジュリは外見からしてもまだ若い。何か病気を持っているようには見えないし、少なくともそんなことを気にするような年齢ではない。僕はそう言おうとしたが、彼女があまりにも寂しそうな表情をしていたものだから、うまく言い出せなかった。

「っ、ところでそのペンダント、だいぶ傷が付いているじゃないか。古い物なのか?」

 話を逸らそうとジュリの手元に目をやった時、彼女のペンダントは今にも崩れそうなほど傷やひびが走っていた。戦いで傷ついたのだろうか。

「そ、そうですね」

 僕に言われると、ジュリは何か考え込んでいたのか、慌ててペンダントを元の位置に戻す。

「エリウスさんならわかってくれると思います。私たちは他の種族に比べて長生きですから。周りのものがどんどん先に無くなって、どんどん寂しくなって、その度にいつ自分の番が回ってくるのかと考えてしまうんです。せっかく丈夫な体に生まれたのに、よくないですね」

 ジュリはそれ以上、何も言わなかった。

 正直、僕も同じようなことを考えたことは何度もある。だが、考えたところでどうしようもない。まあ、同じ長命種族同士なら世間話程度に相談することもあるのだろう。悩み事ならカイにでも話すべきと言おうとしたが、せっかく頼ってくれた相手にそれはあまりにも無粋なので、僕は黙って頷き、そして空を見上げた。

 観測の天使はその役目ゆえ、他の種族と深く交流することは少ない。が、こう言う話なら付き合ってやってもいい。僕はこれを機に、ジュリの抱えるものに一歩踏み出してみることにした。

「……せっかくだから、この収穫祭、パーティの皆で回ってみないか? 君の仕事は僕が引き受ける」

 何か思い悩むことがあるのなら、適切な相手に相談することも大切だ。しかし、相談することが必ずしも正解につながるとは限らない。悩みと関係のない人間関係を大切にするのも、解決への糸口になる。それが共に戦い、気心の知れた仲間なら尚更だ。僕は一歩踏み出すとは言ったが、今回に限ってはやはり観測する立場に徹しようとした。

 しかし、ジュリは再び首を横に振る。

「だめです」

「どうしてさ?」

「だって、その日は……」

 そこまで言って、ジュリは喉に何かがつっかえたように言葉につまった。が、すぐにそれを振り払うように頭を軽く振り、彼女はようやくいつもの笑顔を取り戻す。

「エリウスさんも一緒がいいです!」

 その瞬間、僕の脳はあらぬ方向へフル回転した。ジュリと、そのパーティと、僕。つまり、カイと僕が収穫祭を共に回ると言うことになる。確かに遠回しにだがカイを祭りに呼ぶよう言ったのは僕だ。しかし、剣の英雄(本物)を前にして、僕は果たして冷静でいられるのだろうか?

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