エピローグ Mars
「久し振り? 恵」
「菜摘? マールス?」
あたし達の間に無言の時間が流れる。全てを思い出したあたしは、再び菜摘に掛ける言葉を見失っていたからだ。あの閃光の幻視が事実だったと思い出した今、あたしは菜摘を犯罪に手を染める前に止められなかった勇気の無さに打ち拉がれていたのだった。
「ごめん」
「えっ」
あいつから、菜摘が『ごめん』と言っていたと聞いたが、あいつが見せが事実からすると、それは嘘としか思えない。菜摘にはあたしが先にこの世界へ降り立ったと言ったのだから、菜摘があいつに伝言する筈が無い。
「なんで謝るの? 謝るのはあたしだよ。ごめん。菜摘が辛い時、何にもできなくて。話を聞いてあげられなくて。会う事も避けちゃった……本当に、ごめん……なさ……い」
最後の方は涙声になってしまった。泪が鼻に流れてグズグズさせて、みっともなかった。
「ううん。やっぱり、謝るのは私だよ。恵を巻き込んじゃって、ごめん。私がもっとしっかりしてたら、恵、あの場所に来る事無かったんだし……」
菜摘の目は真っ赤になっていた。
「それに、河で最後を迎えようとした私につきあわせてしまって、ごめん」
「そんな事ない! あたしが、菜摘と一緒に行きたかったんだ。何にもできなかったあたしだから。菜摘がそうするなら、あたしもそうしたかったんだ。だから謝らないで!」
あたしは菜摘の肩に顔を埋めて泣きじゃくった。菜摘はあたしの頭を抱え、そっと髪をなでてくれた。あたしが泣き止むまで、いつまでもなでてくれたのだった。
* * *
昂った感情が、泪を流す事で収まった頃。あたしは困った顔で、菜摘に問い掛けた。
「これから、どうする?」
菜摘も困り顔だった。
「どうしよっか」
「「あいつ、『約束は簡単には破れない』って言ってたしね」」
見事にハモった声に、あたし達はコロコロと笑った。
「あたし達が闘ったら……」
「相当ヤバイことになりそうだよね……」
うーん、うーん、とお互いに考えを巡らせるが良い案が思い浮ばない。
「あー、君達。ちょっと良いかな?」
あたし達の思案を妨げたのはブリアレーオス統括だった。
「一体全体、何が起こってたんだ? ジーウスとは結局何者で、何をしたかったんだ?」
あたし達は顔を見合せ、悩ましげに首を傾げる。おとぎ話の聖女様しか居ない世界で"神様"の話をして通じるものだろうか。更に"魔人"が別世界からの転生者だなんて話、誰が信じるというのか。
「うーん。とりあえず、エルメス、アプロディテ、クロノス、ウーラノス、ポセイドーンの五人は"魔人"で、この国の魔術師には使えない、強力で特殊な魔術が使えました。この五人は、あたしとここに居るマールスでやっつけたので、もう誰にも被害を加える事はありません」
あたしが、五人の"魔人"達がもう居ない事を簡単に説明すると、
「そして最後の"魔人"は、私とテルースの二人です。あたし達は五人の仲間じゃないんですけど、この世界にとっては、"魔人"になります。決して破れそうにない約束の所為で、互いに闘い合わないといけないんですけど……」
菜摘が二人の事を簡単に説明し、
「あたし達がそれをやると、ちょっとどこまで被害が広がるのか想像がつかなくて……」
あたしは、これからどうしようか悩んでいるという事で話を締めようとした。
「ちょっと待って、理解が追い付かない! 君達も"魔人"なのか? ちょうどここに国王陛下がいらっしゃる。もっと噛み砕いた説明をしてもらえないだろうか」
そう言われてもなあと思ったが、ふと思い出した事があった。
「昨日? 一昨日? ギュゲスさんから例の線画についての報告書が届けられたと思うんですけど、読みました?」
ああ、と曖昧に頷くブリアレーオス統括に、簡易辞書の内容について訊ねてみた。
「"神様"についての感想を聞かせてもらえますか?」
「子供騙し。おとぎ話にしかありえない存在」
ですよねーと二人で頷き合う。
「王都に甚大な被害をもたらし、先刻までこの王宮を占拠していたジーウスがその"神様"だとしたら、どう思いますか?」
「とんでも無い能力を持っている事は認めよう。だが彼も人間だろう? どうやってか知らないが、この部屋から消え失せたのも凄いものではあるが、それでもたかが魔術じゃないか」
うんうん、とあたしは一応頷くが、それはブリアレーオス統括の言葉を肯定しての事じゃない。そもそも"神様"なんて無い世界の人に"神様"が理解できる訳が無いのだ。"神様"が居るとされるわたし達の世界でだって、その在り方は十人十色。人の数だけその在り方があるんだから、一言で説明できる訳が無い。
「という事で、説明不能です。では、あたし達にはもう用は無いでしょうから、これで失礼しますね。あと、あたし達も"魔人"ですので、指名手配されるのは自由ですが、それ、やっても意味が無いというか、多分余計な被害を出すと思うので止めた方が賢明だと思います」
と言い捨ててあたしと菜摘はその部屋を出て行ったのだった。
* * *
とりあえず、王都を離れたあたしと菜摘は行く先々で出あう人びとの冷い視線を浴びていた。何故なら……
ブリアレーオス統括達は、確かにあたし達を犯罪者としては指名手配しなかった。のだけれど……
決して触れてはいけない危険人物としては触れ回っていたのだった。
どこへ行くにしても食料と水は必要だよね、という事でそれらを調達しようにも、誰も売ってはくれないし、顔を見ただけで店を占めるなんていう事も。
でも、中には奇特な人も居て、食べ物や水を分けてくれたり、休む場所を貸してくれたりして貰った事もあった。
『あたし達の事、怖く無いんですか』、って聞いてみると、『今あんた達は何もしないじゃない、だったらそれで充分だよ』って笑って答えてくれた。たったそれだけの事だけけど、今のあたし達をちゃんと見てくれてる事で心が温まる。
そんな、出会いを繰り返しながら、あたし達は今イーデー山の山頂に到達したのだった。
* * *
「ねえ、何でイーデー山なの?」
菜摘があたしに訊ねてきた。王都から割と近くて、人が居なくて、っていう理由以外に、もう一つの理由から、あたしはここを選んだ。
「前に、といってもそれ程前じゃないけど、ギュゲスさんが言ってたんだよね。おとぎ話では、イーデー山にはキュベレーさんっていう聖女が住んでいたって。で、前世の事思い出した時、向こうのギリシア神話もちょっと思い出してさ」
あたしは菜摘に、座ろっか、と促す。肩を寄せ合いながら続きを話す。
「キュベレーって、向こうの昔のアナトリア、この世界のこの国にあたるんだけど、の大地母神なんだぁ。でね、あたしのこの国での名前がテルース。ローマ神話での大地の女神様の名前とおんなじなんだよね。ギリシア神話で言うところのガイアと同じ。本当の名前も大地だし。だからその繋がりで、験を担いだって事。キュベレーさんが何とかしてくれるんじゃないか、って」
ちょっと頬が熱くなってるあたしを、菜摘は微笑ましそうに見ていたけど。
「じゃ、恵とキュベレーさんに何とかしてもらおう」
あたし達は互いの顔を見詰め合いながら頷いた。
あたしの身体が白光を纏い始める。菜摘の身体も青白い光を。
「これで終りにしようね。不条理な悪意の破壊者さん」
と、あたしが言う。
「そうしましょう。悪意に満ちた不条理の破壊者さん」
と、菜摘が返す。
あたし達は更にお互いの光を強めた。何度も助けられた菜摘の光はあたしにはとても心地良くて。彼女の顔を見る限りあたしの光もそうみたいだった。
菜摘の能力はあたしの中で増幅され、あたしの能力も菜摘の中で増幅され……
二人の能力は、あたし達の想像を遥かに越えて拡がっているようで。一体どこまで拡がるのかな……なんて心の隅で考えながら。
『ねえ、菜摘。あたしの事、嫌いじゃない?』
『嫌いな訳、無いじゃない。恵こそ私の事。嫌じゃない?』
『嫌じゃない! 好き!』
あたし達の能力は混じり合いながら、どこまでも、どこまでも、拡がり続けていったのだった。
終
最後までお読み下さいました皆様、本当に有り難うございます。
ラストシーンは、敢てこのようなはっきりしない終り方にしてます。
わたしの想像力では、最善でも穏かな破滅の未来しか見えなかったのです。
でも、もっと想像力豊かな方であれば。別の未来を想像してくれるかも。
そう願って、ここでわたしは筆をおくこととします。




